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bokunooki plus

   ボーダー新書  1,200円+税
   2018年11月20日 増補改訂版第1刷発行

 新城和博の著書は好きで、発売されたものは読むようにしていますが、今回はちょっとヤラレタ感じです。
 同じボーダーインクから2014年1月に発売された「ぼくの沖縄〈復帰後〉史」(新城和博著、ボーダー新書)はすでに読んでいるのですが、今回の「プラス」はそれに「大幅に加えて」、つまりはほぼ書き下ろしのものとして発行されるのだろうと、何の疑いもなく購入してしまったのです。
 ところが実際は、前作に2014年以降の出来事を加えたものになっていて、新しいところは全222ページのうち「〈復帰後〉史は続く」のわずか40ページ余りだけ。つまりは大部分が「二度買い」になってしまったのでした。
 そうとわかって買うのなら何も問題はありません。しかし、中身がそうなっているものと明確に判別できないようなタイトルを付けて、本の体裁まで変えて発刊することには、いささかの疑義を持たざるを得ません。沖縄出版界の雄であり信頼度の高いボーダーインクならなおさら、そういうことをしてはいけません。

 したがって読後の感想は、前回同様ということで、なし。
 今年から始めた車旅で、仙台から苫小牧へと向かうフェリー内で読了しました。
(2019.6.26 読)

 旧深江町まで来て「土石流被災家屋保存公園」。
 普賢岳の噴火によって被害を受けた家屋を保存展示していて、大型テント内に3棟、屋外に8棟を見ることができる。これらは1992年8月8~14日の土石流の被害を受けたもので、平均2.8mほど土砂に埋没している。凄まじきは土石流災害。
 この公園は「道の駅みずなし本陣ふかえ」に隣接していたので、長崎で食べて印象的だった「島原納豆味噌」をゲットする。

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普賢岳噴火の土石流被害を受けた家屋1

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普賢岳噴火の土石流被害を受けた家屋2

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普賢岳噴火の土石流被害を受けた家屋3

 道の駅から山手方面へと進んで、「旧大野木場小学校被災校舎」。
 1991年9月15日の大火砕流で被災した校舎を災害当時のまま保存しているもので、災害のツメ跡が今も生々しい。凄まじきは大火砕流災害。

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旧大野木場小学校被災校舎

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旧大野木場小学校前から、至近にあった雲仙普賢岳を撮影

 16時半。入浴は少し北になるが島原市の日帰り温泉と決めて進むが、まだ明るいうちに島原市内の「浜の川湧水」を見ておこう。
 「水の街」として知られる島原市には数多くの湧水ポイントがあり、そのほとんどは1792年の雲仙岳の噴火による地震に誘発されて湧き出し始めたものといい、湧水量は一日22万tもあるのだそうだ。
 なかでも市民と関わり深いのが「浜の川」だ。そこに向かうのだが、またもやナビが狭い道に進め、突っ込めと案内してくる。紀伊半島旅ではそれに諾々として従ったばかりにえらい苦労をしていたので、ナビの案内は怪しいと判断して近くのファミレスの駐車場から歩いてアプローチする。この判断はすばらしく正しく、あの先の道路幅は1.5mもなかった。
 浜の川の湧水は、飲み水や洗い物に使われ。湧出口のすぐ下は4層に区切られ、食品の洗い場、食器のすすぎ場というように用途が決められている。想像していたのとは異なり、住宅密集地の中のすごく小さなスペースに存在していた。1985年日本名水百選に選定。

