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 おがさわら丸に乗船してから先、島内でも頻繁に聴いて、いいなあと思った2曲です。

 それは、Okei「大切なもの」と「レモングラス」。


「大切なもの」



「レモン林」


 Okeiは「小笠原古謡の唄うたい」。
 何度も聴いたので、本土に戻ってからもこれらの曲が脳内を駆け巡っています。

 小笠原はいいところだったけれど、最も心に焼き付いたのは、おが丸出港時の盛大な見送りと、この癒しの音楽だったかな。

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開催当日のプログラム

 2019年の琉フェス東京は9月23日(月、秋分の日)、恒例の日比谷野外大音楽堂にて開催された。
 出演者は、6年ぶりとなる沖縄を代表する音楽家・喜納昌吉、八重山民謡の第一人者・大工哲弘、今や琉フェスの顔とも言える・パーシャクラブ、琉フェスには久方ぶりの出演となる・元ちとせ、島唄界における若き天才歌者・よなは徹、石垣島出身のエンタメバンド・きいやま商店。そして司会はもちろん、ガレッジセールだ。

 台風の接近で天候が危ぶまれていたので、当日まで様子を見ることとして、今回は東京泊はせず。幸いにして東京はこの日の朝から急激に天気が回復して、台風一過の晴れとなる。残暑が厳しいのが玉に瑕だ。
 正午前には東京に着き、浜松町から歩き始めて芝大門、増上寺を見物。新橋へと進んで、大汗をかいたのでガード下の「日高屋」に入り、餃子とつまみ3点盛りをアテに昼飲みをして早くもいい気分になる。
 その後烏森神社を参拝して、ニュー新橋ビルの有名店「むさしや」でオムライスを食べ、腹ごなしに銀座界隈を有楽町まで歩き、そこから地下鉄で日比谷公園へと向かった。

 日比谷公園には開演までそう空き時間がない15時40分に着き、いつものとおり500円高の当日券を買って入場。すでに東京沖縄県人会のエイサー演舞が始まっている。毎年ここと決めている西側最後列の一角に座れば、椅子はコンクリートから木製につくり直されていた。
 一息ついたところでエイサーが終わり、ほどなくして15時55分、元気に司会のガレッジセールが登場。ガレッジセールは東京開催での司会がこれでなんと11年連続なのだそうだ。
 開幕に当たって大工哲弘の滔々とした「月ぬかいしゃ」の独唱が会場に流れて、いよいよ今年の琉フェス東京のスタートだ。

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ガレッジセール

 トップバッターはきいやま商店だ。いつもの白半袖に細ネクタイ、黒の短パンにビーサン、つば付き帽子といったいで立ちでリョーサ、だいちゃん、マストの3人が元気に登場。
 1曲目は「オーシャンOKIAWA」。
 ♪ オーシャン沖縄 小浜 竹富 波照間 サンシャイン沖縄 パナリ 鳩間 西表・・・
 6年ぶりの出場だと言いながら3人が自己紹介をし、続いて「ドゥマンギテ」、「じんがねーらん」とノリのいい曲を連発。この頃から観客はタオルを手に持ちぐるぐると回して場内いい感じに。
 そして最後に「沖縄ロックンロール」。
 3人だけのステージだからしょうがないのだろうけれども、基本カラオケでのステージングになっていた。
 かつて、三線を使わないアーチストは琉フェスには出られないという不文律のようなものがあったのだが、今となってはそれもあまり関係ない模様で、このユニットの場合三線は、3人のうちの一人が3曲目でちょこっと使った程度。曲調自体も沖縄音楽とは言えず、琉フェスはもうこういう形のものが主流になってきたようだ。

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きいやま商店

 2番目はよなは徹。今回はダークな和装に草履、なぜか頭だけは洋風のつば付き帽子で登場。バックでは島太鼓、三線、笛、キーボードの4人がサポートして、こちらはしっかり生演奏だ。
 1曲目は知らない曲で、横笛を自分で即興調に吹いたりして、イントロ的に。
 2曲目は「新エイサー節」。七月エイサーをモチーフにしたよなはにぴったりのグルーピーな曲だ。
 このあたりから本気を出してきた感じで、3曲目はオリジナルの「花の風車」から「シュンサーミー」へ。さらには「唐船ドーイ」を繰り出して、場内には踊り出す者が多くなる。

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よなは徹

 ここで一服し、よなはは「令和初のレコーディングをした」とPRして、ステージにひがよしひろなる人物を招き入れる。知らなかったのだが、沖縄を代表する、左利きのブルース、フォーク・シンガーなのだという。1960年コザ市生まれで、地元の園田青年会に参加、同時に洋楽にも感化され10代で伝説の「沖縄フォーク村」に加入したという人物のようだ。「コザ・てるりん祭」の中心人物でもあるらしい。
 新作から彼のつくったという「語る想いは友からの夢」をと二人して歌い始める。ひがのだみ声はまさにブルース。焼鳥の香ばしい煙が漂い賑わっている居酒屋の片隅で友と飲み昔話を語るという内容のものだった。

