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 定年退職日の2日後に、小笠原諸島へと旅立ちました。
 これからは仕事を理由にあれもこれもできなかったという言い訳はできません。仕事を辞めたからこそできることはたくさんあるのです。
 そのひとつは長期旅行。とりわけ離島への旅は、万一フネが欠航になった場合には予定どおりの日程で帰ることができなくなりますが、なーに、仕事がなければ1~2便欠航したって関係ないもんね~♪
 というわけで、6日おきにしかフネの便がない小笠原へは退職したら行こうかね~とずっと構想を温めていたのでした。
 4月2日に山形を発ち、一晩東京クローリングを楽しみ、翌3日から、小笠原へと向かいました。

 羽田のホテルで6時前に覚醒。昨晩の飲み過ぎが祟り、朝の調子はあまりよくありません。
 シャワーを使ってさっぱりし、ロビーに降りて朝食。量はほどほどに。

 9時頃にホテルを発って品川、浜松町を経由して竹芝桟橋へ。みなさん、朝から出勤ご苦労さん。朝からそんなスピードで歩いて、何を急いでいるのデスカ?

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東京港竹芝客船ターミナル

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出航前に停泊中のおがさわら丸

 スムーズなチェックインで11時発。2等和室は大部屋ではなく20人弱の部屋に仕切られていて、そのいちばん奥の壁際が割り当てられていました。
 出航前後は7階のデッキで寛ぎます。雲一つないぐらいの快晴。昨日山形を出るときは吹雪だったのにな。東京湾沿いの両岸壁はコンテナクレーンが何十本と林立し、すごいことになっている。

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船上デッキ。いい天気だ!

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これはレインボーブリッジ?

 さっそくやることがなくなって、和室で本を読み始めます。横になれば当然のように眠くなります。が、どこぞの会社のブルーカラー4人がすぐそばで駄弁り始めます。飲んでいるのか時々声が大きくなり、それがうるさい。よし、ということで、持参の耳栓を着用。するとアラ不思議。騒音レベルは劇的に下がり、騒々しい中でもそれなりに眠れるのでした。
 そんなことがあって、昼飯もとらずに15時過ぎまで寝入ります。ホテルで日頃食べない朝食を食べたし、昼は抜き。船内のレストランはかけそばに仕出し風の天ぷらをのせたものが800円でほぼ最安というのですから、船内の食堂にはあまり期待できません。

 6階にある売店からトリハイ缶とじゃがりこを調達し、16時から飲み始めます。これが食前酒という位置づけ。
 オーダーストップ1時間前となる19時半、船内レストランにて夕食。ヒレカツカレー1,100円。いちおう揚げ立てのヒレカツですが、肉が薄過ぎてとんかつの味を感じることができません。昭和のハムカツ的な、厚めの衣を味わうものなのかな。
 カレーは香り高くておいしい、量もたっぷり。ライスがもう少し多ければ、この価格でもフネだからなと納得できたと思います。
 並ぶほどの客数ではなく、ゆっくりした気分で食べることができました。

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 その後もごろごろして本を読むだけ。この冗長極まりない船旅こそ、現役時代にはできなかったことなのです。せいぜいこの有り余る時間を楽しむこととしましょう。

 22時消灯。あとはまたひたすら寝るしかありません。

 耳栓が効果的で、日中あれだけ寝たのに夜中も眠れる。フネの適度な揺れが心地よいからなのでしょうか。
 たっぷり眠ることで、何十年にもわたって少しずつ身体にこびりついてきたしがらみ、こだわり、プライド、気遣いなどのひとつひとつが、垢のようにぽろぽろと剥がれていくような感覚があります。

 6時に照明が点灯。
 ずっと動いていないし、フネでの朝食は復路でも食べられるからと、自粛。これで旅の初日の暴飲暴食はある程度はリカバーできたのではないかな。
 洗顔し、やることがないので海を眺めに出て、その後は読書。1日洗わないだけなのに頭が痒い。
 途中聟島列島を見にデッキに出る。北から北乃島、聟島、張野岩、媒島、嫁島。小笠原群島は島名が面白い。

