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 2019年10月24日(木)。
 5時半起床。この施設のオーバーナイトの利用者は自分を含めて2人だけだったようだ。昨夜は食後、飲み足りないので缶ビールを飲んだりしたので、アマンディの総経費は6,465円となった。夕食の負担感があることを除けば静かで寛げるところだった。
 チェックアウト後、狭い車内でごそごそと衣替えと五島泊の準備をする。小さいリュックに荷物を詰め込んだものと、モバイルパソコンの手提げを持って行くことにしよう。6時40分発。

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稲佐山温泉ホテルアマンディ

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この施設はこんなに眺めのいいところに建っていたのだった

 7時、「マクドナルド499浪の平店」が開くのを待って入店し、ログ付け作業をする。順調に進んで9時には退店。
 この日はまず長崎市の南側の有名どころを見てまわり、昼過ぎのフェリーで福江島に渡る。

 松ヶ江町の公営駐車場に車を入れると、目の前の坂の上に「大浦天主堂」が見えた。
 カトリックの教会堂で、江戸時代幕末の1865年建立された、日本に現存するキリスト教建築物としては最古のものだそうだ。日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、彼らの殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。
 平和公園とは違ってこちらはチャイナ系が席巻している。ぐゎーぐゎーという中国語特有のイントネーションの大声があちこちから聞こえてくるので、こちらはさながらガチョウの群れの中を歩いているようだ。差別的発言? そうではなく、思ったままの印象なので誤解のないように。こっちだって聖人君子ではないのだから、他国に来て遠慮のない者には遠慮なく言おうではないか。
 わが郷土も遅ればせながらインバウンド観光による地域活性化を目指しているが、こんな連中から我が物顔で町を歩かれることを想像すると、なんだかたまったものではない。インバウンドによる活性化を目指すならぜひとも欧米系をターゲットとすべきだと強く思う。

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「グラバー通り」を歩いて「大浦天主堂」へ。ぐゎーぐゎー

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大浦天主堂

 そのすぐ近くの「グラバー園」。
 1859年の長崎開港後に長崎に来住したイギリス人商人グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった敷地に、長崎市内に残っていた歴史的建造物を移築して野外博物館のようになっている。合わせて9つの洋館建築を見ることができる。
 ここのメインは「旧グラバー住宅」なのだが、現在屋根などの修復中で見ることができなくなっていた。画家だったわが祖父は数十年前、長崎にスケッチ旅行に出て、戻ってからアトリエでこの建物をモチーフにした絵を描いていた。冬の風景が得意で、建物や街並みなどはあまり描かない人だったが、描かれていた邸宅の風情が不思議と強く印象に残っている。その建物を初めて見に行ったというのに、ちょうど工事中とは間が悪い。つまりは改めてもう一度見にやって来いと、神様や逝った祖父が言っているのだと解釈しよう。
 エスカレーターで園内の最も高いところまで進み、そこから坂道を下りてきながら建物を眺めていく。旧三菱第2ドックハウス、旧長崎地方裁判所長官舎、旧ウォーカー住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅、旧スチイル記念学校、そして最後には工事中の覆いを被った旧グラバー住宅を見て戻る。
 園内からは港に停泊していた大きなクルーズ船が見えた。この1隻だけで何千人という旅行客が長崎に入ってくるわけだ。

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旧三菱第2ドックハウス

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旧長崎地方裁判所長官舎

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旧リンガー住宅。ちゃんぽんチェーンの名称の由来となった人の家

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旧オルト住宅。こういう住宅であれば住んでみたい

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旧スチイル記念学校

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工事中の覆いを被った旧グラバー住宅。こういう状態の写真も後には貴重になるだろう

