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 7時前起床。昨日は那覇で16.8℃までしか上がらず、今朝はこの冬一番の寒さとなるとの予報だったので、エアコンの設定温度を1度上げて25℃にして寝た。結果としてはそれがよかったようで、寒さを感じずに心地よく眠れた。7時半頃には数日ぶりに朝日を望むことができた。
 だが、徐々に雲に覆われてきて、結局は曇りがちの一日となり、一時は雨も。これまでと同じ服装で室内にとどまっていると少し肌寒い。東北地方や北海道では雪が降っているらしい。
 日本時間の昨深夜、WHOが新型コロナウイルス感染による肺炎について「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」に当たると宣言したとの報道。それも遅きに失したという評価が一般的なようだ。

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(8時20分のあがりティーダ)

 また、南の窓からは、知念高校の校舎が朝の光で輝いているように見えた。
 今読んでいる「焦土に咲いた花 戦争と沖縄芸能」(琉球新報社編著、2018)には、琉球古典音楽野村流の普及に貢献した「声楽譜付工工四」作者の世禮國男(せれいくにお)のことが載っていて、その世禮は戦後、知念高校の創立に尽力し、初代校長になったことが書かれていた。
 知念高校は戦後すぐに知念市志喜屋(現南城市知念字志喜屋)に開校され、現在の場所に移転したのは1952年。今年で創立75周年を迎える。
 付け加えておくと、芥川賞作家の大城立裕は、戦時中の教育者としての世禮を軍国主義教育の一端を担う人物として記憶しており、不信感を抱いていたという。

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(南側の窓から見える知念高等学校)

 トースト1枚と、田芋パイ1個とコーヒー。本を読み始めてゆっくりする。
 昨日株価が大幅に下落したのを受けて、今日も下げたならばいい買い時なのだろうと9銘柄に買い注文を入れるが、ウィルス騒ぎはいったん一段落したようで、今日は昨日分の下げをある程度戻した。したがって、本日の約定取引はなしとなる。ただ、中国製品の生産が停滞すると、サプライチェーンに支障をきたして産業全体が沈滞してしまうことも考えられる。そうなると世界経済にも大きな影響が出ることにもなるので、要注意だ。

 10時半を回ったところで、ステイ中の楽しみのひとつになっている「たけの子食堂」へ。入店3回目となる今回は、なすみそ炒め650円にしてみる。
 やさしい味噌味。適度な大きさにカットされ、揚げ炒められてしんなりとしたナスのほかに、これも少し揚げられた豆腐とポークランチョンミート、ほかにピーマン、ニンジン、ニラ、タマネギなども入っている。
 味噌の中に豚挽肉のようなものが入っているのを見て気がついたが、この一皿は沖縄のあんだすんすぅ(油味噌)の味なのだった。
 こううまいとごはんが進んで量が足りないが、このぐらいでやめておくのが消化器や体にはいいのだろう。さて、次に行くときには何にしようか。しょうが焼きか煮付けあたりが有力候補だな。

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(「たけの子食堂」のなすみそ炒め)

 まっすぐ部屋に戻れば、まだ11時半にもなっていない。よし、読書だ。
 先に挙げた「焦土に咲いた花 戦争と沖縄芸能」や「花のあと」(藤沢周平著、文春文庫、1989)を読む。
 16時からは「民謡で今日拝なびら」。まだ上原直彦が休んでいて、代理を元ちゃんこと前川守賢が島袋千恵美とともに番組を進めている。かかった曲は、小浜守栄「四季の喜び」、ネーネーズ「島々かいしゃ」、民謡鶯組「本部大漁節」、松田しのぶ「下千鳥(さぎちじゅやー)」、波田間武雄「津堅海ヤカラー」、前川ゆきえ「赤さでぃぐぬ花」。
 小浜守栄は嘉手苅林昌の一番ドゥシ(親友)でほぼ半世紀前の唄者、松田しのぶはザ・フェーレーのメンバーでもある松田弘一の娘、波田間武雄もまたフェーレーの一味、前川ゆきえは元ちゃんの刀自(妻)だ。
 このように居ながらにして心地よいウチナーグチとともに沖縄民謡のシャワーを浴びることができるのはシアワセなことだ。

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(前川守賢)

 17時過ぎ、昨日のクリーム煮などで腹ごしらえをして、17時45分、何日ぶりかで“通勤路”を小一時間走って「国立劇場おきなわ」へ。
 金曜日は「かりゆし芸能公演」のある日で、この日は19時から「玉城流琉花の会 今宵、琉球の花咲く」がある。今回は会の若手舞踊家が中心となるようで、ほとんど知る顔ぶれは出ないのだが、かりゆし芸能公演はこの後しばらくは子ども公演や国立おきなわを離れて行われる移動公演が続き、滞在中にはこれを含めてあと2回しか見られないので、観ておくことにするものだ。
 車を停めるとにわか雨。寒さを感じて、この滞在中初めてフード付きの外套を羽織って会場入りする。

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(かりゆし芸能公演「玉城流琉花の会」のチラシ)

 「玉城流琉花の会」の実態がよくわからないのだけど、もしかしたら国立おきなわで講演するときなどに集まる玉城流の舞踊家集団なのかもしれない。パンフレットによれば、会主は喜瀬陽子で、この人が所属している玉城流冠千会のメンバーが中心になっているようだ。
 電話でチケットの予約を申し込んだ相手は、連絡先になっている「福島」さんだったが、パンフによれば事務局は「福島千枝」とある。ということは、電話の相手はこの人だったのだろうか。福島千枝は、大阪出身で沖縄に惹かれて沖縄県立芸術大学へと進み、同大学院琉球舞踊・組踊専修を修了し、今最も輝いている琉球舞踊家の一人だと思っている。そんなすごい人をつかまえて「チケット1枚お願いしま~す」などとやっていたわけだ。オーマイゴッドである。

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(金細工(かんぜーくー)を踊る福島千枝)

 プログラムは、「長者の大主」から始まって「しゅんどう」「むんじゅる」「谷茶前」「武の舞」「貫花」「獅子舞」「金細工」ときて、最後は創作舞踊の群舞「パーランクー」で終わる。初見のものがほぼないぐらいになじみの演目が続いた。
 この中では、「むんじゅる」を一人で舞い、「金細工」で遊女のモーサーを演じた糸数茜が最もよかった。この人も玉城流冠千会で教師をしている。教師は師範の一歩手前なのだが、道場では年配の師範を凌いで実質的な指導に当たっているであろうことは想像に難くない。
 もう一人は吉田真和。「武の舞」で一人舞いの棒術を披露し、「金細工」では遊郭のアンマー(抱え親)役をコミカルに演じていた。沖縄県立芸大では古謝渚らと同期だったようだ。口元の赤い紅のひき方がなんだか「宮古島マモル君」を連想させるのだった。
 こうしてみると、現在の琉球舞踊、組踊、歌劇の継続・繁栄には、県立芸大での人材育成がいかに重要な役割を果たしてきたかがよくわかる。