 定刻11時に父島二見港着。いい天気。下船して、まずは父島メインストリートを歩く。なかなかいい通りじゃない。

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混雑する父島二見港

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父島のメインストリート

 さて、メシだ。港周辺の「かがや亭」で麺類か中華の定食、時間がなければ「アイランド・デリ」か生協で弁当を調達しようとの考え。
 おう、あったあった、「かがや亭」。屋根の付いたオープンスペースの席に着き、五目メン850円を食す。塩仕立てで海老、イカ、ホタテ貝柱などを含む五目あんが適量。
 中華麺は島でつくるものなのだろうか? 細麺で茹でが強め。
 これが850円は高め。島の物価はこういうものなのかな。でも、明るい日差しと爽やかな海風がなによりのごちそうだった。

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五目メン850円

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二見港のデイゴ

 父島での1時間を昼メシで有効に使って、母島丸の乗船場へ。デイゴがきれいに咲いていたのでパチリ。また、おが丸とははじま丸が岸壁に並んで停泊しているところも撮影。

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おが丸(奥)とははじま丸

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歓迎○○君

 その後、14時発の母島行き「ははじま丸」に乗り込みます。片道4,290円。
 おが丸は船酔いとは無関係でしたがこちらの小さい船は少々危険かと、乗船前に酔い止めを飲むつもりでしたが、忘れる。それでも全然問題なし。

 2時間の航海で14時、母島港着。下り立つと、「歓迎」の横断幕を持った多くの人たちが待ち受けていました。送迎車を運転する宿の人に訊くと、今日がこの4月から母島に赴任する教員や小笠原支庁の職員たちの赴任日だったようです。そういえば竹芝桟橋の見送りや父島での歓迎の際にもそういうシーンが見受けられました。
 本日の宿「ペンション・ドルフィン」に到着し、チェックインして、すぐに外出。道に迷いながらレンタバイクのある「アンナビーチ母島YH」まで歩いて行き、24時間3,000円でゲットします。
 さっそく乗り回し始めます。母島はそう大きくないので、ゆっくり、ぼんやりといった感じで巡ります。いや、走っているうちにだんだん走り屋モードになっていくのですが。
 バイクは爽快。とりわけ南の島では薄着をして走れるのでなおさら。集落及びその周辺にはフローラルの香りが漂い、見慣れぬ青い鳥がたくさん飛んでいて、南国情緒が高まります。

 まずはははじま丸が着く沖港周辺の元地集落内を流し、「脇浜なぎさ公園」へ。ここはウミガメの産卵場や屋外ステージなどが整備されていてきれいだ。

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ウミガメ産卵場

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屋外ステージ

 そこから「鮫ケ崎展望台」に上る道があったので行ってみる。古い草葺きの東屋があり、見事な眺め。脇に「小笠原諸島返還20周年記念モニュメント」が建っている。小笠原諸島が日本に返還されたのは昭和43(1968)年。このときに発売された記念切手は、自分が切手収集を始めていちばん初めに買ってもらったものだったので、よく覚えている。海もなんてきれいなんだ!

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鮫ケ崎展望台

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小笠原諸島返還20周年記念モニュメント

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なんだ、この海は!

 元地集落の「月ケ岡神社」にも行ってみます。100段近くある急な石段を登りましたが、小さな社以外はなにもなし。
 「静沢の森遊歩道」にも行ってみましたが、歩くのが大変そうなのでスルー。ビーサンではねぇ。
 その後「南進線」を進んでみますが、行く先々は今履いているビーサンでは太刀打ちできないようなところばかりなので、予定を変更して「北進線」を進むことにします。このあたりから、陽差しがない場所では当たる風が冷たく感じ始めました。

 北方面の攻め方は、まず一番北にある「北港」まで行ってしまい、戻りながら途中のポイントを見て戻るという寸法。
 くねくね道を30分近く走って「北港」に到着。ここはかつて600人ほどの人々が生活していましたが、太平洋戦争中の強制疎開によって廃村状態になったのだそうです。今は住家は一軒もないけれども、ここで生活していた人がいたという想いであたりを見渡すと、繁栄していた時代を空想することができ、現場に立つって大事だよなぁと改めて思ったところです。

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北港。西陽が強い。

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北村小学校跡地の入り口

 「北村小学校跡地」は、案内標識がなければ気づくこともないような自然木の繁茂地と化していて、その先には入れない状態。その繁茂地はかつては子供たちが遊ぶ校庭だったはずです。
 北進線から少しはずれたところにある「東港(母島漁港)」は、船溜まりは立派だけれども停泊している漁船はなし。1987年に商業捕鯨が禁止になるまでは捕鯨が盛んだったようです。今では陸地に古びた漁船が1隻あるだけという寂しさでした。

