FC2ブログ
 おがさわら丸に乗船してから先、島内でも頻繁に聴いて、いいなあと思った2曲です。

 それは、Okei「大切なもの」と「レモングラス」。


「大切なもの」



「レモン林」


 Okeiは「小笠原古謡の唄うたい」。
 何度も聴いたので、本土に戻ってからもこれらの曲が脳内を駆け巡っています。

 小笠原はいいところだったけれど、最も心に焼き付いたのは、おが丸出港時の盛大な見送りと、この癒しの音楽だったかな。

 “おとう”嘉手苅林昌の名相方だった大城美佐子が逝去したとの報。
 永く「絹糸声(いーちゅぐぃ)」といわれる独特の声でうたい、“おんな嘉手苅”とも称された彷徨する唄者だった。
 大城美佐子は琉フェスや沖縄で生のステージを見たほか何度も生の歌声に接していて、2002年3月に宮城県大河原町「えずこホール」での単独ライブを見に行ったことや、2003年に開催された「山形ドキュメンタリー映画祭」の際にも蔵座敷での彼女の唄会に参加したこともあった。
 趣味が昂じて美佐子のCDについてのインプレッションを書いていたところ、新譜の「唄ウムイ」(2007年)が発売されたときには音楽会社からそれが贈られてきたりもしたのだった。
 最後に大城の立ち姿を見たのは、2020年11月29日に名護市民会館で収録された「民謡魂 ふるさとの唄」で、松田末吉とともにうたった十八番の「白雲節」だった。

misako-uramibishi.gif misako-ichugui.gif misako-utaumui.gif
「沖縄島唄3 沖縄うらみ節」(1991)、「絹糸声」(1997)、「唄ウムイ」(2007)

 本当の沖縄島唄を知る真の唄者がまた一人逝ってしまい、悲しい限りだ。1974年に竹中労の提唱で初めて日比谷野音で開催された琉球フェスティバルには大城美佐子も出演したが、当時の出演者はもうほとんどこの世にはいない。嘉手苅林昌、照屋林助、登川誠仁、山里勇吉、金城睦松、知名定繁、瀬良垣苗子、里国隆、糸数カメ……。大城美佐子もとうとう彼らの元へと旅立ってしまったわけだ。当時のメンバーで残っているのは、知名定男と大工哲弘ぐらいだろうか。奄美のウタシャも坪山豊や築地俊造はもう逝った。ああいううたを唄える人間がどんどんいなくなっていく。
 冥福を祈るしかない。

 以下に、沖縄タイムスと琉球新報の訃報を掲載しておきます。

・沖縄民謡界の大御所歌手・大城美佐子さんが死去 84歳 2021.1.18 沖縄タイムス
 民謡歌手の大御所、大城美佐子さんが死去したことが18日、分かった。84歳。
 関係者によると同日未明、那覇市の自宅で倒れているのが見つかり、死亡が確認された。告別式は家族のみで執り行う。
 大阪市大正区で生まれ、名護市辺野古で育った。1962年にシングル「片思い」でデビュー。嘉手苅林昌とデュオを組み、名コンビとして活躍。映画にも出演するなど多方面で活動し、民謡の普及や後進の育成にも尽力した。

・沖縄民謡の重鎮、大城美佐子さん死去 84歳
 「絹糸声」 故嘉手苅林昌さんと名演 2021.1.18 琉球新報
 沖縄民謡歌手の重鎮、大城美佐子さんが死去したことが18日、分かった。84歳。告別式は家族のみで営む。
 関係者によると同日未明、那覇市の自宅で倒れているのが見つかり、死亡が確認された。
 大城さんは1936年、大阪市大正区生まれ、沖縄県名護市辺野古で育った。歌手の知名定男さんの父、知名定繁さんに弟子入りして民謡の道に進み、1962年にはシングル「片思い」でデビュー。伸びやかな高音が「絹糸声(いーちゅぐぃ)」と評され大ヒットとなった。故嘉手苅林昌さんの名相方としても活躍。高嶺剛監督の「夢幻琉球・つるヘンリー」(98年)で主演を務めるなど、映画にも出演した。

misako 201506
(海洋博のシンボルマーク入りの浴衣姿で歌う大城美佐子(2015年6月、海洋博記念公園))

misako 200707
(芸能生活50周年記念公演で知名定男と歌を披露する大城美佐子(2007年7月、那覇市民会館))