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浜の川湧水

 その隣にあった店が「銀水」。NHKの「かんざらしに恋して」を見ているだけに、気になる店なのだ。
 湧水を使って作られる島原名物の甘味「かんざらし」の元祖で、約20年前に閉店した「銀水」が復活し、地元ではあのおばあちゃんの味が帰ってきたと話題を呼んでいるという。
 白玉粉で作る小さな団子を島原の湧水で冷やしてモチモチ感を出し、それに特製の蜜をかけたものが「かんざらし」。「銀水」は1915年に入江ギンさんが始め、55年に名物おばあちゃんの2代目のハツヨシさんが引き継ぎ人気店となった。しかしハツヨシさんが亡くなり「銀水」は閉店。以来20年近く建物は空き家のまま時が経った。そんな中、島原市は「銀水」の建物と土地を取得、改修して名店の復活を目指したという。
 17時前、まだ暖簾が下がっているのでラッキーと思ったが、「かんざらしは完売」の貼り紙があり、残念ながら入店はせずに終わったのだった。

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テレビドラマ「かんざらしに恋して」の舞台となった「銀水」

 入浴は島原市中心部の「島原温泉ゆとろぎの湯」にて。
 アーケード商店街に面しているという立地だ。2日ぶりの風呂となり、気持ちよさもひとしおだ。湯は名称から想像するようなとろとろ感はない。街なかの高齢者がこぞってやってくるような雰囲気を感じる。

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「島原温泉ゆとろぎの湯」のエントランス

 この夜のステイは、一度寄った「道の駅みずなし本陣ふかえ」。
 このあたりの道の駅はここしかないのでほぼオートマチックにここになる。普賢岳の土石流発生時、この場所は土砂で埋まったところだが、今夜の噴火はないだろう。
 18時半にはこの日のドライブを終えて、飲み方を始める。始めるのが早いと飲み終えて寝るのも早くなり、22時前には就寝。

 10月26日の走行距離は150km。

 口之津の集落内にある「開田公園」。
 ここは県指定史跡となっている「南蛮船来航の地」の隣接地だった。中世ヨーロッパをイメージして整備された公園で、芝生の多目的広場や展望台などがあるのだが、なぜ中世ヨーロッパを静かな集落のここにという疑念が生じる。施設群はそれほど手入れが行き届いているとは言えない。つくった時の為政者の想いとは異なる結末になるということはよくあるものだ。

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「開田公園」の入口

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由緒ある地であるはずの「南蛮船来航の地」にもあまり手が回っていないようだ

 「口之津港フェリーターミナル」。
 口之津の港はかつて熊本側の三井三池炭鉱から産出された石炭を上海行きの大型船に積み替えていた港で、その過酷な作業は与論島など南島からやってきた多くの労働者によって支えられていたという歴史がある。そういう思いで今のターミナルを見る。真南に当たる天草下島の鬼池港からやってきたフェリーがちょうど入港してきたところだった。

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「口之津港フェリーターミナル」。「島鉄」とは島原鉄道株式会社のことなり

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ちょうど鬼池港からのフェリーがやってきた

 口之津港の先端、すれ違いのできない狭い「なんばん大橋」の先にあった「口之津海の資料館」、「口之津歴史民俗資料館」、「与論館」。
 このうち民俗資料館の建物は「旧長崎税関口之津支署庁舎」だった。1878年、口之津港が三井財閥による三池炭鉱の石炭輸出港として許可されたことを契機に開設されたもの。天井の高い木造洋館で、内部は検査場、事務室、応接室などからなる。
 ちゃんと与論からの労働者を顕彰する形で「与論館」があったことは喜ばしい。与論からきた人々は「与論長屋」と呼ばれる狭くて粗末な住居に住まいしていたといい、それらが立ち並んでいたのは、今の口之津中心部から砂嘴のように海に突き出た海岸沿いの、あまり条件のよくない場所だった。遠い、明治時代のことだが、現場に立てば想像できることもある。

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口之津海の資料館

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「口之津海の資料館」の内部

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「口之津歴史民俗資料館」の建物は「旧長崎税関口之津支署庁舎」

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「与論館」もあった

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「与論長屋」が「与論館」内に展示されていた

 その突先の山手にあった「口之津公園」。
 先には「口之津灯台」があるのだろうとここも苦労して石段を登ったが、あるのは「唐人常夜燈」ぐらい。結局、長崎県では3番目、レンガ造りとしては第七管区で最古という口之津灯台にはアプローチできなかった。