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大きなビルのようなクルーズ船が停泊していた



   ボーダー新書 1,200円+税
   2018年10月25日 第1刷発行

「沖縄には変わった表現がたくさんある。時計が歩いたり、三線が歩いたり、人が海を歩いたり、クーラーが逃げたり……。どうして「しまくとぅば(沖縄の言葉)」ではこのような表現になるのだろうか。言語学者である著者が体験した沖縄の言葉へのとまどいと、沖縄社会における言葉の変化を読みやすいコラムで論じた、これまでにない視点から浮かび上がる琉球語の世界。」(背表紙から)――という本で、待ってましたという感じです。

 著者の石崎博志氏は、1970年石川県金沢市生まれの博士(文化交渉学)で、沖縄で20年間過ごしたのち現在京都市在住。著書に「しまくとぅばの課外授業」(ボーダーインク)などがあり、2016年には琉球古典芸能コンクール歌三線部門で最高賞を受賞(安冨祖流)している方です。

 目次からいくつか拾ってみると、「だはず」考、「わじわじ、そーそー、ちーちーかーかー」、「いただいてください」を否定すること、「殺すぞ」と「死なす」、「おはよう」と返してくれない人、彼と彼女はアレから来ている、「でーじ」の衰退が意味すること、「ひざまずき」と「正座」、方言札をはく、「為又」はなぜ「びーまた」と発音するのか、オジサンの唐揚げ、「歯ぐき」について……などなど。面白そうでしょう?

 沖縄タイムスに書評が載っていたので、ここに引用しておくことにします。

・[読書]沖縄の文化継承へ「やさしいかけ橋」 2019年1月20日
 今、沖縄県民が口ぐせのように使っているフレーズが、「わかるよね?」。
 芸能に限らず、沖縄の文化は「とても詳しい人」と「まったくの初心者」をつなぐ「やさしい架け橋」が少なく、「むずかしい事を、むずかしいまま、先輩へ口答えなどせずに、怒られながら学ぶ」という環境がまだまだ存在しているようです。
 そんな状態に、ウンザリしている人々の「ガス抜き」として、先にあげた「わかるよね?」は人気を博しているのかな~、でも、ずーっとそれでは、沖縄文化の未来は暗いですよね~。
 しまくとぅばに関しては、「先輩方に怒られてもいいから、まずは使ってみましょう!」と励まされることもあります。う~ん、それでいいのか文化継承~。
 もはや、沖縄にルーツがある若い世代や、県外・海外から移住し、生活を送っている皆さんにとっては「しまくとぅば」は日常語ではなく、どちらかといえば「外国語」に近いのではないでしょうか。
 今回、紹介する本は、そんな皆さんへの「やさしいかけ橋」として、ぜひ、ご一読いただきたい。
 この本のポイントは、「言語学から見るしまくとぅば」です。
 「沖縄の人って、『クーラーが逃げる』って言うよね~」というのは、わりとよく知られた「沖縄あるある」ですが、言語学では、このような言い回しは「メトニミー」と称されるとのこと。
 沖縄のことわざ「黄金言葉(くがにくとぅば)」については「メタファー」「マッピング」という言葉でひもとかれていきます。
 また、著者の石崎さんが大学教授ということもあり、学生からのリサーチもたびたび登場。今の学生は「でーじ」は、もうほとんど使っておらず、大変なことは、もっぱら「めっちゃ」で表現しているそうです。
 まるで標本箱の中に入った「しまくとぅば」を、研究室で博士に解説してもらっているような不思議な感覚。
 「しまくとぅば」は沖縄の伝統でもあるが、それよりも何よりも「世界の中の一言語」である。そんな知的好奇心あふれる軽やかな視点から読み進めていただければと思います。
(紙芝居作家・さどやん)
(2019.5.18 読)

 少し北方面に歩いて、「オランダ坂」へ。
 長崎市東山手の旧居留地時代につくられた石畳の坂道・石段。オランダ坂とはかつては旧居留地区の石畳が敷かれた坂道の総称だったが、現在は「誠孝院前の坂」、「活水坂」、「活水学院下の坂」の3つの坂の総称とされているのだそうだ。
 今回行ったのは、「活水学院下の坂」。沿道には外国人居留地の代表的な建物で異国情緒を伝える「東山手十三番館」、1868年の建設後にロシア領事館が置かれた「東山手十二番館」などの洋館が建ち並び風情があったが、この坂を上ればとたんに汗が噴き出し、タオルが必要になるのだった。

