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 2019年3月末をもって、仕事からリタイアします。
 年度業務日の最終日となる3月29日(金)、退職辞令を手にし、永年勤続者表彰式、同祝賀会と例年お定まりのセレモニーが続き、上司、同僚に見送られて職場を後にしました。
 この本社ビルには37年間の勤務のうち32年にわたって通い詰め、思い出深い場所となりました。入社当時は築後数年のハイテクビルだと思っていましたが、今となっては老朽化が目立ってきています。なんだか齢を重ねた自分を見るようでもあります。

 さて、いよいよお楽しみの時間の到来です。この日が来るのをずっとずっと、待ち焦がれていました。
 アメリカ映画でブルーカラーの労働者たちが、「俺はあと○年でこの仕事ともおさらばなのさ」と、リタイアを指折り数えて待ち望んでいるシーンを見て、そうそう、そうだよなと思っていたものです。

 しかし、現実はそれほど甘くありません。安心して暮らせるほどの年金は現代では得られず、支給年齢も年々遅くなり、周りを見れば若者が少なく同年代以上ばかりが多い高齢社会となるなど、芳しからざる状況が日々加速しているようです。

 そのような環境下でリタイアする今の心境はどうかというと。
 まずは仕事の重圧から解放されてほっとしているのがいちばん。いいこともたくさんあったけれども、あまり理に叶っていないことに忍従することには最後まで馴染めませんでした。
 しかし、60歳という現代では早期と言っていいリタイアでは、この先経済面などで大丈夫なのだろうか、齢を重ねての健康は維持できるのだろうかなどの漠然とした不安がないと言ったら嘘になります。

 寄って立つ組織などないこれからの日々は、環境ががらりと変わるだろうと思っており、今までの常識や心の持ち方、行動パターンなどを踏襲していては通用しないはず。
 このことにきちんと対応できる「暮らし方」の切り替えこそが、充実したセカンドステージを送る上で最も重要になるのではないかと思っています。

 仕事という拘束時間から自由の身になったなら、自分は何をしようと思っていたのか。それは山ほど考えていたことがありました。
 それらをひとつひとつ実現させながら、納得のいく日々を歩みたいと考えています。

hanataba 201903

2019.03.30 20190330 土
 リタイアしても生理的なものはすぐには変わらないようで、5時台には目が覚めて本を読み、6時に起床。手にした地方紙朝刊は、これまで最も注目していた政治・行政のページはほとんどスルー。

 さて。
 これまではやらなければならないことが自分の外側から次々とやってきたものですが、これからはやるべきことを、自分の意思に従って自らつくっていくことになります。言い方を変えれば、内側からやることが湧き出てこなければ、やることがなくなり、もたもたしているうちにどんどん年老いていく。
 なぜ収入源を断ってまでこの道を選んだかといえば、端的に言えば「やりたいことをやるため」。この「初心」を肝に銘じて、常に好奇心のアンテナを高くして暮らしていきたいと思っています。

 そのためには、やるべきことを日々きちんと認識することが大切で、次に、スケジュール感を持って計画的に着実に前へと進める必要があります。
 自分の場合、数か月、数年先までといった長めの計画を構想することはそれほど苦手ではなく、日常の中で考えをまとめ、それを規範として行動することができると思っています。しかし一方で、それを実現するために毎日というショートレンジをどう有効に使うかについては、外的要因があったり、長年の間に身についてしまった怠け心や行き当たりばったりの行動性向などがあったりするために、うまくいっているとは言えません。これからはこのあたりを意識しながら自分でしっかりとマネジメントしていく必要があります。

 なので、これからは毎朝、その日にやるべきことを紙に書き、それらを順序よく効率的に進めるためにどうすべきかを考えてから、1日をスタートすることにしましょう。
 今日については、ここにはいちいち記しませんが、思いついて書いただけで11項目もありました。この段階ですでに全部やるのは無理だと悟りますが、やるべきことが整理されていれば、今日が無理でも明日にはと、実行に踏み出しやすいはずです。

