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 昼の時間帯になってきたので、どこかで昼食をとろう。スマホと相談して、恩納村仲泊にある「味処幸楽」に行ってみる。
 仲泊の集落内ではなくバイパス沿いにポツンとある店で、外観が少し怪しいが、もうここでいいやと入る。定食類は肉系中心の4桁台。肉を求めてはいないので、中華料理もしばらく食べていなかったなぁと、酢豚990円をチョイスする。酢豚といっても沖縄の場合は一品料理ではなく、ちゃんと定食になって出てくる。
 パイナップルが多く入っていて、その香りと酸味がいい。キュウリも入っている。ニンジンが茹で過ぎて柔らかいことを除けば申し分なし。ほかには、冬瓜と厚揚げとワカメの中華スープ、漬かり具合のいいキムチ。
 土曜の昼時だというのに、客は終始自分だけだった。高齢夫婦二人の切り盛りと見たが、存続、大丈夫か?

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(外観も独特な「味処幸楽」)

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(「味処幸楽」の酢豚)

 恩納村方面へは、山の中を走るバイパスを避けて、できるだけ海のそばを走ることができる旧国道を進んでいく。途中、海がきれいなので、谷茶の道路脇の駐車スペースで一休み。するとそこには民謡「谷茶前(たんちゃめー)」の碑があったので撮っておく。碑には歌詞が刻まれていて、ここも音声による解説と音楽が付いている。
 ノリのいい「谷茶前」を耳で聴きながら、民謡に歌われている谷茶前の浜を眺める。これって案外贅沢なことではないか。岩場も砂辺もあるこの浜にも、時期になると大量のスルル小(アイゴの稚魚)が寄ってきたことだろうと想像しながら聴き、眺めるのだった。
 この新しい歌碑のほかに、谷茶にはもう一つ、コンクリート製の大きくて古い「谷茶前の浜歌碑」があり、2013年の夏に見に行ったことがあるのだが、あの場所はどこだったものか、もう思い出せなくなっている。

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(谷茶前の歌碑)

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(谷茶前の浜)

 沖縄科学技術大学院大学(OIST)で行われる「第6回 琉球古典芸能OIST公演「琉球の響き」」は14時の開演で、まだ90分ある。この時間を利用して、恩納村から名護市へと至る西海岸沿いにあるリゾートホテル群を眺めながらドライブをしよう。
 沖縄通いを始めた頃は家族同伴だったので、このあたりのリゾートホテルはよく利用したものだ。ルネッサンスリゾートオキナワ、リザンシーパークホテル谷茶ベイ、万座ビーチホテル、かりゆしビーチリゾート、ブセナテラス、カヌチャベイホテル&ヴィラズなどには泊ったことがある。しかしその後、一人旅がメインになってからはこういう宿泊施設にはとんとご無沙汰だ。そして、当時にはなかったリゾートホテルがどんどんできている。

 部瀬名でUターンして、OISTへと戻る。沖縄科学技術大学院大学は、国際的に卓越した科学技術に関する教育及び研究を実施し、沖縄の自立的発展と世界の科学技術の向上に寄与することを目的として、2011年11月に設立されている。ここも2013年に訪れて、見学ツアーに参加したことがある。
 全く知らない場所というわけではないのですーっと構内に入るが、とにかく広くていくつもの建物があり、何か所かはまだ造成中のところがあるので、会場がどこにあるのかわからないまま車で右往左往する。なんのことはない、入り口近くの英語で書かれた標識をひとつ見逃してしまい、そこを曲がらなかったためにそうなってしまっているのだった。

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(会場となったOISTのアリーナ)