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活水学院下のオランダ坂

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東山手十二番館

 その足で再び「長崎新地中華街」に行ってみる。ここでは皿うどんを食べておきたいと思っているのだが、10時半という頃合いなので予想どおりまたもや飲食店はどこも開いていない。昨日雨の中でしか写真を撮れなかったので、すこし補強して撮っておく。
 通りかかったので「唐人屋敷跡」の大門も撮っておく。

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中華街に隣接する「湊公園」にあった中華様式の門と、中華街の南門

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「唐人屋敷跡」の大門

 地下の駐車場に戻り、車内の荷物整理をして車を出すと、外は雨になっている。長崎は今日も雨だった、というわけだ。
 11時に長崎港ターミナルに到着。駐車場から小走りでターミナルビルに入ったが、その間だけで結構雨にやられる。
 わりとすんなりと乗船手続きを済ませて、ターミナルビル内の「南蛮亭」で食事とする。日替わり定食730円は、鶏の練りゴマソース、ミニ五色うどん、ごはんのセット。メインディッシュは揚げたて皮パリの、おそらく地物のおいしい鶏肉。うどんは味噌汁替わり程度のミニ。ごはんはおかわりをセルフサービスで追加することができ、その際には昆布の佃煮や漬物も合わせて持ってくることができるのはいいシステムだ。得てして、離島がらみのフェリーターミナルの食堂ははずれがない。

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長崎港ターミナル内「南蛮亭」の日替わり定食

 福江へは、12時25分発の九州商船のフェリー「椿」で。途中中通島の奈良尾港を経由するので約4時間の船旅となる。二等船室は雑魚寝方式だが、乗船者は多くなく窮屈さは全くない。
 この時間を読書に充てようとしたが、30分ほど読んだ段階で眠気が襲ってきて、あとはずっと眠っていく。車旅では日中には横になれるような状況がなかなかつくれないので、こういうシチュエーションは貴重だし、体力回復のためにもとてもありがたい。やっぱり、フネはいいなあ。

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福江島航路のフェリー椿

 16時半頃、福江港着。福江島は五島列島最大の島で、中心の福江地区は五島氏の城下町で石田城跡などの史跡があり、五島観光の拠点だ。
 「入江レンタカー」のお兄さんが迎えに来てくれていて、その車で営業所に向かい、軽自動車を24時間6,230円でゲットする。

 日が暮れるまでもう少し時間があるので、福江市内の目ぼしいところを見ておこう。
 「福江武家屋敷通り」。
 福江城(石田城)跡の南側には藩政時代の武家屋敷が残っている。佇まいは地味だが、合戦の際に石つぶてに用いる“こぼれ石”というものを上に乗せた石垣塀がユニークだ。石垣と門は残っているが、その中の建物はふつうのつくりのものが多くなっている。

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「福江武家屋敷通り」は“こぼれ石”を乗せた石垣塀がユニークだ

 「福江城(石田城)跡」。1808年に英軍艦フェーントン号が長崎港に侵入し、海防の必要性が高まったので、肥前五島藩主は幕府に築城許可を願い出た。明治維新の5年前の1863年にようやく築城。現在は石垣と濠、大手門が残っており、城郭内には五島氏庭園や五島高校が入っている。

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夕陽を浴びた福江城(石田城)の大手門

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五島氏庭園はすでに閉まっていた

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県立五島高校の正門はきわめて格式が高い

 この日のステイは「ビジネスホテル三国」。この旅初めてのホテル利用となる。長崎市内みたいにどこに行くにも駐車料金を払わなければならないようなことは全くなく、ホテル駐車場は無料かつあり余るスペースというのがうれしい。
 昨日の段階ではダブルの部屋6,000円しかないと言われていたが、シングルが1つ空いたそうなので、5,500円のそちらに変更する。すこし狭くなるとのことだったが、いずれにしたって車の中よりは広いし、体を伸ばして眠れる平らなベッドは保証されている。