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高みから見た東港

 「探照灯基地跡」は、旧日本軍が設置した可動式の大型探照灯が壕の中に格納されていたそうです。トンネルを小さくしたような遺構がありますが、ここも近づいてみようという気にはなれないほどの自然回帰が進んでいます。
 「新夕日ケ丘」。太陽はまだ沈む前ですが、間もなく日が暮れていきます。向島、平島、姉島などの島々が見えました。

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探照灯基地跡

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こういう風景が小笠原だなぁと思う

 ということで、17時15分に宿戻り。部屋のセットアップをしていると風呂が空いたようなので、このタイミングで入ってしまう。入浴は2日ぶり。風呂を楽しみにしていたのに、男子浴室が故障のため使えないので女子浴室をみんなで仲良く使ってね、とのこと。それじゃあ何よりも風呂を優先しなければなりません。

 さっぱりはしたけれども、夕食が遅くなって、18時40分頃から隣りの民宿「月」にて。まだ2組残っていましたが、自分が最後のよう。ビールを1本やっつけてご飯を食べ始める頃には一人になってしまいました。
 お膳の内容は驚くほどのものではありません。刺身と筑前煮をアテにビールを飲み、ひれかつ、鯨の竜田揚げ、カニマヨサラダでごはん。鰹出汁の効いたすまし汁が付きました。りんごがデザートとは今どき珍しいと思う。
 「月」からはまっすぐ帰らずに夜の母島を少しだけ歩きました。町の中からでも星はばっちり見えます。そうだったな、島とはそういうところだった。

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今夜の夕食

 明るくなるとともに鳥の鳴き声。それがウグイスたちの重唱で、たくさんのホーホケキョだというのがすごい。
 宿の朝食を済ませ、7時半に出発。今日の母島はトレッキングがメインなので、ワークシューズを履きます。
 小笠原諸島は、大陸と一度も陸続きになったことがなく、その隔離された環境のもとで固有種率が高い生物相をもっていることにより、2011年6月、ユネスコの世界自然遺産に登録されています。今日はその一端を垣間見ようというわけです。

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宿の朝食はこんな感じ

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南崎ロータリー

 都道の最南端だという「南崎ロータリー」にバイクを停め、8時前から歩き出します。いち早く宿を出て、母島の自然を誰もいないところで満喫しようという作戦は見事に功を奏し、自然公園内の遊歩道はほぼ独り占め。遊歩道の管理は行き届いていて、壊れたり通りづらくなったりしているところはありません。道路もそうで、北進線、南進線とも、少ない交通量なのに舗装や交通標識、視認性確保などがよく整備、管理されています。小笠原諸島が東京都に属しているからこそそうなっているのではないのかな。普通の地方の離島ではこうはいきません。

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外来種を侵入させないための靴底洗浄設備

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遊歩道はこんな道が続きます

 などと考えながら、まずは順調に「スリバチ展望台」へ。名前のとおりすり鉢状の地形で、昔は島の子供たちがオガサワラビロウの葉を敷いて滑って遊んでいたのだそうです。鉄やアルミニウムが酸化したラテライトで、これは熱帯、亜熱帯に特有の土壌です。
 いちばんの突先から攻めようと、「南崎」へ。けっこう歩いてたどり着いたそこは、すごく海水がきれいです。浜の先にあるごつごつとした島影が小笠原っぽくて、これもいい。浜辺は砂ではなく、大きめの珊瑚石。東方面を見れば海面が光を反射してキラキラしています。きれいだなぁ。この浜を独り占めしちゃって、なんだか申し訳ないなぁ。

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スリバチ展望台

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南崎の浜への降り口

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南崎の浜のキラキラ

 次は、南崎からほど近くの「ワイビーチ」ヘ。急な石段を下っていく西側に面した小さな入り江でした。映画「ナビィの恋」でナビィがサンラーとともに船出した浜と似ていなくもありません。こちらは砂浜で、南崎よりも漂着ごみが多い感じ。
 それにしても、4月の平日に太陽が照り付ける南の浜でこんなことをしているのが夢のようです。仕事を辞めて安穏としていることに感じていたある種の後ろめたさなど、すっかり吹き飛んでしまいます。