 会場のアリーナの収容能力は、おそらく500~600人。その半分強の席が埋まっているので、来客数は400人程度というところだろうか。
 国立劇場と比べてはいけないのだろうが、幕がなく、照明が乏しいためにスポットライトがなく、地謡のブースもないので地方たちはステージの後方に並んで演奏し、演目の間にもそもそと出入りする。もっとも冴えないのは、木製ではない硬い舞台では二才踊りなどで多用される足の踏み鳴らしがドンと鳴らないのだった。
 プログラムは、開幕斉唱「かぎやで風・恩納節・揚作田(あげちくてん)節」で始まって、続く舞踊7題は女踊りの「かせかけ」、二才踊りの「前の浜」と「揚作田節」、女踊りの「稲まづん」、創作打組みの「打組みむんじゅる」、組踊から派生した「高平良万歳」、雑踊りの「谷茶前」。休憩を挟んで、最後は組踊「護佐丸敵討(二童敵討)」だ。
 琉球古典音楽野村流伝統音楽協会が主催者に加わり、眞境名本流、美能留流魂心会、玉城流椿会、玉城流翔節会、眞境名由康組踊会などが賛助団体となっている。だが、結論を言うと、全体として舞踊も組踊も、国立おきなわで見るものからは劣る。「かせかけ」や「稲まづん」の舞い手の所作は優雅さを欠きまだまだという感じだったし、舞踊のトリの「谷茶前」は子どもの舞いだった。また、「護佐丸敵討(二童敵討)」は、1月5日に国立おきなわで観たばかりのものと比較すればやはり物足りなさがあった。
 その中でも光るものはある。美能留流魂心会師範の松田恵が舞った「高平良万歳」は、舞い手の個性が滲み出る味のあるものだった。同じ会に所属している二人が舞った「揚作田節」もよく、今回の公演では美能留流魂心会の出来が際立っていたように思う。
 「護佐丸敵討」でおまおへ役を担った安次嶺浩和も好演。あとで知ったが、この立方は1月5日の「護佐丸敵討」にも「供1」で出演していたようだった。

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(「第6回 琉球古典芸能OIST公演「琉球の響き」」のチラシ)

 公演は16時半に終了。さあ、与那原に戻ろう。ナビの案内は、往きは東海岸から北谷経由で本島の西側を北上したが、戻りは仲泊から石川方面に進んでうるま市、沖縄市を経由して与那原へと戻る。これは19日にコザの小劇場「あしびなー」に行った時の復路と同じ道のりだ。

 途中「マックスバリュ兼久店」で飲み物、冷凍食品、今夜食べる寿司を買って、18時に帰着する。
 その間ラジオで聴いていた相撲初場所14日目の中継では、平幕の1敗同士の取組みで幕尻の徳勝龍が正代を下して単独トップとなり、2敗で追っていた大関貴景勝は朝乃山に敗れて優勝の目が潰えた。2横綱は休んでいるし、もう一人の大関の豪栄道は来場所陥落が決まり、2桁の勝ち星で大関に戻れる高安も負け越している。今の大相撲は下克上だ。

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(平幕1敗対決は、徳勝龍が正代を下す)

 わりと距離のある移動をしたし、あちこち見たので、心地よい疲労感がある。だから、今夜も早めに飲み始める。何がどのように「だから」なのかはよくわからないれけれども。
 イカタコ類と蒸し海老が多いが12貫ある寿司は税込みでも540円しないいわゆる「広告の品」だが、ふつうの弁当にプラス100円ぐらいで買えるのであればこちらのほうがいいかと思って選んだものだ。寿司は写真写りも弁当よりは華やかに見えることだし。

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(この日の夕食)

 飲み終えたらまたもや眠くなって、本を持って少しだけと横になったが、起き出したらもう22時半になっていた。この日のドキュメントは終わっていないがそれは明日にまわして、支度をして本格的に眠ってしまおう。
 本を読んだので、改めて眠りに就いたのは24時頃だっただろうか。

 6時45分起床。
 沖縄にいると今日は旧正月であることを意識する。しかしだからと言って、中国のように世の中が普段とは大きく異なるかというと、沖縄であってもそうではないようで、どこかが休みになったりするわけでもなく普通の生活ができるようだ。
 新型コロナウィルス肺炎の関連では、ようやく中国が本格的に動き出したようで、大量の人でごった返すいつもの「春節」は様変わりしているとのニュースが流れている。キャリアになりそうな何億という人の行動、拡散が一定程度封じ込められたことは喜ばしいことだ。

 この日は中部の読谷方面へと赴いて、その後は恩納村にある沖縄科学技術大学院大学内で行われる沖縄芸能を見る予定だ。少し早いが9時過ぎには部屋を出て、高速は使わずにチンタラと進んでいく。

 約1時間で「旧読谷補助飛行場跡」に着く。戦中の1943年に建設が始まった陸軍沖縄北飛行場に由来し、戦後は米軍読谷補助飛行場として使われ、96年に始まった日米両政府の交渉の結果、2006年に全面返還されている。
 ここに来るのは2度目。1度目のときは「艦砲ぬ喰ぇ残さーの歌碑」、チビチリガマ、「さとうきび畑の歌碑」などを見てきたついでに寄ったが、今回はこちらがメインだ。
 今日では、読谷村役場や読谷平和の森球場、読谷中学校、農業用地として跡地利用が進んでいる。役場から文化会館、村の健康増進センターと公共施設の駐車場を東に進んでいくと、パークゴルフ場の先に放置されたような広すぎるスペースがあった。その一部は舗装されているが、これは滑走路として整備されたものを後に道路として使っていたのだろう。今は乗入れする車両は見ないが、前回見たときはここを車が走っていたと記憶している。ここに滑走路があったことが、この先いつまでわかるように残っているだろうか。

