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 本陣を見て山手に進み、馬籠宿へと続く中山道十曲峠へ。石で山道を舗装した石畳があり、登りつめると島崎藤村筆の「是よ里(り)北 木曽路の碑」や芭蕉の句碑「送られつ 送りつ果(はて)は 木曽の穐(あき)」があった。藤村の出生地は馬籠宿なのだ。その向かいには「新茶屋」があり、「新茶屋の一里塚」もあった。

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中山道十曲峠へと向かう道すがらで

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「是より北 木曽路の碑」

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今も民宿を営む「新茶屋」

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「新茶屋の一里塚」

 「馬籠宿」。中山道・木曽11宿のうち一番南に位置している。坂に沿って趣のある建物がズラリと並ぶ。写真映えする景色が多く、見て回るだけでも楽しい。
 でも何か整い過ぎているような印象。連休で天候にも恵まれてか客数がすごく、都会の繁華街に身を置いているようでどうも落ち着かないし本当ではない。日本人の次に多い観光客は欧米系の白人。話し方、数人程度のグループ行動の仕方などの様子が落ち着いている。アジア系の大声ポーズ写真組もいるが数が少なく、それほど目障りでないのがいい。

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岐阜寄りの南側からアプローチして、馬籠宿1

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馬籠宿2

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馬籠宿3 南から北へと上るきが順光だ

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馬籠宿4 藤村記念館

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馬籠宿5 高札場跡

 長野県に入って、「大妻籠」を見ようと思ったが、旧街道の狭い道には歩いて各宿を見てまわるハイカーが多く、そこを車で走るのは気が引けたので、スルーして次の「妻籠宿」へ。最も遠い第3駐車場に停めてしまい、けっこう歩く。

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第3駐車場から妻籠宿へ。車両進入禁止の標識をかなり先へと進む

 「妻籠宿」は、中山道六十九次のうち江戸から数えて42番目。中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として古くから賑わったという。
 妻籠宿は初めて集落単位で町並み保存に取り組んだところで、街道沿いに江戸時代の家並みを見事に保存、総面積も日本一となっている。明治に鉄道や道路が新たにつくられ、宿場としての機能を失った妻籠宿は衰退の一途をたどったが、昭和の経済成長の中、江戸時代の宿場の姿を色濃く残している町並みが見直され、ここに全国に先駆けて保存運動が起こった。妻籠の人たちは町並みを守るために家や土地を「売らない・貸さない・壊さない」という3原則をつくり、ここで生活しながら、貴重な財産を後世に伝えているのだそうだ。

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馬籠宿ほど派手さがないのは、妻籠宿が最も早く町並み保存に取り組んだところだからだろう

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このような鄙びた感じがまたいい。向こうには御嶽山がドン

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なんだ、このディスプレイは?!

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妻籠宿の町並み

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妻籠宿の町並み

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妻籠宿 高札場跡

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北から南側を撮ってみた

 実はここには、中学生時代だから50年近く前に一度家族旅行で訪れている。うっすらとした記憶だが、当時は観光バス単位でやってきた団体客が街道筋の旅籠に泊まっていたように思う。しかし今はその時よりも家族客などの小口化が進み、日帰り客が増えて、旅籠としての商売が難しくなっているように感じた。
 当時は、この妻籠宿が町並み保存の旗手として賑わっていて、今ではその上をいくほどにきれいになった馬籠宿はまだまだこれからだったように記憶している。

 妻籠から、ナビが41km、55分かかると告げている飯田の「名勝天龍峡」へと一山超えていく。
 天竜奥三河国定公園、国の名勝指定地。天竜川沿いには1周約2km、所要時間1時間の遊歩道があってゆったり散策を楽しめるというので来てみたところ。イラストマップを手に駐車場から反時計回りに勇んで進んでいくと、なんと「つつじ橋」という吊橋が工事中で渡れなくなっている。ということは一周するのは無理で、行った分だけ戻ってこなければならない。それじゃダメでしょう。
 ……と独り言ちつつ残念がるが、1時間の歩き作業がなくなってホッとする面もあるのが正直なところだ。やめるには理由が必要だからね。
 やむなく時計回りに針路を変え短めの経路にして、「飯田娘の歌碑」、「姑射(こや)橋」などを見て戻る。

