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 5時半起床。多めに眠っているつもりだが、その眠りは深いのか浅いのか。朝はこの時間になると外が明るくなるので起きざるを得ないということもある。
 涼しいうちに進めておかなければと考えて、昨日のログ付けを7時まで。

 まずは「余部鉄橋「空の駅」展望施設」を見る。道の駅からすぐ近くなので、歩いてアプローチする。
 旧余部鉄橋は、1912年の完成から約100年間、JR山陰本線の運行を支えてきたが、2010年にコンクリート橋に架け替えられる。旧鉄橋の橋脚は一部がそのまま保存され、余部鉄橋「空の駅」展望施設として生まれ変わっている。
 余部駅は集落のはるか上の方にある「空の駅」。かつては集落からつづら折りの急坂を歩いて上っていたが、2017年には「クリスタルエレベーター」が供用され、その苦労が解消された。
 7時過ぎ、ちょうど列車が入る時間のようで、列車通学をする中高生の姿が見られる。彼らと一緒にエレベーターに乗って駅まで行き、列車が去るのを見送った。

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旧橋脚とクリスタルエレベーター

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通学生もエレベーターに乗る

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ちょうど列車が入線してきた

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こちらは旧橋の線路で、今は不使用。エレベーターのない頃はこの左側の道を歩いて上っていたのだと思う

 兵庫県の最後は、「湯村温泉」。日本海から20分ほど内陸に入ったところあり、98度の温泉の豊富な湯量を誇る温泉街だとのこと。普通の温泉街と思えたので、「湯村温泉会館薬師湯」などを車内から見るだけにとどめる。

 そこから数十分走って鳥取県へ。鳥取市に入ったあたりでは名産のらっきょうの香りがしてたじろぐ。
 鳥取に来たからには、まずは鳥取を代表する観光地「鳥取砂丘」だろう。
 山陰海岸国立公園の特別保護地区で、観光可能な砂丘としては日本最大。500円の駐車協力金を払って見に行くが、周囲の民間駐車場は無料だったと気付きショックを受ける。(笑)
 鳥取砂丘は初めての訪問だが、なにかと見聞きしているので既視感がある。でも、実際に砂丘を歩いてみれば、砂の質がとてもきめ細かく、また砂丘のアップダウンは結構足にきつく、来て見なければこういうことはわからないものだと感じる。ビーサン履きが正解。いや、砂丘だけでなくほとんどの見学地でビーサンを履いているのだが。人の少ない朝のうちに来て、これも正解。とうとう鳥取まで来たのだなあという感慨もある。

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鳥取砂丘へのアプローチ

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この位置からの写真は非常によく見かける

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そそり立つ砂の壁

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砂丘のてっぺんまで行ったら海がはっきりと見えた

 「鳥取砂丘砂の美術館」。世界初の砂像彫刻だけの美術館で、世界各国から砂像彫刻家を招いて「砂で世界旅行」をコンセプトに、期間限定で随時開催しているのだそうだ。2019年はその南アジア編をやっていた。
 展示ホールに入ると巨大なガンジーがお出迎え。丸メガネの部分の処理などに感心する。あとは写真で。
 この後、外の展示物を眺めたが、10時前だというのにすでに陽射しが狂暴になっていて辟易する。

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エントランスにあった砂像。ここで驚いていてはいけないのであった

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マハトマ・ガンジー像がお出迎え

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ガンジス川の沐浴だったか

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奥行きの立体感まで出しちゃって

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砂でここまでやるなんてスゴ過ぎ

 これから鳥取市内に入るわけだが、都市にはいろいろな施設なり店があるのがうれしい。今日は午前中から減速して、マックでノマドワークをすることにした。快適な空調の下で、冷たい飲料を飲みながら、パソコンとミラーレスカメラのバッテリーの充電をさせながら、午前中のログ付け。
 さらに、今回の旅の記事のアップロード準備を整える。すでに4月の房総旅は最後まで掲載済みなので、新たに掲載する記事が欲しいのだ。旅から帰ってからではその作業が厄介になる。今のうちから掲載できるようにしておかないと。

 1時間半ほどマックで滞留して、昼が近くなってきたので昼食を。スマホで鳥取市内の「定食・食堂」を調べて、「お食事の店更科」がよさそうと踏んでそこへ。
 スマホがなければ一見の者はまず知りえないようなところにある小さな店。塩サバ定食999円を食べたが、これが極めて上出来。脂ののった塩サバは焼きたてで美味だし、この小鉢軍団はいったいどうなっておるのだと店主に問いたくなるような充実度。海老の出汁が香る味噌汁もよかった。

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「お食事の店更科」の塩サバ定食

 その後は、鳥取駅を見て、利用者は3時間の駐車料金無料となることを確認して、駅近の鳥取市中央図書館で情報処理を13時から15時半まで。たまっていた作業を一定程度消化することができ、空調の下で体力回復も図れるという一石二鳥。こういう時間が欲しかったが、こういう芸当ができるのも鳥取市ぐらいの規模があってのこと。福井市以来この規模の都市は通らなかったものな。