 「てるりん祭もよろしく!」とアピールしてひががステージを去り、よなはも2年前までのような三線ケースごと観客席に投げ入れるようなこともなく、ピックらしきもの1個を投げて静かに袖に下がるのだった。

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ひがよしひろ

 エントリーナンバー3番(と彼女が言った)は、元ちとせ。
 23年前の高校生のときに札幌琉フェスに初出場、メジャーデビューして大ヒットした後の17年前には大阪城野外での大阪開催にも出場しているが、東京開催への参加は初めてなのだそうだ。アコギ奏者一人を従えてのステージとなる。
 1曲目は、2003年シングルリリースの「いつか風になる日」。果てしない輪廻を彷徨えるのならいつもずっと傍にいてあげる――といったような歌詞の曲。一世を風靡した頃と比べると声がかすれていて音程もなかなか定まらず、正直言ってかつての面影はあまり感じられない。

 歌い終えて「夏川りみがよかった?」と観客に質問して笑いを取る。1曲目は多少奄美の香りがするとは言ってもこのような楽曲を続けるならそのとおりかもしれないなと思ってしまった。
 そうするうち2曲目も、特にシマウタとは関連のない持ち歌をうたう。ほら、そんなのばかりをうたうから観客が静かになってしまったではないか。

 「ちょっと盛り上がったりしませんか?」と問いかけて歌い始めた3曲目に至っては英語の歌詞。そして「オブラディオブラダ」を観客に一緒に歌おうと催促するのだが、この人、何か勘違いしているのではないか。ここは琉フェスだぞ、それこそ三線いっさいなしのステージで、曲調まで別のものばかりでいいの?

 そして最後は名作「ワダツミの木」なのだが、歌詞もよく聞き取れないので、いったん聴くのをやめて缶チューハイを買いに行く。久々とあってちょっとは期待していたのだけどな。
 場違いな冴えないステージだと思ったのは自分だけ? いや、そうではないと思うぞ。

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元ちとせ

 4番目はパーシャクラブ。東京開催ではトリに回ることが多いパーシャだが、今回はトリでなければ納得しない大重鎮がいるのでここで登場だ。
 何年ぶりかでコスプレなしとなった今回の新良幸人は、長袖白シャツに黒のベストというカッコ良すぎのスタイル。セットリストもほぼいつものとおりで、「海の彼方」、「与那国の猫小」、「東バンタ」、「五穀豊穣」、「満天の星」だったが、新良の声やステージパフォーマンス、そして上地のギターの泣きなど、どこをとっても素晴らしく、何度聴いても飽きないのだった。

 ベーシストは変わらず女性で、神村英世はまだ戻っていない。メンバー紹介の最後に新良は「ぅおーい!神村英世!!」とも叫んでいたのが印象的だった。
 戻ってから調べてみると、なんと、病気療養中のところこの9月5日に永眠したというではないか。享年53歳。驚きの余り声も出ない。哀しいことだが、謹んで冥福を祈るしかない。
 いつものとおり楽屋では大量に飲酒しているようだが、今回のステージはあまりはしゃがず、抑制が効いたいいステージだったと思う。神村を喪失したことがそうさせたのかもしれないし、夕闇が徐々に暗さを増してくるいい時間帯だったことも影響しているのかもしれない。

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新良幸人(右)とサンデー

 セミファイナルの5番手は大工哲弘with苗子。
 ガレッジのゴリが頻繁に大工苗子のことを面白おかしく語るので、このところ苗子の株は急上昇、テッチーもうかうかしていられないような感じになっている。
 その苗子サンは琴の前に座ってスタンバイし、まずはテッチーが「正調安里屋ユンタ」を島太鼓のみの伴奏と皆の手拍子で独唱する。
 そして「まるまぶんさん」。ほほう、今回は正調八重山民謡で固めてきたかな。3曲目も「殿様節」だったし。

 自分のことを「レジェンド」と紹介する大工。そういうことは周囲の人から言われるものではないのか? 1974年の日比谷野音での第1回琉球フェスティバルの出場メンバーでまだ頻繁に出場してがんばっているのはもはや大工だけなので、確かに琉フェスの場ではレジェンドではあろうが。
 そして、先の台風15号で大きな被害を受けまだ復旧していない千葉県に沖縄からエールを送りたいと、「千葉県に、チバリヨー!」と叫ぶのだった。相変わらずダジャレは得意というか、何歳になっても治らないのだった。

