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 栄町市場を舞台とした小さな古書店の副店長(店長は著者の父)の若い女性が綴った本が出たので、面白そうだと思って手にしたもの。
 なのですが、著者の父であり店長という人物が宮里千里だとは知らずに買いました。
 宮里千里と言えば、大好きな沖縄エッセーの名手で、「島軸紀行 シマサバはいて -異風南島唄共同体-」「アコークロー~我ら偉大なるアジアの小さな民」「ウーマク! オキナワ的わんぱく時代」「シマ豆腐紀行 遥かなる<おきなわ豆腐>ロード」などの著作があります。彼は那覇市役所の総務部長までいったはず。ははあ、「アコークロー」に登場していた小学生だった娘が大きくなったんだなぁ。

 市場で出会ったひと、旅で出会った本。
 二度見してしまう風景、うたた寝する市場、旅の余韻、何度も読み返す本。
 世界はこんなにも愛おしい。
 沖縄那覇市の栄町市場にある小さな本屋さん「宮里小書店」の副店長がつづるカウンター越しのエッセイ。(コシマキから)

 沖縄タイムスの書評が適切だったので、以下に引用。

・宮里綾羽著「本日の栄町市場と、旅する小書店」 市場の魔力、出会いの魅力 2018年1月28日
 那覇の栄町市場に「宮里小書店」という小さな本屋がある。2013年、エッセイストで琉球弧の祭祀の録音などでも知られる宮里千里さんが店を始めた。1年後、その娘である著者が副店長として店に座るようになった。
 本書の主役は栄町市場で働く人たちである。市場がにぎやかだった時代も、復帰後の静かな時代も経験してきた彼女たちは毎日店を開け、おしゃべりをして、つらそうな人が来れば気のきいた冗談で笑わせる。「明日も市場に来なさいよー」と言いながら。
 著者は隣の洋服屋さんと店先で鍋をしたり、閉店する化粧品屋さんの思い出話に胸をうたれたりしながら、どんどん市場に魅せられていった。毎日の新鮮な驚きが、飾らない言葉で綴られている。
 タイトルの通り、本書のもうひとつの核は旅の話だ。旅の記憶の中心にはいつも人がいる。そこで出会った人のつぶやきやちょっとしたしぐさが、その国を忘れられない場所にすることがわかる。
 それから本の話。登場人物に感情移入し、作者本人と顔をつき合わせるかのような熱っぽい読書ぶりが伝わってくる。旅と読書は人に出会うという点では同じなんだと気づかされた。
 そして家族の話。幼いころにふたりでアジアを旅した父と、大切な本を分かちあってきた母。旅や本の喜びを教えてくれたのは両親だった。
 やがて旅先の市場から地元の市場に戻って店番を始めた著者は、たくさんの出会いに恵まれる。お客さんと本の話をし、市場の店でおいしいものを食べては喜ぶ。まるで旅人のように目を輝かせて。
 著者は「いつもここではないどこかに行きたがる」子どもで、家出をくり返していたらしい。なのに栄町市場には3年半座り、いまも座っている。すごいことだ。旅するように日々を暮らせる幸せが、この本には満ちている。
 いつも旅先みたいに新鮮で、何度も読める本のような市場の魔力に、読者もとりつかれるだろう。
(宇田智子・古本屋店主)

 なお初出は、沖縄タイムスに2014年に掲載されたコラム、ボーダーインクのHPの「ガラガラ石畳」、池澤夏樹の公式サイト「café impara」に掲載された「宮里小書店便り」「本日の栄町市場」ほか。
 「アコークローの娘」では、宮里家内での娘と父との関係性や家族愛などが読み取れて、興味深いものがありました。

 また、ボーダーインクの編集者新城和博は自身のコラムの中で、まだ20代だった彼が役所でミニコミ誌をつくっていた宮里千里を知り、あまりの面白さに驚愕し、「アコークロー」の発刊にこぎつけたことを回想し、その娘が書いたものを親子2代にわたって編集できることに喜びを感じていました。長く編集していてこそ体験できることなのでしょう。