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天竜峡遊歩道入口

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途中の「つつじ橋」、通り抜けできません

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「飯田娘の歌碑」

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「姑射橋」の上から渓谷を撮ってみる

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渓谷を歩くよりも、姑射橋付近からの景色のほうがよかった

 ここからまた43km、65分かけて駒ケ根へ。
 駒ヶ根では入場無料の「養命酒製造(株)駒ヶ根工場」や、参道の杉並木の古木が神秘的だという「光前寺」、旧赤穂村役場として竣工された近世コロニアル様式の「駒ヶ根市郷土館」を見ようと思ったが、歩き疲れたし17時近いので省略し、昼食を食べていないのでまっすぐ「駒ヶ根ソースかつ丼」を食べにいく。
 どんぶりに盛りつけたご飯の上にたっぷりの千切りキャベツを載せ、サクッと揚がったロースカツを特製のソースにくぐらせたあと、その上にトッピング。北陸名物のソースかつ丼と近い味わいが特徴だという。
 いくつかの名店の中から「明治亭駒ヶ根本店」をセレクトして、国産ロースソースかつ丼のライス大盛り1,555円を。大盛りはさすがに多いが、特製ソースがキャベツやライスによく合ってとてもおいしく、勢いで全部イケル。このソースが決め手なのだろうと思い、お土産として購入する。
 行列に並んだため滞在時間は50分ほどとなったが、途中で見かけた「ガロ」や「いな垣」といったソースかつ丼の店はいずれも行列ができていた。

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「明治亭駒ヶ根本店」の国産ロースソースかつ丼

 風呂は、ソースかつ丼を食べた「明治亭」の近く、駒ケ根の山手にある「こまくさの湯」にて。
 シルバーウィーク3連休の中日とあって大盛況で、風呂もさることながら食堂、駐車場は大混雑。いろいろの風呂があったが、大風呂が40.8度としっかりと熱くなっていて、これがいちばんよかった。

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駒ケ根「こまくさの湯」

 駒ケ根からしばらく走って南箕輪村に達し、ファミマでオレンジ味の缶チューハイを仕入れて、「道の駅大芝高原」に20時着。
 高原なので外気温は20度とまったくしのぎやすい。振り返ればこの日は街道宿や渓谷などを歩きっぱなしだった。くたびれたけれども、足へのダメージはそれほどではないようだ。

 21時半には就寝。
 9月15日の走行距離は197km。

 2019年9月16日(月)。
 6時起床。この夜初めて毛布を使ったのは正解で、暑くもなく心地よく眠れた。敬老の日で世は3連休の最後の日となる。やはり連休中はどこも混んでいる印象だ。
 2日に1回髭を剃ることをノルマとしているが、使い捨てカミソリが切れてしまい、髭が剃れない。茶と牛乳を飲んで6時半出発。

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高原の爽やかな気候だった「道の駅大芝高原」

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駐車場にあった大きな木が印象的だった

 伊那の「ローメン」を食べてみたいところだがタイミングが合わずスルーし、塩尻へと進んで「奈良井宿」へ。
 塩尻市域には、江戸側から塩尻・洗馬・本山・贄川・奈良井の5宿があり、奈良井宿は「奈良井千軒」とも呼ばれ、かつて中山道における木曽路一番の賑わいをみせた宿場町だという。広い土間や千本格子の美しい町並みは延長約1kmに及ぶ。そば屋、茶房、酒屋、土産屋、民宿などと住居が混在していて、そこで生活する人の息づかいすら感じる。
 「道の駅奈良井木曽の大橋」の手前には「奈良井木曽の大橋」があり、その橋を渡って奈良井宿へとアプローチ。まだ7時台なのでどの店、どの家も静かなもの。宿の下のほうからゆるゆるとした歩調で街並みを見ながら歩いていく。ひととおり歩いて往復するが、片道1kmって長いよな。まあ、朝の散歩としてはなかなかいい。気温は18度でそよ風もあり、歩いても汗をかかない。