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ワイビーチ

 次は「小富士」。日本一南にある故郷富士。最後の登りの急斜面が半端ではなく、梯子まで登場したのにはびっくり。荒い息をつきつつ登頂達成!
 苦労してやってきたためか、景色のすごさもひとしおです。眼下に広がる南崎の珊瑚礁は絶景! 加えて360度の大パノラマですからね。海を広角的に眺められるし、歩いてきた自然林も一望できました。
 止まらない汗を拭きつつてっぺんのベンチで一休みしていると、もう一人登ってきたのは同宿の男性。「最後がきついですねぇ」と彼も荒い息。遊歩道内ではここで初めてヒトと遭いました。なお、その後遭遇したのは2パーティの5人のみでした。

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小富士からの眺め1

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小富士からの眺め2

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小富士からの眺め3

 この段階でわが体力の消耗度はかなりの段階まで来ていて、腿の筋肉あたりが本当でなくなります。途中一度軽いスリップダウンをしましたが、カウントが入るほどではありません。
 次は「蓬莱根(ほうらいね)」。分岐した歩道が細くなったのであまり期待はしません。英語表記で「Rock」となっていたので岩のことらしいのですが、両側を岩に挟まれているものの岩自体に格別のものはありません。小さな入り江なになっており、ここも漂着ごみが多いです。

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蓬莱根

 ほうほうの体で10時半に南崎ロータリーに戻り着きます。もう足がつらい。こうなると明日以降の行動にも影響が出るかもしれません。
 まいったなぁと思いつつ汗をぬぐっていると、小富士で遭った男性も戻ってきて颯爽とバイクにまたがって立ち去ろうとしますが、セルモーターが作動しません。かなり困っている様子です。見かねてどれどれと代わってキックペダルを蹴り、どうにか始動。よかったね。レンタバイク屋はこんなバイクで営業してはいけません。
 なかなか汗が引かないままバイクを走らせると、涼風が当たってたちまち汗が引きました。そうだったな、バイクはそう言うよさがあったのだ。

 浜に降りて戻りに長い階段を上るのはもう勘弁してほしい。「万年青浜(おもとはま)」は道路から2.9kmあるようなのでパス。「母島ヘリポート」は柵があって入れず。
 「南京浜」は道路からすぐのようなので、行ってみます。地名の由来は、開拓期に数名の中国人がこの海岸付近で生活していたためと言われているそうです。背びれの立った、この浅瀬にしては大型の魚がうようよ泳いでいましたが、あれはなんだったのだろう。
 「御幸之浜」も遠いのでパス。

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南京浜

 11時を過ぎたので、元地地区に戻って昼メシです。当初の予定どおり「大漁寿司」で、母島ではちょっとは名物になっているらしい1,200円のかつ丼を食べることにします。開店前から並んでいた作業着グループ5人の後につきました。
 味が濃く、すき焼きに入れるような糸寒天が入って味の濃さもボリュームもアップ。肉も厚く、揚げもよく、食べ応えのあるいいかつ丼でした。

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大漁寿司のかつ丼

 集落の北のはずれにある「佐藤燃料店」でリッター240円(高い!)のガソリンを入れ(満タン1リットル)、最後に集落内をもう一周します。
 郷土資料館的な位置づけになっている「ロース記念館」は、外壁がロース石でできています。ロース石の名は明治初期に開拓に貢献したドイツ人の名前から取ったものだそうですが、そもそもロース石というものをよく知りません。
 「小笠原村立母島小中学校」。児童生徒は小中合わせて35人ぐらいはいるようです。小笠原特有の歴史・文化の中で培われてきた「南洋踊り」や、戦前から歌い継がれてきた民謡「小笠原太鼓」、「タコノ葉細工」といった島の文化遺産を継承する教育活動を行っているとのことです。
 「小笠原村役場母島支所」。敷地内には行幸記念碑、貨幣石、つぶし石などがありました。近くには駐在所、JA、漁協などがあり、島の機能がこのあたりに集約されています。

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ロース記念館

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母島小中学校

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小笠原村役場母島支所

 レンタバイクを返して沖港へ。荷物は宿の人がターミナルまで車で運んでくれているのは助かります。
 ターミナル内でしばらく旅のログ付け作業。こういう振り返りの時間は旅の間には必要だと思う。

 14時発のははじま丸で母島を去ります。また来ることはあるのでしょうか。これまで、去る際にもうここに来られることはないだろうと思った島はいくつかありますが、加計呂麻島、大東島など再訪が叶った島は多いです。おりこうさんにしていればきっと機会は訪れるでしょう。