 島旅本なら目に入ったものはすぐに手に入れて読んでいます。
 世界中を旅する作家・小林希が日本の島旅にハマった! 訪れた60島以上から厳選・紹介。シャーマン女将がいる不思議体験続出の宿がある加計呂麻島。砂漠で“月面トレッキング”体験ができる伊豆大島。日本地図から消されていた毒ガスとうさぎの島・大久野島。日本一ワイルドな温泉がある式根島……。海外旅行以上の奇想天外な体験が、島ならできる!(カバー裏表紙から)

 さて、小林希って? 初めて遭遇する著者ですが、読んでみると、島旅のスペシャリスト斎藤潤の編集者をしていたこともあるようです。
 1982年東京都生まれ。旅作家。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。一年後帰国して、「恋する旅女、世界をゆく――29歳、会社を辞めて旅に出た」(幻冬舎文庫)で作家に転身。旅をしながらネコの写真を撮り続ける。また、執筆活動の傍ら、瀬戸内海の島にゲストハウスをオープンするなど島おこしに奔走する。「泣きたくなる旅の日は、世界が美しい」(幻冬舎)など著書多数。現在、訪れた国は60カ国以上。「デジタルカメラマガジン」(インプレス)で「世界の猫に恋して」を連載中。――とのことです。

 裏表紙で紹介のあった加計呂麻島、伊豆大島、大久野島、式根島のほかに登場するのは、百々手神事の讃岐広島(塩飽諸島)、猫まみれの田代島(宮城県)、芸術の島生口島(瀬戸内海)、食材豊富な松島(佐賀県)、街並みがエキゾチックな保戸島(大分県)、パワースポット的な志々島(香川県)で、全10島。

 島を扱う本にしては珍しく琉球弧関連が少なくて、加計呂麻島のみというのが少々残念なところ。
 その加計呂麻島編では、7世帯、人口11人の小さな集落勢里(せり)にある看板のない宿「ゆきむら」での出来事を綴っています。
 勢里ねえ。2016年に一度行ったことがあります。集落の中央と思われるところで道幅が少しだけふくらみ、勢里のバス停や藁葺きの小屋、でっかい木の切り株、陸に上がりっぱなしの舟などがある民家の庭のようなところがあったけど、あれが「ゆきむら」だったのかな。

 ガイドブック的な要素は意識的に省かれています。そういうことは今どきインターネットで簡単に調べられますから不要ですよね。それよりも、島での豊かな体験や、出会った魅力的な人々などがしっかりと綴られていて、読み手はこういうことに島旅の魅力を感じるんだよなあとうなずきながら読むことになりました。

 島旅。琉球弧以外もいいよな。というわけで、近々小笠原諸島に赴いてみようと考えています。おが丸も予約済み。楽しみです。

1945nen chi

 第34回さきがけ文学賞で、応募総数271編の中から選ばれた入選(最高賞)作品。
 さきがけ文学賞とは、秋田県北秋田市出身の直木賞作家の故渡辺喜恵子と秋田魁新報社からの寄付金をもとに1984年に創設されたものだとのこと。歴代の受賞者を調べてみましたが、残念ながらその後に大きな名を成した作家は見当たらず、名のある大城貞俊がなぜ今頃この賞の受賞者になるのかと不思議に思います。
 選考委員の西木正明、高橋千劔破、森絵都の3氏からは「語り継ぐべきテーマに果敢に挑んだ」と高い評価を得たそうです。
 「チムグリサ」は直訳すれば「肝が苦しい」で、沖縄の言葉で相手の身になって悲嘆に暮れる意。一人称の短編6話で構成。生者と死者それぞれの視点から沖縄戦の悲惨さと平和の尊さを強く訴えています。