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「口之津公園」内にあった「唐人常夜燈」

 14時45分。見ることに熱が入ってしまい、昼食を食べていない。口之津港前にあったこのあたりでは貴重ともいえる食堂に行ってみるが、先ほど通った時には開いていたのにもう「準備中」になっていた。やむを得ないので近くにあった「Hotmotto」でしょうが焼弁当を買い、海に近い広場を探して食べる。

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   光文社知恵の森文庫 800円+税
   2015年10月20日 第1刷発行

 このごろテレビで「街中華で飲ろうぜ」という番組を見ていて、酒も飲みたいしうまいものも食べたい、そうは言っても飲み方に多くの金を注ぎ込みたくないという自分にとって、ぴったりの飲み方はこれなのではないかと思うようになっています。
 街中華。かつてはそんな言葉はなく、「町なかの中華食堂」などと言っていたような気がしますが、餃子とほかに何か1品程度料理を注文して、大瓶のビールを1本やっつけ、興が乗ればハイボールかチューハイを追加して、〆にラーメン――なんていうのが、もしかしたら理想なのではないかと。
 そういうことを地元でやろうとすれば、よく知っているいくつかの店がすんなりと出てきますが、では東京はどうなっているのだろうかと思い、古書で買って読んでみたのがこの本です。

 はじめて訪れる街を歩く時、いつも「中華料理」と染め抜かれた赤い暖簾を探している自分がいた……。町の中華料理屋こと「街場中華」に魅せられてウン十年。フリーライターの著者が、孤独の胃袋を抱え、今日は半チャンラーメン、明日はレバニラと、東京の中華を西へ東へ食べ歩く。食事のお供は、もちろん瓶ビール。読めば満腹感間違いナシ!(カバー裏表紙から)

 全8章立てで、それらは「下町中華のめくるめく世界」、「城北・城南の谷間中華」、「副都心の街場中華を駆け抜ける」、「学生街の中華店」、「VIVA! 生姜焼き」、「街場中華の母港・埼玉をゆく」、「「街中的」中華チェーンとは?」、「街場中華における半チャンラーメンの存在意義とは?」。
 エリア別に攻めてみたり、料理の種類や店のカテゴリーに着眼してみたりと、縦横無尽。ここまで書けるようになるには東京の街中華でいったい何食ぐらい食べなければならないのだろうか。
(2019.6.16 読)

 雲仙岳の山懐へと進み、・雲仙温泉の「雲仙地獄」を見る。旧火山の中央火口丘に30余もある硫気孔から熱湯を噴出している雲仙観光の中心だ。
 雲仙温泉街の中心、白っぽい色の土に覆われた一体が雲仙地獄で、ここから湧き出す温泉は最高温度98℃の硫黄泉で、湯けむり温度は120℃にまで達するという。地底から吹き出す蒸気と熱気があたり一面を覆い尽くす光景は地獄そのもの。泥火山、邪見地獄、大叫喚地獄、お糸地獄、雲仙地獄足蒸し、すずめ地獄、湯けむり橋、清七地獄と眺めていく。
 大叫喚地獄などという名称をよく考えつくものだと笑ってしまうのだが、そこではたしかにすごい噴出音がするのだった。
 途中雲仙地獄工房で温泉卵を買って食べたのは、駐車場のおばさんがここで卵を食べるべきと教えてくれたからだ。

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邪見地獄

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大叫喚地獄

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このあたりがいちばん開けていて噴出が著しい地帯だった

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お糸地獄

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清七地獄

 硫黄の香りをたっぷり嗅ぎながら温泉街へと下りてきて、「雲仙お山の情報館」と「同情報館別館」を見て駐車場へ。地獄めぐりは約60分ということだったが、八万地獄を省略したりしたためか、40分ほどで終了して12時半。

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「雲仙お山の情報館」。左下にシャボン玉のように写り込んでいるのは、温泉卵の入ったビニール袋だ

