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 次は有名な「ひめゆりの塔」へ。いつもなら観光客や修学旅行生などの観光バスが押し寄せている場所だが、この日の駐車場には観光バスはほとんど停まっていず、観光タクシーやレンタカーでやってきている客がチラホラといった程度。こういう神聖な場でチャイナの馬鹿声が聞こえないこと自体がとてもすばらしいことだが、それほどまでに新型コロナの観光業に与える影響は大きくなっていることを肌で感じる。
 「ひめゆりの塔」は、沖縄戦当時このガマにあった第三外科壕に学徒隊として従軍していた沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部に因むものだ。「ひめゆり」とは、県立第一高女の校誌名「乙姫」と沖縄師範女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた言葉だということはどの程度知られているのだろうか。
 その左側にある「ひめゆり平和祈念資料館」には特に初めての人は必ず寄るべきだと思っているが、すでに2度入っている。いったん入ってしまうとつい資料を読み耽って長くなる上に、感情移入して涙が止まらなくなるので、今回は割愛する。
 なお「ひめゆり学徒隊」については、石野径一郎の小説「ひめゆりの塔」(1949)を契機として映画などによって美談化されてしまった印象が強いが、当時実際に学徒たちを率いて戦場をさまよった教師仲宗根政善は、その風潮に違和を感じ、後に「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」(1974)をものしている。ひめゆりを知りたければまずはこちらのほうから読むべきだと思う。

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(ひめゆりの塔)

 「ひめゆりの塔」ばかりが注目されがちだが、その北東方向わずか150mほどのところに「梯梧の塔」があるので、初めて行ってみる。こちらは当時沖縄県で一番若い私立女学校だった「昭和高等女学校」の生徒の犠牲者を慰霊するものだ。1971年製。那覇市泊の崇元寺橋近くの旧学校敷地跡に建てられたものだが、その後こちらに移設したのだそうだ。

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(梯梧の塔)

 車で数百m東側へと移動して、三叉路付近にある「ずゐせんの塔」にも初めて寄ってみる。こちらは「県立首里高等女学校」の犠牲者を慰霊するもの。その北隣りには宮崎県人の慰霊塔「ひむかいの塔」があった。

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(ずゐせんの塔)

 続いては「大度海岸」へ。ここには「ジョン万次郎の上陸地点」と「用之助港」を見るために一度来たことがあり、そのときはそれら両方とも見つけられずに終わったのだった。
 駐車場周辺は、前回来たときとは季節が異なるためか、妙に静かで寂しげに思える。だが、その東側には「ジョン万次郎上陸之地」碑まで130mとの標識が付いた遊歩道がつくられていた。前に来たときにはこんなのなかったぞ。2017年度に整備したもののようだ。
 したがって今回は苦もなく「ジョン万次郎上陸之地」へとたどり着き、当時からあったのかどうか知らないがジーンズを穿いている、現代風の万次郎の像を見る。これも2018年2月建立の碑だった。

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(「ジョン万次郎上陸之地」へと続く遊歩道ができていた)

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(「ジョン万次郎上陸之地」碑)

 そして、同じ大度海岸にあるはずの「用之助港」。
 明治期、佐賀から沖縄へ警察官として赴任し、その後島尻郡長などを歴任して沖縄本島南部の公共事業や人材育成などに尽力した斎藤用之助という人物がいる。彼の業績の一つが、1904年に島尻郡を襲った大干ばつを受けて新たに港を建設したことで、3年半以上の歳月をかけてサンゴ礁を切り開き完成させた、大度の「用之助港」なのだ。サンゴ礁を切り開く難工事を乗り越えた点が評価され、社団法人土木学会の選奨土木遺産に認定されている。
 今回も見つけられないので帰ろうとしたところ、東屋のそばに港の位置を示す案内表示を見つけ、ああ、あそこなのかとようやく特定できたのだった。東屋から防波堤に沿って数百mほど西方面に行ったところからは、サンゴ礁を掘削してつくった水路をはっきりと望むことができた。防波堤沿いのモンパノキが見事だった。

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(ようやく見つけた「用之助港」の水路)

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(防波堤沿いにはモンパノキが繁茂していた)

 八重瀬町へと移動して、仲座集落内にある「世持井(ユムチガー)」を探しに行く。事前に場所を特定できなかったので、「仲座公民館」の前に駐車して歩いていく。こうやって集落を歩くことこそが後々まで沖縄での経験として血肉になるものだと思いたい。
 見つけるのに時間を要したが、なかなか大きくて立派な湧水池だった。説明版によれば、「世持」とはおもろ語で「世直し」を意味し、従来仲座・与座集落は南側の山上にあったが、生活用水を求めて「世持井」の近くに移動定着したとのことだった。

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(世持井)