 沖縄タイムスに文芸評論家・平敷武蕉による書評が載っていましたので、以下に移記しておきます。

・「一九四五年 チムグリサ沖縄」 死者の声を掘り起こす 2018年2月10日
 昨年、「さきがけ文学賞」を受賞した本書には、沖縄戦の種々の体験を語る短編小説6篇が収録されている。単なる証言集ではない。本書に登場する証言者は1人を除いて、みな死者である。作者は、それら死者たちの声を掘り起こし、想像し、種々の手法で描き出している。その都度文体も違えている。ここにこの作品の斬新さがある。
 「『肝苦りさ』―闘いの原点はここにしかない」と述べたのは辺見庸であるが、本書のタイトル「一九四五年 チムグリサ沖縄」のチムグリサとは、「相手の苦難を見て、身がちぎれるほどに心が痛む」という意味である。身体的痛みをもって相手の不幸を受け止めることである。単に同情的・傍観者的な標準語の「かわいそうに思う」とはそこが違う。沖縄戦の体験談を聞いて「退屈」だとする本土教師がいたが、どんな悲惨な体験も聞く側に「チムグリサ」の心がなければ、体験は伝わらない。作者はそのチムグリサの話を伝えるために言葉を紡ぐ。沖縄戦では20万余が死没した。ということは、20万余の体験があるということだ。記録されたものもあるが、多くは今なお、埋もれたままである。まして、死者たちの声は――。
 登場する証言者は、樹上での逃避生活の果てに自決する若い兵隊であり、隔離され、差別されて死んでいったハンセン病の患者である。第6話「道」の語り手は、臨時の看護婦として駆り出されたあげく、泣き叫びながら米兵らに凌辱される女子学徒たちである。1人は首を括って自害し、「私」は「米兵の子供を妊娠する不安に苛まれる」。終戦になっても、「私と同じようなことが再び起こらないとは限らない」という少女の怯えは、73年後の今も、現実の事件となって沖縄を脅かし続けている。
 チビチリガマを荒らした犯人が沖縄の少年たちであったと言う。事件の政治性への疑念が払拭されたわけではないが、少年たちの心の荒みが心に刺さる。死者たちは2度、いや、何度も殺された。少年たちが死者の眠るガマを荒らす前に、この島の死者たちは、戦争のための軍事基地建設を進める日米両政府によって今も荒らされ、凌辱され続けている。本書は、読む読者も試されている。



 琉球新報に連載された「琉球王女 百十踏揚」の続編として、2015年11月から16年12月までの間、琉球新報で連載された長編小説。
 前作ではある程度歴史や伝説に従って、歴史の激動に翻弄された琉球王国の伝説的皇女の生涯を描いていましたが、続編ではかなり大胆な創作が入っています。
 百十踏揚(ももとふみあがり)と鬼大城(うにうふぐしく)の子である思徳(うみとく)が成長し、探索方の御茶当真五郎(うちゃたいまごろう)らとともに首里士族の陰謀と戦い、なんと南蛮(シャムやマラッカ)まで活躍の場を広げていくという壮大な物語になっています。

 百十踏揚は、第一尚氏王統6代目尚泰久王の子女で、座喜味グスクを守る名将護佐丸の孫に当たる“うみないび”(王女)。当時絶世の美女として一世を風靡したとされています。
 政略結婚により勝連城主の阿麻和利(あまわり)に嫁ぎますが、その阿麻和利は、王府に牙をむいたために、後に第二尚氏王統の祖となる金丸の策謀によって滅ぼされます。それを機に王府へと連れ戻された踏揚は、こんどは阿麻和利の宿敵だった鬼大城の妻となります。
 そして第二尚氏の世となった段階では、旧王統の血を引くものとして抹殺されそうになりますが、なんとか兄弟たちとともに赦免され、島尻玉城の富里で隠棲ののち、崩御する運命となります。

 前作ではそのようなところまでが書かれていましたが、作者が言うには、それは伝聞的な展開であって、実際にはどのような余生だったのか、そして阿麻和利の最期はどうだったのかはわかっていないとのこと。
 本編では、これらを明らかにし、また大胆な推測による独自のストーリーを描きながら、琉球と倭寇の関係、万国津梁の気概を込めた南蛮貿易を絡めて展開されていきます。
 実際には続編で書かれているような史実はありませんが、夢を馳せればこういうことだってあったかもしれないというノリで読めばそれなりにおもしろさもあります。

 尚円金丸に滅ぼされたはずの阿摩和利がその後も生きていたなら。
 百十踏揚の遺児が、尚真王母オキヤカの陰謀と執拗な追撃をどうにか切り抜けていたなら。
 その遺児が仲間の強力な支援を受け、当時盛んだった南蛮貿易の拠点へと進出して活躍していたなら。
 様々な「もしも」がそこには介在しますが、物語として読むには痛快です。



