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 天文館通電停から市電に乗って「鹿児島中央駅」へ。
 九州新幹線が開通して激変しているのではないかと思っていたが、見た目は20年前とそれほど変わっていない印象だ。いや、変わったのだろうな。でもなんだか、旅客の佇まいは落ち着いているように感じる。
 このような形で2時間余りの鹿児島市街散歩を終える。

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天文館通電停から市電で「鹿児島中央駅」へ

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鹿児島中央駅前

 車を出して、鹿児島の歴史、文化遺産が一堂に集められているという「鹿児島県歴史資料センター黎明館」へ。
 西郷さんの銅像からすぐのところなのだが、ここには専用の駐車場があるので車で行くのが妥当と判断した。しかし行ってみると守衛がいて、9時の開館まであと30分ほどありますが……と。ああそうか、まだ開いていないのか。
 それではまた後でと言う当方に、「それでは近くの城山展望台に行かれてはどうですか」と。
 実はここに来る前に、照国神社の東脇から展望所らしき方向に向かってみたのだが、行き止まりをバックで戻らなければならなくなり往生している。だが、道はそことは違うのですよと。
 教えに従って、今度はちゃんと「城山展望台」に到着。高さ107mから見る桜島の雄姿と鹿児島市街の眺めはすごいのだった。親切に応対してくれた守衛さんには申し訳ないが、まだ9時にはなっていないし、日程的なこともあるので、黎明館には戻らずに終わってしまう。

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「城山展望台」から桜島と鹿児島市街を眺める

 腹が減ってきた。鹿児島市の街なかのマックは駐車場のないところが多いため、郊外の「マクドナルド吉野町店」を選び、9時15分に到着してようやく朝食にありつく。
 2時間強のログ付けタイム。

 正午近くからは、鹿児島市域の北側のポイントを攻める。
 ややマニアックになるが、祇園之洲公園内にある「ザビエル上陸記念碑」。フランシスコ・ザビエルが1549年キリスト教を布教した最初の地が鹿児島なのだ。

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ザビエル上陸記念碑

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せっかくなので、碑の図柄の拡大版も載せておこう

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鹿児島らしいいい眺めも見ることができた

 「石橋記念公園」。ここには西田橋という、江戸時代末期に甲突川に架けられた石橋が移設・復元されている。
 「琉球船の目印松」。石灯籠に抱きつくように枝を張った松が、琉球船が入港する時の目印とされていたという。その後枯れてしまったが、再度植えられたものが石灯籠の左手に根付いているのだった。交通量の多い狭い道路のため、停車して撮影することがかなわなかった。

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「石橋記念公園」に保存されていた西田橋

 「異人館(旧鹿児島紡績所技師館)」。
 薩摩藩主島津忠義は、英国から紡績機械を輸入し、日本初の洋式紡績所を造る。異人館は、指導にあたった英国人技師の宿舎として建てられたもので、日本における初期の西洋建築の代表例なのだそうだ。入館料がかかるので、外からの撮影にとどまる。建物というのはそれでいい。

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異人館(旧鹿児島紡績所技師館)

 新年あけましておめでとうございます。
 2019年の正月分から年賀状を書くのをやめ、2年目になりました。今年私宛に年賀状を送っていただいた方に感謝しますとともに、この場を借りて皆様に新春のお慶びを申し上げます。

 さて、2019年3月に仕事を離れて自由の身になってからこれまでの9か月間に、小笠原、房総、北陸・山陰、北海道、東海・紀伊半島、九州と6回にわたって国内を車などで旅してきましたが、この冬季間は、沖縄でロングステイをします。

 沖縄はこよなく愛する地で、これまで50回以上訪問しています。そして、沖縄に出会った四半世紀ほど前からずうっと、リタイアしたなら沖縄に移住したいと思っていました。
 しかし、これでも一応ある程度の節操、分別は持ち合わせているつもりで、何もかも打ち捨ててすぐに移住するようなことはしません。「旅する沖縄」と「暮らす沖縄」とはおそらく別物であるはずで、そのあたりはきちんと見極めて行動するべきだと思っているからです。
 そのあわいにある「滞在する沖縄」をやってみようというのが今回の目論見で、いわばこれがリタイア1年目にやりたかったことの総決算となります。

 沖縄ステイの準備は、リタイアしてすぐの春から少しずつ進めていて、ステイ先は島尻半島東海岸の与那原町。10数年前に海を埋め立ててつくられた新興住宅地の東浜(あがりはま)というところです。5月にはウィークリーマンションを予約して、1月3日から3月4日までの62日間(!)の予定で滞在します。
 仙台からのフライトは片道18,500円の激安料金で往復とも確保し、滞在中のレンタカーも手配済み。また、2019年の年末までには、この滞在が実り多いものとなるようある程度の情報収集をしました。1月初旬は「国立劇場おきなわ」をはじめとして琉球舞踊、組踊、沖縄芝居などの多くの公演が催されるようなので、まずはこれらをたっぷり味わってみたいと思っています。

 滞在の日々の一端をこのブログに書いていきたいと思っていますので、よろしかったら読んでみてください。
 では明後日、沖縄に向けて出発します。

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(首里赤田に出現したミルク(弥勒)。世ばなおれ、世ばなおれ……)