 その後もあまりやる気がなく、再び別のマクドナルド店でパソコン。今日はもう観光はせず、作業に徹することにする。
 18時前、風が舞い、雨が降ってくる。しばらくぶりの雨だ。
 風呂は、「鳥取ぽかぽか温泉」にて。
 今日の夜は鳥取市内のネットカフェにすることにして、その近くの「丸亀製麺鳥取店」で冷やしぶっかけに小エビのかき揚げミニとさつまいも天をつけてつるつるといく。

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「丸亀製麺鳥取店」の冷やしぶっかけ+天ぷら

 20時前に「自遊空間鳥取店」にチェックイン。設備やサービスはイマイチといった感じで客数もこれまで使ったネカフェの中では最少で静かだ。ここでも目いっぱいパソコン作業をして、今回の旅の記事6本を仕上げる。とは言ってもそれは旅の始めの4日間分ほどで、今後もつくりこみを進めていかなければ仕事はたまっていくばかりだ。飲み物は、無料のソフトドリンクに持参のウィスキーを注いで飲み、節約する。だが、ネカフェ2晩目にして小瓶が空いてしまった。
 充電をしっかりやれたのもよかった。
 というわけで、23時に作業の手を止めて、寝る態勢に入る。
 明日、天気がよくなければもう1日も鳥取にとどまって、作業を優先させるのもいいかもしれない。

 5月27日の走行距離は、97km。

 5時15分起床。ネットカフェでのこの日の泊り客は3人ぐらいだったのだろうか。静かに眠れたのでいいのだが、静かなネットカフェというのもいかがなものかという気もする。
 8時近くまで個室で旅の情報収集。旅の資料は北兵庫ぐらいまでしか整理されていず、鳥取、島根は大どころだけ、山口に至っては県北側を調べてすらいなかったもので。

 今日の鳥取地域は予報によれば午前中いっぱい雨で、雲が去るのは夜になるとのこと。それでは今日はパソコン作業の一日としてしまおう。
 8時前にネカフェを出て、鳥取市内に4か所あるマクドナルドの3店目でソーセージエッグマフィンのセットで粘ることにする。
 旅の情報収集、ブログで使う画像の整理、そして書きなぐってきたログの推敲、アップロードと、やることは山ほどある。

 マックで11時まで粘って、いったん昼飯を食べに出る。「とりから亭鳥取安長店」は定食・丼注文者はカレーかけ放題とのこと。ここだな。カキフライ&熟成ロースかつ定食918円。3桁でこれだけのものが供されるのはなかなかいい。カレーはゆるめなので、ほぼ飲み物としていただく。
 この店はメインディッシュの充実度とカレーで勝負するタイプ。山形の「とん八」はカツは薄くごはんなどの量で満腹を演出するタイプだが、むしろこういうやり方を見習ってほしい。

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「とりから亭鳥取安長店」のカキフライ&熟成ロースかつ定食、カレーかけ放題

 午後には鳥取市の文化センター内に自習室があることをネットで調べて行ってみたが、どうもそういう場所は見当たらず、困った。
 小用のため「イオンモール鳥取北店」に入ったところスターバックスコーヒーがあったので、おおここだここだとノマドワークを再開する。
 みっちりやって、旅のブログ記事を9本、5月20日分までをつくり終えた。

 17時を回って、昨日と同じ「鳥取ぽかぽか温泉」に入浴へ。2度目となると勝手がわかり、何をするにしても楽だ。
 銭湯から出る頃には雨は上がったが曇り空。しかしうっすら夕焼けらしきものも出現して、前途はそう悪くない。
 食事は、三條医師が長期出張なら偏りのない「まいどおおきに食堂」とか「大戸屋」で食べるようにと言っていたのを思い出したので調べてみると、鳥取にはどちらもある。「大戸屋鳥取湖山店」を選んで、オススメらしい大戸屋おうちごはん定食870円を食べる。店にある単品メニューの盛り合わせ的なものだったが、カボチャコロッケ、ミートボール、目玉焼きと、たしかに内容はうちごはんぽかった。

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「大戸屋鳥取湖山店」の大戸屋おうちごはん定食

 宿は今夜も「自遊空間鳥取店」で、チェックインの時間もほぼ同じ20時前。
 無料のソフトドリンクに買ってきた2本目となるウィスキーを継ぎ足して飲みながら、作業を続ける。

 鳥取のこの日は進歩のない一日だったが、この旅で初めてまとまった休息が得られ、旅全体として見れば一定の意義があったのではないかと思う。
 明日は晴れが戻るだろうから、元気に見てまわることにしよう。

 22時半に機器類のスイッチを切り、睡眠へ。
 この日は食事のもの以外は写真なし。
 5月28日の走行距離は27km。

 5時半起床。このネカフェは客が激少なのでゆっくり眠れた。7時過ぎまでパソコン作業を続け、7時半退店。
 外は、ピーカンの晴れ。雨や雲の片鱗すらない。晴れるのはうれしいものの、暑くなるのは困るのだが。
 その後、クルマで5分ほどのところにある「ガスト鳥取北店」で朝食をとり、電源が取れたのでここでもパソコン。たまっていたからなあ。9時過ぎまで作業をする。