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「奈良井木曽の大橋」

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奈良井宿。おお立派。そして長い

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宿の途中にはこんな井戸も現役で残っている

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「越後屋」という食事処なのだが、「ぬりもの」の看板も

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いい屋並みだ

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ほとんどの家には居住者がいるのだった

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道の曲がり具合もステキだ

 塩尻市街まで来て8時過ぎ、「マクドナルド19号塩尻店」で朝食。
 ソーセージマフィンのバリューセットを食べるのはこの4月からの旅で何度目になるのだろうか。おそらく30回近くはいっているだろう。

 せっかくここまで来たのなら諏訪湖を見てみたいと思い、岡谷市の「岡谷湖畔公園」へ。
 天候もよいしいい眺め。諏訪湖らしい風景というわけではないが、湖畔まで来たぞと。広場では近く行われる何かのイベント部隊の設営が地区住民によって行われており、その隣りでは多くの地元民がマレットゴルフというものに打ち興じていた。

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「岡谷湖畔公園」

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諏訪湖畔にて

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マレットゴルフに興じる人々がいた

 ここからは諏訪大社めぐりを4か所。
 「諏訪大社」には上社と下社があり、上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮の2社4宮ががある。これらが諏訪市(本宮)、茅野市(前宮)下諏訪町(春宮・秋宮)に鎮座している。全国に1万余の御分社を持つ諏訪神社の総本社で、日本最古の神社の一つとも言われている。
 安産や武の神としても有名だが、何といっても御柱祭が有名。7年目ごとの申と寅の年に行われる奇祭で、急坂から巨木を滑り落とす「木落とし」が見ものとなっている。見た順に次のとおり。

 下諏訪町の「諏訪大社下社春宮」。立派なのだ。拝殿の左右には御柱が屹立している。それは秋宮や上社本宮も同じ。

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諏訪大社下社春宮の大鳥居

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諏訪大社下社春宮の拝殿前にあった神楽殿

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諏訪大社下社春宮の拝殿。右に御柱が写っている

 春宮の近くにあった「おんばしら館よいさ」。7年に一度の開催される御柱祭の雰囲気を楽しめる。10分ほどの映像で祭の迫力を味わえるが、それ以外の展示物ははっきり言ってしょぼく、300円は質の面での他館比で高いと思う。

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「おんばしら館よいさ」

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「おんばしら館よいさ」内にあった展示物

 同じ下諏訪町の「諏訪大社下社秋宮」。春宮から2kmほど離れたところにある。社のつくりは春宮と大きく変わるところがないように思え、もしかしたら設計図面は同じものかもしれない。

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諏訪大社下社秋宮

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諏訪大社下社秋宮拝殿。春宮とは瓜二つだ

 諏訪市に移動して「諏訪大社上社本宮」。門前が一番にぎやかなのはここ。鳥居の前に立ったところでスピーカーから正午を示すエーデルワイスが流れる。

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諏訪大社上社本宮の大鳥居

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諏訪大社上社本宮の本殿

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参拝者は手前のココで神様を拝む

 茅野の「諏訪大社・上社前宮」。行政区域は異なるけれども上宮本宮とはそれほど離れていない。諏訪信仰発生の地と伝えられ、つまり「前」は「古くから」の意か。4つのうちここだけは古色が強く、寺社仏閣としてはそれほどでもない。上社最大の神事御頭祭はこの前宮の十間廊に御神輿を安置して行なわれるのだそうだ。4つの中ではここでいちばん歩かされた。