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(「加那ヨー」を舞う糸数茜(左)と島袋安子(2012年))

 終演20時35分。行きは50分以上かかったが、戻りは30分でマンションに到着。
 公演の余韻を味わいながらこの日のドキュメントをして、23時近くになってからシャワーを浴びて、缶ビールでクールダウン。
 深夜のニュースでは、イギリスのEU離脱が現地時間の1月31日の23時に実行されることを報じている。
 ベッドへ移動したのは24時を回ってしまい、その後本を読んだので、消灯は25時を過ぎた。

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   講談社  1,850円+税   2018年6月19日 第1刷
   2018年7月18日 第2刷発行

 「小説現代」の2018年6月号に掲載されてほぼただちに単行化されたもの。
 英雄を失った島に新たな魂が立ち上がる。固い絆で結ばれた3人の幼馴染み、グスク、レイ、ヤマコ。生きるとは走ること、抗うこと、そして想い続けることだった。
 少年少女は警官になり、教師になり、テロリストになり、同じ夢に向かった。
 ――という、青春と革命の、546ページの重厚な一大叙事詩。
 読み終えてから知りましたがこの本、2018年のうちに山田風太郎賞を受賞して、その後の今年1月には直木賞も獲っていたのですね。

 希望を祈るな。立ち上がり、掴み取れ。愛は囁くな。大声で叫び、歌い上げろ。信じよう。仲間との絆を、美しい海を、熱を、人間の力を。(コシマキから)
 沖縄人民党の瀬長亀次郎の沖縄刑務所での服役、1959年の石川市宮森小学校の米軍ジェット機墜落、沖縄の暴力団抗争、1970年冬のコザ暴動などの、戦後の沖縄で実際にあったことをうまく絡めたストーリー展開になっています。

 実に多くのところにウチナーグチのルビがふられており、ヤマトンチュの著者はどうしてここまでウチナーグチに詳しいのだろうと思いながら読みましたが、あとで知るところによれば著者は、沖縄に頻繁に足を運び、沖縄関連書籍を読み、沖縄関連記事をスクラップしていた父親の影響が絶大だったのに加え、恒川光太郎、池上永一、目取真俊、大城立裕、又吉栄喜の作品も読んで、「沖縄」を自身の中に蓄積していったということです。
 それにしてもウチナーグチへの理解はすごいものだと思います。

 「週刊朝日」(2019年2月15日号)に掲載された「ベストセラー解読」がウェブ上にあったので、以下に引用しておきます。

・破格の叙事詩
 戦後から1972年までの沖縄史を描く真藤順丈の直木賞受賞作、「宝島」。語り部はこの島の地霊で、時おり複数の声を交えながら、米国統治下にあった沖縄の実状を発火しそうな熱量で物語る。
 巻頭に登場するのは、「戦果アギヤー(戦果をあげる者)」の若者たち。彼らは自分たちが生きるために米軍の倉庫から食糧や薬などを盗んだが、オンちゃんは、それらを地元コザの貧困者たちに惜しみなく与え続けた。義賊のような20歳のオンちゃんは、いつしか島民の尊敬と寵愛を集める英雄となっていた。
 しかし52年の夏、極東最大の嘉手納空軍基地を襲った夜に、オンちゃんは忽然と姿を消してしまう。物語の主役はここから幼なじみの3人、略奪に加わったグスク、弟のレイ、オンちゃんの恋人ヤマコへと移る。それぞれのやり方で英雄の消息を探る3人のその後20年を描き、米国の<恫喝と懐柔のチャンプルー>のような仕打ちに翻弄されながら生きる沖縄の人々の、過酷な現実をまざまざと見せつける。
 そして、あの夜、「予定にない戦果」を入手したらしいオンちゃんの生還を期待して読み進めるうちに、気づけば、怒りが胸一杯に湧きあがっていた。それは非道の犯罪をくり返す米軍だけでなく、米国と同じく空約束を切って恥じない日本政府にも向かい、今も続く沖縄への一方的な施策へと転がっていく。
 ここに語られた破格の叙事詩は、オンちゃんが遺した言葉を通して、英雄のいない世界に生きる態度を読む者に問うてくる。
 <さあ、起(う)きらんね。そろそろほんとうに生きるときがきた──>
(長薗安浩)
(2019.8.18 読)

 明るみ始めた7時起床。いよいよ2月に入って、沖縄の各地ではプロ野球の春季キャンプが始まった。沖縄ステイもこの日が30日目となり、期間の概ね半分が経過したことになる。何でもそう感じるものだが、残りの半分はあっという間に過ぎていくことになるだろう。家族の入院という心に引っかかるものがあるものの、ここまでは楽しい沖縄生活をすることができたので、残り半分もこの日々を満喫したいものだ。
 新型ウィルスの蔓延などのため、アメリカの株価は600ドル以上値を下げ、この1年で最大の下げ幅となったとニュースが報じている。中国は、影響力は大きいけれども「なっちゃいない国」だとの印象がますます強まる。

 この日は、11時から那覇の琉球新報ホールで行われる「おきなわ文化の祭典 大琉球浪漫 沖縄芝居に恋したら」を見に行く。そのため、朝のルーチンはいつもよりも手早くこなして、9時には外出を開始する。
 公演時間までには小1時間程度の余裕があるので、那覇に向かう国道沿い、上与那原の「ジェフ与那原店」に寄って遅い朝食をとることにする。沖縄訪問の際には「A&W」はよく使うが、Jefには10年以上前に2回、サンライズ那覇店と豊見城店しか利用したことがない。そのときはたしか「ぬーやるバーガー」を食べたのだった。調べてみるとJefは、今や沖縄県内にこの2店を含めて3店舗しかなく、もう1つは本社所在地でもあるこの与那原店なのだった。
 ハムエッグサンドのモーニングセット490円。ドレッシングまみれの極小サラダパックとこれまた極小のドリンクが付いてきた。おままごとではないのだから、価格は上がってもいいのでもっときちんとしたものを付けてほしい。もしそれができないのであれば、はじめから付けなければいい。ソーセージマフィンのバリューセットが330円で食べられるマックのほうが数段上をいっているぞ。

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(ジェフ与那原店)

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(「ジェフ与那原店」のハムエッグサンドのモーニングセット)

 「ジェフ与那原店」の国道329号を挟んで向かいには「ひが家具」の建物があった。
 与那原を初めて訪れたのは20年ほど前のことで、そのときは盛りがいい沖縄の大衆食堂のなかでも当時最高峰と噂されていた「かっちゃん」という店のちゃんぽんを食べに来たのだった。当時のレンタカーにはナビなど付いていなかったので、出発前に入念に下調べをして、この「ひが家具」を目印にした地図を持参してアプローチしたことをよく覚えている。
 「かっちゃん」は閉店して久しいが、保存している当時の資料を見ると「ひが家具」のやや東側にあったようで、その建物には居酒屋が入っていた。

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(Jefの向かいは懐かしの「ひが家具」)