 18時前には食事をしに街に繰り出す。少し前までなら居酒屋を狙っただろうが、このごろはテレビ番組の影響か、適当な中華料理店を探し、そこで飲みながら食事をするほうに心が動かされるようになっている。
 表通りの一本裏筋に当たる通りにあった「中華料理上海」という店で、青菜と豆腐炒め、春巻で瓶ビールを1本。つまみのセレクトは、豆腐が食べたかったからということだ。

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「中華料理上海」の青菜と豆腐炒め、春巻、瓶ビール

 1軒目はあえてこの程度でとどめてもう1軒。そのすぐ向かいにあった「大衆中華裕蘭」という店にも入ってみる。ここはやきめしがウリのようなので、味噌汁付きで550円のそれを。これがなかなかうまい。やきめしでのセットものでも700円ぐらいから多数あり、魅力的だった。

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「大衆中華裕蘭」のやきめしで〆る

 19時過ぎには部屋に戻り、夜でも明るいところで椅子に座って作業ができる環境を有効に使う。カーバッテリーの負荷を心配することなくテレビでニュースを見たり、インターネットで調べ物をしたり、いつもなら翌朝にやる旅のログ付けを夜のうちに進めたりする。

 ホテルの自販機から買ってきた缶ビールを1本追加して飲み、少し読書をして23時前には消灯。
 10月24日の走行距離は、自家用車で6km、レンタカーで5kmの計11kmだった。

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   光文社文庫 700円+税
   2018年5月20日 第1刷発行

 沖縄本島北部の法テラスに派遣されてきた弁護士・阿礼沙英子。東京で若手のエースとして活躍していた、口と態度は悪いがやり手の美人弁護士という、小説にありがちな出来過ぎた設定です。
 しかしそんな切れ者でも、オジィ、オバァたちのウチナーグチは理解することができずに四苦八苦の毎日。それを通訳するのが地元男性事務員の大城。沙英子は大城を従え、縁もゆかりもない琉球の地で、厄介な民事事件を率直すぎる発言で一刀両断にしていく――というストーリーです。

 「モアイの相談」は、大城の小学校時代の同級生で派手な女性の赤嶺里奈が持ち込んできた模合崩れの相談。彼女は裁判をおこすと息巻くものの、沙英子は証拠が乏しいことを伝える。赤嶺はそれでは納得できないと、模合の座元との話し合いに大城を呼び出すのだが……。

 ほかに「オバァの後遺障害認定事案」、「軍用地相続の調停事案」、「誘拐事件の国選弁護」、「ユタの証明」、「親権問題の調停事案」、「オジィとオバァの窃盗事件」を加えた全7話により構成されています。
 ちんすこうやサーターアンダーギーはもちろん、ウチナー弁当・沖縄そば・グルクンの天ぷらなどの沖縄特有の飲食物も次々と登場します。

 著者の友井羊(ともいひつじ、男性)は1981年、群馬県高崎市出身で、國學院大學文学部哲学科卒業。2011年、「僕はお父さんを訴えます」で「このミステリーがすごい!」大賞の優秀賞を受賞してデビュー。2014年、「ボランティアバスで行こう」が「SRの会」が選ぶ2013年ベストミステリーの国内第1位。
 その後、第3作の「スープ屋しずくの謎解き朝ごはん」に続いて2015年に4作目として刊行されたのがこの「さえこ照ラス」。
 なお、「さえこ照ラス」はそのシリーズとして2018年7月には「沖縄オバァの小さな偽証 さえこ照ラス」が発売されていて、こちらもすでに入手済みなので、近く読んでみることにします。
(2019.6.9 読)