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(読谷村役場本庁舎)

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(旧読谷補助飛行場跡)

 「艦砲ぬ喰ぇー残さー歌碑」を改めて見に行く。2014年の夏以来2度目だ。読谷村楚辺のユウバンタの浜に2013年6月に建立されたものだ。
 「艦砲ぬ喰ぇー残さー」は、1970年代に4人姉妹の「でいご娘」がうたって大ヒットした、♪いゃーん我んにん 艦砲ぬ喰ぇー残さー…… と歌われる沖縄民謡だ。作詞作曲は「でいご娘」父・比嘉恒敏で、このうたができる背景などについては書籍「「艦砲ぬ喰ぇー残さー」物語 「でいご娘」と父・比嘉恒敏が歩んだ沖縄」(仲松昌次著、ボーダーインク、2015)が詳しい。
 創作太鼓「島太鼓」や「シュビーズ」を主宰するひがけい子は、「でいご娘」の末っ子の四女にあたる。

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(艦砲ぬ喰ぇー残さー歌碑)

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(歌碑のあるユウバンタの浜)

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(でいご娘(2019年))

 「座喜味城跡」にも寄ってみる。1420年前後に読谷山(ゆんたんざ)按司の護佐丸(ごさまる)が築城したとされる。ここは3回目だが、先に見た「勝連城跡」と同様、駐車場が整備され、城跡へのアプローチがきれいになっていて、あれ、こんなだったかなと隔世の感がある。アーチ門のある城壁もきれい過ぎるぐらいだ。
 中国人団体客が大声で話し、随所で他の客の進路を妨げながら写真撮影し、城内を席巻中。肺炎のこともあるので、早めに退散する。

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(リュウキュウマツの林がいい座喜味城跡への入り口)

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(アーチ門を備える城壁)

 読谷村の瀬名波地区を通過中、「屋良朝苗生誕の地」碑を発見! 屋良朝苗は、我々の世代では誰もが知っている(と思われる)、沖縄の本土復帰(1972年)前後に活躍した沖縄の政治家だ。初の公選主席、復帰後の県知事を務めた人物なのだが、読谷村瀬名波の出身だとは初めて知った。大きな3つの石からなる碑は、2015年10月に建立されたものだった。

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(「屋良朝苗生誕の地」碑)

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(屋良朝苗(1902~1997))

 次は田川市の「石炭記念公園」。
 ここは筑豊炭田だった広い跡地を利用していて、炭鉱関係のほかにもいくつかの公共施設が配置されている。
 「田川市石炭・歴史博物館」は、筑豊炭田の石炭資料が展示されているほか、外には復元された炭鉱労働者の住宅やたくさんの大型機械が並んでいた。
 平屋の「炭住」がずらりと並んでいる古い写真は、全国各地から多くの人、家庭が炭鉱に集い、ここに肩を寄せ合うようにして暮らしていたのだと思うと、胸を打たれるものがある。今その跡地にはアパートタイプの住宅もあるが、だいぶ様変わりしているようだった。
 なお、田川市内を走っていると、道路沿いには空き地が多く、なんだかスカスカしている印象を受ける。かつては今よりもずっと元気な町だったのだろうと見て取れる。

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田川市石炭・歴史博物館

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「炭坑節発祥の地」のモニュメントがあった

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復元された「炭鉱労働者住宅(炭住)」を見ることができた

 見どころは、「旧三井田川鉱業所伊田竪坑第一・第二煙突」。「炭坑節」に歌われた筑豊のシンボルで、高さ45m余り。現存する明治期の煙突としては国内最大級で、国登録文化財及び経産省認定近代化産業遺産になっている。
 「旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓」も。三井田川鉱業所が田川開発の切り札として1910年に完成させたもの。高さ約28.4mの鉄製で、筑豊に残存する唯一の竪坑関係遺跡だという。

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あまり煙突が高いので…と唄われた筑豊のシンボル「旧三井田川鉱業所伊田竪坑第一・第二煙突」

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高々とした「旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓」

 公園のイベント広場では「筑豊魂」というロックイベントが開かれていて、ストーンズの「ホンキートンクウィメン」などを演っていた。スライドギターがいい音出していたぞ。
 もう16時になっている。