 ここから見学モードへと復活する。
 前にも停めた中央図書館の駐車場に車を入れて、10時前ぐらいから鳥取駅前を散策する。
 駅前からメインストリートと思われる昭和歌謡の流れる本通り(若桜街道)、袋川という川があったところから左に折れた川外(かわそと)通りを歩き、ここもすでに通った6叉路のロータリーを通過して智頭街道(ちずかいどう)に入り、太平線(たいへいせん)を通って再び駅前へと向かう。長いアーケード街が続くがそこには空き店舗が目立ち、この商店街ももうしばらく経てば厳しい状況がやってくることが想像できる。

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鳥取駅

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鳥取駅には因幡の白兎のモニュメントがあった

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駅前通り

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ロータリーがここにも

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太平線通り

 鳥取市内を離れて進路を西にとって進むと、沿道近くに「鳥取砂丘コナン空港」があったので寄ってみる。従来の国内線ターミナルに近代的な外観の国際線用ターミナルをつなぎ合わせたような形。このようにあとで国際線の施設をつくれるスペースがあったのは羨ましい。山形空港ではそれができなくて困っている。
 ターミナル内もきれいで、地方空港にしては多くの店が張り付いていた。

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鳥取砂丘コナン空港の国際線ターミナル

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内部もきれいだ

 「白兎海岸」と「白兎神社」。ナビに「白兎海岸」を入力して目指していくと、「道の駅神話の里白うさぎ」があり、大黒様と白うさぎの像が迎えてくれる。そこに駐車して見て歩く。
 「白兎神社」は道の駅の山手のほうにあり、こちらをはじめに見る。由緒は古いようで、社叢は天然記念物になっている。ここも恋人たちの聖地と化しており、愛の言葉を綴った願掛けが目につく。こんなところに来てまでと思ってしまうのだが、どうだろう。
 「白兎海岸」は海の色がきれいで、東北地方の日本海とは一味違って白い砂浜が弓なりに連なっている。海中に浮かぶ島は白兎が渡ったという淤岐ノ島(おきのしま)。
 奇抜な感じのする歩道橋を海のほうに渡っていくと、ポケットパーク様の展望場所があり、そこには子供の頃に聴いた悲しげな曲調の民話「大黒さま」の碑があった。大きな袋を肩にかけ……というあれだ。

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大黒様と白うさぎの像が迎えてくれる

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白兎神社

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社叢は天然記念物になっている

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神社拝殿

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奇抜な形の歩道橋の向こう側は日本海

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歩道橋上から日本海を望む

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「大黒さま」のうたの碑と淤岐ノ島

 次は倉吉市に入る。13時を過ぎているので、昼食をとりたい。市場内にある「市場食堂」は働く男たちの腹を質と量で満足させているようなので、ここで。
 定食700円を狙ったが売り切れとのこと。ではと趣向をがらりと変えて、山陰地域での定番となっている牛骨ダシのラーメンを食べてみよう。「醤油らーめん」500円。
 さすがに牛骨は独特のコクがありうまい。この店の特徴なのかどうか、摺りニンニクがたっぷり入っていて、これが味にパンチ力を加えている。いいな、このスープ。

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「市場食堂」の牛骨ダシのラーメン

 倉吉市では「白壁土蔵の町並み」を見たい。
 街歩きの資料をもらいにまずは駅の観光案内所に赴く。窓口の女性はわざわざカウンターから出てきてパンフレットを見繕い、道筋や駐車場の場所などを丁寧に教えてくれて、これを持って行くといいですよと割引クーポン券まで渡してくれた。これで倉吉全体の第一印象は優れてよいものとなる。

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JR倉吉駅

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再開発後と思われるゆったりとした倉吉駅前

 教えられたとおり倉吉市役所の後ろ側に駐車して、もらった資料のモデルコースどおりに歩き始める。
 真っ先に見えたのは「横綱琴桜の顕彰碑」。おお、表情とお腹の形が琴桜そのものだ。そうか、彼は鳥取県倉吉市出身佐渡ヶ嶽部屋だった。32歳8か月での横綱昇進は当時としては最も遅咲きで、横綱在位8場所というのも短い。当時は相撲に熱心だったので、そのあたりはよく覚えている。

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「横綱琴桜の顕彰碑」があった

 そして、国重要伝統的建造物群保存地区に選定されている玉川周辺の「白壁土蔵群」。江戸後期から昭和初期の建物が多く、その町並みの景観は本町通りの商家を主体とする景観と、玉川沿いの土蔵を主体とする景観と大きく2つに分かれている。その町並みから山陰の「小京都」とも呼ばれ、周辺には酒蔵や醤油蔵が多く、かおり風景百選にも選定されているそうだ。黒い焼杉板、白い漆喰壁、赤い石州瓦という手法が統一的で美しい風景になっている。
 1931年建築の倉吉最初の本格的な西洋建築「旧日本産業貯蓄銀行倉吉支店」、大工を京都で修業させて建てたという京風建築の「桑田醤油醸造場」、県指定保護文化財の「高田酒造」、かつてのメインストリートだったと見えレトロな看板が残る一角、倉吉の伝統的な町家形式を保持する「豊田家住宅」、倉吉を代表する商家「倉吉淀屋」、1908年造の擬洋風建築の「旧国立第三銀行倉吉支店」などを1時間半にわたってたっぷりと眺める。

