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 新型コロナウィルスの蔓延拡大防止のための外出制限が行われている2020年3月29日(日)、ずいぶん前にDVDを入手してまだ見ていなかった映画「ぱいかじ南海作戦」を部屋のテレビで見ました。

 「ぱいかじ南海作戦」は、2004年に発売された椎名誠の小説。これを2012年に、放送作家・脚本家の細川徹が初めて実写映画のメガホンをとってつくられた作品です。
 2011年11月に沖縄県の西表島でロケが行われています。
 なお「ぱいかじ」とは、沖縄方言で「南風」のことです。

 カメラマンを本業とする男・佐々木は、勤務していた会社をリストラされ、さらには愛する妻・佐和子と別れ、一人寂しく暮らしていましたが、ある日、唐突に気分転換をしようと思い立ち、東京から沖縄へと一人旅立ちます。飛行機から船を乗り継いで辿り着いた島の浜辺には4人のホームレスが先客として暮らしていました。佐々木は彼らとすぐに打ち解け、「ここはパラダイスだ!」と楽しい一夜を過ごしましたが、酔いつぶれて翌朝に目覚めると、持って来たはずの全財産(バッグなど)が彼らとともに消えていました。
 途方に暮れた佐々木は浜で、都会からやってきた青年「オッコチ」や、関西在住の美女2人組「アパ」「キミ」と出会い、4人の奇妙な海浜生活が始まります。女性二人のおかげで料理の質が向上し、不審者侵入防止のためにテント前に掘った落とし穴にイノシシが落ちて大喜び。
 そんなある日、ホームレス4人組の噂を聞きつけた佐々木は、彼らから全財産を取り返すべく、“ある作戦”を決行するために、彼らがいる「北パナリ島」に渡ります。しかし、身構えて臨んだものの、4人とも見事な土下座をして謝るのでした。
 浜に帰ると、美女2人組を連れ帰りにきたおばさんたちがいました。また、元妻の撮影対のADも先乗りでやってきて「イントレ」(高い足場)が必要だと言います。それでは流木などでつくってしまおうかということになり、土下座の4人もやってきてみんなで作り上げます。撮影隊の本体もやってきて大忙しに…。

 主たるロケ地としては、南風見田(はえみた)の浜周辺。県道白浜南風見田線の南風見側終点や、南風見田の浜へと続く細道、大富共同組合売店、大富給水塔などが登場していました。

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 配役は、主人公の佐々木に阿部サダヲ、佐々木の相棒となるオッコチに永山絢斗、美女2人組には貫地谷しほりと佐々木希、ホームレスのリーダー格のマンボさんにピエール瀧などを配し、りんけんバンドにいた桑江良美もわけのわからない現地語を話す陽気な船頭として登場していました。

 115分の本編と、特典の予告編など。映画の出来としてはまあ普通で、山場のような場面はなくフィナーレでようやく盛り上がる感じ。こうしてみると、貫地谷しほりというのはなんでもこなすいい女優だと思いました。

 外出できない日は部屋で映画を見るのも悪くありませんが、コロナ対策は長期戦になりそうな観測も出ており、これからの日々をどうしようかと不安です。

 新型コロナウィルスの蔓延防止のため自宅にとどまり、2019年8月7日にNHK・BSプレミアムで放送された「甲子園とオバーと爆弾なべ」を観ました。録画して、今まで見ずにあたためていたものです。

 戦後の沖縄が一つになって夢を見た一日がありました。それは1990年夏の甲子園決勝、「沖縄水産」vs「天理」の試合です。
 当時まだ春夏を通じて優勝経験のなかった沖縄勢が、栽弘義監督のもとで初めて決勝戦に進出したとあって、沖縄じゅうが一つになってテレビの中継にかじりついたのでした。道路からは車が消え、店は開店休業。試合は1対0で惜しくも沖縄水産は涙を飲みましたが、この時のテレビのアナウンサーの「沖縄は今日1日だけ、夢を見ました!」という実況は今も語り草になっているといいます。

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 このドラマでは、沖縄出身のアーティストBEGINが作詞作曲した「オジー自慢のオリオンビール」と「オバー自慢の爆弾鍋」に着想を得て、県勢初の優勝に向けて勝ち上がっていく沖縄水産高校の活躍を、戦中・戦後を必死に生き抜いてきた自らの人生と重ね合わせて応援するオジーとオバーを中心に描いています。
 那覇の平和通り、第一牧志公設市場界隈を舞台に、人情味あふれる人々の物語が展開されます。
 ドラマの脚本と演出を担当するのは、映画「ナビィの恋」や「さんかく山のマジルー」で知られる、沖縄在住の中江裕司です。