 管理している4つのブログのうち、「沖縄・琉球ヲ想フ」と「迷える日々inヤマガタ」の2ブログに更新終了の記事を掲載。14年にわたって管理してきた愛着たっぷりの2つのブログに終止符を打ち、少しぐっときました。37年間の勤務を終えるよりも、思い入れという面では感慨は大きかったかもしれません。

 今後はもう着ないだろうと思われるビジネス用の衣類を大量処分しました。古いコート、礼服をはじめとして、スーツは4~5着、ネクタイは3~4割、紺や黒の靴下も半分はアバンダン。不要と思われるものはもっとありますが、クローゼットが広く使えるようになったので、今回はこの程度としましょう。
 併せて、箪笥の肥しになっているめったに着ない衣類もかなり処分しました。
 捨てることができずに残っていた保証書、郵便物、カタログ、不定形の不燃物、メディアデータなども一定程度廃棄します。

 先日買い求めた新しいカジュアル類を着て、10時半に外出。病院に赴いて母の1か月分の薬をゲットし、ラーメン店でランチ。
 これから行う掃除、衣類整理、旅に備えて、100円ショップで隙間掃除用の小モップ、はたき、防虫剤、旅用メッシュケースのM・Sセットの4点を購入。

 午後は、一定の読書量を確保して、少し昼寝。職場で使っていたサンダルを洗って再生させます。

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 市内に住む長男夫婦、午後に首都圏から帰ってきた次男、それに母と我々夫婦の計6人で、18時から、半年ほど前にできた近くの中華料理店で夕食会。
 長男夫婦から花束をもらい、それを手に食後に記念撮影。撮影してくれた店のスタッフからは旦那様の表情が硬いと二度ダメ出しを食いました。食事代金は長男が持つとのことで、とうとう頼もしい息子からパトロンの座を奪われたようです。
 母からも、退職の祝金をもらいました。

 ということで、無職びととしての第1目が暮れていく。
 朝に設定した11項目のうち9項目をクリアすることができました。まあ、上々の滑り出しと言っていいのではないのかな。

 3月のある日の送別会。取引先から「退職予定者、1曲歌え!」とそそのかされ、久しぶりに人前で歌ったのは、石原裕次郎の「わが人生に悔いなし」でした。

 石原裕次郎は、1987年7月17日、52歳で逝去。
 「わが人生に悔いなし」は、同年4月21日の発売で、石原裕次郎の生前にリリースされた最後のシングルとなりました。

 夢だろうと、うつつだろうと、わが人生に 悔いはないのだ。
 ――と、粋がって歌ってはみましたが、そう思ったり口に出したりするのはすなわち、いろいろと悔いを感じているからなのです。悔いのない人生なんて、あるわけがない。

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・わが人生に悔いなし   作詞 なかにし礼  作曲 加藤登紀子

 鏡に映る わが顔に
 グラスをあげて 乾杯を
 たった一つの 星をたよりに
 はるばる遠くへ 来たもんだ
 長かろうと 短かかろうと
 わが人生に 悔いはない

 この世に歌が あればこそ
 こらえた涙 いくたびか
 親にもらった 体一つで
 戦い続けた 気持ちよさ
 右だろうと 左だろうと
 わが人生に 悔いはない

 桜の花の 下で見る
 夢にも似てる 人生さ
 純で行こうぜ 愛で行こうぜ
 生きてるかぎりは 青春だ
 夢だろうと うつつだろうと
 わが人生に 悔いはない

 わが人生に 悔いはない

2019.03.31 20190331 日
 5時前覚醒の5時半起床。たんと飲んだ夜は風呂で汗をかかないと、尿意で目覚めることとなるのでした。
 本日も、現役時代に積み残してきた各種パソコン作業が中心ですが、やるべきことは多いです。

 髭を剃っていて思いましたが、これからは会合などで人前に出るようなときを除けば、2日に1回ぐらいのペースで剃ればいいのかなぁ。
 もう日常的にシェービングフォームを使って剃刀で剃るほどのことはないかもしれません。電気髭剃りを買い、何十年ぶりかでそれで剃ってみようか。旅に出ているときなどはそれでいいのではないのかな。