 さて、1月19日に新作組踊の「対馬丸」を観て以来の「琉球新報ホール」へ。10時半には県庁地下の公共駐車場に入庫して、新報ビル3階のホールへと向かう。
 琉球新報社が主催して、沖縄芸能連盟の共催によって行われる「おきなわ文化の祭典」は、なんと琉球歌劇の豪華2本立て。これは少々高くても(前売3,500円)ぜひ観なければならない。知念亜紀、伊良波さゆき、金城真次の3人のほかに立方として誰が出るのかもわからないままチケットを買ったが、錚々たる立方が勢揃いした感があり、結果としては大正解だった。

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(またやってきました、「琉球新報ホール」)

 客は6割ほどの入りで、高齢者多し。おばぁたちは場所柄など委細関係なく大声でしゃべるので、客席全体が激しくざわついている。沖縄初心者ならコレハナンダと顔をしかめ、人によっては怒りだしたりする向きもあろうが、こういうことは沖縄では当たり前のことなのがわかっているので、気にしないでおこう。
 はじめに幕開けの舞踊ということで、知念亜紀をはじめとしたこの日の演じ手のきれいどころ4人が「いちゅび小」を舞う。ちなみに「いちゅび」とは野苺のことだ。可憐な「いちゅび」に惚れ込んで遠くの村から男たちが通ってくるといえば、「いちゅび」が何を指しているかは言わずもがなだろう。

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(「沖縄文化の祭典 大琉球浪漫 沖縄芝居公演」のチラシ)

 そして1本目の劇は、現代明朗歌劇「美人の妻 情けの妻」。一名「ポーポーハンシー」ともいわれるもので、真境名由康の作だ。
 人々で賑わう夕暮れの若狭町通りで、カマデー(嘉数道彦)は、薄情者の先妻モーサー(伊良波さゆき)と出くわし、付きまとわれてほとほと愛想が尽きる。さらに、帰宅すると、今度は妻グジー(奥平由依)の友人メーヌー(儀間佳和子)から愛を告白され、困ってしまう。
 メーヌーの夫の次郎(玉城匠)は近所に住むカマデーの親友であり、何よりもカマデーは妻を心から愛していた。
 実は、一方の足が悪く内気なグジーが、モテモテのカマデーが本当は妻のことを不満に思っているのではないかと心配だったので、夫の本心を確かめるためにメーヌーに頼み込んで一芝居打ってもらったのだった。
 夫の真心を知ったグジーは、女性から届けられたものだと思い込んで隠していた夫宛ての手紙を差し出す。差出人は学生時代の友人島袋三郎(上原崇弘)。二人はどちらが良い妻を娶ったか数年後に勝負しようと約束を交わしていた。手紙には、三郎がやって来るのは今日だと書いてある。足の悪いグジーは、自分では絶対に負けると思い、美人のメーヌーを妻として借りてはどうかと提案する。

 現代明朗歌劇とはどんなものかと思ったが、登場人物は沖縄民謡の節に合わせて「明朗に」歌いながら演技し、男性の衣装は作業服風だったり浴衣だったりと、わりと「現代」風なのだった。
 幕開け時にポーポー売りとして登場した瀬名波孝子はすごく張りのある声でうたうのでびっくり。80歳を大きく超えても足腰はまだまだ丈夫そうだ。
 妻グジー役の奥平由依は、ヤナカーギーで足が悪く内気という役回りなのであまり目立たない。だがこの子、パワー全開の「沖縄燦燦」にも出ていて、弾けた演技をしていたよな。
 その半面、その友人メーヌーを演じた儀間佳和子(かなこ)は健康そうな表情、愛嬌ある演技、明朗な歌声、板についたウチナーグチと縦横の活躍で、彫りの深い顔立ちも手伝ってひときわ輝いて見える。玉城流扇寿会の20代の新鋭ということで、将来が楽しみだ。
 先妻モーサー役の伊良波さゆきはすらりとした立ち姿がよく、笑って泣いて、ふくれっ面をしてと、表情豊かでふっきれた演技を見せる。さゆきは伊良波尹吉(いんきち)の孫で、尹吉の子の伊良波冴子は叔母に当たるのだという。
 また会いましたねという感じの玉城匠が舞台全体の雰囲気を醸し出すようないい味を出している。また、尾類(ジュリ)役でジュリ馬を踊って見せた伊波留依も小柄でかわいく、三枚目もこなせそうなタイプだろうか。

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(「かせかけ」を舞う儀間佳和子)

 2つめは、伊良波尹吉作の時代歌劇「音楽家の恋」だ。こちらは1本目よりもやや時代を遡る作品で、王府仕えの男性や辻の遊女などが登場し、人物はすべてウチナースガイ、セリフは歌ではなく小節のリフレインにのせて唱えられる。
 玉村樽金(金城真次)の妻チルー(伊良波さゆき)は、辻遊郭に入り浸って何カ月も帰らない夫へ、文を渡すために男装して遊郭にやってきた。音楽の才に秀でている樽金が入れあげている尾類(遊女)はマカテー(知念亜希)といい、彼女もまた評判の歌い手で、音楽が二人を強く結びつけていた。
 妻からの文は、マカテーから夫の手へと渡される。そこには樽金の放蕩ぶりに立腹した一門が、樽金を島流しにせよと言っているので、すぐに公務へと戻るようにとの助言があった。
 公務に復帰した樽金が3か月ぶりに家に帰ると、妻は不在にしていた。聞けば、マカテーを思う気持ちの半分でいいから愛してほしいという健気な女心から、音楽を習いに行っているという。

 第1幕に続いて伊良波さゆきが主要どころを熱演。マカテー役の知念亜希は安定した所作、歌声、演技だ。小顔で華奢な体つきなのにがんばっている。
 このほかに劇中で光っていたのは、下男三良役の嘉数道彦と下女マグヂャー役の伊禮門綾だった。とかく硬めの雰囲気になってしまうシリアスな男女の掛け合いを茶化し、ほぐすように、二人が馬鹿々々しくもおかしいことをやってくれるので、観客は大笑い。当方も涙が出るぐらい笑わせてもらった。特に伊禮門は、下女や村娘といった庶民の滑稽役をやらせたら今や右に出る者はいないのではないか。将来的には仲田幸子のような独自の境地を打ち立てて末永く活躍してもらいたいものだ。
 終演13時48分。いいものを見せてもらった。

 与那原に戻って14時半近く。軽くラーメンを啜って帰ることにして、与那原では玄人受けしていると目される「ナギサ(NAGISA)」へと立ち寄る。2019年2月オープンの、あれは夫婦なのか、若い男女がやっている店だ。
 醬油らーめん790円。毎日店でつくるという自家製麺はストレートの細麺。丸鶏で取ったスープと全国から選りすぐってブレンドしたという醤油のかえしはなかなかのもので、醤油香とコクがあってうまい。生醤油の香りは久しぶりのことで、沖縄そばの日々が続いているのですでに懐かしさを感じたりもする。チャーシューは低温製法によるもので生ハムのような食感があった。
 沖縄でなければ食べることができないというものではないが、国民食としてのラーメンはどこの地域に行っても少しは食べておきたいし、たまに食べたくなるものだ。