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いきなりこんな感じの建物群が目に入ってきた

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同じ建物。「元帥酒造本店」

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このように古い商家が連坦している

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倉吉果実酒醸造所

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倉吉を代表する商家「倉吉淀屋」

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倉吉淀屋の内部が公開されていた

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味のある建物

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このあたりが「白壁土蔵群」の真骨頂だろうか

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風景に見とれてしゃがみ込む人たちもいた

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かつて山城があった打吹山が見える

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旧国立第三銀行倉吉支店

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土蔵群に囲まれた中庭はポケットパークになっていた

 倉吉ではもう1か所、「倉吉パークスクエア」へ。文化・観光・産業・娯楽機能を中心とするさまざまな施設が集設した「人・もの・情報」の行き交う文化交流ゾーンで、建物が奇抜。
 その中に入っている「鳥取二十世紀梨記念館なしっこ館」を見る。梨をテーマにした日本で唯一のテーマミュージアム。名人が長年にわたって選定して育ててきたものという二十世紀梨の大木が中央に。その周辺には黒斑病との闘いなどの多くの展示物、2か所のジオラマ空間、子供向けの不思議ガーデンなどがある。
 お楽しみは3種類の梨の食べ比べ。歯ざわりのよいみずみずしいものや西洋梨風の豊潤な味のものなどがあり、いずれもおいしかった。
 見学後には梨ソフトクリーム300円でさらに満足する。

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倉吉パークスクエア

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ここで3種類の梨の食べ比べができる

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展示物のメインは二十世紀梨の原木

 16時近くとなり、米子市方面に向けて走り出す。倉吉から米子まではけっこう距離がある。この間を新直轄方式で整備した高速道路の無料区間があるが、それを走っちゃあせっかくの山陰地域の風景が見られないので、ずっと下道を進む。それもまた楽しデアル。

 米子の市街に入る前に入浴。里から離れた山手のほうにある保養所の「シャトーおだか」の風呂は、内湯しかないが、客数は少なくて休み場も広く、長く湯に浸かってしばらく休むという自分の風呂の入り方に合っている。380円という格安料金も魅力だ。
 米子市内で夕食。山形にはない回転寿司店「寿司みなと旗ヶ崎店」で寿司をつまむ。ネタは見た感じは大きくないが切り方が厚く、食べ応えがあった。真鯛、すずき、かんぱち、あじ、いさき、さけとろ巻、すがたヤリイカ。

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「寿司みなと旗ヶ崎店」で寿司をつまむ

 20時半頃に本日の寝床となる安来市の「道の駅あらエッサ」に到着。安来とは言っても米子に近い場所にある。トイレが充実していてきれいだし、駐車台数もスペースに余裕がある。ここはいい道の駅だ。
 缶チューハイを飲んでしばらくぼんやりし、22時前には就寝。ネカフェも悪くないが、旅のドキュメントをしなくてよいのであれば、車内で寝るのが案外心地よくなってきた。それは道の駅の混雑度やサニタリーの状況などそれぞれの環境によって変わってはくるのだが。

 5月29日の走行距離は145km。

 6時前には起床して、7時過ぎまで道の駅に滞留。朝日が眩しく、今日も晴れの天気だ。
 7時に開く「マクドナルド米子店」に入って、旅の記録書きのノマドワークをする。マフィン、ハッシュポテト、ドリンクMのセット350円で、電源を確保して1時間半ほど作業ができるのは値打ちモノだ。

 この日は境港、安来、松江を見て松江周辺で入浴、宿泊をするという計画でスタートする。
 境港方面へと進み、途中に「米子鬼太郎空港」があったので寄ってみる。広い駐車場に車がずらり。ビル内は少しつくりが複雑で、あまり開放的な印象は受けない。羽田行きは1日3便あるようだ。
 山陰には東から鳥取、米子、出雲、益田の石見と、ローカル空港が多い。

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米子鬼太郎空港

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空港内部。鯨のような不思議な物体には妖怪たちが取り付いている

 境港のメイン観光地となっている「水木しげるロード」へ。
 境港駅から本町アーケードまでの全長約800mの間に、水木しげるの代表作「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクターを中心に日本各地の妖怪たちをモチーフとした銅像など多数のオブジェが設置されているという、ユニークなものだ。
 境港の駅舎は隠岐島行きのフェリーターミナルと合築されていて、港のすぐそばにある。島好きとしてはまずフェリー乗り場をチェックして、停泊していた海保の巡視船「おき」と海峡になっている「境水道」を撮影する。

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巡視船「おき」と「境水道」

 境港の駅前に立った段階ですでに驚愕。ナンダコレハと思うほどに妖怪だらけなのだった。建物の壁には巨大な妖怪壁画があり、たまたま入線してきた境線を走る列車も妖怪の絵柄のラッピングが施されているし、照明灯は目玉親父そのものだし、駅前広場では「世界妖怪会議」なるものが開かれているのだった。

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駅を出ると、執筆中の水木しげるセンセイがお出迎え

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巨大妖怪壁画

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終着駅の境港駅に「ねこ娘列車」が着いた

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街灯も目玉親父風だ

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駅の奥側では「世界妖怪会議」が開かれていた

 駅舎から左手のほうに伸びる「水木しげるロード」もこれでもか状態で、あちこちに妖怪の像が立ち並んでいる。「河童の泉」、「妖怪神社」、大正川の両橋詰の状況、妖怪、ゲゲゲなどが名前に入っている土産店ばかりの商店街、「水木しげる記念館」とその前の「ゲゲゲの妖怪楽園」などを見て歩く。歩道にも小さいのから大きいのまで100体を超す妖怪たちの銅像があるのだった。