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煙突の下では音楽イベントが開かれていた

 次は飯塚市。ここもかつては炭鉱の町だったのだろうが、今は福岡市のベッドタウン化しているのか、マンションのビルが目立つ。
 飯塚市のいちばんのスポットであろう「嘉穂(かほ)劇場」。
 両花道とマス席を備えた木造2階建て、1931年に開場した歌舞伎劇場で、現在もそのままの姿で利用されている全国唯一のもの。毎年9月には全国の旅役者が一同に会する「全国座長大会」が大人気イベントになっているという。営業日以外か見学ができるのだが、この日は使用中で見学不可。中からはビートルズサウンドが流れてきていた。
 劇場周辺は古くからの飲み屋街が古色蒼然といった形で残っていて、その近くのアーケード商店街「サンエステひがしまち」はぱっと見7~8割はシャッターを下ろしていて「転荒涼」の感あり。「イイヅカコスモスコモン」なんていう再開発ビルなどを安易につくるものではありません。

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嘉穂劇場

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「転荒涼」の感があったアーケード街

 9kmほど走って同じ飯塚市内の「旧松喜醤油屋」。
 江戸時代から商いをしていた許斐家が、幕末から明治初期に建てた家屋で、昭和40年代に後継者がなく途絶えたが、飯塚市の文化財として保存されているもの。
 来てはみたものの、ここもフツーの家のようにしか見えず、がっかり。むしろ近くにあった古民家のほうがずっと味があったと思う。まあ、飯塚は不発ということで。

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旧松喜醤油屋

 17時を過ぎて暗くなり、本日もここまで。
 入浴は、福智町の「ふるさと交流館日王(ひのう)の湯」にて。
 食事処があるのでここで夕食を食べていこうと思ってカメラも持って入ったのだが、入浴を終えてすぐにメシという気にもなれず、やはり飲んでから腹ごしらえをすべきデアルと考えなおして、今夜もコンビニで調達して車中で飲んでから食べることに変更する。
 ステイ先までの道すがらにはコンビニがないとナビが言うので、いったん飯塚方面に戻って調達する。

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ふるさと交流館日王の湯

 最も近い道の駅ということで少しルートをバックして、糸田町にある「道の駅いとだ」に19時に着いて、ここでステイ。長いトンネルを抜けてすぐの山間にある駅で、わりと大型車両が多く停まっている。
 テレビでは卓球女子の世界大会を中継していたので、それを見ながらかぼちゃサラダと冷奴をつまみにして飲んで、〆は大きくないおにぎり弁当。こういう安楽な飲み食いがいちばんいいんじゃないの。
 今夜が九州で迎える最後の夜になるのだろうと思いながら、21時半前には就寝。今夜はそれほど寒くはない。

 11月10日の走行距離は188km。

 ゆっくり眠って7時起床。旧暦では今日が大晦日、沖縄でいう「年の夜」だ。
 この日は見るべき公演はなく、やっておかなければならないようなこともこれといってない。それでは部屋でゆっくりしようかとも思ったが、あまりに天気がよく暖かいので、ドライブに出ることにする。
 八重瀬町の、旧東風平(こちんだ)町の中心部や志多伯(したはく)集落あたりをうろついてみよう。観光地でもないので、ここを見ようというあてもないまま行ってみる。

 10時45分発。15分ほどで東風平の中心部の字伊覇(いは)に着いてしまい、そこからほど近いショッピングセンター「サンエー八重瀬シティ」に入ってみる。スーパーサンエー、マツキヨ、書店、100円ショップなどがあり、サンエーは以前も一度別店舗をチェックしているが、いいものを置いているのか野菜、総菜類などは総じて高い。

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(ショッピングセンター「八重瀬シティ」)

 SCでしばらく時間をつぶしてから、11時半開店の「やちむん食堂」が開くのを待って、ここで昼食とする。
 「クーブイリチー定食」780円。クーブイリチーと豚の三枚肉が載ったごはんがメインで、それに鶏の唐揚げ、コロッケ、千切りキャベツ、大根煮の小鉢、マグロの刺身、そばスープが付いて、重量感のあるやちむん(焼き物)のワンプレートで供されるというもの。大根煮には小海老があしらわれるなど凝った一面もあり、品名となっているクーブイリチーがおいしく、満足のいく昼食となった。

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(「やちむん食堂」(八重瀬町))

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(クーブイリチー定食)

 食後は腹ごなしをしようと、伊覇の街路を歩いてみる。通りにはマックスバリュ、かねひで、琉球銀行、沖縄銀行、マック、ケンタ、すき家、JAなど一通りのものが揃っているのだった。少し歩いただけでぶわりと汗が出る。今日はかなり暑いぞ。

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(旧東風平町の伊覇交差点付近)