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(「ナギサ(NAGISA)」の醬油らーめん)

 15時前に部屋戻り。本日のドキュメントなどをやっているうちに18時を回ってしまう。沖縄の場合、真冬のこの時期であっても18時ぐらいまでならまだ陽が残っている。まだ明るいと油断していると、思っているよりもずっと時間が経っているのだった。

 夜は、袋物のおでんとてびちを鍋に開け、それに豆腐とレタスを投入して沖縄風おでんをつくって、それをつまみに飲む。レタスは最後にほんの少し加熱するだけでよく、しゃっきりしてうまい。てびちを入れると味が本土のおでんとは全く異なるものになり、手や口の周りがコラーゲンでペトペトになる。やはり袋物のてびちは定食屋で食べるのとは違う。2皿食べてもまだあるので、残りは明日食べよう。

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(沖縄おでんをつくって食べる)

 21時には飲み終えて、あとはダラダラとして寛ぐ。
 23時15分から寝床で本を読んで睡眠へ。

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   竹書房  473円+税
   2011年3月7日 第1刷発行

 食べ物を扱った本は、人間の3大欲求のひとつの「食欲」が健康であることの裏返しで、読んでいて気が楽だし、「睡眠欲」のように退屈になるものでもないし、「性欲」のように第三者が対象になることもないのでまったく罪がありません。
 特に対象が定食となれば、それらは庶民の味方の食べ物であり、当方も最も好きなカテゴリーですから、ハマらないはずはありません。したがって、こういう本を持ち歩き、少しでも空いた時間があればさっそく読み始め、すぐに没入できるというメリットも持ち合わせています。
 ウェブ古書店から入手した2011年発行の少し情報の古い本ですが、紹介されている店に実際に行くわけではなく、こういう店が地元にもあったらなぁという思いで読むだけので、そう気になるものではありません。

 全国津々浦々、これまでに3,000食以上の定食を食べ続け、定食に関する連載も数多く抱える“定食評論家”今柊二氏が案内してくれるステキな定食食べ歩きガイドエッセイ第二弾。
 メニューもさることながら店の佇まいや雰囲気など、今後もなくなって欲しくない“達人級”の定食屋紹介や、新たな東京の新名所「東京スカイツリー」を眺めながらディープな定食屋さん巡り、東京郊外のニュータウン定食探訪……北は北海道から南は九州まで、お腹いっぱい元気をくれる定食の数々を紹介。(カバー背表紙から)

 ――しかし、世の中には「定食評論家」なる者がいるのですね。
 5つの章立てになっていて、
「日本全国定食「達人級」の店10店!」(つるや/北海道・釧路、タピオラ/宮城・仙台ほか)、
「東京の新名所!東京スカイツリーを眺めながら食べ歩き」(いこい食堂/押上、押上食堂/押上ほか)、
「東京郊外ニュータウン定食探訪」(長田本庄軒/千葉・南船橋、らーめん永興/千葉・新浦安ほか)、
「北から南へぶらり全国定食行脚」(世里香/北海道・釧路、そばの神田/宮城・仙台ほか)、
「首都圏立ちそば巡り」(とんがらし/東京・水道橋、むさしの/東京・飯田橋ほか)。

 文体に統一感がなく、表現がやや拙いなどのために読んでいて飽きがくることもありましたが、おいしそうな写真がそれらをしっかり補っていたので最後まで。
 この本に先立って発行された「定食ニッポン」(竹書房、2007)もあるようなので、読みたくなったに買ってみることにしましょう。
(2019.8.20 読)

 6時に目が覚め、7時前起床。きれいな朝焼けが見られたので、今日は晴れるだろう。
 オレンジジュースを飲みながら朝のルーチンワークをする。
 晴れて、この数日よりも気温が上がってきたので、やんばる方面にドライブしようか。日曜なので道が混みそうだが、東海岸沿いを走ってやんばるへというのであれば、そう大きな渋滞もあるまい。
 ということで、9時10分にスタートする。やんばる方面もすでに何回か行っているので、主としてこれまでに訪れたことのない集落や場所を目指してみることにする。したがって、メジャーなポイントはあまり出てこないかもしれない。

 はじめに行ったのは、石川市の「世栄津の森公園」だ。なぜかここかというと、「焦土に咲いた花 戦争と沖縄芸能」を読んで、この周辺には戦後、「石川劇場」と呼ばれた4つの劇場があったことを、つい最近になって知ったためだ。
 その一つ、最初にできたとされる通称「野外劇場」は公演の北側に、また、公園の南東には「振興劇場」があったという。現場に立ってみたが、そのいずれの場所も今は住宅などが建っていて、かつての片鱗は感じられない。公園内には御嶽や、戦没者を祀る「聖魂の塔」、「石川の宮」などがあった。
 「世栄津の森」の間を貫く通りは「銀座通り」といい、人口が膨れ上がっていた戦後直後は石川のメインストリートだったのだろうが、今は繁華とまでは言えない穏やかな通りになっているのだった。
 また、石川の中心部は狭い一方通行の道が南北に何本もあって、戦後の区画が変わらないまま使われているのがわかるのだった。それにしてもこういうところを喜んで見に来る人間は地元の人間にだってそう多くいるわけではないのだろうな。

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(周辺に野外劇場があった「世栄津の森」)

 次は金武町屋嘉にある「日本軍屋嘉捕虜収容所跡の碑」。屋嘉地内の国道329号をふつうに走っていても見かけるもので、下り車線にあるバス停の脇に建っている。碑を読めば、ここには多い時には日本軍の将兵(沖縄の一般住民ではないことに留意が必要)ら7千人ほどが収容されていたこと、沖縄出身の一兵士によって「屋嘉節」がここでつくられたこと、この収容所は1946年2月に閉鎖され、その後米軍保養所となり、1979年に全面返還されたことなどがわかる。
 ここでは2009年夏の沖縄訪問時にも写真を撮っている。「屋嘉バス停」の脇にあるものと記憶していたが、実際は「屋嘉ビーチ前バス停」脇なのだった。

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(「日本軍屋嘉捕虜収容所跡の碑」と「屋嘉ビーチ前」バス停)

 名護市の東海岸にある久志集落へ。辺野古の少し手前。何度か通過しているが、集落内にまで入っていくのは初めてになる。
 集落の中心部になると思われる一角には「久志のガジュマル」が。その向こうに見えるのは「久志区体育館」で、ガジュマルの左側には「久志区公民館」があり、手前には「久富共同売店」があった。このあたりからやんばるにかけての集落では共同売店が日常生活の拠点になっている。これらを見ていくのも面白そうだ。
 集落を奥へと進んでいくと、屋根の低い神アシャギが見えてきて、その後ろには「祝女殿内(ノロどぅんち)」があり、右側には「久志若按司の御位牌安置所」があった。もう少し進んでいけば「久志若按司之墓」があったことをあとで知る。
 なお、2004~09年にかけてネーネーズのメンバーの一人だった金城泉は、久志出身の「久志ぐゎー」だと言っていた。当時すでに結婚して子供もいたのではなかったかと思う。今も元気でいるだろうか。