 18時過ぎから飲み始め、風呂から上がって22時過ぎ。もうひと仕事したいところですが、今夜はここまででよしとしましょう。
 夜半もみぞれのような雨がけっこう激しく降りましたが、緊急連絡用の携帯電話はもう手元にないし、業務としてやっていた危機管理はやらなくてもいいでしょう。なんと精神衛生にやさしいことか。
 とうとう今夜の24時を以て年度が替わり、名実ともに完全にフリーの立場となります。



2019.04.01 20190401 月
 本日から、名実ともに完全にフリーとなりました。
 月曜日、加えて月はじめで新年度。もう曜日や年度など自分にはあまり大きな意味をなさなくなったとは言っても、何十年と繰り返してきた生活リズムはそう簡単にリセットできるものではありません。
 アラームをセットしているわけでもないのにきちんと5時半には目が覚めます。早く騒ぎ出すのは家族にとって迷惑でしょうから、6時までは部屋から出ず静かに本を読みます。

 その後はいつもどおりですが、つれあいが今日から新たな仕事に出かけていくのに、自分は月曜日からこんなして家にいることに、まだまだ違和感は拭い去れないのでした。別に悪いことはしていないのに不思議な後ろめたさがあるというか。
 でもまあ、これからはそういうものなのだと思い直すしかなく、得られた時間を無駄にはせず、有用なものとして使わなければなりません。
 仕事がなくなって、毎日8時間は自由時間が増えることになります。いや、通勤時間、朝の身支度、すぐには帰れない職場事情などをも考慮すれば、10時間ぐらいは増えたのではないか。これはすごいことなのだ。

 午前中、1日の行動計画をリストアップし、HP「琉球弧探訪」に既読の沖縄本のインプレ14本をアップロード。HPのHTML化は面倒で、何度か行きつ戻りつしながら11時過ぎまでかかります。予定していたブログからHPへのコンバートはこれでようやく半分です。

 統一地方選(県議選、4月7日投票)の期日前投票のため市役所へ。まずは昼メシと、役所至近のラーメン店で牛ダシの中華そばを食べました。
 ちょうど食べているときに新元号の発表がありました。新元号は「令和」。菅官房長官が名称を掲げて記者会見する姿は30年前の小渕恵三官房長官の姿と酷似。当時を参考にしているのだから当然と言えばそうなのですが。

 投票を終えて、おそらく3カ月ぶりぐらいに空き家となっている実家の様子を見に行きました。冬の間の雪が少なかったためか庭の荒れはなく、むしろ冬の前に植木などを剪定したためこざっぱりとしているぐらい。室内にも違和感はなく、ひと安心です。
 戻る途中にスーパーに寄って、夜のつまみを調達。買うものは変わり映えのしないものばかりで、たこやき、豆腐、ポテサラ。
 それからは、昼寝と読書。そして明日からの小笠原旅の準備。パソコン、デジカメ2本、スマホの充電。

 夜は、早々と18時から風呂に入って、19時過ぎから録画を見ながら飲み始め。
 ウェブにてJAFへの入会手続きを済ませる。これから車で旅に出る準備のひとつとなります。

 本日は、やるべきことチェック表のうち9項目を実施または達成。項目的にはかなりやれていますが、それぞれのボリューム面にはまだ納得がいっていません。まあ、無職生活は今日始まったばかりなので、焦らず、むしろ着実に、やっていこうではないか。
 あーあ、また明日も仕事か・・・というウンザリ感のない夜なのが気持ちいいです。

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2019.04.02 20190402 火
 今日は火曜日。月曜日と勘違いして、早くも曜日の感覚が薄れてきているようです。
 仕事を続けていれば、今日と明日ぐらいはあいさつ回りをして、週の後半は業務説明を受け、その間に顔合わせを兼ねた夜の飲み会がセットされたりするのでしょう。現役時代は年度はじめとはそういうものだと思っていましたが、卒業してしまえばそれらはいっさい必要がなくなります。傍からは、毎年毎年よく同じことを続けているものだなと見えると知りました。