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沖港船客待合所


 16時、父島着。2連泊する「ホテル宿ふく」が迎え。部屋でしばらくログ付けをして、18時前から中心部の散策を開始します。
 生協は18時、スーパー小祝は18時半に閉るので、あわてて小祝で明朝のパンと部屋飲みの品を買いました。
 ふらふらとメインストリートとその1本北のボニン通りというところを歩き、「丸丈(まるじょう)」という居酒屋に入ります。瓶ビールと、刺身盛合せ(ソデイカ、マグロ、カンパチ、タコ)、島寿司で合計3,400円。タコは茹で過ぎでしたが、島寿司はヅケの味、挟んだ芥子、唐辛子の入った島醤油の相性がよく、とても美味でした。
 春から無収入となったので、悲しいですが今後は旅先で盛大に飲み歩くのは多少控えるべきかもしれません。部屋で飲んでいれば千円ちょっとですからね。

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丸丈の刺身盛り合わせ

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丸丈の島寿司

 早々と19時には上がって、ホテルの部屋で旅日記のまとめ作業。部屋はビジネスタイプでバストイレ付き、電灯が明るくてアパートみたいですが、それが機能的でいいと思う。

 6時前に目覚め、少し経って起床。住宅街なので、人の話し声や人が発する音で目覚めるというのが母島と違うところです。

 この日の島めぐりの課題は、脚の状態。以前から右足の踵に痛みがあり、それがさらに痛みを増しているほか、脚全体の筋肉痛が始まりかけています。筋肉痛は明日になればもっとひどくなるのでしょう。
 こういう体調なので、アップダウンのある遊歩道を片道2時間以上かけてたどり着く「ジョンビーチ」、「ブタ海岸」は今日は行かず、状態を見て可能なら明日に挑戦することにします。
 なにも苦行をするために旅に出ているのではないという思いと、もう二度と来られないかもしれないのだからできる限りは行って見てみたいという欲求とが対立します。これから帰りのフネで24時間もじっとしていることを思えば、多少の無理ならするべきかもしれません。

 昨日調達していた長期保存ができるデニッシュパンを朝食にして、8時前に出発。今日は曇りだけれども、暑いのも困りものなので半袖シャツにします。また、今日はトレッキングはなしとしたので、足元はビーサンにしました。

 レンタバイクを借りる「PAPAYAマリンスポーツ」へと歩いて行こうとすると、宿の目の前が「大神山公園」だったので、まずはその公園を散策。ここにも屋外ステージがあります。
 後ほど行った「小笠原ビジターセンター」で、この公園の一角には米軍統治時代に「ラドフォード提督初等学校」があったことを知りました。当時の学習用語は英語で、軍人や欧米系島民の子弟がともにここで学び、島内には高校がなかったため進学希望者はグアム島の高校へ進学したそうです。
 すぐ脇の浜は「大村海岸」。いい感じに弧を描いた砂浜で、家族連れの海水浴にはよさそうです。

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大神山公園

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大村海岸

 このあたりはちょうど大村地区の東町と西町の境になっていて、周辺には「小笠原村役場」、「B-しっぷ(村の商工観光会館)」、警察署、郵便局、都の支庁、国の総合事務所などの公的機関が集まっています。まずはそれらを見て回ります。

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小笠原村役場

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B-しっぷ

 レンタバイクをゲットして、街なかの小さな教会「聖ジョージ教会」、旧道のトンネルが2本続けて歩行者専用道になっているもののひとつの「大村隧道」、さらには清瀬地区の「とびうお桟橋(二見漁港)」などを見ます。
 公共施設を見たついでに「都立小笠原高等学校」が清瀬地区にあるはずなのを探しますが、迷ってウロウロ。なんとか見つけたものの、探すほどのものではなく。清瀬というところは山裾のほうに多くの集合住宅があるところで、都立の団地のほか各機関の職員宿舎も多く見受けられました。

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聖ジョージ教会

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大村隧道

 高校の先には「釣浜」があるようなので、成り行き上そちらへ。道路から0.3km下ったところにあるというので行ってみましたが、なんだよ、もっと距離があるだろ。こうなると浜を愛でるよりも戻りのきつさが不安になります。風も結構強いです。
 幸いさすが東京都、歩道自体の整備が行き届いていてビーサンでも問題ありませんでしたが、脚はまたもや辛い。この程度で辛いのもどうかと思うが。