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河童の泉

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ねずみ男が握手を求めてきた

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妖怪神社

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商店街もこんなふうになってしまっている。左手は電気工事店なのだが…

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水木しげる記念館

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戻った境港駅には「鬼太郎列車」が入線していた

 この企画、あまりにもすごくて、ここまで徹底してやっちゃうかと唖然とするばかりなのだが、脳裏にちらつくのは「やり過ぎ」という言葉。商店街にはかつては地元民が必要とするものを売る店が並んでいたのだろうが、そのような店は激減し、多くが妖怪という世にも不思議なものを売り物にする土産店ばかりが並ぶようになった。つまりは、この企画によって本来の商店街が破壊しつくされたということにはならないか。
 地元出身の漫画家が描く妖怪の世界観をテーマとした観光名所として広く知られるようになり、外からはいいほうに評価されるかもしれないが、地元民の多くは「変な町になっちまったなあ」と思っているのが正直なところなのではないか。
 1時間半かけてじっくり歩いて、一見の者としてはすごく楽しませてもらった。

 境港市にはユニークな橋が2つある。その一つめは、境水道をまたいで松江市へと抜ける「境水道大橋」だ。全長709m、桁下空高は40mある。橋は眺めるのもいいが、渡ってみてこそ味がわかるというもの。でも写真がないと。ということで、渡ったあとに近くで撮影してみた。
 撮影したところは、島根半島の東の突先にある美保関(みほのせき)へと続く道。せっかく来たのだからそこにも寄ってみようか。
 途中「男女岩」があったので見る。これで「めおといわ」と読むようだが、2つの岩はまさに男と女。2つの岩が注連縄様のものでつながっているのがいい。ちなみに、手前の岩には穴が開いているのだが、それはこの写真には写っていない。(載せられない?!)

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境水道大橋

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男女岩

 20分ほど走って着いた「美保関灯台」。駐車場の展望台からは南側が見渡せて、大山の雄姿が霞んで見える。
 駐車場から遊歩道を5分ほど進んだところにあった灯台は、赤い屋根の建物と真っ白な灯台が空の青とマッチして実に美しい。1898年建設。灯台から日本海側に隠岐の島が見えるはずだが、この日は霞んで見えないのが残念だった。

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白・赤・青。日本の灯台ではないような眺めだ

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美保関灯台

 帰路には、美保関集落にある「美保神社」も見る。鄙にあっても立派な構えの神社で、茅葺の大きな随神門があり、三方がオープンになっている開放的な拝殿がユニークだ。総額12億円の大造営計画があるようで、これまでの境内内の建物の並びとは全く変わってしまうことが窺えた。松江東高校の女子学生たちが美保集落に散開して写生をしていた。

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美保神社では女子高生が絵を描いていた。暑い中ご苦労さん

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三方がオープンになっている開放的な拝殿。東北地方ではこういうつくりは見かけない

 境港市に戻ってきて、もうひとつ、「江島大橋」を見る。境港市と島根の松江市との間にかかる境港臨港道路江島幹線の橋。全長1.7kmで、目を引くのが勾配。島根側は6.1%もあるまっすぐな橋のつくりが空に向かって続く道のように見えないこともない。
 島根側の橋詰から撮ってみたがうまくいかず。諦めて帰ろうと、車の中から撮ったのが2枚目。こっちのほうが多少なりとも臨場感はあるような気がするが、そうでもないか。

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橋の袂から

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運転席から。迫力が伝わっていないかも

 米子に戻り14時となり、ここで遅い昼飯。またもや医者の言葉を思い出し、まいどおおきに食堂系の「ごはんや米子三柳食堂」でマイセレクションを食べる。アジフライ、野菜炒め、里芋のあんかけ、ポテサラで626円。芋系が多かったようだ。

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「ごはんや米子三柳食堂」のマイセレクション

 わざわざ米子に戻ったのは、このあとさらに安来市に戻って、「安来節演芸館」に行くため。ここでは安来節の公演が4回あって楽しめるのだ。
 演芸館には15時着。本日4回目の公演は15時半からということで、しばらくの間安来節を紹介する映像を見て待つ。映像では、安来節の歌い手などが家元形式をとっていて、家元「渡部お糸」は襲名制で現在4代目だという。
 公演にはその4代目が登場して正調安来節を披露する。映像で知ったところによれば4代目はバスガイド出身で、MCはまさにバスガイド時代そのもの。18人の観客1組ごとにどこから来たのかを問うのだが、やはり山形からというのは最遠だった。
 正調安来節のほかに「銭太鼓」、「どじょうすくい」、観客のどじょうすくい体験などもあって楽しめた。