 明治の終わりの沖縄で、士族の家に生まれたツタ。父親の事業の失敗によって、暮らしは貧しくなりますが、女学校の友人・キヨ子の家で音楽や文学に触れるうち、「書くこと」に目覚めていきます。
 やがて自分の裡にあるものを言葉にすることで、窮屈な世界から自分を解き放てると知ったツタは、「作家として立つ」と誓います。
 結婚や出産、思いがけない恋愛と哀しい別れを経て、ツタは婦人雑誌に投稿した作品でデビューする機会を得ます。ところが、待ち受けていたのは、思いもよらない抗議でした……。
 「幻の女流作家」となったツタの数奇な運命を描く、実在の人物をモチーフとした会心のフィクション。

 久志芙沙子(本名ツル)という沖縄県出身の実在する小説家について書いたもの。
 23歳のとき(1932年)に小説「滅びゆく琉球女の手記」を雑誌『婦人公論』に投稿し、掲載されます。その文中には沖縄の女性が手の甲に入れるハジチ(入墨)に対する批判、沖縄の生き地獄のような貧困のさま、琉球人であることを隠して東京で出世した「叔父」の傲慢さなどが記されていました。
 ところが、その内容に対して東京の沖縄県学生会から、この小説が沖縄のことを悪く書いている、またアイヌや朝鮮人と同一視されては困るというクレームがつき、連載が中止されることとなります。
 芙沙子はこれに対して、沖縄を悪しざまに書いたつもりはなく、沖縄文化に無理解な人に媚びる必要はないこと、またアイヌや他の民族を差別する心のほうが歪んでいると釈明しましたが、その後、芙沙子は文壇から去って行くことになりました。

 「妾(わたし)は、故郷の事をあしざまに書いたつもりはなくて、文化に毒されない琉球の人間が、どんなに純情であるかを書いたつもりですから、どうぞ、そうあわてずに、よく考えて頂き度いと思います。でも、妾のあけすけの文章が、社会的地位を獲得しておいでになる皆様には、そんなにも強く響いたのかと、今更乍ら、恐れ入って居ります。そう云う点、深くお詫び申し上げます。
 地位ある方々許りが叫びわめき、下々の者や無学者は、何によらず御尤もと承っている沖縄の常として、妾のような無教養な女が、一人前の口を利いたりして、さぞかし心外でございましょうけれど、上に立つ方達の御都合次第で、我々迄うまく丸め込まれて引張り廻されたんでは浮ばれません。」

 著者は名古屋市出身の1962年生まれ。1992年「春の手品師」で文學界新人賞を受賞してデビュー。2019年7月には「渦 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん) 魂結(たまむす)び」で、令和初の「直木賞」受賞している、いま乗りに乗っている作家のようです。



 沖縄をベースにして独自の境地を切り開いて描いている崎山多美は、好きな作家の一人。
 「このマチが、アメリカさんのでもニッポンさまのでもなかった時代ってのがあったの、あんた知ってる? ひたすらビンボーばっかでそれなりには平穏無事だった時代ってのが昔あったわけよ、このマチの周辺シマジマには」――というような語り口が、自分には不思議としっくりくるのです。

  最近、崎山は花書院から2冊の小説集を刊行していて、ひとつは「うんじゅが、ナサキ」(2016)で、これはすでに読んでおり、2012年から16年までの連作が収録されています。
 そしていまひとつがこの「クジャ幻視行」(2017)で、こちらは2006年から08年までの連作が収録されています。
 「基地のマチ」クジャを舞台にした7つの短篇で構成されており、それらは「孤島夢ドゥチュイムニ」「見えないマチからションカネーが」「アコウクロウ幻視行」「ピンギヒラ坂夜行」「ヒグル風ヌ吹きば」「マピローマの月に立つ影は」「クジャ奇想曲変奏」。