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釣浜

 北方面のついでに、次は「宮の浜」へ。ここは駐車場からすぐでアップダウンを歩く必要がなく、浜も釣浜よりずっときれいで寛げます。まあるい入江。この強風なのに、波は静かなのが不思議です。向かいには兄島が見えます。

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宮の浜

 いったん清瀬まで戻り、ここからは「夜明道路」という山岳道路へと進み、風景を楽しみたい。くねくね道をバイクをナナメにしてくるくる走るのが楽しい。
 「長崎展望台」。絶景なのでしょうが、曇っていてガスっぽいのが残念。昨日までの母島とは眺めは大違いなのでした。
 「旭平展望台」。ここは島影が創り出す風景の妙というよりも、朝日の昇るところを見るのがふさわしい展望台ではあるのでしょう。しかし今日はなんだか景色系はダメのようですね。

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長崎展望台からほぼ真東を望む

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旭平展望台。見えるのは長崎の張り出し

 なにやらすごい構造物が見えてきました。そして、ゆっくりだけれど、それが動いています。なんじゃこりゃ。
 正式には、「国立天文台天文広域精測望遠鏡小笠原観測局」というところ。
 日本国内に配置した4基の電波望遠鏡で天体の位置を正確に計測し、銀河系内にある天体までの距離を精密に計測するのが目的なのだとか。
 すごいことをしているのだろうけど、敷地内で数匹の野ヤギがうろついていたりして、雰囲気は牧歌的です。

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国立天文台VERA小笠原観測局

 続いて見えてきたのも宇宙系の「宇宙航空研究開発機構小笠原追跡所」。こちらは門扉が閉まって入れなかったので、いったん施設が見えるところまで道を戻って撮影。
 ここは、種子島で打ち上げられた人工衛星ロケットが種子島で見えなくなってからの飛行経路を監視するために設置されたとのこと。古いイメージに照らすと上九一色村の某教団施設のように、忽然と現れます。

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宇宙航空研究開発機構小笠原追跡所

 「中央山展望台」。曇りで強風なのでもう見なくていいかとも思いましたが、ここまで来て見ない手はないだろうと、またもや遊歩道を登ります。
 着いたところは山頂で、道は尾根伝い。ということは風はますます強く暴風状態で、身体が煽られてカメラを構えてもぐらついて撮れない始末。まあ、雨が混じらないだけ幸いだと思わないと。ということで、ここもだめだこりゃ状態で退散。晴れた時なら最高なのでしょうけどね。

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吹き曝しの中央山展望台

 その後は夜明道路を終点まで走り、湾岸道路沿いの扇浦海岸へと抜けます。
 扇浦でまず目に入ったのは、海岸のコテージ前にあった「小花作助之碑」。説明書きによれば、小花は信州木曽出身。1861年に咸臨丸の小笠原島派遣で来島し、島役所の支配元締として残留して開拓を推進。1863年には国内外の政情不安のため官民総引き揚げの幕命に寄り帰国するも、1876年には扇浦の内務省出張所の初代所長として島の基礎づくりに貢献した。――とのことです。
 ほほう。まったく知らなかったけれども、参考になります。

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扇浦海岸あずまや前の「小花作助之碑」

 振り返ると、海岸の道路を挟んで反対側に、いくつかの案内標識が出ています。ここから100m余り山手のほうに入った小笠原(貞頼)神社周辺には歴史上の見どころがあるようです。
 それらは、「小笠原開拓碑」「にほへ碑」「小笠原新治碑(にいはりのひ)」「無人島発見之碑」。よし、行ってみよう。
 同じ場所に3つの碑がありました。
 「小笠原開拓碑」。1877年に東京で制作され、船で小笠原に運んで建立されたというもの。碑文には、小笠原開拓を推進する政府の政策、1593年の小笠原貞頼による島の発見、1675年の江戸幕府による調査団のことなどが刻まれているのだそうです。
 「にほへ碑」。開拓碑の左の極小の碑で、表面に「にほへ」と書かれています。幕府は1862年、八丈島から農民30人を父島に開拓移住させ、うち8人は子どもだった。幕府の役人は子どもたちに読み書きを教えたが、この碑は使い終えた筆を供養するための筆塚だった、とのことです。
 「小笠原新治碑」。小笠原諸島が日本の領土であることを示すために建てられた石碑。1862年に咸臨丸で運ばれたことが記録に残っており、それ以降の建立のようです。