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安来節演芸館

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演芸館の内部。立派です

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4代目家元の渡部お糸当人が安来節を熱唱

 その後ようやくにして松江入りしたのは17時近く。松江城だけは今日のうちに見ておこうかと行ってみたが、城は官庁街にあり、帰宅時のラッシュと重なり渋滞がひどい上に、外周を回ってみてその広さと内容の濃さが感じ取られたため、日を変えて見ることにする。
 それにしても、松江の道路は立派で広々としている。しかし、途中通った「大手門通り」をはじめとして、中都市としてはそれらの一部は必要以上に広すぎるような気がするのだが、どうだろう。

 夕食は、まだ腹がこなれていないが松江市内で食べてしまおう。通りかかった店の「山陰ちゃんぽん」に惹かれて入店。「らーめん茶屋てまり」という店。店の人気ナンバーワンの山陰ちゃんぽんをいくべきだろうが、どばっと汗をかきそうなので自重し、山陰皿うどん800円をチョイス。
 でかい! そして、あんがたっぷりだ。これに自慢のソースと、後半は酢を足し入れて食べ、満腹に。

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「らーめん茶屋てまり」の山陰皿うどん

 風呂に入りに、松江周辺では少ない日帰り入浴施設の中から「多久の湯」を選び20分ほどかけて行くも、なんと木曜日は休み。えーっ。松江市内に戻っても風呂はないので、この際もう少し西のほうに足を延ばして、玉造温泉にある「玉造温泉ゆ~ゆ」に行くことにし、松江は帰路に改めて寄ることにして、往路時のスルーが決定する。
 「ゆ~ゆ」の風呂は5階にあり、広々としてゆったり入れてJAF割引の400円。いい風呂だった。

 今夜の泊地に着いたのは20時過ぎとなり、出雲市の手前にある「道の駅湯の川」。幹線沿いの、広い駐車場を備えた道の駅で、そのわりと奥まった場所に駐車して、今夜の安住の地を得る。
 缶ビールとハイボールを飲んで22時前に就寝。

 5月30日の走行距離は175km。

 6時起床。7時過ぎまで準備とログ付けの一部をして、この日も出雲市内のマクドナルドで朝作業をする。9時までには昨日のログ付けを完了し、ブログの更新もやる。朝の天候は曇りまたは雨、午後から晴れの予報だ。

 出雲に来たからには「出雲大社」にはぜひ寄ってみなければならない。せっかくの出雲詣でなのだが、傘が必要なほど雨が降っている。
 さすがといった感じの堂々とした佇まいに圧倒される。祭神は大国主大神。出雲国の一宮で、現在は宗教法人出雲大社教の宗祠。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。
 現在の宮司は84代国造千家尊祐で、文化財として保存されているエリアの隣に大きな神楽殿(結婚式場)を構えていた。現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりになっているという。約60年に一度本殿の建て替えをしている。
 広々とした「松の参道」を進んでいくと、左手のほうにはここにもという感じで因幡の白兎と大黒様の像があり、右手には「ムスビの御神像」として大国大神が幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)を拝載する場面を像にしたものがあった。
 拝殿の前では、この大社特有の「二拝四拍手一拝」の作法で拝礼。その奥が神聖な本殿なのだろうが、その前部屋では何かの舞いが厳かに音曲とともに舞われていた。
 本殿は外から。ガイドボランティアの話によれば「いちばんよく本殿が見えるところ」から撮影。
 なにせ雨なので傘を差しながらの撮影となり、大変だ。
 雨のせいで気分的にもまあいいやという気になり、一昨年11月にリニューアルオープンしたという「宝物殿」はパス。大社とは別のところにある「島根県立古代出雲歴史博物館」も、出雲大社からの出土品や神殿の模型があるらしいが、ここもパス。次に行こう。

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出雲大社の大鳥居から参道を望む。この旅中の最悪の天候だ

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照度を調節して、改めて大鳥居を撮影

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堂々とした参道。アンジュレーションがある

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松の参道。この先は養生中のため両側の舗装路を歩いてくださいとのこと

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因幡の白兎と大黒様の像。この構図の像を見るのは3体めだ

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ムスビの御神像

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拝殿も堂々。かつて米国のスピードスケーターにエリック・ハイデンという強者がいたのを、なぜか思い出した。大昔の話だ

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本殿入り口となる八足門。後方に本殿の屋根が見える

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本殿西側面。いい感じだ

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「いちばんよく本殿が見えるところ」

 出雲大社を見終えてまだ10時過ぎだが、駐車場近くの出雲蕎麦屋が軒並み開いているので、混み始めないうちに出雲そばを食べてしまおう。
 3件並んでいる店のうちいちばん左の構えのよい「蕎麦処八K本店」(「K」は伏せ字)に入り、3段割子750円を注文してみる。しかし、細打ちでダレ気味の蕎麦で、いつも野太い蕎麦ばかり食べている田舎者にはこれが「緑のたぬき」の蕎麦に似ている気がして、あまりおいしいとは思えないのだった。
 5mmほどの虫がトッピングされていたので食後に女性の店員さんに今後は気をつけてねとそっと伝えたのだが、営業妨害と言われようとこの際はっきりと書いてしまうが、店員はすぐ近くにいた店主に報せたのかどうか。また店主はその様子を見ていたはずなのに内容を知ろうとも詫びようともしなかったのが、この店の構造的かつ最大の問題点だ。別に弁償してほしいなどとは思わない。一言丁重な詫びが欲しかっただけだ。憤懣をぐっと堪えて静かに退店。

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蕎麦屋がずらり

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入った店のディスプレイ

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3段割子750円

 出雲市のほかのスポットも見たい。
 海側のほうに山道を進んで10km近く入ったところにあった「日御碕(ひのみさき)神社」。「出雲国風土記」にも記された古社で。上の宮(神の宮)、下の宮(日沈宮(ひしずみのみや))よりなる社殿は権現造の朱塗りで、なぜこの壮大な社がこの山間にと思わせる。これは行った甲斐ありだった。

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日御碕神社。なぜこのような山中に?