 今日から小笠原諸島への旅に出ます。データの入ったHDDも持っていくので旅の途中でもアップロードできます。
 旅の荷物を何度か確認しながらパッキング。季節の変わり目なので、どんな服装がいいのか定まらないままの荷物となりました。

 11時前には出発。山形駅前に最近できたラーメン店で腹ごしらえをして、山形新幹線で上京。食事中から激しい風雪。春になったのではなかったのか?
 平日のこの時間、街をかたちづくっているのは高齢者だということを知ります。バスや新幹線の車内は多くが年寄りなのでした。このような中に入って還暦男が戸惑っていますが、若者であればもっと戸惑い、がっかりしてしまうのでしょう。

 東京に着いて、まっすぐ本日の宿、大田区羽田の大鳥居駅近くのホテルにチェックイン。
 16時前に外出し、京急蒲田~徒歩で東急蒲田~東急多摩川線多摩川~東急東横線新丸子と移動して、酒場放浪記に登場していた新丸子の「三ちゃん食堂で」飲みます。17時を回ったばかりの時間なのにほぼ満員の大騒乱状態で、こういうところに一人で来て静かに飲むなんて無理だと悟りました。生ビールとネギ肉イタメで1,100円。

 ホテルのフロントでワタミグループの500円の食事券をもらったので、大鳥居の「和民」に行くも、火曜日は定休日で休み。
 そうか。ではコンビニでいいやと、ローソンでつまみと酒を買ってホテルに戻ります。外で飲むよりも数段安上がりだし、パソコン作業をやりながら寛げるのがいいです。

 テレビを見ながら飲んでゆるゆるの時間を過ごしていると、なんだか明日も休日なのかと思ってしまいますが、そうじゃありません。平日です。自分の立場が毎日休日のようになっているだけなのでした。
 ここは笑うところなのだろうかと、へへへっとホテルの部屋で一人笑ってみますが、そんな自分はどうにもマヌケ臭く、どこか間違っているような気がします。

 旅の第1日目はこんな感じです。

kamata 201904
夕暮れの蒲田駅前

2019.05.01 20190501 水
 元気に6時起床。生前退位する平成天皇の在位は昨日までで、平成時代最後の日だった。新聞は「さようなら平成」の大特集記事で埋まっていた。戦争がなく比較的平和だったが、一方で、地下鉄サリン事件、阪神大震災、神戸の酒鬼薔薇聖斗事件、9.11同時多発テロ、東日本大震災と福島原発事故、最近では熊本地震や北海道胆振東部地震など、大災害が多かった30年余だった。

 今日から「令和」時代が始まる。年号が変わったといっても、自分の生活が大きく変わることはない。昭和、平成、令和と3代にわたって生きていくことになるわけで、だんだん齢をとり、相対的に古い人間になっていくのが困るところなのだが。

 ところで、この4月はずいぶん長く感じた。職場を辞してから30日だが、この間小笠原と房総に赴き、併せて16日も旅していたことになる。知らない土地に赴き、初めてやることも多く、毎日が新鮮で、明日は何が起こるのだろうかと興味津々の日々が続いたのだった。

 自分がやりたいことを、自分で考え、自分で動く。それが社会的にどのような意味があるかというと、たいしたことはほとんどないのだろう。しかし我が身にとってはそれがとても刺激的で、満足度の尺度からすれば極めて高いものとなっていた。
 自分の力ではどうにもならないことなどはこの日々にはなく、今の自分はストレスからは無縁になっているのだなぁと感じたものだった。

 人は、時間を長く感じるときが2つあるのではないか。
 一つは、嫌なことや気の進まないことをやらせられているとき。ああ、早く終わらないかなぁ……と思うようなときだ。
 もう一つは、好奇心に駆られて気分が高揚し、極めて充実している時間が続くとき。典型的なのは、中・高生ぐらいの時代に感じていた毎日の充実感だ。今日はこうした、明日はどこまで、そうすればいつまでにはこうなるだろうし、そうなりたい……といったような、一日一日の意味を自分なりに自覚しながら送る日々だ。
 この4月の自分はその後者の時間を過ごしていたのだと思う。