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右から小笠原開拓碑、にほへ碑、小笠原新治碑

 さらに神社のほうに歩を進めると、戦時中の「トーチカ」が残っていました。銃口を出す穴が生々しく、今もトーチカ内には入れるようでした。
 神社の社の脇には「無人島発見之碑」。甲斐の国小笠原(現櫛形町)に住んでいた初代・小笠原長清の17代・長時の孫が小笠原貞頼で、一説によれば貞頼は、1593年、八丈島の南に3個の島を発見したとされています。1993年の小笠原諸島発見400年・返還25周年記念事業として建てられたもので、当時の都知事鈴木俊一の揮毫です。

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無人島発見之碑

 そうそう、ここに来たなら「扇浦海岸」を見なければいけなかった。
 海岸前のあずまやから海を見渡すけれども、今日の天候ではやはりぱっとせず、南国ムードは乏しいのでした。

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南国ムードに乏しい扇浦海岸

 ああ、見た見た。時間は11時半。いったん大村地区に戻ってメシとしましょう。
 部屋に戻ってみると、もう掃除が終わっています。だったら部屋で弁当にしようか。離島に来たなら弁当も食べてみないと。
 バイクを置いて、渡島前から狙いをつけていた「アイランド・デリ」という弁当店までじゃらんじゃらん。こういうのんびりもいいんじゃない。
 基本のおかずだけ乗ったトレーに何点かある総菜からひとつ選んで加え、熱いご飯をよそった御馳走弁当は875円。これにポテサラ250円とペットのドリンク160円を添えてみました。
 価格は高いけれども、ものは確か。部屋に戻って食べれば、春巻とコロッケも揚げたてでパリパリ、サクサク。また、もっちりつやつやのごはんがすごくおいしく、これはここ数年に食べた弁当のごはんの中ではナンバーワン間違いなし。ポテサラもりんごが入って美味。小笠原弁当界のトップを独走していると見ました。

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アイランド・デリのおいしい弁当

 弁当を食べた後は部屋で14時近くまで午前中の旅の記録を書く。
 どれ、ぼちぼち再起動といきますか。
 風はまだあるけれども三日月山の「ウェザーステーション展望台」で景色を眺め、「小笠原ビジターセンター」で学んだら、宿にバイクを置いて、夕方には閉ってしまう生協で買い物をして、あとはゆっくりするという考えです。
 事は目論見どおりに進み、、ビジターセンターでは島の歴史を知り、写真展で米軍統治時代以降の様子も垣間見ることができました。
 15時半宿入り。夕暮れ時まで昼寝をしたいところですが、たくさん寝ているので眠くならず、夕刻まで旅日記を続行し、おかげでだいぶ作業がはかどりました。
 今日は一日、天候も体調も順調とはいきませんでした。そう毎日いい日ばかりは続かないのは世の常。いいインターバルになったと考えたいものです。

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ウェザーステーション展望台からの眺め

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大村集落を俯瞰

 18時。さあメシを食べに行こう。行ったのは「波食波食(ぱくぱく)」。赤ちょうちんがたくさんついているので居酒屋かと思ったらさにあらず、定食、丼類が中心のようです。瓶ビールと鶏皮のさっぱりネギポン酢750+650円を注文しましたが、ビールは来るがつまみは来ず。ビールがなくなっちゃうよ。けれども、待ちに待ったつまみは、これがなかなかにうまいのでした。
 つまみが来た段階で、客の何人かが注文していたのを参考に肉野菜炒め定食1,000円を追加して、腹も落ち着きました。

 19時には戻り。本日の旅日記はこれまで。

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鶏皮のさっぱりネギポン酢

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肉野菜炒め定食

 このところ毎日、ストレスフリーの朝を迎えています。こうしてみると、仕事を持っていた時代はさまざまなストレスに苛まれていたのだと気づきます。会社の首脳はどう考えているだろうか、交渉相手の考えをこちらのこともわかって変えてもらうにはどういう戦略で臨むか、取引先幹部たちの機嫌を損ねないようにどう立ち回るべきか……などについていろいろと考えを巡らせていました。また、組織が大きいために生じる不必要と思われるまわりくどい手順にも、渋々ながら従ってきたものです。
 しかしもう、そういうことに頓着することはなくなりました。
 百歳を過ぎた人に聞いた「長寿の秘訣」のひとつに、「嫌なやつには会わないこと」というのがあったといいます。言い得て妙で、加えるならば「嫌なことはしないこと」とも言えるでしょうか。
 逆に、「やりたいことは躊躇なくやる」という積極性も、健全な精神を保つためには重要なことでしょう。人は、なにか目標や楽しみや生き甲斐があってこそ、生きられるものです。