 「仙巌園(磯庭園)」と「尚古集成館」。
 駐車料300円がかかるほかに、庭園内にある「御殿」もあわせて見れば入園料1,500円とかなりエクスペンシブだ。しかし、せっかく来たのだから全部見てやろうじゃないの。
 まずは「仙巌園(磯庭園)」から。島津光久の別邸で、錦江湾を池、桜島を築山として築庭されたスケールの大きいものだ。わずか3日前にオープンしたばかりの「鹿児島世界文化遺産オリエンテーションセンター」、大砲を製造するためにつくられた反射炉の跡、1895年になってから建てられた正門、殿様の生活の一端を垣間見ることのできる質素ながらも立派な御殿などを見て、展望ポイントから桜島を眺める。

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「鹿児島世界文化遺産オリエンテーションセンター」は2019年11月1日に開館したばかり

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反射炉跡

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正門

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仙巌園の一角

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御殿の玄関with菊人形

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御殿の内部も見てまわる

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これ以上はなさそうな借景だ

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園内のここでも「西郷どん」のロケが行われた

 「尚古集成館」は、幕末に藩主島津斉彬が築いた工場群「集成館」の跡地にある、島津藩ゆかりの品々を展示する歴史資料館だ。建物は、薩英戦争で焼失したものを島津忠義が1865年に蒸気鉄工機械所として再興し、それがそのままの姿で残っている。

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尚古集成館1

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尚古集成館2

 熊本南部から薩摩半島にかけてはガソリンが高くて補給を我慢してきたが、ここにきて底をつき、インジケーターは残った走行可能距離が50kmだと告げている。鹿児島から北に進んだところにあるスタンドが安いことをスマホで調べて、そのボロいスタンドで給油する。ハイオクでリッター144.8円。しばらく160円台の価格表示を見慣れていたので、これは安すぎだし、これまでの旅の中でも最安だ。安く入れることができてうれしいのだが、反面大丈夫か?という気がしないでもないのだった。

 鹿児島をあとにして姶良市へと入り、ここでは2か所。
 「龍門司坂」。
 大口筋という街道の一部で、1635年に造られ、100年後に石が敷かれたという。現在は約500mが当時の姿で残り、苔むした石畳と杉木立の景観が美しい。「篤姫」、「龍馬伝」、「西郷どん」などの歴代の大河ドラマのロケ地にもなっている。1877年には西郷隆盛の率いる薩軍がこの坂道を通って熊本へ向かったという。

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龍門司坂1

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龍門司坂2

 同じ駐車場から遊歩道を300m余り行ったところにある「龍門滝」。
 高さ46m、幅43mの大きな滝で、日本の滝百選に選ばれている県下でもまれに見る名滝のひとつであるとのこと。常陸大子の「袋田の滝」には敵わないけれども、岩肌を滑る水の様子などはさすがと思わせるものがある。

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龍門滝

 次は霧島市。「霧島町蒸留所「明るい農村」」に寄ってみる。
 1911年の創業で、以来蔵に伝わっている和甕を用いてつくられる壺焼酎「明るい農村」を造る様子を見学する。
 「驚愕の接客態度」という事前情報は正しく、車で乗り入れれば駐車マスに入って停まるまで誘導してくれるし、説明者の姿勢は謙虚でナチュラル。ここはこれらを体験するだけでも来た価値があったと思う。
 「農家の嫁」という焼いた紫芋で醸した焼酎が芋の香りが濃厚でおいしいですよという話を聞いたので、家で飲むためにそれを買う。焼酎づくりに使う湧水を詰めた「明るい農村」ラベル付きのペットボトルをサービスしてくれる。「重くなってすみません」と言われるが、車なわけだしまったくそんなことはなく、うれしい限りです。

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蒸留所の背後地には絵のような「明るい農村」風景が広がっていた

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「神対応」の社員が所内の各箇所を丁寧に案内してくれる

 「霧島神宮」へ。
 神代の創建だという古社なのだが、噴火によって何度か移転しているという。老杉が茂って荘厳だ。坂本龍馬が日本最初といわれる新婚旅行で霧島連峰を訪れたことでも知られている。

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夕刻の「霧島神宮」1

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夕刻の「霧島神宮」2

 夕暮れが迫りつつある時間帯となり、「霧島温泉郷」へ。
 標高600~850mに位置する大小9つの温泉からなる温泉郷で、それぞれが異なる泉質を持ち、湯治場として親しまれているという。あちこちからもうもうと湯気が噴き出し、温泉地特有の香りがしていて風情は満点だ。
 温泉地近くの「丸尾滝」を見る。温泉の湯が簾状に落ちる湯の滝で、滝壺の水の色は青味がかっているのも温泉地特有だ。