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諏訪大社上社前宮

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諏訪大社上社前宮はぐっと簡素だ

 諏訪地方から蓼科山の向こう側となる佐久地域へと進む。
 国道299号のメルヘン街道、同152号の大門街道、さらには県道40号の諏訪白樺湖小海線を通って、1時間40分ほどをかけて約65kmを走破し、14時に佐久に到着。

 佐久ではまずは腹ごしらえ。佐久で食べるなら「安養寺ラーメン」だ。地元特産品で信州味噌のルーツと言われる「安養寺味噌」をスープのベースに使ったラーメンで、サッパリしつつも濃厚な味わいが特徴らしい。
 「麺処八峰」という店をチョイスして、安養寺ラーメン950円を。発酵した味噌の味と香りがよく、ごぼうとマイタケの天ぷらが入っている。ほかには炒め野菜。チャーシューがとてもおいしかった。メンマは入らず。

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「麺処八峰」の安養寺ラーメン

 そのラーメン屋のほど近くにあった「ぴんころ地蔵」にも寄ってみる。
 薬師寺という寺の山門前に建立されている。長寿地蔵として全国的に知られ、健康長寿祈願に訪れる拝観客を癒しの表情で和ませるという。「健康で長生きし(ぴんぴん)寝込まず楽に大往生する(ころ)」という意で「ぴんころ」と称される。佐久はだいぶ前からぴんぴんころりを謳って町おこしをしている土地柄だ。門前には毎月第2土曜に山門市が開かれる通りがあった。

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ぴんころ地蔵

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薬師寺の門前には山門市が開かれる通りがあった

 「旧中込学校」も見る。
 1875年に建築された現存する最も古い洋風建築の学校。当時としては珍しいステンドグラスをはめ込んでいることから「ギヤマン学校」、また太鼓で時を告げていたことなどから「太鼓楼」などと呼ばれているという。

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「旧中込学校」

 次いで「龍岡城五稜郭」。
 五稜郭建築の城跡は、日本国内に函館と佐久市の2か所にしかない。というのであれば、函館を見てきたばかりなのでこちらも押さえておこうと。1867年築城で、その形から「桔梗城」とも呼ばれる。大手門前には「佐久市歴史の里五稜郭であいの館」があり、資料の展示を行っていた。

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龍岡城五稜郭の外堀1

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龍岡城五稜郭の外堀2

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「佐久市歴史の里五稜郭であいの館」の前庭にはハナミズキ

 ここからまた長躯して群馬県へ。1時間40分ほど走って、今夕の入浴場所へと向かう。
 その途中、「道の駅みょうぎ」から妙義山を眺める。あちこちギザギザが目立つ標高1,104mの山で、日本三奇勝の一つなのだとか。たしかにこれは絶景だ。

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妙義山が間近に見えた

 入浴は「妙義ふれあいプラザもみじの湯」にて。
 月曜が休館日なのでもしかしたらダメかもなぁと思いつつ向かったが、読みどおりこの日は祭日なので営業していた。妙義山のすぐ近くにあるので、露天風呂からの眺望は白眉だ。しかし湯は汚れていて、日光の手前云うてイマイチ。(古いギャグ) シャワーで冷水をたっぷり浴びてクールダウンして、滞在時間45分ほどのショートステイで17時半には発つ。

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入浴は「妙義ふれあいプラザもみじの湯」にて

 ステイ先となる「道の駅しもにだ」には18時15分着。
 駐車場が広い。着いた時間も早めだし、この夜は今回の旅の最後の夜となるかもしれないので、缶チューハイを350ml×2本に増量してゆっくり酔いを楽しむ。開けた窓から爽やかな風が入ってくるのが気持ちいい。つまみはサラダ、〆は最近ハマっているコンビニのナポリタンだ。