 沖縄タイムスの2017年7月29日の書評を以下に引用しておきます。

・崎山多美著「クジャ幻視行」 世界の裂け目を「聴く」
 連作「クジャ幻視行」の巻頭「孤島夢ドゥチュイムニ」は、売れない写真家のオレが、世界から放り出されたモノモノらが沈む「裂け目」を撮るためオキナワを訪ねるところから始まる。
 だが、そこは「過酷さと愚直さを同時に演出しながら饒舌のようでいて肝心な場面ではだんまりの頑なさをも演じてしまう、掴みどころのないフヌケのシマ」だった。劇団公演でマリヤの独り語りを聴いたオレは、「因果の記憶に引きずられた者たちの、泥を呑み砂を噛む想い」に絡めとられる。
 2作目「見えないマチからションカネーが」以降の作品には、「幽閉された我が身の居場所を知らせよう」とする死者の呻きが溢れている。アメリカーにレイプ殺害された「白いワンピース姿」の少女。「あいのこ」を引き取ったものの、疎ましさゆえ酷い折檻を繰り返し、自ら首を括ったアンガ。読み書きができず語るコトバを持たないオバアの声。盲目の女・ユキが奏でるサンシンの音…。聴き手は、「影の溜まり場」に身を潜めながら「相手がみずからの意志で心を開いてくれるのを辛抱強く待つ」。「モノの本当の声を聴き取る」ために、虚心に「モノの心に寄り添う」。「無神経や無理解から発されたなにげないコトバのかるさ」は、「ときに鋭い刃となって相手の心をずたずたに切り裂く」からである。
 やがて彼らは憶い出す。米兵の狼藉を知りながら「関わりになりたくない」と思った自分。被害者を指さすように陰湿な噂を流した自分。そして、事件の「張本人」であることを忘れていた自分。「身に覚えのない突飛な物語」は、突如として自分の物語へと転換する。ワシは忘れてはいけないことを都合よく忘れ、当事者であることから目を背けていたのだと気づかされる。
 最終話終局。オレは闇を切り裂くように現れた鋼鉄のブルドーザーの行く手を遮り、「詰まったままの喉を、破裂」させる。世界の「裂け目」を聴くことは何かを憶い出すことである。記憶を全身で受け止め、声にすることである。崎山多美の世界におけるコトバは、聴くことと憶い出すことの半歩先にしかない。(石川巧・立教大学教授)



 歴史好きで読書家の友人Aは、歴史に関するさまざまな本を読んでいます。したがってなかなかの博識ではあるのですが、証明されていない仮説や著者の想像をもとにした記述を鵜呑みにする傾向があり、時として奇想天外な歴史秘話(?)をさも事実ででもあったかのように話すときがあり、聞いていて辟易することがあります。
 歴史本は読んでいて楽しいですが、その内容のうち史実はどこまでで、どこからが著者の空想を交えて記述している部分なのか、この境目をしっかりと意識して読むことが肝要だと思っています。
 そういう意味ではこの本はどのようなスタンスで読めばいいのでしょうか。

 沖縄はかつて琉球王国という独立国家であった。未だ解明されてない多くの謎に包まれた琉球の史実を紐解きながら、神人である著者が自分の活動を通してのみ知り得ることができた琉球史の「真実」に迫る。――というもので、著者はユタ。
 沖縄県今帰仁村生まれ。お告げに従い、1988年頃より神に仕える身となり、沖縄を中心に国内、海外を問わずマブイグミやヌジファ(神や霊の救い上げ)を行っている方です。
 本人はユタを嫌い、ユタと呼ばれることも拒否しているようですが、お告げで動きマブイグミなどをする人なので、客観的に見てユタでしょう。

 一般的に知られている沖縄歴史概念を覆す記載が多いのですが、それらの説が正しいかどうかについて著者に対して疑問を呈したとしても、「実際に歴史上の人物の誰々と話をしたのだ」などと言われれば、あとは返す言葉がありません。それらは説としては面白いでしょうが、まったくの根拠レスでは少々辛いものがあります。

 さらに不満なのは、著者は奇想天外な説を提示しておいて、もともと「中山世艦」などの歴史書は時の政権に都合よく書かれたもので史実と異なる記述がされていることは容易に想像できるのに、現代の歴史学者たちはそれに目をつぶっていると、手厳しく批判しています。
 しかし冷静に見れば、説明すべきことを自分以外の者に転嫁するこのような言動は、単なる無責任としか思えません。

 さて、くだんの友人にはこの書籍の存在を知らせていいものでしょうか。彼が読めば、著者のように考えるほうが合理的だとか言い始めるような気がして不安なので、積極的には知らせないでおくことにしましょう。(笑)