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丸尾滝

 この日の風呂はぜひ霧島温泉で入りたい。「丸尾温泉(霧島国際ホテル)」には一度に200人が入れる大浴場があり、お湯がミルキーブルーや翡翠白色に輝くというのでそこで入ろうと楽しみにしていたのだが、行ってみると「本日の日帰り入浴は終了しました」と。
 がっかりしながら別のところを探し、日帰り専門の「カジロが湯」を見つけて入る。
 湯温の高い濁り湯で、温泉らしい香りが浴室内に漂いいい雰囲気だ。ただ洗い場は蛇口が少なくて狭く、数人が風呂のへりに腰かけて順番待ちをしている。順番がまわってきたので、石鹸やシャンプーを使わずにぬるま湯で頭を洗う程度にとどめる。

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この日の風呂は霧島温泉の「カジロが湯」だ

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風呂上がりの夕暮れどき、「カジロが湯」のすぐ裏手から湯けむりが上がっていた

 風呂から上がって18時。本当ならば霧島温泉から湧水町方面に下りて、日量約6万tといわれる「霧島山麓丸池湧水」が湧いている「丸池公園」を見るつもりだったが、これから行けば真っ暗だろうから省略し、この日のステイ地である宮崎県の「道の駅えびの」まで、くねくねアップダウンの山道32kmを50分ほどかけて向かう。
 途中見てまわるつもりだった「霧島高原」も、暗くなってからたどりついたため景色が見えず、残念ながら素通りしてしまった。晴れた一日だったので、通ってきたえびのスカイライン(霧島道路)、霧島パールラインは、日が高いうちに走ればさぞかし眺めがよかったことだろう。

 19時、「道の駅えびの」着。
 いつもは朝7時ごろに食べる朝マックがこの日は遅くなったために腹も減らず、昼食はとらずに終わった。なので夜はすこししっかりめ。道の駅近くのセブンで調達してきたサラダとクリームコロッケでチューハイを飲み、〆にはかしわめしの小さな弁当。
 飲みながらぼんやりし、21時半には就寝となる。

 11月4日の走行距離は116km。



・南への衝動、北への衝動  by 谷川健一
  (「谷川健一全集7 沖縄三」(冨山房インターナショナル)から)

 私が沖縄通いをはじめたころ、私は奄美に立ち寄って島尾敏雄によく会った。後年、私との対談のとき島尾は「あのころは毎年渡り鳥のようにやって来ましたね」と言った。たしかに私は冬のころ沖縄通いをすることがつづいた。それはまるで本土の寒さを避ける渡り鳥のように見えたのかも知れなかった。
 北陸の白山の山系に棲むサシバ(ワシタカ科の小形のタカ)は、毎年陰暦10月のはじめころになると、大隅半島の尖端の佐多岬付近を通過し、道の島と呼ばれる奄美の島々ぞいに南下し、宮古、八重山の空が真っ黒く見えるほどの大群をなして、フィリピン諸島方面に向かう。このサシバのような本能が私の身体の奥のどこかで働いているのであろうか。いまもって南の島々への強い衝動のやむときがない。
 本土に近い奄美よりも沖縄の島々に南島の特徴は明確にあらわれている。たとえば沖縄にやってきたことを真っ先に実感するのは、島を取り巻く、珊瑚礁の暗礁に白い波が打ちよせている風景であるが、沖縄でヒシ(干瀬)と呼ばれる暗礁は奄美ではあまり発達していない。島尾は奄美を去ったあとは、沖縄に住むことを欲していたようだ。しかし家族の事情でそれが果たせず、奄美から神奈川県の茅ヶ崎に移り、さらに鹿児島に転住した。島尾が20年近い奄美生活ののち沖縄で過ごすことができたら、本人も満足であったろうし、また彼の文学と人生もいっそう完結した輝きを見せたにちがいないと、私はひそかに残念に思っている。
 その私ですら、一切の条件が許せば沖縄で自分の生を終えたいと思いながら、現実はどうしようもないのだから、島尾を責めるわけにはゆかない。島尾は沖縄本島、それも首里付近が好きだったようだが、私はむしろ先島が好きだ。このような思いは私だけではないらしい。数年まえのことだが、フランス文学者の岡谷公二と話をしたとき、岡谷も繋縛がなければすぐにでも沖縄に行くと言って、私も即座に同感したのであった。先日、拙著「南島文学発生論」を銚子市在住の作家常世田(とこよだ)令子に送ったが、その返礼の手紙に「南島と聞くだに胸が震えてしまう私です」と書いてよこした。
 このような現象を沖縄病とか島恋いと呼んでも差し支えない。しかし島尾、岡谷、常世田の諸氏にせよ、かくいう私にせよ、「若き犬の病」をわずらう年頃ではない。南島の風景がどのように美しくとも、島の人情がどれだけふかくとも、それに溺れてしまうにはあまりにも多くのことを体験しすぎている。この世に絵で措いたような楽園のあるはずもないことは充分知っている。それにもかかわらず、胸の奥底から突きあげる「南への衝動」とはいったい何か。何が私たちを突き動かすのか。
 それは柳田国男や折口信夫の研究を通してうかがうことができるように、日本列島に国家の萌芽もなかった時代の民族の記憶が、南島に触れて蘇ってくるからではないだろうか。日本の権力社会の中心からもっとも遠く離れた南の島の渚に立つとき、日常の垢に蔽われた自己がまるで借り物の衣裳のように脱ぎ捨てられ、真性の民族的自己が現れるのを自覚するからではないだろうか。南島では、生まれかわりまたは脱皮をスデルと呼んでいる。少なくとも私が南島で体験するのはこのスデルという感覚であるといってよい。
 だが、このような体験は南島においてだけ味わうものではない。白河関を越えて東北に足を踏み入れたとき、そこに展開する風土と自然の営みに、どこか北方大陸とつながっているようなふしぎな感情を味わう。シベリアから飛来する白鳥は秋の彼岸ごろには東北の大地を訪れ、また春の彼岸ごろには北へ帰っていく。
 かつて白鳥を神として信仰し、命をかけて白鳥を守った人びとが東北にいた。そして同様の熱烈な白鳥信仰がシベリア、バイカル湖畔のブリヤート族と呼ばれる少数民族にも存在することを知ったとき、私は奇異の感に捉われたことを告白する。おそらく北方大陸の狩猟文化の波はわが縄文時代にも押し寄せていたにちがいない。その末端が東北地方であったのではあるまいか。
 これまで日本人の北への感覚は、鎖国時代はもちろんのこと、明治、大正、昭和の三代にも一度も開かれたことがなかった。国家の政策が日本国民に北方への感覚を閉ざし、したがって、「北への衝動」は封じられたままであった。もし彼我の交流が自由になったら、いままで抑圧されていた北への衝動が奔出することはまちがいない。かくして、私たちは国境という人為の画定線を超えた民族感覚の全方位にわたる開放を体験することが可能になろう。
 南への衝動も北への衝動も、日本人の意識のもっとも奥深い底によこたわる民族感覚の、渡り鳥のように正確な本能の働きかも知れないのである。