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下の宮(日沈宮)拝殿

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後ろから見た下の宮(日沈宮)拝殿と本殿(右)

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上の宮(神の宮)拝殿(うしろに本殿)

 もうひとつ、こちらは中国山地の山の中の須佐集落にある「須佐神社」。須佐之男命を祀る古社で、例大祭の「念仏踊」が有名なのだそうだ。こちらはぐっと質朴な印象の神社。奥の正殿で女性神主が「かしこみかしこみ……」とやっていて、拝殿の畳上では正座のまま深々と拝礼し、こちらに尻を向けたまま微動もしない人間が一人。汝は何に悩み、何を祈るのか。
 静かな集落に正午を告げるサイレンが鳴り響いた。

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須佐神社

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正殿の屋根が質実剛健さを物語る

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こういう状況。撮影してはいけなかっただろうか

 次は大田市まで移動して、「石見銀山」を見る。
 駅や市役所を見た後、まずは「石見銀山世界遺産センター」に赴いて情報収集。案内窓口の女性に周辺地図を所望すると、地図にマーカーを使って、ここはこう、ここを曲がってと丁寧に説明してくれた。電動自転車もあるが、自転車が入れない遊歩道を徒歩で行くのがいいとのこと。銀山地区は片道45分、町並み地区は片道20分とのことなので、14時にスタートすれば夕刻までには回りきれるだろう。

 世界遺産センターではその中にある資料館でお勉強をしていこう。予備知識を得ておけば銀山見学も充実度が上がるというものだ。
 石見銀山は戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)で、最盛期には日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定され、石見銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされるのだという。
 日本を代表する鉱山遺跡として1969年に国史跡に指定。2007年には世界遺産委員会でユネスコの世界遺産(文化遺産)への登録が決まった。

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大田市駅

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大田市役所

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石見銀山世界遺産センター

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銀を抽出する様子を示したジオラマがあった

 センターから車で「石見銀山公園」まで移動してそこに駐車し、銀山地区に向けて緩い上り坂を歩き始める。見学ポイントは多く、「大久保石見守墓所」「清水寺精錬所跡」「清水寺」「新切間歩(まぶ)」「吉岡出雲の墓」「福神山間歩」「高橋家」「龍源寺間歩」「下河原吹屋跡」など。
 このうちのメインは「龍源寺間歩」で、一般公開されている唯一の坑道跡となっていて、約600mの坑道のうち273mが歩いて通ることができる。1715年に開発された銀の採掘坑道で、壁面や天井にはノミで掘った跡がそのまま残っていたりする。
 ほかは写真で。ここまで1時間半。

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遊歩道の散策が始まる

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こんな感じの歩道が続く。いいでしょう

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大久保石見守墓所

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清水寺精錬所跡。こういうのは佐渡金山にもあった

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清水寺

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吉岡出雲の墓は入り口から見ただけ。この階段を上り下りする気にはなれないのだった

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高橋家は「銀山町寄山組頭遺宅」として島根県指定史跡。普通の家みたいだけどな

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龍源寺間歩の入り口。厳か

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龍源寺間歩の内部。ノミの跡が残る

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たくさんある横穴はいずれも狭い。ここを人間が掘り進んだということか

 続いて大森地区の町並み。これが期待以上の町並みで、江戸時代の武家屋敷や代官所跡、銀山で栄えた豪商の住宅などが並び、それなりにレトロ感が漂うだけでなく、古民家がうまく使われているし、住んでいる人もわりと多く、これまで見てきた旧宿場町のいくつかの町並みの中でも優れているほうだと思う。もちろん伝統的建造物群保存地区指定。
 ごま豆腐の「中田商店」は現役。金森家、宗岡家などそれぞれの由緒を見ながら集落を下る。集落唯一の菓子店「有馬光栄堂」では素朴なあられと大豆の入った飴、茶などのふるまいを受ける。旧大森区裁判所だった「町並み交流センター」、町最大の商家だった「熊谷家住宅」、旧大森代官所跡の「石見銀山資料館」なども見て歩く。この界隈に約45分を費やす。

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ごま豆腐製造販売店は現役

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町並みへと進んでいく。花がきれいだ

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道幅は昔のまま。道の湾曲がいいんじゃない

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ほう!