 渡久地十美子の著作としてもう1冊、「尚円王妃 宇喜也嘉の謎 ほんとうの琉球の歴史Ⅱ」(ボーダーインク、2013)をストックしていますが、もう少し間を置いてから読むことにします。



 「沖縄学」の父・伊波普猷(1876~1947)。貶められつつある沖縄の回復を願い、民族文化の自立と従属のはざまで苦闘しながら民俗研究の独自のフィールドを切り拓いた伊波の作品を丹念に読み解き、その生涯と思索を軸に沖縄近代の精神史を描く評伝。

 著者は、沖縄の現代史・思想研究の第一人者と言っていい人物で、当書の初出は1993年。2008年には「鹿野政直思想史論集」に収録されていたようですが、それがこのたび四半世紀の時を経て文庫になって、より多くの人々が手にすることができるようになりました。文庫で1,600円+税はちょっと高価ですけどね。

 「序」から印象的なところをいくつか移記してみます。

  深く掘れ 己(など)の胸中の泉 余所たよて水や汲まぬごとに(1911年)
 こう詠んだ伊波普猷という存在に心をめぐらすとき、時代はその矛盾の体現者、それゆえに表現者を生むものだ、との念に駆りたてられずにはいない。彼は、まるでクリオの召命を受けたかのように出現して、沖縄にとっての古典中の古典たる「おもろさうし」の検討に没頭し、沖縄学という範疇を打ちたてた。

 伊波普猷へのわたくしの関心は、代表的な著書と目される「古琉球」(1911年)を読んでの驚きに始まっている。こんなにもひだの深く多い文脈を、近代日本はほとんど持つことがなかった。みずからをボーリングすることの深い思想である。それは、全人格的な怒りと悲しみの岩盤に到達し、そこから噴きあげてくるがゆえに、諦観と楽観を基調に一種の澄明さに満たされた思想となっている。近代日本ではそれなりに多彩な思想が乱舞したとはいえ、そのように岩盤へと掘りさげた思想家は、幾人もいなかった。

 伊波があれほどこだわり抜いた「傷痕」が、もしまだ沖縄の未来にとって顧みるに足るのであれば、彼を復活させよう。もしそれが遺物と化したのであれば、沖縄の未来への人柱として彼を葬ろう、ただそのまえに、彼のために小さな紙碑をたてよう。沖縄思想史とヤマト思想史へのそんな想いが、わたくしを伊波普猷への旅に向わせた。

 「世替わりを受けとめて」「新知識人の誕生と帰郷」「古琉球」「精神革命の布教者」「転回と離郷」「孤島苦と南島意識」「父なるヤマト」「亡びのあとで」の8章立て。
 ほかに「伊波普猷略年譜」「現代文庫版へのあとがき」など。また、この文庫版では、「沖縄学」をも相対化しつつ根源的に日本を問い直す詩人・八重洋一郎の思索「歴史との邂逅―「日毒」という言葉」が追加して収められています。

 沖縄通いを始めた頃に、浦添城跡に「おもろと沖縄学の父伊波普猷」顕彰碑を見に行ったことを思い出します。
 その碑に刻まれていたのは、「彼ほど沖縄を識った人はいない 彼ほど沖縄を愛した人はいない 彼ほど沖縄を憂えた人はいない 彼は識った為に愛し 愛した為に憂えた 彼は学者であり愛郷者であり予言者でもあった」という、伊波の核心をみごとに押さえた東恩納寛惇の一文でした。



 世界がどんなに複雑でも、バカなぼくたちにかかればどうってことない、はずだった。
 懐かしくて、悲しくて、間抜けで、切ない、青春小説の傑作が誕生!
 1970年代から80年代初頭にかけての宮古島。おバカでナイーブな少年は、南の街を自由に飛び回り、やがて島から羽ばたくはずだった。目眩を起こしそうなほど素晴らしくて、迂闊な時代。でも(振り子の季節)から思春期の扉の向こうに待っていたのは、失われた明日だった……。
 遠く離れた宮古島の小さな風景、出来事があなたの心を静かに揺さぶる。(コシマキから)