 2019年11月5日(火)。
 5時10分起床。「道の駅えびの」の朝は、内陸で盆地のためか、気温は8℃とかなり低めだ。
 洗顔、用便、着替えと朝のルーチンをこなして6時近くになってもあたりは真っ暗。こう日が短くなると太陽の光はが貴重で、明るくなったらすぐに活動しないとすぐに日暮れが来てしまう。

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道の駅えびの

 3連休が終わってこの日からは「平時」が戻る。仕事から離れてしまうと毎日が日曜日でいいねぇみたいなことを言われがちだが、無職には無職なりの曜日感覚というものがあって、人が出て観光地も飲食店も夜の道の駅も混み混みなのを見れば、ああ今日は週末だなとわかる。平時に戻るとなぜだかうれしいのは現役時代とまったく逆なところだ。
 通過してきた霧島高原には改めて戻る気にはなれず、これから進んでいく小林市には見渡す限りのコスモスが見られるという「生駒高原」があるのだが、早朝では入園できないのでここも省略することにする。

 こうなると、最寄りとなる小林市のマックにまっすぐ行けば35分程度あれば着ける。朝はパンを牛乳とともに食べてしまったが、まずはここでログ付けをしよう。
 「マクドナルド小林店」には7時に着いて、というか開店時刻に合わせて道の駅を6時半に発っている。コーラのMのみを頼んでパソコン作業に2時間弱をの充てる。

 都城、曽於(そお)などを一気に通過、省略して、桜島方面へ。「道の駅たるみず」をナビに入力すると、73kmあり、1時間45分かかるという。どうも昨日から、鹿児島、宮崎の霧島周辺を行ったり来たりしているように感じてしまう。これはルーティングの段階でイマイチ整理されていなかったことが災いしている。こういうことがないようにしたかったのだが。

 垂水(たるみず)市まで進出して走っていると、「太崎(たざき)観音」というビュースポットがあったので、停まって眺める。
 眺めはいいのだが、地表に細かい砂がありやたらと埃っぽい。これは桜島の火山灰?
 そういう目であたりを見ると、道路にも砂ぼこりが舞い上がり、ルーフやウインドウが真っ白になっている車も見受けられる。

 「道の駅たるみず湯っ足り館」には10時半着。
 全長60mの足湯がウリのようだが、当方のねらいは「ぶり大将」「桜勘かんぱち」を使った「漬け丼」なのだ。「イルカの見えるレストラン」は11時にならないと開かないので、売店で名産品の物色をして時間をつぶす。この地「牛根」は日本有数のブリの産地なのだと知る。
 10月29日に大津町で食べた回転寿司屋以来の生魚だったことも手伝ってうまいのなんの。

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「道の駅たるみず湯っ足り館」から望む桜島

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「道の駅たるみず湯っ足り館」の「イルカの見えるレストラン」漬け丼

 ここから先はしばらく桜島を反時計回りに一周する。
 鹿児島のシンボルと言っていい桜島は、北岳・中岳・南岳と相接する複合活火山。1914年の噴火により大隅半島と陸続きになった。
 「黒神埋没鳥居」。
 噴火口の真西に当たる集落にある黒神中学校の横にあり、大正の大噴火で鳥居の大部分が火山灰に埋まり、現在は笠木しか確認できなくなっている。神社の本殿は灰の下に完全に埋まってしまっているという。
 この集落の火山灰が最も多く、車の外側はもちろんのこと一度車を出入りしただけでフロアマットは灰だらけとなり、じっとしていても喉がイガイガしてくる。近くでは道路維持のためのロードスイーパーが2台で除灰作業をしていた。