 今や、嫌なことに向かわせられるようなことのない立場になることができた。仕事のために貴重な時間を「浪費」することもない。
 この1か月は、やりたいことややるべきことの進み具合が、それ以前の遅々としたものとはまったく別のペースになった。それを目まぐるしいとさえ感じることもあるぐらいだ。
 小笠原に行って戻ってからまだ20日ぐらいしか経っていないのに、なんだかずいぶん前のことのような気がする。

 まあつまりは、リタイアしてからのこの1か月は極めて順調に推移したということだろう。
 このような日々をこれからも続けたいと思う。少し先までの展望を持ちながら、それを今日はここまで進めるという「今日の意義」を引き続きしっかりと自覚して生活したい。

 昨夕には、クルマのリコール修理のためディーラーへ。左ストップランプのバルブが切れているというので有料修理をして1,242円。
 これにて4月の支出は終了。支出管理簿で合計額を出したところ、28万3千円余となった。
 2回も旅をしたし、クルマの12カ月点検もあって通常月よりも使っているのだが、それでも30万円を下回った。仮にこのペースで使っていっても、1年でだいたい400万円は出ないことになる。
 まあ、普通に暮らせば300万円ぐらいで収まるだろうか。そうであれば、年金生活に入るまでは今の貯えで十分やっていけるだろう。

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 7日の晩は遅くまで調べ物をしていた関係か、少し遅い6時20分起床。眼の疲れがまだ取れていない。

 2~3日前から、今冬の沖縄ステイについて考えている。
 数年先には沖縄に部屋を借りてしばらく暮らすことを視野に入れているが、南国に落ち着いてしまうにはまだ早い。しかし、雪の降る寒い時期は車内で寝泊まりする旅もできないので、真冬の数か月間は沖縄にニゲて、試しにウィークリーマンションで滞在してみてはどうかというのが、それだ。
 場所は、暮らすならここがいいと去年から決めていた与那原(よなばる)町の東浜(あがりはま)。太平洋側に向かって埋め立てられた新興地で、旧市街にも歩いて行けるぐらいの小さな町だが、必要十分なインフラは揃っている。真ん中に「与那古浜公園」があり、ティダの光と爽やかな海風を受けながらここを毎日散歩できたらいいなと思っていたのだった。那覇まではバスで30分程度、バイクなら首里まですぐのところだ。

 7日に、その東浜にあるいい物件を見つけた。月13万円の1LDK。高いが、那覇ならこの金額では1Kがいいところだ。もっと安いところはあるだろうが、一定の広さ、ロケーションのよさなどで、ここに代わる物件はそう多くないように思える。初回時ぐらいは贅沢をして、沖縄滞在にいいイメージを抱くようにしてもいいのではないか。
 贅沢はこの1回目限りとして、2回目以降があるならば、あとは1Kの狭いところで対応していくつもりだ。つまり、最初で最後のゆとり、ということだ。
 善は急げ。昨日中にその物件に関して仲介業者に問合せ。空いているならこのまま予約したいぐらいの気持ちになっていた。

 そして今朝。与那原のウィークリーマンション関係のメールが届いていたのを見て、再検討。当初考えていた3か月では予算オーバーなので、60日程度に短縮し、車と駐車場を使うのをやめてミニバイクのレンタルでいこうと変更。
 1か月滞在を短くすることで13万円安くなる上に、駐車場代もかからないし、ミニバイクならレンタカーとの料金差額が15万円近くになる。

 午後まで何度かメールのやり取りをして、2020年1月から3月にかけての62日間(61泊)を与那原東浜の1LDKで過ごすことを決める。
 レンタル料だけで30万円近くかかるが、ずっとあこがれていたことでもあり、それも惜しくはないという判断だ。入居開始日の15日前まではキャンセル料が発生しないことが判断を早めた。