 あらすじは次のとおり。
 1990年夏。末吉(平良進)とウサ(吉田妙子)の夫婦は那覇の市場で食堂を営んでいる。とはいっても、末吉は酒を飲んでばかりで昼間から働かず、毎日海へ行って変わった漂着物を拾ってくる。ウサは不発弾の破片を再利用した鍋で食堂の料理をつくる。この爆弾鍋で生計を立て、子どもを大学まで行かせたのが自慢だ。
 夏の甲子園が開幕してほどなく、孫娘のゆかり(蔵下穂波)が本土から帰ってくる。理由は語らないが東京で何かあったようだ。
 沖縄水産が勝ち進むにつれて、盛り上がっていく市場。食堂には沖縄の戦後を支えた愛すべき人たちが通ってくる。しかしオジーは高校野球が終わると、食堂の手伝いもせず、海へ行ってしまう。そして、拾ってきた漂着物を食堂に飾る。オバーはそんなオジーを黙って見守っている。
 そんな中、ゆかりはオジーの秘密を知る。海に行っていたのは子どものとき、家族を疎開船・対馬丸の沈没で失ったからだと。
 甲子園はついに決勝へ。みなが食い入るようにテレビにかじりつく中、ウサオバーがいない。オバーは沖縄戦で亡くなった妹の遺骨を今も探している。ゆかりはオバーが爆弾鍋で料理を作るのは、死んだ妹への供養と生きていることへの感謝だと知る。
 オジーがオバーを連れて市場に戻ると決勝戦は大詰めを迎えていた。沖水が負けてしまうが、市場中から拍手が起きる。みなが「オジー自慢のオリオンビール」を歌い出す。

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 沖縄好きにとっては最高のエンターテインメントに仕上がっています。そして、画面づくりは事前に監督の名を聞かなくとも中江裕司作品とわかるもので、ワクワク感を覚えます。

 何と言っても配役がオキナワンで固めているのがよく、これは中江裕司でなければ集められなかったでしょう。
 末吉とウサ夫婦に沖縄俳優界の大重鎮の平良進と吉田妙子を配し、「さんかく山のマジルー」で主役を張った蔵下穂波がいい娘になって登場。息子を放課後食堂に預けて昼夜働くシングルマザー役は沖縄アクターズスクールでマキノ正幸が見出した逸材の満島ひかり、また、ゆかりの幼馴染みには現代版組踊「肝高の阿麻和利」で7代目阿麻和利役を演じた佐久本宝も出演します。
 島唄界からは大城美佐子、徳原清文が出演していて、三線を弾きながらうたう場面もあります。
 平和通りで路上パフォーマンスをしている唄者は奄美竪琴の名手・盛島貴男。60年前の里国隆そのままという感じです。
 沖縄芝居からは瀬名波孝子、仲嶺眞永、沖縄のお笑い・演劇界からは城間やよい、新垣正弘、津波信一、島袋寛之、現役時代は那覇市の総務部長だったエッセイストの“アコークロー”宮里千里なども登場していました。

 いい作品だったので、DVDにコンバートして保存版にすることにしましょう。



 新型コロナ蔓延の影響で厳しく外出制限が叫ばれているので、昨日午後は部屋で未視聴のDVDを引っ張り出してきて鑑賞することにしました。
 「南の島のフリムン」。吉本興業と角川映画のコラボによる製作で、お笑い芸人ガレッジセールのゴリが初の長編映画監督を務めた作品です。もちろん本人も映画に登場します。2009年の公開というから、もう10年以上も前のものです。
 自分の購入記録を調べてみると、2017年2月に沖縄関連の中古映画DVDを6本まとめ買いしていて、そのときに買ったものでした。なお、「フリムン」とは、ウチナーグチで気のふれたもの、「馬鹿者」の意味です。

 ゴリの地元の沖縄を舞台に、愛すべき人々が繰り広げる恋の大騒動をハイテンションでつづる、笑ってちょっぴりほろりとする感動の人間ドラマ。コザの中央パークアベニューや安慶名闘牛場などでロケが行われたようです。
 沖縄の養豚場で働く30歳で独身の栄昇(ゴリ)は、三線名人の60歳のマサル(照屋政雄)や、よく聞き取れない言葉を話す後輩のヒトシ(諸見里大介)らとつるんで日々楽しく遊んで暮らしています。
 そんな栄昇はある日、コザにあるポールバーでダンサーのオレンジ(レイラ)に一目惚れします。しかし、ほかにも彼女にちょっかいを出す筋肉隆々の米兵マックス(ボビー・オロゴン)がいて、栄昇はこの男と彼女を賭けて1か月後に闘牛場で決闘に臨むことになってしまいます。
 到底勝てない相手であることに悩む栄昇に、マサルは若い頃に空手を師事した金城先生(平良とみ)を紹介し、栄昇は金城先生の下でみっちりと修業をし、勝利の極意を掴んでいきます。そして……。