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黒神埋没鳥居

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ロードスイーパーが灰塵を巻き上げながら作業していた

 「鹿児島市船舶局・桜島フェリー」。
 鹿児島港と桜島港を約15分で結んでいる。ちょうど鹿児島行きのフェリーが出航するところだった。片道運賃200円だし、これにも乗って見るべきだっただろうか。

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鹿児島行きのフェリーが出航するところだった

 「桜島ビジターセンター」。
 ここで13分の映像を見て、桜島の歴史などについて学習する。錦江湾の奥が海底火山の火口になっていることや、北岳と新しい南岳の関係性なども知ることができた。

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桜島ビジターセンター

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資料館等では映像資料があれば必ず見るべきだと思う

 「湯之平展望所」。
 火口付近は入山規制が敷かれていて、ここは一般人が入れる火口に最も近い展望台なのだという。各車両はもうもうと砂埃を上げ、真っ白になって上っていくのだった。

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「湯之平展望所」から見た北岳。大迫力だ

 「赤水展望広場」。
 ここまでくれば灰もだいぶ少なくなってホッとする。ここでは2004年8月に「長渕剛オールナイトコンサート」が行われたそうで、その記念モニュメントとして「叫びの肖像」がつくられていた。長渕がギターを抱えて桜島に向かって吠えている。

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「赤水展望広場」から見る桜島

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長渕(なのだろう)がギターを抱えて桜島に向かって吠える

 いよいよ沖縄に向けて発つ日がやってきた。1年近く前から準備してきたことで言わば計画どおりなので気負いはないのだが、反面大きな高揚感もないのが予想外だ。まあ、数日間の「旅」とは違って、滞在して「暮らす」わけで、毎日高揚していても長続きしないだろうから、こんな気持ちのあり方でちょうどいいのかもしれない。
 着替えなどの荷物は2019年中にゆうパックで送っているので、8時半前に小さなキャリーバッグ1個を引っ張って歩いて出発。幸いにして雪や雨はなく、この季節にしては気温もそれほど低くはなく、よく晴れている。近くのバス停からバスで山形駅へと向かい、9時発の仙台空港行高速バスに乗る。

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(よく晴れた山形駅前で高速バスを待つ。今年の冬はここまで降雪がとても少ない)

 空港には10時10分着。まずは長丁場のフライトに備えて食事だ。
 空港内のレストランには大きな期待はしていないので、何か腹に入ればよろしい。エスカレーターでレストランフロアに上がり、右手にあった「MMC ORGANIC CAFE」でいいか。
 カレーライスが980円でこれがほぼ最安。それは過去に一度食べているので、最近マイブームの「昔ながらのナポリタン」1,080円にしてみた。これについてはまだ沖縄のことではないので、別途別のブログで書くことになる。

 機内では飛んでから30分ほどの段階で手元の文庫本を読み終えてしまう。あれまあ、高速バスで読みすぎたかな。別の文庫本は少し前のほうの荷物入れに入れたキャリーバッグに入っているので取ることができず、やむを得ず睡眠をとるはめになる。わりと目は冴えていたのに。時間がもったいなかったな。

 15時10分那覇空港着。すぐにレンタカーのりばに向かい、61泊62日のレンタカーを5万3千円ほどでゲット。慣れないメーカーのナビに翻弄されつつ16時半過ぎには滞在地となる与那原町東浜のウィークリーマンション着。暗唱番号により入り口ドアを開け、これまた暗唱ダイヤル式の郵便ポストの中から部屋の鍵を取り出してようやく入室となる。
 部屋は、想像していたよりも広くなく、ややチープな感じ。というよりも、紹介ページに載っていた写真がゴージャス過ぎて嘘くさかったというのが本当のところだろう。東南の角部屋で、リビングからは東浜の東側の先の未開発地域と、そのむこうには馬天あたりの海が見える。南側は与那原の旧市街と埋立地の間の水路が見え、環境は概ね想定どおりのまあまあといったところだ。
 備品は充実しており、これならば家から俎板だの包丁だの洗濯ばさみだのは持ってこなくてよかったようだ。電気水道はどう使っても定額制で事前に支払っているので、あまり節約せず生活のしやすさ優先で使ってしまおう。

 まずは買い物だ。至近にある東浜のショッピングセンターにはスーパー、100円ショップ、ディスカウントショップ、ハンバーガーのA&Wと何でも揃っているようなので、そこへ直行。
 まずは「ダイソーあがりはまSC店」で、大きい氷を作る製氷皿、その氷が入る大きなコップなどを買う。生活の中で夜の飲み方に使うココには多少こだわりたい。
 そして食料調達のため「スーパーかねひで東浜店」へ。朝用の食パン、マーガリン、牛乳。今夜のビールと缶チューハイ、アテのフーチャンプルー弁当、ごはんに合わせる板海苔や島豆腐、調理等に使う醤油とだし醤油、与那原町のごみ袋など2,100円相当を買う。