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「雲仙お山の情報館」の内部

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雲仙お山の情報館別館

 南島原市へと抜ける山間地の道路では、すごい棚田が見えてきた。いや、葉をつけている作物なので段々畑だろうか。そう思っていると「南串山棚畑展望台」があったので寄ってみる。
 辺木(へぎ)・小竹木(こたけぎ)地区の棚畑で約800枚あるという。作物はジャガイモだ。昔からのものというよりも、近時水田畑地化の補助事業か何かで整備したものなのだろう。

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辺木・小竹木地区の棚畑

 山を下りて南島原の海岸沿いへ。
 「両子(ふたご)岩」。加津佐町津波見海岸に立つ奇岩で、昔は2個の巨大な岩石が屹立していたが、1922年の大地震により1個が倒壊したという。残ったほうの岩は、元総理大臣「岸信介」に似ていることから、地元では「信介岩」とも呼ばれているのだそうだ。ナルホドね。(笑)

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両子岩

 2019年10月26日(土)。
 5時半起床。季節が進み、この時間だと外は真っ暗で、ステイした道の駅の写真を撮りたいのだがこれでは無理なので、朝の準備を終えて6時25分まで待つ。6時半出発。

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道の駅長崎街道鈴田峠

 7時前には24時間営業の「マクドナルド諫早インター店」に入って旅のログ付け等を始める。ここは昨晩皿うどんを食べた店の並びだ。今朝はいつものソーセージマフィンをチキンクリスプマフィンにわずかながらグレードアップして、サイドを揚げ物からサラダに変えてみた。
 9時過ぎにようやく書き上げて、この日は諫早、雲仙、南島原、島原と進んで行く予定だ。

 「諫早城址」の諫早公園を目指していくと、真っ先に目に入ったのは「眼鏡橋」。公園の入口にある二連アーチ式の堅牢な石橋だ。

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眼鏡橋

 「諫早城址」はまったくの山城。
 15世紀に西郷氏が築き高城城と呼ばれていたが、のちに龍造寺氏が入城して諫早氏を名乗って居城、その第2代のときに取り壊され、城としての姿を失った。
 苔が生えて滑りそうな石段を登っていった先には幹回りが12mもある樹齢800年ともいわれる大クスノキがあった。諫早市のシンボルとして市民に親しまれているのだという。
 諫早市内ではほかに見るべきところは多くない。「諫早駅」にも寄ってみたが再開発中のようで、駅前にしては道路が細くてごちゃごちゃしている印象だった。

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諫早城址の大クスノキ

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諫早城址はまったくの山城だった

 長崎県立総合運動公園の「トランスコスモススタジアム長崎」。
 Vファーレン長崎のホームスタジアムだ。Jリーグは、傘下のチームに対して、ホームスタジアムの観客席を3分の1以上を覆う屋根を付けることを求めていて、ここはそれを備えたスタジアムになっていて、かなりの額を観客席屋根に充ててつくられたスタジアムなのだ。実は地元山形のJリーグチームのホームスタジアムはこの基準を満たしていない。すでにできているスタジアムに観客席屋根だけあとで付けろと言われても困るのだ。

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トランスコスモススタジアム長崎

 雲仙市へと進んで、「愛野展望所」。
 約100mの断崖上にあって、橘湾が一望でき、雲仙岳や天草方面の展望がよい。

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愛野展望所

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展望所からはこのような茫洋とした景色が見える

 愛野展望所から2kmほど進んだところにある「千々石(ちぢわ)展望所」。
 それほど離れていないので似たような眺めで、橘湾の青い海が広がる。
 展望所では「千鶏カステラ」という会社が売店を出していた。家からカステラの「五三焼」を買ってきてくれとの指令が飛んでいるのだが、売り手に訊けば「五三焼」の日持ちは20日ぐらいとのことで、まだ旅の半分にも達していない今は残念ながら買えないのだった。

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千々石展望所からの眺めも似たようなもの