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(「久志のガジュマル」越しに「久志区体育館」が見えた)

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(久志の祝女殿内)

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(久志若按司の御位牌安置所)

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(金城泉(右)。10年ほど前に本人からもらった画像だ。左は当時ネーネーズメンバーだった与那覇歩)

 二見湾の最奥部に位置する名護市大浦でも、「大浦共同売店」付近で車を停めてみる。
 大浦集落には「大イチョウ」と「アサギ庭のガジュマル」ぐらいしか見どころはなさそうだが、イチョウは小さな老木で珍しいものではなく、一方のガジュマルはなんと、伐採されてなくなっていた。

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(「大浦共同売店」。階段でライダーが静かに一休みしていた)

 12時近くなっているのでそろそろ昼メシを食べたい。このあたりで食べておかないと、東村より先には食堂など1軒もないはずだし。
 汀間(てぃま)の集落を過ぎたあたりで車を停めて、どこか店がないかスマホに相談を持ち掛けると、あと数百メートル行ったところに「さらばんじ」という店がある。なんだ、近くではないか。ここにしよう。
 行ってみると、どうもどこかで見たような店の佇まいだ。しばらく考えて思い出したが、ウェブで読んでいた沖縄タイムスの「今日もがっつり!運転手メシ」というページで何度か紹介されているのを見かけて、ここはよさそうだなと思っていた店なのだった。よし、期待は大きいぞ。
 ランチメニューにスーチカー定食700円があったのを見つけたので、それを。食堂でスーチカーとはまた珍しい。豚の三枚肉を塩漬けにしたもので、沖縄では昔から保存食として重宝されている。
 塩味のはっきりしたそれが5枚付いていて、ごはんがはかどらないわけがない。ほかにはポーク卵と青野菜が入った衣の厚い沖縄天ぷら、ミミガー入りのなます、大根煮。食後にコーヒーか紅茶が付くたいへん充実した内容で、大満足だった。
 ちなみに、さらばんじとは、ウチナーグチで真っ最中、最盛期とでもいった意味だ。

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(「さらばんじ」の店構え)

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(スーチカー定食700円)

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(この素朴な看板には見覚えがあった)

 R331をさらに進んで、「底仁屋(そこにや)の御神松」がある三叉路から右の枝道に入って底仁屋をくるりと回り。何もないところだ。
 国道に戻ってその三叉路をもう少し先からまた東へと逸れて、名護市天仁屋(てにや)の集落に行ってみる。
 ほぼどんづまりが集落の中心地で、共同売店のある広場があり、バス停の奥には御嶽があった。バスは平日一日3便。ここを経由して国道へと戻っていくのだろう。バス停脇には砲弾を再利用した鐘がぶら下がっているのだった。

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(天仁屋共同売店。日曜は開かないのか、それとも夕方など特定の時間帯のみなのか)

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(御嶽とバス停)

 東村の平良では「東村村民の森つつじエコパーク」にもいくつかの碑を見に行ったよなあと思い出し、高江では米軍の訓練場入り口にガードマンが立っているのを見て以前よりも警戒が厳しくなっていることを知る。
 国頭村の安波(あは)に至って、「安波節の碑」付近で小休止。碑は普久川に架かる橋の袂に建っている。撮影はここも2回目。碑は1981年12月の建立であることを確認する。
 「安波節」は、安波に伝わる祭祀や祝いの場で歌われてきた唄。ヤマトめいた独特のウタムチで始まって、かりゆしぬ遊び、ハリ打ち晴りてぃからや……と続くもので、民謡コンクールでは新人賞の課題曲としてよく使われるものだ。

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(安波節の碑)

 かつて「安田(あだ)のシヌグ」を見た安田集落にも寄りたいが、ここに行ってしまうとかなり遠回りになるので今回はパスし、その先の楚洲(そす)で車を停める。
 18世紀、蔡温の時代につくられた集落とのこと。海に面した静かな集落で、共同売店を撮り、浜を眺めるにとどまった。
 その少し北に当たる海岸はきれいなところで、高みを走る道路にある路肩スペースから海を撮る。「伊江の浜」というらしい。

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(楚洲共同売店)

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(伊江の浜)

 沖縄本島の北端に当たる辺戸岬の少し手前の奥(おう)の集落にも深入りしてみる。
 山を背にした奥小学校を眺めて、奥の港へと進むと、道沿いに「オランダ錨」を発見。1884年に奥とは反対側の西海岸の宜名真(ぎなま)港に漂着した英国商船の錨だ。北向きの港しか持たない奥の漁民も冬や暴風時には波の比較的穏やかな宜名真港を利用しているため、彼らが主になって港に運び入れた。それを、奥港の築港竣工記念として奥に持ってきたものなのだという。
 奥ではいちばんの観光資源かもしれない「国道58号起点の碑」。ここも2009年に撮影しているが、再度撮影する。隣りにはかつて、一部から熱烈な支持を得ていた民宿「海山木(みやぎ)」があった。

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(国頭村立奥小学校。1910年に奥尋常小学校として設立された)

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(奥港への道沿いにあった「オランダ錨」)

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(国道58号起点の碑)

 時間は間もなく15時だ。あちゃっ、これから与那原に戻るとなると、急いだとしても日が暮れてしまうのではないか。そろそろ帰ろう。いちおう奥の共同売店「奥共同店」も撮っておこう。
 奥から辺戸に至る道沿いにはカンヒザクラが咲いていてきれいだ。時間が押しているが、ここはいったん立ち止まって一人撮影会をしよう。「八重岳桜まつり」の人混みに突入することなく労せずして日本で最も早く咲くサクラが見られるわけだし、多少の時間であれば惜しくはない。

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(奥共同店)

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(ゴッパチ沿いにはカンヒザクラが咲いていた)

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(カンヒザクラを接写)

 このぐらい押してくれば、何度か見ている「辺戸岬」や、安須杜(アシムイ)の山の散策コースを歩かなければならない「大石林山」は省略せざるを得ないだろう。本当のことを言うとこの日のメインは「大石林山」と考えていたのだが、往路の途中であまりにも寄り道し過ぎたために
はずすことになってしまった。やんばるは自分が思っているよりもずっと広くて遠いのだった。
 その後は、西海岸を南下し、いっときゴッパチを逸れて辺士名の商店街を運転しながら眺める。国頭村役場が新築中だった。
 塩屋からR331に入って東海岸へと戻る。塩屋では「ウンジャミ」を見たことを思い出した。

 東村慶佐次(げさし)の地区公民館の敷地内に銅像を見つけたので、なんだろうと寄ってみる。それは「島袋正雄師之像」なのだった。
 島袋正雄とは、、この地出身の沖縄民謡の歌手で、2005年に照喜名朝一とともに沖縄の芸能部門としては初の国重要無形文化財「琉球古典音楽」の保持者、つまりは「人間国宝」に認定された人物なのだ。2012年5月建立。島袋は2018年4月に没している。

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(島袋正雄師之像)