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(かねひででお買い物。夕日の時間帯になっている。)

 戻って、パソコンがネットにつながることを確認し、一段落して18時半。ここまではいいのだが、テレビを点けると、映らない。「信号を受信できません」とのこと。思わぬところに落とし穴があったという感じだ。何度か初期設定を試みるがうまくいかず、えーいとばかりに工場出荷状態に初期化してから再度試みたら、やっと映るようになった。まったく。もう19時だよ。

 しばらくパソコン作業をしてその後飲み始めたところに、20時過ぎ、山形から送ったゆうパックが到着。着替えはほぼすべてゆうパックに入れていたので、これが着かないうちは普段着に着替えることもできないのだった。
 しかし、インナーにワイシャツといった姿で部屋にいても寒くない。さすが沖縄だ。

 フーチャンプルー弁当を食べて、風呂。自宅で入るように熱い湯に長時間とはいかないような小さな風呂だが、それなりに寛げる。あったまってなかなか汗が引かず、しばらく下着姿で扇風機の風に当たるが、誰にも遠慮することがなく、これも一人暮らしのいいところだ。
 今夜は沖縄第1夜なので、風呂上がりにもう一杯。さっそくつくった大きな氷で缶チューハイを飲む。23時まで飲んで、その後に減速。
 さあ、明日から行動開始だ。

 これでようやく桜島を脱して灰かぐらから逃れ(笑)、垂水市にある映画のワンシーンのようだという「たるみず千本イチョウ」を見に行く。第1回目の「鹿児島景観大賞」を受賞したという。
 ナビがまたもや変な場所に連れて行くので難儀したもののなんとかたどり着く。しかし、11月下旬から12月上旬が見頃だというイチョウはまだ色づいていず不発に終わる。高いところから垂水の田園風景を眺めたにとどまった。

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イチョウは不発。垂水の田園風景を眺める

 鹿屋に進んで、「荒平神社」。
 海に突きでた島のような岩山上に神社が建てられている、風光明媚なところだ。もう15時近くになってしまっている。

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荒平神社

 「鹿屋航空基地史料館」。
 自衛隊鹿屋駐屯地の内部にあり、史料館前庭の「飛行機公園」にはやや旧式だといううらみがあるものの、軍用ヘリや対潜哨戒機、魚雷砲弾などがずらりと陳列されていて、まずはこれらに圧倒される。頭上では現役のヘリの練習機が頻繁に飛んでいる。
 建物内部では、いかにも自衛官上がりという紳士がお出迎え。旭川の「北鎮資料館」でもそうだったが、自衛隊直営の展示館には今でも旧日本軍の雰囲気が漂っている。好きなのだ、こういうの。
 旧日本海軍創設期から第2次世界大戦までの資料が展示され、特攻隊員の遺書、遺品などもあり、隊員たちが復元したという零戦も。海軍の名君として東郷平八郎や山本五十六はもちろんだが、彼らに交じって沖縄戦で海軍司令部を背負って立った太田實が加わっていたのがうれしかった。面白いのでつい長居をしてしまい、16時10分まで。

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鹿屋航空基地史料館

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敷地内には昭和時代に活躍した自衛隊機がいくつも並んでいる

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ここでも展示のメインは復元した零戦だった

 史料館に並んで建つ「鹿屋市観光物産総合センター」のレストランでは「鹿屋海軍航空カレー」を食べたかったのだが、この時間ではやっていず。

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「鹿屋市観光物産総合センター」。ここで「鹿屋海軍航空カレー」を食べたかったのだが

 鹿屋では「鹿屋市鉄道記念館」にも寄ってみた。
 旧国鉄大隈線の歴史を示す展示品等があるというのだが、北海道の各地で見てきたものとは陳列のレベルが違い、ここも不発だっただろうか。

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「鹿屋市鉄道記念館」は陳列がプアで不発

 錦江町に至って、「神川大滝」。
 山道を分け入って、神ノ川に架かる「神の川虹のつりはし大滝橋」の上から滝を見る。幅30m、高さ25mと雄大だ。ああもう。そうこうするうちに17時。もう暗くなってきた。

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神川大滝

 17時18分には、たまたまその時間に通りかかった「城元(きもと)展望所」から落陽を眺める。

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「城元展望所」から眺めた落陽。今回の車旅では夕陽を眺める機会がとても多い

 そうなればもう手遅れだろうと思いつつ、南大隅町にあり、滝壺の水がきれいなエメラルドグリーンだという「雄川の滝」も見に行く。
 ここもまた山奥かつ細道のためかなり難儀して駐車場まで進んだのだが、そこからさらに遊歩道を上っていかなければならないのだった。それは無理でしょ、もう暗くなっているもの。

 さあ、今日も上がりだ。最寄りの入浴施設は「ねじめ温泉ネッピー館」しかない。月曜休みで祝日なら翌火曜休だというのでぎくりとしたが、それは第2月曜だけのようで、第1のこの日は大丈夫だったのでほっとした。
 円形の大浴槽は広くて深めでいい塩梅で、体の隅々まで入り込んだ細かい火山灰が流されていくようだ。石鹸・シャンプー類は置いていず、これで2日連続で使わないことになるが、皮膚科の医者からあまり体を洗い過ぎるなと言われているので気にしない。むしろ脚の痒さは日々収まってきている。
 この風呂で330円は安い。コスパはこの旅で随一かもしれない。