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 昼は、浜崎の「ごはん家愛菜」で本日のおすすめ定食890円を食べる。鶏カラの梅じそだれ。ボードに書かれたその脇に小さい字で「鶏カラと彩り野菜のせ カレー」と書いてあったので彩り野菜と何らかの形でカレーが付くのかと思って注文したのだけど、結果としては野菜のせもカレーも無関係なものが登場。つまりこれは、もうひとつの本日のおすすめ定食だったようだ。ああ勘違い。まあ、おいしかったから文句はないけど。

 昼下がりの時間帯、3月までの役職に付随して就いていた関連会社の役員会の事前打合せのためビジネススタイルで出かける。久しぶりに背広を着たが、毎日こんなヤッケーなものを着て、硬い革靴を履いて、仕事に行っていたんだなあと思う。まだ1か月ぐらいしか経っていないのにこれだ。

 終了後、建物の近くで今日から始まった薬師神社の植木市を見る。植木市というよりも食べ物屋ばかりで、昔ながらの金魚すくいもあるにはあるがほとんど見かけない。公園内におばけ屋敷が出ていたのが昔懐かしくてちょっとうれしかった。
 夕刻の時間帯だからか、歩行者の多くは高校生。自分も高校時代は人恋しくて誰かと遇わないものかとあてもなくこの祭りの人混みを歩いたものだった。

 まもなく4月以降の第3弾の旅に出ようと思っている。出発日は5月12日(日)でいいのではないか。宿も交通手段も予約がいるわけではないので発日はいつだっていいのだが、決めないと始まらない。
 で、問題は、どっち方面をどのようなルートで攻めるかだ。これだって行き当たりばったりでいいのだが、事前情報が少ないと旅の充実度が下がってしまうということもある。いちおう行先の準備立て(=ルーティング)ぐらいはしておかないと、旅の途中で情報を引っ張り出すだけでも厄介なことになってしまう。

 季節柄を考えれば、梅雨のやってこない今の涼しいうちに南から攻めるというのがいいのかもしれない。だが、せっかくクルマで行くのに途中をすっ飛ばして九州入りするのもなんだかヘンだ。近いところから徐々に遠いところへと向かっていくというのが正しい旅のような気もする。
 ……そうだよな。
 それでは、まずは新潟・北陸経由で西へと向かい、あまり知らない新潟県の西側あたりから本気で見始めて、富山、石川、福井、北京都、北兵庫、鳥取、島根、山口と進み、そこから九州へと進むか、それとも山陽道をとって返すかは、その時点で改めて考えることにしよう。おお、そういうのがやはり旅らしいと思うぞ。

 ということで、旅の情報収集を朝から断続的にやる。これまであまりリサーチしてこなかった富山県、石川県を研究する。福井県もまだ足りないので、明日にかけて調べてみようと思う。
 石川県は見どころ満載だ。去年仕事上の出張で富山・石川を周ったが、それでは全然見た部類に入らないことがわかり、このたび改めて両県も見ることにする。
 今夜いっぱいかかっても石川県は終わらなかった。続きは明日だ。

 いつもよりも短めに入浴。入浴前後の体重は、76.6⇒75.8。
 冷奴、トマトと大葉のポン酢和え、鱈フライのタルタルソースで缶チューハイ。
 飲みながら観た録画は、太田和彦の酒番組の東京勝鬨・月島編とドラマ「わたし、定時で帰ります。」。いずれも4月中のもので、今から見ればまだ平成時代に放映されたものだ。

 今日も目がしょぼしょぼ。今日は昼寝なしだったからな。少し本を読んで眠りへ。

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 7月27日の夕方、北海道旅での増毛訪問を思い出し、アマゾンのプライムビデオから「駅 STATION」をレンタルして映画鑑賞をしました。
 1981年の作品で、高倉健と倍賞千恵子の黄金鉄板コンビに、脇を固めるのは烏丸せつこ、古手川祐子、いしだあゆみなどの女優陣のほか多くの男性キャスト。
 今では増毛一の観光スポットとなっている「風待食堂」の娘役は烏丸で、そこのすぐ並びにある現役の増毛駅が頻繁に出てくるのですが、その様子は今の様子と大きく変わっていません。増毛町はそれだけこの映画をイメージして街並みを保存しているということなのでしょう。