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旧大森区裁判所

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昭和だなあ。自販機のない時代のタバコ屋はこんなだった

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重文熊谷家住宅ではカフェもやっている

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石見銀山資料館(代官所跡)は外塀と甍の波が見事

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資料館の建物自体は年季が入っている

 終了16時15分。2時間以上歩いていたことになり、スマホの万歩計はここだけで1万4千歩を指していた。
 ああ、汗かいたなあ。今日はこの程度で勘弁してやろうか。そして風呂に入りたいな。

 17時、この日の入浴は大田市から少し進んで温泉津(ゆのつ)温泉で。少し鄙びたいい風情が漂う温泉街で、そこにある古い銭湯のような「薬師湯」に入る。金気のにおいがある温泉でいい感じ。しかし、石鹸類が置かれていないので、湯に入って水道水で流すことしかできず、石見銀山でかいた汗は流せたが風呂上がりのさっぱり感は薄い。まあ、風呂に入れるだけで十分幸せなのだが。

 さらに浜田市まで走ってきて、ガソリン補給の際にタイヤの空気圧を見てもらう。実は走っていてどうもしっくりこないので前回給油時にもチェックしてもらったところ、左後輪の空気が抜けているとのことだったのだ。
 そして今回も同じタイヤの圧が下がっている。はずして調べてもらうと、釘が刺さっていてそこからわずかに空気が漏れているのだった。
 これならなおせますと言うので、それではと3千円近くかけて釘を抜きそこに凝固剤を注入して、今後の憂いを解消した。スタンドの店員さん、どうもありがとう。浜田は全体としてぱっとしない印象だったけれども、あなたの親切はそれを覆すに足ります。

 その浜田ではここらで夕飯をとあちこち探すが、店自体が少ない。しばらくウロウロしたがパッとしないので、コンビニで我慢するかとさらに進む。と、道沿いに「すき家9号浜田店」を発見。時間も20時を回っていることだし、ここでやむを得ないかと入店する。
 「おろしポン酢牛丼」のサラダセット630円。さすが全国展開するだけあって、低価格でそれなりのものを食べさせてくれる。ここで紹介するほどのこともなかろうが、画像も載せておくことにしよう。

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「すき家9号浜田店」のおろしポン酢牛丼

 21時、「道の駅ゆうひパーク三隅」着。大きくない道の駅で、駐車台数もそれなりだが、大型トラックも数台停泊していた。
 夜になってから肌寒く感じ、この旅で初めて、長袖のジャケットを羽織って眠る。
 22時過ぎ就寝。

 5月31日の走行距離は201km。

 6月に突入。5月12日にこの旅を始めたときは5月中には終えられるのではないかと思っていたが、まだまだ旅の途中だ。もう少し先まで行き、そろそろ帰路を考えようかと思っている。内科の服薬の残量があと3日分となってしまったが、まあいいんじゃない。

 停泊した道の駅から30分ほどかけて益田市のマクドナルドにたどり着き、7時過ぎからノマドワークをする。つくづく7時から開くマックはありがたい社会インフラだ。モーニングのセットは330円から食べられるし、なんならドリンクだけでも粘れる。
 店内のクーラーがきついことを悟ったので、ジャケットを持参。6月から店内BGMが変わったようだ。
 これから萩、長門方面へと向かう。

 萩市内に入る前に、「須佐ホルンフェルス」を見る。北長門海岸国定公園に聳えるストライプの断層で、割ると角ばった破面で割れることから角石(つのいし)の意味としてホルンフェルスと呼ばれているところ。
 幹線からだいぶそれた上に駐車場から歩くと結構距離がありそう。途中まで歩いて下りてみたが、このあたりからでも景色は十分と判断して、畳が千枚ひけるといわれるほど広いという場所まではいかずに終わった。そこでは何人かが磯釣りに興じていた。

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須佐ホルンフェルス

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視界を左手にめぐらせばこんな感じ

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ホルンフェルスへと続く道の途中にあった斜面の田。こういうのも北陸海岸沿いの典型的な風景だ

 萩市内に入って、「萩反射炉」。大砲を鋳造するための金属溶解炉の煙突部分が残っていて、これは1858年に築かれたもの。
 続いて「恵美須ケ鼻造船所跡」。萩藩は洋式造船技術と運転技術習得のため、伊豆に船大工の尾崎小右衛門を派遣し、萩市恵美須ヶ鼻に軍艦製造所を建設することを決定。現在も当時の防波堤が残っていて、その脇の土地はまだ復元作業中だった。

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萩反射炉

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恵美須ケ鼻造船所跡。当時の防波堤(左)が残っている

 昼食のため「道の駅萩しーまーと」へ。萩漁港に隣接し、鮮魚や水産加工品、地元産野菜・果物などのショッピングが楽しめる。オープンカフェのあるベーカリーや地酒・菓子が揃ったみやげ物店もある。去年、山形県北部にも新たな道の駅を設置しようとフォーラムを開催し、この道の駅の支配人から講演をしていただいたことを思い出した。
 2~3店の海鮮レストランが入っていて、このうち「浜料理がんがん」に入ってがんがん名物だという海鮮丼1,404円を食べる。すぐ後ろが漁協の市場という立地なのに、海鮮丼はウニやイクラが入っているとはいえ少量で、イカや蒸しエビなど残念ながら平凡なものも。まあ安いものを頼んだのがいけないのだろうけれど。
 量的にも物足りないので、漁協直営の売店から「萩港産瀬付アジのすし」5貫入り440円を追加して食べる。こっちのほうが自分には合っている。

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「道の駅萩しーまーと」の「がんがん」名物の海鮮丼

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萩港産瀬付アジのすし