 早めに出来上がってしまい、21時を期して寝る準備を始め、横になり耳栓を着けるとたちまち眠りへ。
 9月16日の走行距離は225km。

 2019年9月17日(火)。
 5時40分起床。リアウィンドウ側が真東を向いていたようで、そこから射し込む朝焼けで目が覚める。湿気の少ないいい風が吹いており、この空気感はすっかり秋だ。
 ここの道の駅のトイレは修復中で使えず、便器と洗面台が仮設になっている。トイレは物を置く場所すらない狭さで、洗面台には鏡がない。昨日のうちに100円ショップで使い捨てカミソリを手に入れていたが、これでは今朝も髭を剃れない。

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朝の「道の駅しもにだ」

 6時15分、早々に出発。この日はまず「富岡製糸場」を見に行き、あとは安中あたりをウロウロし、新潟県の南魚沼、福島県の只見を経由して山形まで戻ろうと思う。

 「富岡製糸場」の入館受付は9時から。それまで6時からやっている「マクドナルド富岡バイパス店」で朝食とログ付け作業をする。8時前には作業を終えてしまい時間が余る。

 富岡商店街の市営駐車場に停めて、「富岡製糸場」へは徒歩でアプローチ。9時の開館と同時にほぼ一番乗りで入館する。JAF会員カードを車内に置いてきてしまい、100円の割引を受けられないのがもったいなかった。
 「富岡製糸場」は1872年、わが国初の官営模範製糸工場として、明治政府の依頼でフランス人のブリュナが指導し建てられたもの。木骨と赤レンガ造りの建造物群は現在もほとんど当時のままの姿で保存されていて、日本の近代産業発祥の地として貴重なものだ。また工場敷地内には、ブリュナが居館として使ったといわれる「ブリュナ館」もある。
 はじめに「東置繭所」で20分の映像を見て予習してから繰糸所、ブリュナ館(首長館)、寄宿舎、診療所、女工館、検査人館、社宅群、西置繭所などを見る。建物内には一部を除いて入れず、外観を見るのが主となる。工事中のところも多い。
 きっちり1時間ほど見たが、この製糸場が世界に冠たる日本の製糸業をリードしてきたことはしっかり謳っているが、そのもとで苦労を強いられてきた女工の悲哀については一言も触れられていないのは残念なことだと思う。

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朝9時、開館する「富岡製糸場」

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富岡製糸場のエントランス

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東置繭所の内部

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東置繭所

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繰糸所の内部

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ブリュナ館(首長館)

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寄宿舎

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女工館

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検査人館

 ここからはほぼ帰り道に寄った道草の見学場所となる。
 安中市の「新島襄旧宅」。北海道の旅でも函館で「新島襄海外渡航の地碑」を見てきたので、彼と安中の関係を知ろうと。
 安中は新島襄の故郷。廃藩置県が実施された際に江戸屋敷から引き上げる藩士を収容するため急造された屋敷で、新島家も江戸から引き上げてここに住んだという。国禁を犯して渡米していた新島襄が10年ぶりに帰朝し、近くにキリスト教会を創立してキリスト教の伝道を行った。その旧宅を移築したのだという。あいにく祭日明けの休館日で、無人の庭をうろついていたら防犯カメラがピーピーと作動するのだった。

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「新島襄旧宅」

 おなじ安中の「日本キリスト教団安中教会」。
 1920年に、新島襄の召天30周年を記念して建てられたもので、大谷石造りの見事な建築だ。正式名称「新島襄記念会堂」という礼拝堂では講演会が行われているようだが、幼稚園が併設されていて部外者は一切立ち入れないようになっていて写真すら撮れない。生垣の外から腕を高く伸ばしてやっと撮れる程度。
 登録文化財なのだからもう少し一般の見学に門戸を広げてもよさそうなものだが、見学は3週間前までに予約しなければいけないシステムを取っているという。閉鎖的に過ぎてはいまいか。