 その後は、まだ新しい八重瀬町役場を車内から眺めるなどして、志多伯へ。
 初めて志多伯という地名を知ったのは、沖縄戦当時の状況を知るために各種の書籍を読んでいたときのことだった。1945年4月から5月にかけて、沖縄戦の「鉄の暴風」が吹き荒ぶさなか、戦火を避けて南へと逃げ惑う県民の多くがこの志多伯を通過した。旧東風平町の各集落では戦火のため多くの人命と住家が失われ、ところによっては集落の住人の大部分、あるいは全員が死亡し、集落自体が消滅してしまったところもあったという。
 適当な目的地がないので「志多伯公民館」をナビに入力して、訪れてみる。

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(志多伯公民館)

 志多伯を走っていて「当銘(とうめ)・小城(おぐすく)の共有龕(がん)」と「小城のニーセー石」の案内板を見つけたので、そちら方面に行ってみる。
 「小城のニーセー石」。「クワギブク嶽」の西側に広がる小城集落に向かって建てられている。いちおう獅子の形をしているが、いつ誰が建てたかは定かでなく、古老の語るところによれば、この石を建てて拝むようになってから小城の青年たちは栄えるようになったという。
 火除けや魔除けのために設けられたシーサーがほとんどの沖縄にあって、青年繁栄の守り神だというのは特異な存在と言っていい。

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(小城のニーセー石)

 「当銘・小城の共有龕」。龕とは、葬式時に棺を入れて運ぶ屋形の輿のこと。ここの龕は1833年に制作されたもので、2005年に改築された龕屋に格納されていた。小窓しかない建物の中の龕はよく見えない。今ではお披露目はすることがあるのだろうが、実際の用には供されていないのではなかろうか。
 龕屋の周辺は「西部プラザ公園」として整備されていて、このあたりは集落背後地の、風水にいう「クサティムイ(腰当森)」に当たっているように思われた。ここでも園内のアップダウンを歩いて大汗をかく。
 ところで昨日、知花小百合は自己紹介で、読谷出身で今は八重瀬町に住んでいると言っていたが、あとで知ったが志多伯在住のようだった。

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(「当銘・小城の共有龕」の格納庫。龕の全容はよく見えない)

 志多伯からは、いったん同じ八重瀬町の高良を経由し、東風平から南城市大里を通って与那原へと戻る。島尻地区については地理そのものや道路のつながりがよく理解できないでいたが、何度も道路を利用することで、頭ではなく体で、方向や距離感、集落間のつながりなどが少しずつだがつかめるようになってきた。

 走っている最中はRBCiラジオにチューニングを合わせていて、平日の午前から午後にかけてやっている「MUSIC SHOWER Plus+」がおもしろい。
 番組を担当するアナウンサーの狩俣倫太郎を知ったのは入社したての20年近く前のことで、「RBC民謡紅白歌合戦」などで初々しい司会ぶりを見せていたものだが、今は女性言葉を使ったりしてなんだかオカマっぽくなってしまっている。いまやアナウンス室長となり、態度もややぞんざいになってしまったようだ。
 この番組で光っているのは、くだかまりという女性パーソナリティだ。彼女の話を聴いていると、思いもよらないようなおかしいリアクションをすることがあり、運転しながら思わず笑ってしまうことがよくあるのだ。父が日本人、母がスペイン人のハーフだが、ばりばりの沖縄中部なまりでしゃべる40歳。先日は、相田みつをの「人間だもの」がお題になっていたが、彼女はそれを「人間だのに」と口にしたのには大笑い。「~だのに」はウチナーンチュが得意とする表現なのだ。顔立ちはシャープで、ウチナーンチュばなれしているのだけどな。日中のドライブ時のラジオはこれからもこれだな。

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(狩俣倫太郎とくだかまり)

 13時半過ぎには帰宅。部屋で窓を開けてじっとしていても暑いので、クーラーこそ点けないものの、ここでとうとう半袖Tシャツを取り出してこれに着替える。誰も来るはずもないので、下はパンツだけだ。短パンの出番はさすがにないだろうと、持ってこなかったのだ。これだと汗もかかず、気持ちがいい。
 ベランダから見た15時の様子は太陽がばんばんに照ってこんな感じだ。今日の最高気温は那覇で25.8℃と、今季最高の「5月上旬並み」だった。北国にお住いの皆さん、申し訳ない。

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(5月上旬並みの気温となった本日の、午後3時)

 本日は早めの17時過ぎから、相撲中継を見ながら缶ビールを飲み始める。ポテチをつまみながら細々と飲むのだが、350mlをたった1本飲み切った段階でかなり酔いが回ってしまったのはなぜだろう。もうそれ以上飲もうという気にもなれず、しばらくベッドで眠ってしまう。