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(島袋正雄)

 その後はほぼノンストップで走って、18時20分帰宅。本当にやんばるは遠い。
 ただちに米を研いで炊飯を仕掛け、そのうちに冷凍の枝豆をチンして缶チューハイを飲む。
 今日はかなり運転して疲れた。北海道のように集落間の距離が何10kmもあるところをドライブしたわけではないけれども、南の与那原からいちばん北の辺戸まで沖縄本島の南北をほぼすべて往復したことになる。
 ひととおり飲み終えて一段落してから、昨晩の沖縄風おでんを温め、その煮こごりが溶けて液状になったところに炊いたご飯を入れておじや風にして食べる。基本的に飲んだ後のおじやや茶漬けはどう転んでもうまいと相場が決まっているものだ。

 この日撮ってきたブログで使う写真を加工するところまでやって、ドキュメント作業は力尽きてしまう。テキストを書くのは明日に繰延べだ。
 22時からはFM沖縄の「タンメーカラハーイ」を聴く。かかった曲は、りんけんバンドの出世作「ありがとう」、上原知子のCD「うまち」から「夢の浮世(いみぬうちゆ)」、りんけんバンド初期作品の「べーるべーる」。

 23時過ぎに寝床で本を読み始めるが、ほぼすぐに眠りへ。

 新しい一週間が始まり、6時10分起床。平日この時間に起きるのは、アラーム音が隣室からかすかに聞こえるからだ。小さい音なので気づかないこともある。

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(7時20分の東の空。少しずつ日の出が早くなってきた)

 「暁でーびる」を聴きながらコーヒーを飲む。パンが切れている、というよりも意識的に切らせていて、この朝は髭を剃ったあと、朝マックを食べに24時間営業の「マクドナルド与那原店」に赴く。本当は「A&W東浜店」に行きたいところなのだが、ここは8時にならないと開かない上に、メニューがバカ高い。ハンバーガーの最安が300円ちかくするところに飲み物とポテトのサイドメニューが370円ぐらいするのでは、容易に近づくことができない。ここはルートビアを単品で攻めるしかないかもな。
 その点マックならソーセージマフィンのバリューセットが330円。しかも楽天ポイントが使えるので実質タダだ。マックに入るのは昨年10~11月の九州旅で頻繁に使って以来。これを食べると条件反射的に車旅をやっていた日々を思い出す。
 330円のものを注文しているのに「430円でゴザイマス」と間違いを言って謝りもしない老境に入った齢のころの男性店員。ちがうだろ。こちとら何度も食べてきているのでゆるぎない自信がある。客あしらいのイロハも知らず、ただ忙しそうにしている。これではもっと動きがスピーディーで機転が利く若い店員のほうがどれほどいいことか。

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(朝のマクドナルド与那原店)

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(いつものソーセージマフィンのバリューセット)

 9時に部屋に戻り、まずは今朝も馬鹿みたいに下げている週明けの株式市況をチェックして、いくつかの銘柄に買い注文を入れる。結果としては、9銘柄の買い注文のうち2銘柄が約定。つまりは、途中から盛り返してアメリカほどには下げなかっということ。終値ベースではほぼ1%程度の下げ幅だった。
 そしてようやく、前日のドキュメント作業に入る。午前中をほぼこれに充てるのだが遅々として進まず。11時を回ったのでいったん昼食を取りに外出する。

 この日は、西原町棚原にある「食堂やまびこ」にて沖縄ちゃんぽん750円を食べる。まぎれもなくちゃんぽんなのだが、具材の内訳、立ち上る匂いともにもやしが目立ち過ぎてすごくおいしいというわけではないし、ボリュームも沖縄大衆食堂らしいレベルには至っていない。
 棚原という地名にはもっぱら沖縄戦をイメージさせるものがある。1945年4月1日、本島中部西海岸に上陸した米軍はじりじりと首里にある日本陸軍の司令部壕に攻め寄り、迎撃する日本軍は前田、棚原、幸地といったこのあたりで司令部への接近を食い止めるべく激しく抵抗したと聞いている。
 戻る途中で贔屓にしている「MV兼久店」に寄って、トップバリュブランドの格安の缶チューハイ、パン、牛乳、冷凍餃子を買って、12時過ぎに戻る。

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(「食堂やまびこ」の沖縄ちゃんぽん)

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(前線へ向かう米第7歩兵師団のシャーマン戦車(1945年5月7日、幸地付近))

 午後も昨日のドキュメント作業を続行。いろいろ調べながら書いているうちに興味があちこちに飛び火していき、ついつい時間がかかってしまう。いつもなら朝、遅くとも11時前には終えている作業だが、結局書き上げて記事をブログにアップロードしたのは16時過ぎだった。
 これをやっていたために、本来午前中にやっておくべき洗濯も午後になってしまい、今回も浴室の乾燥機を使って乾かすことになる。16時過ぎのスタートなので、今夜のシャワーは21時以降となることが決定する。

 山形スバルから、車の調子はいかがかと電話あり。リコールがあるので、それをそろそろやらないかとのお誘いだったと思うが、調子はどうかと訊かれてももうかれこれ1か月もマイカーには乗っていないので、カンタンには答えられないのだった。
 しばらく乗っていないことと、リコールは3月初旬以降にしてほしい旨を担当者に告げると、どういうことかと怪訝そうなので、実はかくかくしかじかでと現状を伝える。そういういことであれば、バッテリーが心配ですねということだった。訪問日を決め、もしかしたらリコールよりもバッテリー上がりのほうで世話になるかもねと話す。

 沖縄滞在中に見ることができる公演等がないかとネットで調べていると、恩納村の「ゆうなホール」でのいい出し物を2つ見つける。ひとつは、2月9日の「おんなWEEKで楽しまナイト!2020」で、沖縄県立芸術大学芸能専攻OB会が主催するもの。もうひとつは2月22日の移動かりゆし芸能公演「琉球歌劇保存会創立30周年記念 琉球歌劇まつり」だ。
 「おんな…」は、元気な若手立方たちが見どころで、これまでに見てきた吉田真和、古謝渚らに加えて、一度ナマで見たいと思っていた金城麻美が出るではないか! そして「歌劇まつり」のほうは、名作歌劇「泊阿嘉」と喜歌劇「馬山川」の二本立てで、このステイ中に一気にファンになった小嶺和佳子のほかに、知念亜希、知花小百合、古謝渚らが出演する。いずれも垂涎の公演だ。
 よーし、さっそく連絡先に電話をしてチケットをゲットだぁ!と思い、最後に他のイベントとの重複はないよねと確認すると……。アレマ、ぬゎんと、いずれもかぶっているではないか。
 9日は「五月九月(ぐんぐぁちくんぐぁち)」@てんぶす那覇テンブスホールと、そして22日は組踊公演「伏山敵討」@国立劇場おきなわ大劇場と、それぞれ時間までダブっていて、これらは両方ともチケット購入済みなのだ。くーっ、どうして重なるの? とりわけ金城麻美の舞いと「馬山川」を見られないのが残念でならない。
 まあ、先に買っていた2つの公演もはずせない内容なのでこれでいいのだけど、できれば類似の公演はもう少々ばらけて開催してもらいたいものだ。