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「日本キリスト教団安中教会」。柵の外から見えるところはこの程度

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垣根越しに腕を目一杯上げて撮ってもこの程度。開放しなよ、文化財なのだから

 安中から沼田方面へと向かうが、その途中で最大の渋滞にはまってしまう。昼前の時間帯に数百メートルを20分ほどかけて通過。工事が輻輳しているからそうなる。

 その沼田では、「旧沼田貯蓄銀行」にチョイ寄り。
 小ぶりの建物で見逃しそうなぐらいだが、1908年頃に建てられた市内に1棟だけ残る擬洋風建造物なのだそうだ。立ち寄った時には外壁の塗料を塗り直しているところだった。大切に保存されているのだろう。

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「旧沼田貯蓄銀行」。小さくてもしっかり管理

 13時となり沼田で食事処を探すが、駐車場が狭くて入れなかったり、あまりに古くて入店を躊躇するところだったりと決め手に欠けたのでやめ、新潟へと進む。
 南魚沼市まで1時間50分かかるとナビが告げる。ぐえっ、そんなに?! 今日中に山形まで帰れるのかな。

 走り出し、徐々に人里から離れて峠道へと進んで行くが、このあたりで何か腹に入れておかないとこの先期待できないと考え13時半過ぎ、通りすがりの「上州うまいもの処すえひろ」というドライブイン的な店に飛び込みで入る。
 カツカレー823円。う~ん、しょぼいかなぁ・・・。カレーは自家調理のようだが冷凍保存温めなおしでこれといった長所はない。カツはそれなりにおいしいが、ごはんは薄盛りで、飛び込みはリスクが伴うという好例かもしれない。

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「上州うまいもの処すえひろ」のカツカレー

 南魚沼では「三国街道塩沢宿 牧之通り」を見る。
 南魚沼の塩沢地区はかつて三国街道の宿場町として雪国の歴史と文化を育んだところ。その雪国の歴史と伝統だった雁木のある風格ある佇まいの町並みを再現しているのだった。再現ではあるが、雁木がずらりと並ぶさまは壮観だ。

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「三国街道塩沢宿 牧之通り」

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ちょっと出来過ぎかも

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雁木がずらりと並ぶさまは壮観だった

 浦佐駅では「田中角栄立像」を見る。
 台座が高くて顔が高いところにあるのであの独特の風貌はよく見えないが、郷土の人々1万2千人の寄付をもとにつくられたといい、評価は分かれる立志伝中の人物だが地元民からは深く愛されていたことがよくわかる。

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「田中角栄立像」

 浦佐を16時過ぎに出発。ここから有料道路を使わずノンストップで走っても到着まで5時間半ほどかかりそうだ。うひゃあ、ノンストップでも着くのは21時半かぁ。
 どこかでもう1泊してもいいのだけれど、もう頭の中では氷の入った冷たいチューハイを椅子に座ってグラスで飲んでいる自分を想像してしまっている。今日中に帰れるのなら帰ってしまおう。
 ルートは国道17号を途中から252号に入って田子倉ダム沿いのくねくね道を走り、会津若松、喜多方を経由して121号大峠道路で山形へと入る。なんとか暗くなる前に只見の山道を下り終えて会津若松まではたどり着きたい。

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「会越の窓開く 六十里越峠開道記念碑」。1973年9月、田中角栄の揮毫だった

 南魚沼から3時間15分ぶっとおしで運転し、喜多方へと入って、ここで夕食を食べていこう。時間はあまりかけたくない。
 「喜多方ラーメン来夢喜多方本店」に入って正油ラーメンの大盛り、540+100+税=691円。手もみ縮れの太麺はもっちりとして食べ応えがあり、こういう底力のあるのが東北地方のラーメンなのだよなと溜飲が下がる思いだ。刻んだ白ネギは単なる彩りにとどまらずしっかりねぎの味が伝わってくる。喜多方特有のとろりとしたチャーシューもうまい。
 食べ終えて20時。さあ、もうひとっ走りだ。