 2019年10月25日(金)。
 部屋の古いエアコンが音を立てていて、それが外で嵐が吹きまくっているように聞こえるので、夜じゅう明日の天候は大丈夫だろうかと気がかりになる。それにしても、ベッドでの眠りは心地よい。
 いつものように6時起床。テレビを見ながら、昨晩調達してきた食料でわりとしっかりした朝食をとる。ホテルのサービスカミソリで髭を剃ったら、丁寧にやろうとしたのが仇になったか、3か所も切ってしまう。こんなことはそうあるものではないのだが。
 そして、いつもならマックでやるパソコン作業を部屋でやる。

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「ビジネスホテル三国」で泊った部屋

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ビジネスホテル三国

 8時半にチェックアウトして、この日は福江島を時計回りに概ね一周する計画でスタートする。レンタカーのお兄さんが言うには、島を一周するとだいたい100km台の距離となり、夕方のフェリーならそれまで十分回れるでしょうとのこと。島らしい風景に加えて、島に多い教会を見てまわる形になるだろう。

 まずは「明星院」。
 五島真言宗の総本山で、藩主五島家代々の祈願寺。弘法大師空海が唐からの帰りにこの寺に立ち寄ったという。現在の本堂は焼失後の再建だが、五島では最古の木造建築になっている。まあ、寄ってみただけという形。

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明星院

 「福江空港(五島つばき空港)」。
 着いたのは9時前で、8時半に開館したばかりなので館内はまだ静かなものだ。このあたりからようやくにしてスカッと晴れてきた。島めぐりをするにはもってこいの天候となったのは喜ばしいことだ。

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福江空港(五島つばき空港)

 「五島コンカナ王国」。
 敷地内には温泉もあるというのでどんなもんかいなと思って行ってみたのだが、その温泉施設自体は見つけられず。しかし内部には宿泊やサバイバルゲームが楽しめるフィールドなど様々なものがあった。

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五島コンカナ王国

 「大浜海水浴場」。
 ドライブしていると広大な干潟のように見えてくるが、海水浴場なのだそうだ。石垣島の名蔵付近の風景に似ていなくもない。浜の前には島随一と思われる自動車学校があった。

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大浜海水浴場

 「香珠子(こうじゅし)ビーチ」。
 駐車場にはソーメン流しをウリにした千本茶屋や、木材加工販売施設、五島チャーチミュージアムなどが並ぶ。白砂と透き通った海水が印象的な海岸なのだそうなのだが、浜まではかなり下っていくようなので、上から眺めるだけにする。なに、海はこれからたっぷり見られるのだ。

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香珠子ビーチの駐車場にあった木材加工販売施設

 旧富江町に入り、「富江温泉センターたっしゃかランド」で小休止。種類豊富な温泉施設であるそうだが、風呂に入るにはまだ早い。

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富江温泉センターたっしゃかランド

 その後は「大瀬崎」へと向かうが、しばらくは道路から眺められる海と島の風景を楽しむ。というか、道路沿いには何もないのでそういうことになってしまう。
 琴石という小さな集落付近、太田の手前、立谷付近などで車を停めて撮影。

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琴石付近の海。きれいな海だ。島はいいなぁ

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太田の手前あたりの海。とりたてて有名ではない場所のこういう風景が、旅のいちばんのビタミンとなる

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立谷付近の深い入り江

 五島列島の西端となる、旧玉之浦町の「大瀬崎」。
 展望台からの景色は絶品だった。こんなすごい景色が見られる。コバルトブルーの中に建つ白亜の灯台「大瀬崎灯台」も美しい。日本の灯台50選の1つだ。

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「大瀬崎」展望台からの眺め

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雄大な風景の中にあった「大瀬崎灯台」

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大瀬崎園地にあった東屋と海。こんな景色を独り占めにすることができる