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(金城麻美が新垣悟とともに舞う(2015)。こういうシーンをナマで見たい)

 この日は食事のために2度外出した以外は部屋でパソコンと向かい合っている時間が長かった。天気は悪くなかったのだけどな。
 19時には切り上げて、ニュースを見ながら飲み始める。冷凍の餃子をフライパンで調理する。158円+税の製品の半分の6個を使って十分な酒肴になる。羽もきれいに付いてうまく焼けたのだが、先に皿にレタスを載せてしまい、逆さにした皿でフライパンの餃子を迎えにいけなかったのが失敗の元だった。
 ひとしきり飲んだ後は納豆ご飯の海苔巻きで締める。

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(冷凍の羽根つき餃子を焼いてつまむ。

 21時半までニュースを見て、その後完全に乾いた洗濯物を取り入れたあとの浴室でシャワー。
 特段のことがなければ、夜のニュースを見て23時にベッドへという流れは確立しつつある。

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   ボーダーインク  1,200円+税
   2017年10月1日 第1刷発行

 フェンスが分断した街で繰り広げられる、運命と決別の物語
 俺たちは風の棲む丘で育った。いつかここから飛び立つために。
 すべてが手に入るこの街で、島の未来だけが見つからない。
 過酷なストリートを必死に生き抜く〈境界線上の子どもたち〉が織りなす運命の出会いと決別の物語。
 ――という、書き下ろしの長編青春群像小説。

 著者は、1990年沖縄県宜野湾市普天間生まれ。普天間高校出身。17歳から本格的に小説を書きはじめる。2つの大学に進学するが、どちらも中退。2016年10月から、同人サークル「タフコネクション」に参加。ヒップホップやレゲエの文化に強い影響を受けており、ラップしたり、イラストを描いたりもするが、文章をメインに活動中。
 ――という人物で、これからの成長を期待した地元出版社が一肌脱いで単行化した1冊と思料します。明るい青春小説のような軽妙な友人とのやり取りでスタートしたと思うと、島に革命を起こそうとするヤクザまがいの反社会的組織の首領が登場するなど、破天荒と思われる若気の至り的なストーリー設定があったりしますが、それを読み応えのある文章や表現が打ち消し、昇華しているように感じます。

 「緑のgoo」というウェブページに載っていた書評(一部)を以下に引用しておきます。

・沖縄のストリート文化に影響を受けた若手作家が挑む青春群像劇
 「風の棲む丘」は、・・・沖縄という島国を舞台に、島の未来を模索する大人たちに翻弄されながらも、生きる意味を見出していく若者たちの姿を描く。
 海外取材に行ったまま音信不通状態の父を持つ主人公・神谷海は、県内の学校に通う中学生。彼の日常のすぐ隣り合わせに、リストカットをやめられない女友達、校内でドラッグを売りさばく同級生など、“刺激の強い”環境があった。
 そんなある日、幼なじみで不思議な感性を持つ謝花空と再会してから、海の日常が徐々に変化しはじめる。
 文章は荒削りな部分はあるものの、その分、湧上氏の考えがストレートに登場人物たちの言動に乗って読者に伝えられる。
 そして、時に「彼らの距離はこぶしひとつ分(中略)けれど、傷だらけの心を見せ合うほど大人にはなれなかった」など、巧みな表現で読者を引きつける。
 物語の後半、海は、働きぶりを評価されながらも、“島の革命”を目指す大人・宮古昇にこう問われる。
 「お前を突き動かすものがおれは知りたいのだ。お前はたしかにたよりないし、馬鹿だが強くひとやものを引きつけるちからがある。それをなにに使う? お前が目指している先はなんだ?」
 これは「生きる目的」そのものを問うだけでなく、働く世代にとっては「何のために働くのか?」、学生にとっては「何のために勉強するのか?」など、あらゆる人に対して、自分ごとのように発せられる質問になっていて、ドキッとさせられる。
 このあたりにストリート文化に強く影響を受けた作者らしさが出ている気がして、興味深い。まだ荒さの残る文章だからこそ、伝えられるメッセージがより強く心に響いてくる、そんな1冊になっている。
(2019.8.22 読)

 6時前起床。まだ眠っていたいのにトイレに起きたら目が覚めてしまうじゃないかと残念に思う一面もあるが、体がきちんと働いて、溜まった不要な水分を毎朝忘れずに体外に出してくれているのだと思えば、それも喜ばしいことだと思えないでもない。

 この時間に起きたなら、5時からやっているROKラジオの「暁でーびる」でウチナーグチシャワーを浴びよう。盛和子のしゃべりに「うたびみせーびり」が頻繁に出てくる。「~してください」「よろしくお願いします」という意味だが、これを分節に区切るとどういう構成になるのだろうか。動詞形は「うたびむん」なのか?(笑) 「うたびみそーれー」とも使い、Welcomeの意の「めんそーれー」と似ている。外間守善だったと思うが、沖縄には武家言葉の「候え(そうらえ)」の用例はなく、「めんそーれー」は「召し入りおわれ」の転であると説明しているのだが、どうもしっくりこない気がしている。
 ところで、ROKラジオ沖縄の社是はズバリ「ローカルに徹せよ」なのだ。これってすごいことだよな。1960年7月1日開局なので、今年開局60周年を迎える。

 午後から天気が崩れる予報なので、この日は午前のうちに糸満方面のマイナーポイントをいくつか見てこようと考えて、9時半に外出する。

 まず、八重瀬町の「上江門(いーじょう)家」を見に行く。安里という集落に入ってもうすぐ上江門家に着くというところに樋川のようなものがあったので、車を停める。
 「座嘉武井(ざかんがー)公園」とあって、やはりかつての井戸だったところのようだ。湧出している水の量は多くなく、たまり水がやや富栄養化している。
 説明の看板などが見当たらなかったので部屋に戻ってから調べてみると、昔はこの水源の周辺には座嘉武という集落があり、これが南側に拡大して現在の安里集落が形成されたという。安里は人口が800名超あり、旧具志頭村では大きいほうの集落になっているとのことだった。

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(座嘉武井公園)

 そのすぐそばにあった「上江門家」。
 グスク時代の13~14世紀頃にこの地域を支配していた「多々名按司(たたなあじ)」の子孫と伝えられる豪農が、1700年代に構えた屋敷と伝えられているとのこと。住宅は大正期に茅葺きから瓦葺きに改修され、1960年の改修を経て現在の形になったのだそうだ。
 外構もすごく、周囲には腰までぐらいの高さの石垣が築かれ、フクギの屋敷林が繁茂し、カギ型の石畳から大きなヒンプンまでのエントランスが重厚だった。

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(上江門家)

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(上江門家近くの風景。この日は午後から雨の予報だが、午前中はこんなに天気がいい)