 そうするうち、つれあいから電話が入る。入院中の母の状況や退院後に入る施設の選定方法などについて連絡してくれるのだが、その8割以上は母に対するグチだ。こちらが沖縄から戻らないためにほぼ一人でこの事態に対応してくれていて大変なのだろうし、誰かにグチりたい心境もわかる。だが、2言も3言も多いのにはどうにも我慢ができない。
 悪口の対象は、そちらにとっては義母という名のただの口うるさい高齢女性かもしれないが、こちらにとっては替えがきかないたった一人の実の母なのだ。つれあいは最も言ってはいけない相手をわざわざ選んで悪口を言っている。社会ではそういう人を無神経な人という。これ以上黙って聞いているのはもうウンザリなので、これからやることがあると告げて早めに会話を切り上げた。

 「やること」とは、電話中に始まってしまったNHKの番組「沖縄の歌と踊り 首里城を歌う」をじっくり見ることだ。沖縄でしか見られず、録画の術もない、1度だけの視聴となる。
 「首里古城」をソプラノ歌手の平山留美子がうたう。知名定繁が作曲したという「ハンタン山の枯れ赤木」は孫の知名定人がうたう。沖縄版「みんなのうた」的な番組で流れた「首里の一人旅」。乙女椿の「花の首里城」は1991年のアナログ画像。1992年の正殿落成時に普久原恒勇が作曲した「首里城賛歌」は律音階の八重山民謡調のもの。これらは全部、初めて聴いたものだった。

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(知名定人。知名定男の次男だ)

 21時前、冷凍のナポリタンをチンして食べて、あとはニュースとシャワーでこの日はおわりだ。
 23時まで沖縄の情報収集をするが、Wifiがとても遅いのには閉口する。
 その後少し本を読んで就寝。

 山国川支流筋の渓谷、「深耶馬渓」に入る。
 耶馬渓ダムに隣接する日本庭園「渓石園」。
 1985年のダム完成時にその記念として造られたもので、12万個もの耶馬渓の石が使われているという。九州地方の紅葉は例年だと11月のこの時期が盛りだそうで、紅葉狩りの人々が多く訪れていた。
 これほどの庭園が無料で入れるのはすごいことだ。場所柄もあり、有料にすれば入園者は減るのだろうが、これだけの大庭園を管理するには相応の資金が必要なはずで、それは誰が負担しているのだろうか。やはり地元市町村とかの行政頼りなのかな。

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「渓石園」の風景1

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「渓石園」の風景2

 深耶馬渓の代表的岩峰群が一望できる「一目八景展望台」。
 周辺は大混雑。この混雑は湯布院の「湯の坪街道」にも引けを取らないほどと言ったら大袈裟だろうか。駐車場も順番待ちだし。山肌の奇岩も見事だが、山間の細い一本道でのこの人混みのほうが珍しいのだった。

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「一目八景展望台」付近の代表的岩峰

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「一目八景展望台」付近には土産店がたくさん

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狭い山道に大勢の観光客が出ている

 正午に近くなっているので食事をするのだが、展望台周辺は避けて、何kmか下ってきたところに「だんご汁」の看板を掲げてポツネンと存在していた「七福茶屋」という店に入ってみる。ここもおだやかそうなおかあさんが一人で切り盛りしている店だった。
 だんご汁600円。大分は「だご」ではなく「だんご」で、いろいろな小鉢が付いてこの価格。だんごの入った味噌汁なので、定食にしなかったのは正解だったと思う。
 卓上の柚子胡椒を添えて食べれば、柑橘系の香りと山葵のような辛みがあっておいしい。ここのは里芋が入っているなあなどと、だんご汁体験2度目なので比較ができる。
 紅葉については、「今年は遅くて、このまま赤くならないで終わるかもですよ」とおかあさん。

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「七福茶屋」のだんご汁

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「七福茶屋」は素朴な店構えだった

 「道の駅耶馬トピア」で小休止して行橋市へと進み、2か所を見る。
 「稲童1号掩体壕」。
 戦時中に敵の空襲から軍用機を守る目的で造られた格納庫だ。稲童地区は旧築城海軍航空隊基地に隣接していたため多数の掩体壕が建設されたという。稲童1号掩体壕は双発の軍用機を格納する大型の掩体壕で、現在は史跡公園となっている。機銃掃射の痕が残るレンガ塀もあった。