 実際に現地を見てきているので、増毛と留萌の距離感や関係性などを理解して観ることができたし、高倉の妹役の小手川が嫁にいった北見枝幸、賠償が演じる女性の出身地の歌登、それを高倉が「音威子府の先」と返すところなども、地理的にイメージできました。
 映画の中でよくわからなかったのは、増毛から連絡船が出ている場所でした。離島かと思って見ていたのですがそうではなく、道路が未整備で陸からアプローチできない「雄冬岬」というところでした。

 いずれにしても極上の2時間12分で、暑さも忘れて見とれました。これが400円でレンタルできるのなら、映画はもっと見てもよさそうです。

 以下に「あらすじ」を整理しておきます。

【1968年1月 直子】
 その日、警察官の英次(高倉健)は雪の降り続く銭函駅ホームで、妻の直子(いしだあゆみ)と4歳になる息子義高に別れを告げた。離婚を承諾した直子は、動き出した汽車の中で、英次に笑って敬礼するが、その目には涙が溢れていた。苛酷な仕事と、オリンピックの射撃選手に選ばれ合宿生活が続いていたことも原因だった。
 傷心をひきずる中、ある日の検問中、英次の上司・相馬(大滝秀治)が英次の目前で連続警察官射殺犯“指名22号”(室田日出男)に射殺された。英次は犯人を追跡したいと上司に訴えたが、上司からは「お前には日本人全ての期待がかかっている」と諭され願いは聞き入れられなかった。テレビが東京オリンピックでマラソン3位となった円谷幸吉の自殺を報じていた。英次には「これ以上走れない……」との気持が痛いほどわかった。

【1976年6月 すず子】
 英次の妹・冬子(古手川祐子)が、愛する馴染みの義二(小松政夫)とではなく、伯父の勧めた見合い相手である北見枝幸に住む男と結婚した。英次は、妹の心にとまどいを覚え、義二は結婚式の夜に荒れた。
 その頃、英次はオリンピック強化コーチのかたわら、赤いミニスカートの女だけを狙う通り魔を追っていた。増毛駅前の「風侍食堂」で働く吉松すず子(烏丸せつこ)の兄・五郎(根津甚八)が犯人として浮かぶ。
 すず子を尾行する英次のもとへ、突然コーチ解任の報せが届く。スパルタ訓練に耐えられなくなった選手たちの造反によるものだった。
 すず子はチンピラの雪夫(宇崎竜童)の子を堕すが、彼に好意を寄せていた。しかし、雪夫にとって、すず子は欲望のハケ口でしかなく、英次が警察官と知ると協力を申し出た。雪夫は結婚を口実にすず子を口説いた。すず子は、刑事たちの張り込みに気づいていながらも、愛する雪夫を兄に会わせるため、五郎が潜伏する町へ案内した。そして、英次の前に吉松五郎が現れた時、隠れていた警官隊が駆け寄り、辺りにはすず子の悲鳴がこだました。

【1979年12月 桐子】
 英次のもとに旭川刑務所の吉松五郎から、死刑の執行を報せる手紙が届く。4年間、差し入れを続けていた英次への感謝の手紙でもあった。
 英次は正月の帰省のため、雄冬への連絡船の出る増毛駅に降りる。英次は警察官を辞する決意を固めていた。風待食堂では相変らずすず子が働いていた。雪夫は結婚したらしく、妻と子を連れてすず子の前を通り過ぎて行く。
 独り五郎の墓参をしたあと、連絡船の欠航で所在無い英次は、暮れも押し詰まった30日だというのにまだ赤提灯の灯る小さな居酒屋「桐子」に入った。女手一つで切り盛りする桐子(倍賞千恵子)の店だが、他に客もいない。テレビでは八代亜紀の「舟唄」が流れている。「この唄好きなの、わたし」と桐子は呟く。自分と同じく孤独の影を背負う桐子に、いつしか惹かれる英次。
 大晦日、二人は留萌の映画館で、香港映画の「Mr.Boo!」を見た。肩を寄せ合って歩く二人が結ばれるのに時間はかからなかった。英次は、初詣の道陰で桐子を見つめる一人の男に気づく。
 英次が雄冬に帰りついたのは、元旦も終ろうとしている頃だった。そこで、13年ぶりに電話をかけて直子の声を聞く。池袋のバーでホステスをしているという。
 雄冬の帰り、桐子は、札幌へ帰る英次を見送りに来ていた。その時、“指名22号”のタレ込みがあり、英次は増毛に戻る。手配写真と、桐子を見つめていた男の顔が英次の頭の中でダブる。桐子のアパートに乗り込むと、そこには22号が潜んでいた。慌てて隠し持っていた拳銃の銃口を向ける22号だったが、英次の拳銃で射殺。警察に通報しながらも22号を匿っていた桐子。
 札幌に戻る前に英次は桐子の店を訪ねた。英次に背を向け素っ気ない態度で「舟唄」に聞き入る彼女の顔に涙が流れている。英次は忍ばせていた辞職願を破り、駅のストーブにくべると、深川行きの列車に乗った。同じ列車には札幌に出て働く事になったというすず子の姿もあった。