 旅の第2弾として、車旅を始めます。この数日はそれに必要な物品の調達などの準備をしていました。
 「ダイソー」で、着替えや洗濯物などを整理できるようにと買い物かごを3個(これは1個324円)。重ねておけばかさばらないだろうと考えて。ほかにはドアガラス用サンシェード、メジャー、爪切り、ハサミ(小)、マルチケースを入手。
 「ニトリ」で、車旅用マットレスを調達。最安のウレタンマットは薄過ぎてダメ。むしろポリエステルでできている敷布団がそれよりも柔らかくて寝心地がよさそうだし価格もそこそこ。車旅は体が痛くならないようにすることが最大のポイントだと思っているので、多少かさばるのを我慢してそちらのほうを選択しました。
 次に、「ケーズデンキ」で携帯用のラジオを2千円ほどでゲット。
 さらに、ホームセンター「サンデー」で、ランタンを下げるのに使うS字フックを探します。目的物は小さいのに店は広くて見つけられず。店員に訊いてようやく見つけました。これで概ね必要なものはそろったでしょうか。
 なに、足りないものがあれば途中で調達しながら進めばいいわけです。

 ちなみに第1回目の車旅は、房総半島方面を攻める方向で考えています。ゆっくり回って1週間程度なのかな。どこに泊まるか、何日間とするかなどはまったくの無計画。仕事を辞めたらそういう「終わり」が決まっていない旅というものがしてみたかったのです。

 そして、クルマへの荷物の積み込み。寝具、着替え、風呂用品、各種機材などを車内に移動。うまく空間を利用すれば案外入るものです。
 あとは今夜、大雑把なルーティングをして、いよいよ出発です。
 行ってきま~す♪

nambou1 201904
 6時起床。もう少し寝ていてもいいのですが、尿意が高まったので。
 小笠原の最終日。心配なのは天気です。窓を開けて外を見ればどんより。予報は晴のち雨。降り出すのは夜になってからのようですが。
 今日一日の行動を構想しながらパンを齧ります。足のだるさは昨日と変わりませんが、思ったよりもひどくなってはいません。
 しかし、この空模様では景色は冴えないだろうな。なので「ジョンビーチ」、「ブタ海岸」はパスですね。

 バイクにまたがってさっそく湾岸道路を南に進みます。途中、昨日素通りした「境浦海岸」に寄り道。またもや長い道のりを下っていきます。そうして行った甲斐があるきれいな砂浜。海の中に難破船の一部のような古い構造物があるのがこの海岸の特徴。園地にあった案内板によれば、これは1944年に連合軍の砲撃によって沈められた「濱江丸」という船のようでした。戦後74年も経つのにこういうものが日本の海岸のすぐそばにまだ残っているというのがすごいです。
 長い登り道でぜぇぜぇやっていると、防災放送が近くのスピーカーから流れます。ダムの貯水率が27.1%まで下がっているので節水をと呼び掛けていました。宿のおばさんが言うには、孤島なので海底送水は無理で、海水淡水化施設で最低限は確保できるがつくるのに電気料がすごくかかるということでした。

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境浦海岸

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湾岸道路の高みから境浦海岸を望む

 境浦海岸を湾岸道路沿いの高みから俯瞰して、次は「コペペ海岸」。小港海岸のほうから歩いてアプローチするものだと思っていましたが、すぐそばまで車で行ける道があるのでした。これは楽ちんです。
 小さな白砂の砂浜で、園地もきれいに整備されています。ここでもビーチを独り占めして、あずまやのベンチでしばし寛ぎます。海風がいいんだよな。
 湾内の海中には珊瑚の解説板が設置されているらしいです。

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コペペ海岸

 散策道を歩けば760mのようですが、公道をぐるりと迂回して、小港ロータリーへ。そこから「小港海岸」は平らな道を歩いてすぐです。
 小港海岸は、小笠原にしては広大なほうの砂浜。改修してペンキを塗ったばかりと思しきあずまやがありました。浜で何かを釣っている人がいます。右の岩場には波の浸食でできた2つの穴。この場から見た小港海岸は、日が照っていないこともあるでしょうが、格別きれいというわけではありません。

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小港ロータリー

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小港海岸

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遊歩道はこんな感じ