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稲童1号掩体壕

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史跡公園内には機銃掃射の痕が残るレンガ塀があった

 「行橋赤レンガ館(旧百三十銀行行橋支店)」。
 東京駅などを設計した辰野金吾、そう、佐賀の唐津出身だと学んできましたね。彼の監修によって建てられた、優雅な赤レンガ建築なのだ。しかし、わざわざ来たのに大修復中。2001年頃に修復したものと聞いていたのに、もう再修復なのだな。

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「行橋赤レンガ館(旧百三十銀行行橋支店)」は大修復中

 5時台に一度起きたが、「暁でーびる」を点けて6時45分まで横になったままでいる。
 7時過ぎの東向きの窓からは、少し雲があるけれどもその分きれいな朝焼けを見ることができた。
 今朝は洗濯をしよう。汚れている衣類はまだ溜まっていないので、タオル類も洗う。余った時間は読書と株式市況の確認、国会中継の聴き流しなど。

 今日の午後、知花小百合やしゃかりが出る「うたたいもーたい うちなーぬわらべうた」というのが西原町幸地の「那覇バプテスト教会2Fナザレホール」で行われることをつかんでいる。要申込の先着順ということなので10時過ぎ、今更申し込んでも遅いだろうなと思いつつ恐る恐る電話してみたが、「大丈夫ですよ~」とのこと。やったね。
 ところで、卓上にある備品の置時計。あって便利なのだが、電池切れなのか毎日大きく遅れる。電話申し込み先が10時からの受付なのでその時間になるのを待っていたのだが、はっと思って正しい時間を確かめると、もう10時を大きく回っているのだった。ダメだな、この時計。見えないところに置こう。

 昼食は、与那原の町なかにある「民芸食堂」で沖縄そばを食べようと思ったが、木曜が定休日だったので、冷蔵庫の残存物を考慮して、家でうどんを茹でて食べることにする。
 好きなんだよな、ざるうどん。冷蔵庫に残っていたネギを全部刻んで、つゆには生卵をドボン。島豆腐にはキムチを載せて一品料理風にしてみた。
 二人分相当の2束(200g)をあっという間に啜り上げ、仕上げはつゆにゆで汁を加えて飲む。ああ、至福。満足だな。

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(この日の昼食はざるうどんとキムチ豆腐となった)

 山形市役所に電話。マイナンバーカード発行の手続き期限が2月28日だという通知を受けているが、沖縄滞在が3月4日まで続くので、期限までに窓口には行けない。そこで相談の電話を入れたというわけなのだが、期限が過ぎても全く大丈夫ですから、来庁できる見込みが立ったらまた電話してください――とのことだった。わざわざ連絡までしていただいてありがとうございますとも。
 受け答えは役所特有の横柄さが感じられず、丁寧でとてもよろしい。しかし、なんだよ、それだったら手続期限日なんて設定するんじゃないよ。やることなすこと自分の都合だけしか念頭になく動くから、まわりはそれに振り回されることになる。そういうことをわかってやっているのだろうか。もう一度書く。そういうことなら通知には期限など設定せず、なるべく早く窓口に来てくださいと書け、バカ。
 まったく役所というところは大きく遠回りしてでも避けて通りたいものだ。

 午後は、午前中の経過もあって、14時半開演の「うたたいもーたい うちなーぬわらべうた」を観に行く。
 会場のある「那覇バプテスト教会」は幼稚園のある教会のようで、「ナザレホール」は少し広めの園児たちのお遊戯場といったつくりの部屋。来てみてよくわかったが、この催しも「平成31年度沖縄文化芸術を支える環境形成推進事業」という公益財団法人沖縄県文化振興会の事業の一環として実施されるもので、半ば園児向けのプログラムだと知る。大勢の園児のほかには大人客は50人ぐらいで、ほぼ園児の母親とおじい、おばあたちばかり。ナイチからの人間は自分ぐらいだったのではないかと思う。

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(那覇バプテスト教会)

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(「うたたいもーたい うちなーぬわらべうた」のチラシ)

 第1部は、このプログラムを主宰するNPO沖縄伝承話資料センターの大田利津子という人の挨拶で始まり、ゆびあそびの歌、沖縄の昔話「火正月のはなし」、民謡「赤田首里殿内(あかだすんどぅんち)」の合唱と進む。
 「赤田首里殿内」では、シーヤープーシーヤープーからイーユヌミーまでの4つのジェスチャーを織り込んで、しゃかりのチアキとかんなり、宜保和也の3人が音楽を担当する。曲中、知花小百合が扮するミルクが降臨。なかなかチャーミングな動きをするミルクなのだった。踊り手、芝居シーの身体表現は、さすがだなぁと感心するほどに見栄えがするものだ。