 列島最西端の集落となる「玉之浦」にも寄ってみる。小さな教会や、「古民家松ノ下」という建物があった。昭和初期に建てられたものを、地元の人々が協議会を立ち上げて保存活用しているらしい。
 このあたりは下水道の普及が遅れているようで、まだ汲取車が走っている。

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古民家松ノ下

 大瀬崎の手前に位置する「カトリック井持浦(いもちうら)教会」。
 教会のある玉之浦一帯は、五島はキリシタン迫害の嵐を逃れた唯一の地区であるとのことで、レンガ造りの立派な教会が建っていた。建築から90年後の1987年に台風被害のため取り壊され、翌年に現在の教会が建立されている。
 小さいながらきれいに整備されたルルドもあった。

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カトリック井持浦教会

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ルルドがあった

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教会のサイドビューも清楚できれいだ

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   林檎プロモーション 1,500円+税
   2018年7月24日 第1刷発行

 沖縄に対する熱い想いを持ったトラベルライター・カベルナリア吉田の、久々の沖縄本。
「開発ラッシュで急速に変貌する沖縄。増え続ける旅行者、上辺ばかりを沖縄風に飾り立てた飲食店に観光スポット……。変わりゆく沖縄に、心が離れかけた著者が、再び長い旅に出た。変貌の隙間に残る「変わらない沖縄」を探して、自分の足で歩き、路地の奥の、そのまた奥へ――。沖縄を歩き続けて20数年の著者が送る、沖縄実踏紀行の最新版!」(カバー折込から)

 頻繁に沖縄の旅本を世に問うていた時代から少し間があいた理由は、変わりゆく沖縄に対する葛藤があったためなのでしょう。沖縄はどんどんヤマト化して沖縄としての独自性が失われつつあるのが現実で、彼が感じ、憂えていることはものすごくよくわかります。
 彼はその想いを、当書のプロローグにあたる「久しぶりの旅立ち」に記しているので、その部分を以下に引用し、紹介に代えます。

 初めて沖縄を訪ねてから20年以上、沖縄の旅を取り巻くさまざまなことが、変わってしまった。
 沖縄が変わった。開発に次ぐ開発。新しい道、新しい街。
 那覇に「おもろまち」ができると、似たような街が次々に開発された。整備されたバイパス沿いに、東京で見かけるチェーン店がズラリ。牛井屋、ドラッグストア、巨大な紳士服店。便利だが、沖縄にいる感じがしない。
 昔から続く店や宿も、久しぶりに訪ねると「息子に任せたから」と代替わりしている。話好きのお父さんお母さんの姿はなく、息子は挨拶もしない。料理の量が明らかに減り、息子の嫁は客の前でも不機嫌な顔をする。
 収束の気配すら見せない基地問題。仕事よりも選挙に熱心な人々。一方で「何をすれば補助金下りるか」相談されたりもする。
 変わり続ける沖縄。変わって、さらに変わって、どうなろうとしているのか。

 沖縄に行く旅人の多くも、この20数年で変わった。
 観光客が増える一方で、沖縄を愛する旅人は減ったと感じる。LCCで安く行けるし、次の土日にサクッと行ってみなーい? みたいな。
 意外にフツーだねー。あ、知ってるコレ、沖縄そば。テレビで見たー。
 ここはコンビニないのー? 使えねー。
 沖縄なのにマンゴーないのー? 話が違うじゃーん。
 スマホ、自撮り棒。
 ライン、インスタ映え。
 沖縄が変わったのか? それとも旅人が沖縄を変えたのか? その両方なのか?