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大工哲弘with苗子

 ここで弟子たち数人を呼び寄せ、町田で修業している伊藤幸太なる人物とともに「与那国ションカネー」を。これは大工が琉フェスに初出場したときにも歌った曲だ。ちなみに伊藤は、2009年の「全島とぅばらーま大会」で優勝を果たした人物だとあとで知る。
 そして「八重山六調」。みんなで踊って大団円ということだったのだろうが、もう1曲やってくれとスタッフに告げられ、ここから先はサービス残業だと言いながら、「さよなら港」を。これは苗子が踊る定番曲で、跳ねるように前に出てきた苗子が元気に踊る。♪ 船は行く船は行く さよなら港~

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伊藤幸太

 観客から差し入れられる濃いアルコールを飲む都度に行われる乾杯儀礼の「嘉例!!」も本日5回目を数え、ゴリはここで海外からゲストが来ているとある人物をステージに呼び寄せる。
 短躯でころころとした体形の、服装とつけた胸毛だけはフレディ・マーキュリー。♪ We are the Champloo ・・・とうたいまくって終わると同時にとっとと袖に引き上げようとするのをガレッジたちに止められた人物は、なんとアルベルト城間ではないか!
 「ぼくも琉フェスに出たかったので」と、茶目っ気たっぷりの城間だった。

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アルベルト城間

 そしていよいよトリの喜納昌吉&チャンプルーズが登場。
 何をやるのかと興味津々で見ていると、三線を手にした喜納が「ナークニー」を歌い出した。その散らしには「かいされー」。さすが民謡の大御所だった喜納昌栄の子だけあって、見事な歌三線だ。彼にしか歌えないような優れた個性も感じられる。誰かと違って琉フェスのツボはしっかりと押さえている。
 そう思っていると、三線をエレキギターに持ち替えた喜納はエイサー隊数人をステージに上げてロック調の曲を歌い出す。次も「ハイサイおじさん」に似たおちゃらけ風の曲。「東京讃美歌」というもので、♪ ここは日本か ヤレ花の東京か・・・ 途中には口説調のセリフも入り、♪ えらやっちゃえらやっちゃ・・・と。

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喜納昌吉

 4曲目は「島小ソング」。♪ へーイヘーイヘイヘイヘーイヘイ 忘しんなヨー! と力強く。歌からは強いパワーが感じられ、喜納はまだまだやれるのだなと確信する。
 次は「アリラン」。戦後最悪とも言われるほどに日韓関係の悪化が顕在化している中にあって、琉フェスでこれをうたうことに大きな意義を感じる。2019年の琉フェスの名場面として記憶されるシーンはここかもしれない。

 続いては名曲「花」。サプライズゲストとして石嶺聡子が赤いドレスを着て登場し、伸び伸びとうたう。喜納はうたわずサポートに回る。場内の全員が歌っている。
 次は、「地球の涙に虹がかかるまで」。3拍子のやさしさと、「さあ、思い出せ!」という喜納の魂のこもった叫びが心地よい。
 さらに、女性メンバーのほうのボーカリストが主になって、早口で「命のまつり」をうたう。この歌にのって両袖からこの日の出演者全員が出てきた。ああ、もうエンディングなのか。

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石嶺聡子

 「花」をみんなで歌おう!とフィナーレへ。きいやまの一人、よなはとうたって、♪泣きなさい・・・のサビの部分は喜納。2番に入って新良、伊藤幸太と続くがまたサビで喜納。大工もうたいたそうだったが喜納にいいトコ取りをされて結局うたえずといった状況があった。
 喜納が「理性ある暴走」でと発言して、ここで「ハイサイおじさん」へと突入。今年のフィナーレの趣向はこういうことだったか。
 激しい演奏のスピードが徐々に上がっていく。その中で喜納は観客たちにステージに上がって来いと促す。この仕草は喜納がいつもやること。だいぶ古くなるが、2000年の琉フェス東京でも喜納がトリを務め、200人ぐらいの観客がステージを埋め騒然としたのを思い出した。だが、今回は2人が引きずり上げられただけで殺到はなし。コンプライアンスがうるさい昨今、かつてのようにはもういかないのかもしれない。
 という具合に最後は喜納が一人で〆た感じで、いつもの大合唱はなし。川田もこんな終わり方は初めてだと感想を漏らしていた。

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フィナーレ(2016年開催時のもの)

 終演19時43分。今年も大いに楽しめた琉球フェスティバルだった。

 神村英世が世を去ったことは大きなショックだったが、ところでこの琉フェスに毎年レギュラーのようにして参加していた大島保克はどうしているのだろうか。2015年にアルバムを発表し、体調を崩してその夏からライブ活動を休止していると聞く。早く戻って、琉フェスであのビブラートの効いた声を聴かせてもらいたいものだ。
(了)