 休憩を挟んで第2部は、知花がマイクを握って進行しながら踊り、もうこのプログラムは知花がいなければ成り立たないぐらいの大活躍だった。園児たちは元気のいいネーネーに完全に絡め捕られてしまい、知花の話をよく聴き、脅すようなセリフや仕草に顔色を変え、最後のカチャーシーではハーメルンの笛吹きのように小百合ネーネーの後ろに付いて会場を練り歩くのだった。
 その2部は、知花の舞う「浜千鳥」、「武の舞」、「鳩間節」、チアキのMCを中心とした「てぃんさぐぬ花」、「わらべ歌メドレー」のどの歌、園児たちが大いに喜んだ大綱引き、宜保の持ち歌「へその音」、知花が表情豊かにウチナーグチのイントネーションで読む「紙芝居~カチャーシーをおどろうよ!~」と進んで、最後は唐船ドーイでカチャーシーといった内容だった。

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(前年開催時の画像(主催者HPから))

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(前年開催時の知花小百合(同))

 知花は大汗をかきながらの熱演。こねり手の演舞指導もあり、舞台だけではなかなか見られない彼女のキャラクターを間近で感じることができたのはよかった。
 チアキはきれいでかわいい。彼女は元々ディアマンテスでコーラスを担当していたのだったよな。もう48歳ぐらいなのだろうが、表情は少女のように見えると言ったら大袈裟だろうか。そんなチアキは、酒を飲むとすごいらしく、酔った彼女のあられもない姿を目の当たりにした夫のかんなりは「そんな妻が残念だ」と発言したという。この逸話はしゃかりが「琉球フェスティバル2016東京」に出演した時に、司会のゴリが話していたものだ。チアキ自身も今日、「自分のステージでは一升瓶を頭上に載せて歌っています」と発言していた。

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(チアキ(しゃかり))

 宜保和也は初めて見たが、1984年石垣島生まれの、沖縄県立芸術大学音楽学部「琉球古典音楽三線部門」卒。その後プロの三線奏者として、琉球古典音楽をはじめ民謡ショー、島唄ライブなどで活動中で、2008年に「東西口説」でラジオ沖縄主催の「新唄大賞」作曲賞、翌09年に「誕生節」で同奨励賞を受賞しているそうだ。

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(宜保和也)

 16時25分、終演。入場料500円の安さでけっこう楽しめた。何よりも知花小百合のキャラに惹かれたのだったが、眼を見開いたときの表情は凄味があり、子供ならずともちょっぴり怖いのだった。(笑)

 途中「かねひで東浜店」で、減ってきていた缶チューハイ、食パン、今夜のアテの半額弁当を買って帰宅。18時半までログ付けと画像作成をして、その後に飲み始める。
 まずは弁当のおかずだけを皿に移してチンし、それをつまみながら飲む。画像がそれ。やや油っぽいが、このほかに梅干し付きのごはんがあって半額の198円ならば、文句を言う筋合いではなかろう。

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(弁当のおかずだけをチンして飲む)

 あー、飲んだ。20時を過ぎたあたりで今度はごはんを温めて、あんだんすぅを載せて海苔で巻いて食べて〆る。
 シャワーを浴びて21時には出来上がり。この日の日中は暖かく、那覇は24.7℃まで気温が上がったそうだ。明日はさらに暑くなるとの予報になっている。

 世の中では、中国武漢から拡大した新型ウィルスの蔓延がトップニュースになっている。中国は春節の民族大移動が明日から始まるので、更なる蔓延が懸念される。
 初動が遅くて情報開示が過少な傍迷惑でわがままな大国が隣りにあると、日本も何かと大変なのだ。中国は覇権を誇示する前に、まずもって民主主義国として最も基本となるガバナンスをもっとしっかりと磨き上げ、他国に嗤われないような国になるべきだ。その面では一流国家とは到底言えないかなり低いレベルにとどまっている。それは国民の行動を見ても明らかで、自己中心的で、主張ばかりで他に配慮しようという気はなく、もっと言えば、他人の目や世間を知らず、羞恥心というものがない。これもまた「そういうことに早く気づけよ」のいい一例だ。
 なぜ静かにしている大勢の人がいる中で、その全員に聞こえるような大声でしゃべるのだろう。わからないんだよナ、彼らは。日本人の感覚でいえば、単なる阿呆迷惑でしょ。な、だから早く気づけよ。
 ……ああ、すっきり。こういうことは誰もが思っているのだろうが、みんな声を大にして言えず、気持ちがもやもやしているというのが実態なのではないか。自分はもう社会的地位を気にする必要がなくなったので、はばからずに本音を書いちゃうんだもんねっと。

 22時半、Go To Bed。