「沖縄のこと、もう好きじゃないんですか?」
 最近そう聞かれることが増えた。
 見て感じたことは、全て書かなければ嘘だと思う。だから僕は沖縄で失望したこと、頭に来たことも書く。すると「そんなこと書いて楽しいの?」と言われてしまう。
「沖縄について書いてください」「楽しいことだけ書いてください」とも言われる。でもついつい楽しくなかったことも書いてしまい「やめてください」「この箇所は削ります」と言われる。

 少し沖縄と、距離を置いた。
 2年間、行かなければならない仕事だけに絞り、沖縄に行く回数を減らした。
 再び心の底から沖縄に行きたくなるのを、待った。

 不思議なもので、しばらく行かないと、ふとまた行きたくなる。
 変わり続ける沖縄の隙間に、変わらず迎えてくれる店が街が、場所がある。人がいる。変わらない沖縄は、確か必ず、そこにある。
 沖縄の変わらない場所、街、店、人を訪ね歩く旅をしよう。そう思ったらようやく、沖縄に行きたくなった。
 でも旅は「開拓」だから、再訪だけの旅にしたくない。だから「たぶん昔からあるもの」「今後もずっとあるもの」を探しながら、沖縄を周ってみよう。
 何度行っても変わらない沖縄が、あるはずだ。必ず。
(2019.6.14 読)

 正午ごろ、荒川温泉手前付近の西方の海を写真に収めて、次は「頓泊(とんどまり)ビーチ」へ。
 アプローチすると、海までかなり遠いところから砂浜が広がっていたが、東屋がある海岸沿いまで進むと青色の波が打ち寄せるとてもいい海岸があった。海の色のグラデーションも美しい。

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荒川温泉手前付近の西方の海岸。海も空も青く、雲には島らしい力感がある

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頓泊ビーチ1。何なんだ、この海の色は

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頓泊ビーチ2。これはたまらんでしょ。五島は南国なんだなぁ

 そのすぐ北にある「高浜海水浴場」。
 日本の渚百選・日本の水浴場百選に選ばれている日本屈指の美しい砂浜とのふれこみだ。屈指と言われれば行ってみたくもなるもので。道もよく駐車場もあるので、観光バスもやってくる。しかし個人的には「頓泊ビーチ」のほうが波もよく観光バスも来ない小ぢんまりしたものでいいと思ったのだがどうだろう。

 さらにその北の高いところにあった「魚籃(ぎょらん)観音展望台」。
 ここからは頓泊ビーチと高浜海水浴場の両方が眼下に一望できた。

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山の高みから海を見つめ続けていた魚籃観音様

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「魚籃観音展望台」から。手前の海岸が「高浜海水浴場」で、奥が「頓泊ビーチ」だ

 旧三井楽(みいらく)町へと進んで、「三井楽教会」。
 外壁正面の陶器で描かれたモザイク聖画が印象的な教会だ。

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三井楽教会

 「みみらくの島」。
 遣唐使ゆかりの美しい景観だというので、道路沿いの標識に従って行ってみた。そこは高崎鼻(高崎草原)で、草原の崎には「姫島」が浮かんでいた。この地がどうかかわるのかよくわからないのだが、日本遺産「国境の島 壱岐・対馬・五島~古代からの架け橋~」の構成文化財なのだそうだ。

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歌碑があり、先には姫島が

 13時15分、「道の駅遣唐使ふるさと館」で休憩と昼食にする。
 レストラン「みいらく万葉村」。福江市内でなければ食事処はほとんど見当たらず、このあたりもここぐらいしか食べるところがない。
 ランチは数種類あっていずれも500円と破格値なのだが、ぜひ五島うどんが食べたい。そして、しばらく食べていないカレーも食べたい。ということで、五島うどん370円+カレーライス450円の単品組み合わせでいってみた。

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「道の駅遣唐使ふるさと館」の五島うどんとカレーライス

 ここで「五島うどん」について蘊蓄を述べると、細麺ながらも強いコシのある、椿油を塗って熟成するのが特徴のもので、讃岐・稲庭と並んで「日本三大うどん」の1つなのだそうだ。乾麺で、主に上五島で生産され、ダシには五島近海で漁獲されるトビウオ(アゴ)を焼いたものを使う。椎名誠が絶賛しているのをよく読んで知った。

 五島うどんを「かけ」で食べる場合はとろろ昆布を入れるのが普通なのかもしれない。カレーは業務用のレトルトだが、それを認めた上でもこのつくりで450円なら良心的と言えるだろう。