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ねじめ温泉ネッピー館

 ステイは、これもこの地域では唯一となる「道の駅根占」にて。
 夜だとよく認識できずに通り過ぎてしまうほどの小さな道の駅だ。道路沿いに小さな駐車場があり、売店や道路情報が得られる建屋は少し高いところにあって、トイレはさらにスロープを上って行かなければならないうら寂しいところにつくられている。
 下の駐車場よりも少し高いところに舗装なしの空き地があったのでそこに車を停め、対岸の薩摩半島のかすかな灯りを眺めながら、缶チューハイをごくり。350ml2本でけっこう酔ってしまう。
 明日も元気に走るため、21時半には就寝とする。

 11月5日の走行距離は251km。

 ウィークリーマンションで迎える初めての朝。外はまだ暗いが、何時かなと思って時計を見ると6時50分。ゆっくり眠ったな。
 東浜のさらに東方の海がようやく明らんできたいわゆる「あけもどろ」の時間帯。沖縄の夜明けだ。「明け」+「もどろ」。谷川健一によれば「もどろ」は本土でつかう「しどろもどろ」の「もどろ」で、まだぼんやりしている状態を表す語だという。昔々の沖縄では、太陽はこの先にある「太陽(てぃだ)の穴」から上がってくると思われていた。神様の住まう「ニライカナイ」もこの東方海上のずっとむこうにあることになっている。
 7時25分にはようやく南城市の山手から朝日が昇ってきた。

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(部屋の窓から見えた沖縄の「あけもどろ」)

 これがやりたいと思っていた、トーストチンにマーガリンを塗って食べるゆっくりとしたコーヒータイム。備品のトースターの調子も上々だ。
 テレビのニュースを見、パソコンをしながらそれをやるのは、大きくない1LDKでの一人の朝だからできることだ。持参した保温性の高い大きめのマグカップで飲むコーヒーが香る。こんがりきつね色のトーストにはマーガリンがすごく合うが、いちごジャムでもイケそうだ。
 朝の時間を部屋でまったりと過ごす。旅でやってきたのであればこうのんびりとしているわけにはいかないが、ステイであり、しかもその第1回目の朝であれば、こういう過ごし方もいいのではないか。

 9時過ぎ、出発。まずは今月初旬から観られる組踊等のチケットを買いに、浦添勢理客(うらそえじっちゃく)の「国立劇場おきなわ」へ。10時の開館だったので少し待って、開場と同時にチケットカウンターで6つのチケットを買う。それらは、①今日の新春組踊大公演の「執心鐘入」と「花売の縁」、②明日の新春組踊大公演の「護佐丸敵討」と「万歳敵討」、③1月10日の劇団綾船「冬の夜雨」(かりゆし芸能公演)、④1月11日の「琉球舞踊公演 春夏秋冬を舞う」、⑤1月18日の組踊パロディ「企画公演 ゆらてぃく遊ば」、⑥2月22日の「組踊公演「伏山敵討」(ふしやまてきうち)」。合計16,500円だが、今日の分も含めて全部前売りの金額で買えたし、2月の公演は早割なのかさらに500円安く買えたので、よしとしておこう。

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(2か月間の相棒となるレンタカーはマツダのフレアだ)

 その後、部屋にいながらラジオで沖縄民謡を聴くのもいいかなと思い、ここでは中古品を安く売っていないかと「ハードオフ宜野湾はにんす店」まで足をのばしてみる。しかし、ラジオなどという安物はほとんど置いていないのだった。ではいずれ電気店で買うことにするかどうか、よく考えてみよう。価格によるのだろうな。
 一度与那原に戻って、冷たい酒類と今夜のあっさりしたご飯に使う明太子を買って冷蔵庫に入れ、持参した米を2合研いで炊飯の予約をセットし、13時、再度国立劇場へと向かう。

 今日の昼メシはしばらく食べていなかった沖縄そばをぜひとも食べたかったので、途中、南風原町大名の道沿いにあった「中村商店」という沖縄そば屋に飛び込んで、ゆしどうふそば(小)650円を腹に入れる。
 見た目シンプル過ぎてパッとしないけれども、これは写真を撮るときに紅生姜を添えるのを忘れたことが大きく影響している。ゆしどうふの量が少ないのが不満だが、香り高い鰹風味のダシは天下一品だ。沖縄そばのいいところはこれだよな。
 あまり時間の余裕がなく急いで食べたので、その後に汗がドバッと出て大変だった。車にタオルを1本入れておかなければいけない。

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(「中村商店」のゆしどうふそば)