 糸満市域に入って次に見たのは、新垣集落にある「ソージガー」。
 14世紀頃の南山時代に築かれたといわれる由緒ある湧水で、古くから生活用水として利用されていたようだ。1961年から75年までは新垣地区の簡易水道の水源として使われていたといい、「簡易水道記念 泉ソージガー 1961年8月竣工」と刻まれた石碑があった。水は今でも流れ出ていて、水には透明度もあった。

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(ソージガー)

 糸満市大里の「南山城跡」。
 三山時代に栄えた南山王の居城跡で、地元では南山グスクと呼ばれている。12世紀後半に築かれ、出土した陶磁器などの遺物から14~15世紀に栄えたグスクであるとされる。
 しかし、現在は城壁と遺構の一部を残すのみで、城跡内はガジュマルなどが群生していて特に見るべきものはない。何枚か写真を撮ったが、鬱蒼とした木々が写っているだけで絵にならないのだった。遺跡の大半は隣接する市立高嶺小学校の敷地内になっているのだそうだ。

 大里の集落の入り口にある「嘉手志川(かでしがー)」。
 ここには20年ほど前に立ち寄ったことがあり、大きくて開放的な水場になっていたと記憶していたのだが、このたび再見すれば、こんなに小さかった?という感じだ。記憶というものはかくも曖昧ものなのか。水がとても澄んでいて、大小の魚類のほかにもカニやエビが動いているのが見られる。
 三国鼎立時代のひとつの南山王国が滅んだのは、最後の王であった他魯毎(たるみい)が、中山王尚巴志が持っていた金屏風を欲しがるあまり、この泉と交換したことがきっかけだとする言い伝えがある。
 その他魯毎はあまり評判がよくない人物だったようだ。正史「球陽」によれば、汪応祖(おうおうそ)の長子とされ、汪応祖が実兄の達勃期(たふち)に殺害されたため、諸按司と協力してこれを滅ぼし、明の冊封を受けて山南王に即位する。政治を省みずに毎日酒色に耽ったといい、民衆や按司たちに対しては横暴で酷薄な王だったという。「他魯毎」は琉球名の「太郎思い」の当て字なのだろう。

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(嘉手志川)

 糸満の中心部まで進んで、「糸満ロータリー」周辺へ。
 ここも南部戦跡方面に行くときなどに何度も通っている場所で、那覇方面から進んでいくと正面に「おきぎん」のビルがあり、ビルの谷間に狭い道路が張り付いているようなロータリーだというイメージがあった。しかしそのロータリーは現在大改修中で、おきぎんのビルはすでになくなり、中心円の大きい開放的な空間として変貌を遂げている真っ最中だった。こうして風景は少しずつ変わっていくのだなと感傷的になってしまった。だいぶ前に再開発された嘉手納のロータリーだって、もうかつての面影はすっかりなくなっているものなぁ。
 部屋に戻って、かつての糸満ロータリーの画像を探してみた。ほらね、これが同じ場所なのかと仰天してしまうほどに、風景は変わっていくのですよ。

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(工事中の現在の糸満ロータリー。正面左手が、「おきぎん」のビルがあったところだ)

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(心象風景としての糸満ロータリーはこんな感じのものだ)

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(アメリカ世の頃の糸満ロータリー。1950年代ぐらいのものだろうか)

 昼食は、糸満市照屋の「いーばる家」に入ってみる。
 ここのそば定食780円は、沖縄そば、おかず、小鉢、ごはんと、コスパに優れたセットになっている。
 変哲のないぼそぼそ感のある沖縄そば麺が使われいているのがむしろうれしい。どんぶりは大きくないけれどもけっこうな麺量があり、ごろりとしたソーキと2枚のかまぶく(蒲鉾)がちゃんと入っている。
 この日の「おかず」は豆腐チャンプルーで、塩仕立ての沖縄スタンダード味のつくり。小鉢はもずく酢が3箸分。いずれも上出来だし、良質だったと思う。

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(「いーばる家」のそば定食)

 途中「マックスバリュ南城大里店」で火・水特売のコロッケを2個買い、12時15分に帰宅。
 ドキュメントはしばらく放っておいて、確信犯的に昼寝をする。そんな自分にとって、テレビでやっていた国会中継の大真面目なやりとりは、申し訳ないがただの子守唄にしか聞こえない。
 真冬の2月だというのに、寒くない部屋で薄着のままでうたた寝ができるなんて、最高ではないか。この贅沢は北国の人々は容易に体験できるものではないし、そもそもそういう贅沢があることを知る由もないのだろう。

 夕刻からは、ようやく撮ってきた画像の加工やドキュメントに必要な情報収集をして、18時にはニュースを点けて飲み始める。アテは北海道じゃがいもとカニクリームのコロッケ2個だ。
 ひとしきり飲んだ後には、こういうことをして食べたらサイコーなのではないかと突然閃いて、熱々のごはんにマーガリンを載せて醤油を少々、これを海苔でくるりと巻いて食べる。いやマイリマシタ。何十年ぶりかで食べたバターライスはその懐かしい味だけではなく、若かりし頃の青雲の志しや沸々と湧き上がる元気のようなものまで思い出させてくれたのだった。

 ほぼ定着している23時過ぎの室内灯消灯と相成り、寝床で読書、ほぼあっという間に眠りへ。
 結局この日は雨が降らずに終わったようだ。

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   講談社文庫  590円+税
   2002年12月15日 第1刷
   2005年5月16日 第10刷発行

 著者が5年にわたって「小説現代」に連載してきた「獄医立花登手控え」シリーズの完結編です。
 男女の情が、親子の愛が、胸を打つ!
 子供をさらって手にかける老人の秘密。裁きを終えた事件の裏に匂い立つ女の性。小伝馬町の牢内に沈殿する暗く悲しい浮世の難事を、人情味あふれる青年獄医がさわやかに解決する。だがある日、かつての捕物の恨みから、登の命をもらうと脅す男が現れた――。

 「獄医立花登手控え」の全体を確認しておくと、江戸で活躍しているという叔父の医師・小牧玄庵に憧れて江戸へとやってきた東北の小藩出身の若い医師・立花登でしたが、その叔父の現実は酒に溺れ妻の尻に敷かれた流行らない医者でした。居候した叔父の家では下男扱いで口やかましい叔母とその娘おちえにこき使われ、さらに叔父が携わっていた小伝馬町の獄医の仕事までも押し付けられることとなります。
 若き医師・登は、この獄医の仕事を通して出会う「訳あり」の囚人たちにまつわるさまざまな事件を、身につけた起倒流の柔術の妙技とあざやかな推理で次々に解決していきます。

 シリーズの最後となる当書は、1982年から83年にかけて発表された「戻って来た罪」、「見張り」、「待ち伏せ」、「影の男」、「女の部屋」、「別れゆく季節」の6編。
 獄医を辞し大坂へと蘭学修業へと旅立つ登が、これまでとは違う世界が前途に開ける予感を抱きつつ、江戸に残していくおちえと結ばれるところでハッピーエンドとなります。

 出久根達郎の解説も、藤沢周平が付ける小説タイトルの深遠さを明らかにする名解説となっています。
(2019.8.30 読)