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「喜多方ラーメン来夢喜多方本店」の正油ラーメン

 山形に入ってしまえばもう勝手知ったる道。すんなり走って21時半には無事帰宅と相成った。
 9月17日の走行距離は410kmと、一般道をよく走った。
 旅中の総走行距離は、3,656kmだった。

 タイヤを交換して出発した旅だったので、新タイヤでの走行安定性が実感できたし、途中オイル交換もしたのでエンジンにも心配をしなくて済んだことはよかった。
 紀伊半島の海岸沿いを潮風を浴びながらがんばって走ってくれたので、今日安中で給油ついでに洗車もやった。

 洗濯物や身の回り品を家に運び入れて、寝具などの搬入は明日やることにする。
 太陽が沈めば静かに暗くなっていく日々を過ごしてきたわけだが、自室に入って灯りを点けると夜なのにすごく明るい。これが文化的生活というものだろうか。思わず久々にテレビを点けて、録画番組を見入る。ゆっくりテレビを見ることなどなかったからなあ。

 帰宅した9月17日の夜は、その後家飲みをして、氷が入ってキンキンに冷たい缶チューハイを飲みました。この冷たい至福をなんとか車旅の最中でも味わえないものでしょうか。
 つい寛いでしまって、消灯したのは25時半となってしまいました。

 今回の旅は、前半は残暑と大雨のために必要以上に体力を消耗してしまい、計画していた古道歩きをはじめとしたいくつかのポイントを省略することになってしまいました。
 いや、省略の理由はそれもありますが、そもそも見ようと思った個所が多過ぎて、出発前からリストアップした個所を全部まわるのはこの期間内には無理だろうと思っていたのでした。
 そこまで行ったのならばついでにこれも見たいと、あれもこれも入れてしまったのがよくなかったようです。
 したがって今後は、ぜひ見たい施設とそれほどでもないものをある程度分けて事前準備をしようと思っています。

 また、車旅をしていて思うのは、車旅というスタイルを維持しながら都市部をじっくりと見るのはなかなか難しいのだなということです。
 札幌、名古屋、浜松などの都会を見ようとすると、車で動けばまずは見学の都度車の置き場を考えなければならないし、いらぬ渋滞に巻き込まれることもあります。さらには、道の駅のような滞在施設は都市部にはない場合が多く、そうなるとネットカフェや24時間入浴施設などの有料施設に泊まらざるを得なくなります。
 つまり、大きな都市で市内観光をする際には車はむしろ邪魔になるので、たとえば札幌や名古屋であれば、その都市だけを見るために飛行機で行ってピンポイントで攻めるほうが効率的だし、そこまでしなくともよい甲府や浜松などであれば、はじめから中心部の駐車場に車を入れてそこから効率的に見学できる順序を前もってしっかりと組み立てておくことが大事だと思いました。

 それと、いつ頃まで帰ろうと期限を切ってスタートすると、やはりどうしても時間に追われてしまうことがよくわかりました。これからはうしろを決めずに進むことを意識し、どうしても期限を付けなければならないのであれば、自分のペースで行けるところまで行って、途中で切り上げるという決断も必要だと思います。それでいいのです。改めてまた行けばいいのだから。

 まだ見たことのない日本を見る旅はこれからも続きます。あまり寒くならないうちに、九州を攻めたいと思っています。そのときは、今回の旅の反省も踏まえて、あまり寄り道をせずにほぼまっすぐに九州に入り、メインを見終えた後でなお余裕があるのであれば、山陽や四国地方、そして今回見落としてきた近畿地方のいくつかの個所に寄り道をして帰りたいと思っています。
 そうは言っても、四国や山陽は別途改めて臨むことにしたほうがいいのだろうな。

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2019年9月16日、「岡谷湖畔公園」にて。もう雲が、秋だ