 「国立劇場おきなわ」には、14時開演の10分前に到着。沖縄の地域間の移動時間の読みなり距離感はある程度身に付いている。
 今日の「新春組踊大公演」は、組踊の祖といわれる玉城朝薫の五番の中でも必ず最初に名の上がる「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」と、戦後すぐのクリスマスに捕虜収容所でも演じられたという高宮城親雲上(たかみやぐすくペーチン)作の「花売の縁(はなういぬいん)」の2本が続けて見られるという豪華版だ。
 特に「執心鐘入」については、書籍等で紹介されているのを何度も読んだりしているが、実際に観るのは沖縄通い27年目にして初めてとなる。1719年に首里城で初演されてから300年。実はつい最近、この「執心鐘入」について島尾敏雄が学生向けにわかりやすく講義したのを読んだばかりだったので、見どころやあらすじがよくわかって観られたのがよかった。
 「執心鐘入」では、中城若松役の佐辺良和と宿の女役の新垣悟がよかった。「花売の縁」では、乙樽役の大湾三瑠と森川の子役の島袋光尋。猿引の猿役をやった糸数彰馬はまだ5歳ぐらいだったのではないか。
 終演16時15分。明日の敵討ちもの2本も楽しみだ。

 那覇名物の渋滞にはまりつつ17時までには帰宅して、ここまでのドキュメントを書いて、18時半からは部屋飲みを始める。島豆腐の冷奴とダイソーで買った焼き干し芋。暖かいのでシャツ1枚になって寛ぐ。寒い北国ではいかに暖冬だとはいってもこうはいかない。今日は外では長袖シャツだけで十分で、半袖シャツ姿で歩く人もけっこういた。
 〆は炊き立てごはんに明太子を載せ、海苔でくるりと巻いて食べる。もう最高。こういうものがまずいはずがない。備品の炊飯器のごはんの炊け方もいい。ここまででは備品を含めたアメニティについて、不足感はない。

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(部屋の様子はこんな感じ)

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(もう1枚)

 21時半までには飲みと食事を終え、軽くシャワー。あとは本を読んだりして、22時半頃には就寝。

 2019年11月6日(水)。
 4時45分起床。起きる時間がだんだん早くなっている。というのも、明るくなったらすぐに行動しないとあっという間に日が暮れてしまうからなのだ。日没は17時半前ぐらいになっている。暗くなってからは車の運転も楽しくないし、眼も疲れる。
 砂利敷きの駐車場を使ったのは自分だけだったようで、耳栓いらずの極めて静かな夜だった。
 トイレから車に戻ろうとすると、眼前にはぎらぎらと輝く星空。オリオン座が嘘のようにはっきりと見える。こんなにすごい星空を見たのは久しぶりだ。
 この日は夜明け前にスタートして本土最南端の佐多岬を攻め、そこで朝焼けを迎えようという考えだ。その後は肝付、志布志を通って宮崎県の串間、日南、宮崎市へと進んでいく。5時20分発。暗すぎて、ステイした「道の駅根占」は暗すぎて撮影できずに終わる。

 暗い中を走って、朝6時のチャイムが鳴るのと同時に、2018年1月に完成したという「佐多岬展望公園」に着く。
 駐車場の手前にあった「北緯31度線展望広場」や公園駐車場から見る景色を撮ってみるが、光量が足りずうまく撮れない。でははじめに遊歩道を歩いて「佐多岬灯台」を目指そう。
 と、歩き始めて、長い歩道トンネルを抜け、台風で一部破損した遊歩道を進んでいくが、展望台や灯台はまだまだ遠くの山の上。これはやめておいたほうが無難だな。「御崎神社」まで行って、そこから戻ることにする。

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6時過ぎの「佐多岬展望公園」。まだ写真撮影には不適だ

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遊歩道を進むが、展望台や灯台は遠く暗い。これはやめておいたほうが得策だ

 駐車場に戻った6時半頃にはようやく写真もいい感じで取れるようになり、風景などを撮る。駐車場にあった大きなガジュマルの樹も印象的だった。
 暗い中を40分もかけてくる価値があったのかどうかは正直疑問だが、まあ、先っちょは省略しないでちゃんと攻めていますよ、ということだろうか。

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「佐多岬展望公園」のまだ新しい売店

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園地の真ん中には大きなガジュマルの樹があった。ここは南国なのだな

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6時半にはこういう写真が撮れるようになった

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「北緯31度線展望広場」も忘れずに撮る

 佐多岬から60kmを1時間20分ほど走って、知る人ぞ知る穴場スポットだという肝付町の「辺塚(へつか)海岸」へ。
 穴場というだけあって、船間(ふなま)地区から国道を離れて細道をさらに5kmぐらい進み、浜辺へと向かう狭い小径をのろのろ進んでようやく到着。ここまで来る旅の者は少ないにちがいない。
 浜の手前から見る景色は絶品で、朝日を浴びて美しい。砂浜自体は本土の火山性土質なので沖縄などの離島のような白いものではないものの、この感動は奄美加計呂麻島の諸鈍湾を初めて訪れたときのそれとよく似ている。

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絶品だった「辺塚海岸」

 さらに進んでいくと、走っている幹線から脇道にそれることなく「岸良(きしら)海岸」が見えたので、遠望しておく。こちらは展望所もあって、辺塚海岸よりもずっとメジャーな印象だ。

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「岸良海岸」も贅沢ないい眺めだ