 土産に上五島でつくられた五島うどんを買う。
 建物内には「万葉シアター」があり、遣唐使にまつわる五島の歴史などをご紹介している。ここで知ったが、ここ三井楽は遣唐使の日本最後の寄港地となっていたのだそうだ。

 旧岐宿町に入って、「白石のともづな石」。
 白石湾は古来遣唐使が最後に停泊した港で、遣唐使船を繋いだといわれる石がこれ。表面にナニゴトかが彫り込まれているただの石なのだが。

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白石のともづな石

 「楠原教会」。
 現在の長崎市外海付近から移住してきた大村藩の潜伏キリシタンの一部が住みついてこの地のキリスト信仰が始まったのだそうだ。現在の建物は1912年完成。下五島に現存する教会としては「堂崎教会」に次ぐ古い建物だ。

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楠原教会

 その「堂崎教会」。
 1880年創建、1908年改築。1873年の禁教令解禁後、五島に初めて建てられた赤レンガのゴシック様式天主堂だ。二十六聖人の一人であるヨハネ五島を記念して創立されたという。

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堂崎教会

 これでだいたい島一周が終わり、福江市内へと戻る。
 フェリーの発時間まではまだ若干の余裕があるので、市内では前日見逃していたところを見る。

 「常灯鼻」。第30代藩主五島盛成公が福江城(石田城)を築く際に城の北東から吹き寄せる大波を防ぎ、築城工事を容易にするため築かせたもの。防波堤の役割のほか、灯台としての役目も持っていた。
 「六角井」。明との貿易が盛んな頃に中国人王直がつくった井戸で、大陸との往来を物語る遺物となっている。
 ガソリンを入れて、16時過ぎに入江レンタカー着。昨日のお兄さんから福江港のターミナルまで送ってもらう。

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常灯鼻

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六角井

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福江湊フェリーターミナル

 フェリーは「椿」と「万葉」があるが、復路は「万葉」。約3時間をほとんど横になって、本を読んだりうつらうつらしたりして過ごす。
 長崎港には20時着。この時間になると、どこかで夕食をとって、一昨日泊まった24時間銭湯にしけこむのが最も安易な道なのだろう。しかしいつまでも長崎にとどまらずに少し前に進みたい。となれば、この先の道の駅は「道の駅長崎街道鈴田峠」となるが、その途中には日帰り温泉が少ないし、営業時間が迫っている。
 しばし考え、今夜は風呂に入るのは断念することとして、約1時間先にある道の駅を目指すことにしよう。メシは新中華街で食べていきたかったが、ここも間もなく店仕舞いする時間帯だろう。新中華街にはよくよく縁がなかったということなのだろう。

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暗くなってから着いた「長崎港ターミナル」。往路は大雨で撮れなかったし。ガンマを当てて大幅加工

 諫早市に至って21時、ラーメン・ちゃんぽん・皿うどんの地元店「一香軒諫早店」を発見し、長崎新中華街で食べられなかった皿うどんを食べることにする。
 皿うどん790円を太麺チョイスで。ひえー、ドカ盛りじゃん。皿うどんで太麺は初めてだが、これ、すごくうまいじゃん。カケモノも豪華な海鮮というわけではないけれども、本場ではこんなにたくさんかけちゃうの?と驚くぐらいのボリュームだ。食べ進めながら酢とソースで味をアレンジしていく者楽しい。
 ああ、んまかった。途中何件か見かけた全国展開の「リンガーハット」を我慢し、分離帯のある道路を戻って入店した甲斐があった。

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「一香軒諫早店」の皿うどん

 途中コンビニで缶チューハイを入手して、22時前に「道の駅長崎街道鈴田峠」着。急いで飲んで(笑)、23時過ぎにようやく寝る準備をして就寝。

 10月25日の走行距離は、レンタカーが167km、自家用車が32kmで、合わせて199kmとなった。