 著者は1966年生まれなので、物心ついた頃からティーンエイジャーまでぐらいの時期の宮古島のことを、当時の思いと目線で描いている秀作です。

 当時の平良は人口密度が異常に高く、昼は自動車や簡易な荷馬車がガンガン行き交い、夜は酔っ払いが奇声をあげながらフラフラ歩き回っている、空が狭く青い海も見えない猥雑な町だったと著者はいいます。
 そして、そこを小汚い子供が自由に飛び回って、こっぴどく怒られたりドヤされたりしながら、少年から少し大人の少年になっていくのでした。
 こういう記憶は昭和40年前後ぐらいまでに生まれた人間ならば誰もが経験してきていて、それぞれの心の中でほろ苦い思い出になっているのではないでしょうか。
 著者は、このようなつまらなくて古い記憶が感情のどこか端のほうに引っかかり、振り払っても振り払ってもしぶとく食い下がって消えようとしないことに困り果てていることを告白し、そのひとつひとつを書き綴っていきます。

 著者は、小・中・高と平良市内で過ごすが、高校3年生の夏、大きな交通事故に遭い半身不随となってしまいます。長期の入院、東京でのリハビリのあと宮古島に戻り、生活のほとんどをベッドで過ごすなか、読書に目覚めてやがて小説、エッセイなど文章を書いて友人らに発表するようになります。
 そして2005年、「前、あり」で琉球新報短編小説賞。14年には「病院鬼ごっこ」で琉球放送RBCiラジオのファンタジー大賞。
 その後もフェイスブックなどで小説や小・中・高校時代の様々な記憶をエッセイと小説の間のような作品を書き綴ってきました。それらは「マクラム通りから下地線へとぐるりと」「パイナガマヒーローズ」という私家版でまとめられています。
 今回、失われた記憶を求めるかのように書き綴られた作品を加筆し、さらに書き下ろし加えて連作短編集としてまとめたのが、当書。現在も半身不随のまま、宮古島にて執筆活動や地元宮古エフエムでのパーソナリティを行っているとのこと。



 新日本出版社 1,600円+税 2015年9月20日 第1刷発行

 著者は、1940年東京都生まれの報道写真家で、デザイン事務所勤務。長年沖縄の取材をし続け、米軍基地問題に関する発信を続けています。代表作に「沖縄100万の叫び―嬉野京子写真集」(1968)があります。

 「米軍基地はいらない」――様々な妨害にも屈せず、党派を超え、新基地建設やオスプレイ配備に抵抗する沖縄。そこにある現実と人々の思いを、アメリカ施政下の時代から半世紀にわたって見つめてきた女性写真家が語った。世界に衝撃を与えたスクープ写真、日本復帰前・後の人々の生活やたたかいをとらえた写真の数々も収録。

 彼女の撮影した、在沖米軍の車両に轢殺され道路に横たわる少女の写真(1965年4月20日、宜野座村漢那区)は極めて印象的。
 この本の制作意図等がわかる「あとがき」(2015年8月、一部)を以下に引用しておきます。

 阿波根昌鴻さんが他界された後、彼の徹底した非暴力の抵抗と万物に対する慈愛の生き方を引き継ぐ学習会が、毎年3月の第1土・日に伊江島「わびあいの里」で開催されています。アレン(※アレン・ネルソン。元海兵隊員。その体験をもとに基地も戦争もなくすべきと訴え、2009年に没するまで活動)のサポートをしていた間はあまり出かけられずにいたのですが、2011年、久しぶりに参加しました。そこで絶版になっている私の写真集「沖縄100万の叫び」(新日本出版社、1968)の復刻版をつくりたいと提案されたのが、この本を出すきっかけでした。
 結局、復刻版ではなく、新しい内容をおりこんだ本として、前掲写真集に収録した写真も少し収録し、沖縄を取材してきた50年の流れに沿って、私なりの印象を綴らせてもらったのが本書です。この5年間、沖縄の方々はじめ、複数の出版社や編集者の方々にご迷惑をかけての難産となりましたが、ヒトラーばりの政治家たちの出現に抗して声を上げている沖縄と全国の方々とともにありたいと思ってのことです。

 「ヒトラーばりの政治家」とは誰のことかは、国民の誰もが容易に想像がつくことでしょう。