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 ストーリーはお笑い系のエンターテインメイントだとわかっているので、興味はキャスト陣へ。
 栄昇役のゴリは、今「よしもと沖縄花月」でやっているおきなわ新喜劇の「ゴリセクシー」よりは多少なりともまとも。
 マサル役の照屋政雄は、すでに多くの映画でとぼけたオジイ役を経験しているので安定感があります。
 マサルの厚化粧の妻役には沖縄の芝居役者の福田加奈子。彼女も2018年11月に他界。その娘の看護師りみ役のAKINAは、沖縄アクターズスクール出身の元アイドル歌手で、ビビる大木の妻なのだそうです。
 平良とみが空手の達人役というのは意外。平良とみが亡くなったのは2015年12月のことでしたが、この映画ではまだ十分元気でした。
 このほか、サーターアンダーギーを使う占い師として友情出演の夏川りみ、ヒトシの母で沖縄の芸人田仲洋子、ホールバーの派手派手経営者として吉田妙子、遺影に写る栄昇の父で玉城満、決闘のレフェリー東風平役で川田広樹などなどが出ていました。沖縄の映画は沖縄の役者たちがたくさん登場するから面白い。
 また、挿入歌のひとつは仲田まさえがやさしい声で歌っていました。

 本編97分。束の間ではありましたが、コロナで浮かない日々を忘れることができました。

 奄美シマウタの第一人者・坪山豊が亡くなったことを、知名定人のフェイスブックで知る。
 えっ!という感じだ。
 坪山の肉声を聴いたのは、2013年の琉球フェスティバル大阪での「あやはぶら節」、「まんこい節」、そして「ワイド節」が最後となった。正直言うと、この時にはすでに声にかつての迫力はなく、かなり衰えてしまった印象があったものだった。
 今日の奄美シマウタの存続、隆盛があるのも、坪山豊が師として手本を示し、育成し、見守ってきたという彼の功績は極めて大きいものがあると思う。

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坪山豊

 以下に、南海日日新聞と毎日新聞の記事を引用しておきます。

○坪山豊さん死去 奄美島唄の第一人者  南海日日新聞 2020年7月21日
 奄美島唄の第一人者で「ワイド節」を作曲した坪山豊さん(つぼやま・ゆたか=南海文化賞受賞者)が、20日午後5時7分、老衰のため入院先の奄美市内の病院で死去した。89歳。
 自宅は奄美市名瀬港町×の×。新型コロナウイルス感染拡大防止のため通夜、告別式は近親者のみで執り行う。告別式は22日午前8時半から同10時まで、同市名瀬末広町17の3の青葉会館で受け付ける。喪主は妻の利津子(りつこ)さん。

 宇検村生勝生まれ。1980年、第1回奄美民謡大賞で大賞受賞。奄美島唄の第一人者として普及や後継育成に尽力、海外公演にも積極的に参加した。
 長男の良一さんと共に、奄美伝統の板付け舟を造る舟大工としても知られた。
 2001年に第25回南海文化賞(郷土・民俗部門)を受賞した。

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元ちとせと島唄を披露する坪山豊(2003年11月16日、鹿児島県名瀬市(当時)の奄美振興会館にて)


○心躍る「ワイド節」 奄美の唄者、坪山豊さん死去  毎日新聞 2020年7月21日
 城南海(きずき・みなみ)さんや元(はじめ)ちとせさん、中(あたり)孝介さんらの活躍で、沖縄とはちょっと違う奄美(鹿児島県)の島唄も、その文化とともに全国的に知られるようになってきた。
 そんな奄美で、誰もが知っている唄者(歌手)が坪山豊さん。そして、今では奄美の島唄を代表する曲が、豊さんが作曲した「ワイド節」だ。南海さんも、ちとせさんも、孝介さんも、豊さんと共演し、もちろんワイド節も歌っている。
 その豊さんが20日、老衰で亡くなった。89歳。地元ラジオ局「あまみFM」は、21日朝から豊さんの曲を訃報、そしてエピソードとともに奄美の島々に届けた。

 ワイド節の「ワイド」とは、闘牛が盛んな徳之島で牛への掛け声のこと。でも、ワイド節は徳之島で生まれた唄ではない。
 奄美にあるハンセン病療養所のレントゲン技師だった中村民郎さんは、徳之島出身の患者から「闘牛の唄を作ってほしい」と頼まれた。「ふるさとには帰れないけど、思い出して涙した」のだ。
 歌詞を書いた中村さんが「豊、闘牛の島唄作ろうね」と豊さんに作曲を依頼すると、闘牛を見たことがなかった豊さんは、徳之島まで闘牛を見に行って、曲はすぐにできた。
 録音したテープを患者に聴いてもらったら、その患者は喜び、そして泣いていたという。

 豊さんの曲は、ワイド節も「ばしゃやま節」も「綾蝶(あやはぶら)節」もそうなのだが、決して古臭くなく、現代人にも通じる。中でもワイド節は、心躍るテンポで、一度聴いたら耳を離れない。
 奄美では生活の中に島唄がある。イベントなどで盛り上がってくると、ワイド節、そしてさらにテンポが速い「六調」で踊り、フィナーレ、というのが定番だ。奄美を旅して、目の前で聴くことができた豊さんのワイド節は忘れられない。

 豊さんは唄だけではなく、奄美の伝統的板付け舟の舟大工でもあった。舟大工の技術はご子息が、そして島唄は、後輩の唄者が引き継いでいくだろう。