hanamizuki 201907

 北海道をめぐる中で、浜中町の「霧多布岬灯台」や「アゼチの岬」に寄りました。
 「霧多布岬」は、標高40~60mのテーブル型の霧多布半島の東側に位置し、太平洋の荒波に突き出ていて、その先っちょには「湯沸岬灯台(=霧多布岬灯台)」がありました。
 旅は全体としてあまり天候には恵まれませんでしたが、この日は北海道だって晴れさえすればこうなんだ!というようなすばらしい景色! ライダーも車旅の高齢夫婦も、天気のせいかみんな機嫌がよく、にっこり笑って「コンニチハ」と言い合います。灯台へと続く歩道の両脇には黄色い花のゼンテイカが咲いていました。

 霧多布半島の西端は「アゼチの岬」。琵琶瀬(びわせ)湾に突き出た岬で、小島・ゴメ島・嶮暮帰島(けんぼっきとう)が望め、遥かに琵琶瀬湾や浜中湾の対岸の海岸線を見渡すことができます。またアゼチの岬では、昆布盛漁期の晴天の日には互いに競うように一斉に出漁する船団の様子が見られるのだそうです。

 「湯沸岬灯台」と「アゼチの岬」には、その場が新垣結依がヒロインを演じた映画「ハナミズキ」のロケ地になったことを示す案内板があり、その映画は見ていないので、旅を終えて戻ったらぜひ観てみようと思いました。


 ということがあり、さっそく入手して鑑賞。

 舞台は釧路に近い鉄道沿線。夢のために東京の大学受験を目指す紗枝(新垣結衣)と、漁師の家業を継ぐために励んでいる康平(生田斗真)は、奇妙な縁から出会い、お互い想い合うようになる。
 しかし、東京に上京した紗枝と釧路に残った康平は遠距離恋愛を始めるも、それぞれのすれ違いから別れを選ぶことになってしまう。
 そして、それぞれの道を進む2人は再び出会うこととなった。
 ――という、一青窈の「ハナミズキ」をモチーフにした10年の時をかける純愛ラブストーリー。

 「アゼチの岬」での昆布船団の出漁シーンから映画はスタート。おお、ここだここだ、見てきたのは。
 「湯沸岬灯台」は、紗枝と康平が二人きりで逢う場所として何度か登場します。

 紗枝にとって灯台は、会えない父との思い出の象徴になっていて、大人になった紗枝は父との記憶が残るカナダの灯台を訪れます。その地で偶然見つけたのは、かつて康平が紗枝にプレゼントした小さな船の模型でした。これって運命だよな~と、ベタな設定にも感動!

 2010年8月の公開で、監督・土井裕泰。
 出演者はほかに、向井理、蓮佛美沙子、井浦新、木村祐一、松重豊、薬師丸ひろ子、徳永えりなど。

 公開初日と翌日だけで30万人超の動員を記録し、同じ監督作品の「涙そうそう」の興行収入上回って、公開9日目には動員100万人を突破したとのことです。