 南城市玉城富里の、第一尚氏第6代の「尚泰久王の墓」にも初めて行ってみる。場所が特定できないので周辺を車でウロウロすることになったが、結果、何だここだったのかというようなところにあった。
 阿麻和利と護佐丸の乱があった、時代が大きく動いた当時の王で、治世下では有名な「万国津梁の鐘」がつくられている。しかし死後しばらくして尚円金丸のクーデターによる第二尚氏が成立したことから、首里の天山陵に葬られていたものが政治の中心から遠い読谷山間切の伊良皆に移される。しかし、王の骨だけは美里間切(現沖縄市)伊波村に密かに安置され、1910年頃に屋良腹門中の子孫たちが2日がかりで石棺をこの地に運び移葬したとされている。

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(尚泰久王の墓)

 見たいものはまだいくつかあるのだが、15時半を回ったので、この日はここまでとする。
 16時過ぎにマンション戻り。
 しばらく翌日のイベントでやっているものがないか調べてみるが、29日は中止・延期の嵐が吹いていてほぼ壊滅状態だということがわかった。だったらまあいいや、諦めよう。そうすると明日はヒマな一日になるので、今夜の段階から早々とスローダウンしてしまおう。
 ということで、この日のドキュメントは明日やることにして、18時半頃から飲み始めてぼんやりと過ごす。そろそろ部屋を去る準備を始めなければならないだろうが、それも3月になってからでいいやとすっかりやる気なしの状態だ。

 23時頃には就寝。

 4年に一度しかない2月29日。5時15分に目覚めたが再度眠って、7時20分に起床。もう外は明るくなっている。
 週末の土曜日なので、株式市場が動かないことになんだかホッとする。市場が開けば下がるという繰り返しが続いていることに、もういい加減げんなりしているからだ。

 さて、今日はどうしようか。この日に行くつもりでいたイベントの多くが中止または延期になっている。本来ならばこの日はイベント目白押しで、その中から4つをセレクトしていた。それらは、次のとおり。
1 14時からの「湛水流伝統保存会 第31回定期演奏会」(国立劇場おきなわ小劇場)
2 17時からの「かりゆし58「バンドワゴン」リリース記念ミニライブ&特典会」(サンエー浦添西海岸パルコシティ)
3 18時からやっている、冬のビーチのイルミネーションとライブイベントの「Okinawa Night Beach in Chatan」(美浜サンセットビーチ)
4 19時からの「りんけんバンドライブ」(美浜「カラハーイ」) の4つ。
 しかし、このうち1と2は中止となり、3はおそらくライブイベントがカットされるだろうし、4はワンパターンなのがわかっている内容に4,500円もの大金を拠出するのはどうかと考え直す。客が少なくて盛り上がらないのは必定だろうし。したがって、同じミハマの3と4も行くのはやめる。

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(「湛水流伝統保存会 第31回定期演奏会」は中止×)

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(かりゆし58。「バンドワゴン」リリース記念ミニライブ&特典会も中止××)

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(「Okinawa Night Beach in Chatan」も行くのをやめる)

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(ここまでダメなら「りんけんバンドライブ」もやめる)

 このほかにもチェックしていた次のイベントも中止・延期となっていた。
5 13時からの「第83回文化講座「琉球文化の象徴、首里城正殿-首里城正殿跡の発掘調査-」」(沖縄県立埋蔵文化財センター)
6 早い段階から満員札止めになっていた、14時からの「琉球舞踊公演 男性舞踊家の会」(国立劇場おきなわ大劇場)
7 15時からの「ネーネーズ こどもコンサート~一緒に歌って踊ろう!」(若狭公民館)
 ここまでダメだということは、もう世の中全体がダメということだろう。
 北海道では昨夜、知事が緊急事態宣言を発して、この週末は極力外出しないでほしいと道民に訴えていた。そういう稀な事態でもあることだし、やむを得ないと思うしかないのだろう。

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(文化講座「琉球文化の象徴、首里城正殿-首里城正殿跡の発掘調査-」は延期×)

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(「琉球舞踊公演 男性舞踊家の会」は中止××)

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(「ネーネーズ こどもコンサート~一緒に歌って踊ろう!」も中止×××)

 午前中は、洗濯機を回しながら、前日分のログ付け作業をメインに過ごす。
 11時20分頃に、昼メシを食べるために、おそらく6回目となる「たけの子食堂」へ。休日のこの時間帯は次々に客がやってくる。それらは主として、高年男性一人客、中高年ペア、子供を連れた家族などだ。
 まだ食べていないメニューの中からオムライス600円をセレクト。量は多くないが、この程度が食べ終えた後には楽だということをこの店から教わっている。中に入っているのはチキンライスではなく、細切れにしたポークランチョンミートのケチャップライスだ。味噌汁もうまい。
 与那原滞在中に何度もお世話になり、もしかしたらこれがこのステイ中の最後になるかもしれないが、どのメニューも満足のいくものばかりだった。にふぇーでーびたんと言いたい。

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(「たけの子食堂」のオムライス)

 その後は、昨日まわり切れなかった島尻のいくつかの個所を拾っていく。
 まずは、「浜川御嶽」。R331の百名交差点から「新原(みーばる)ビーチ」のある南の海側へと下りていき、「アマミキヨのみち」と名が付いた畑道を「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)」を左に見て進んだどん詰まりにある。ごつごつとしたむき出しの岩と鬱蒼とした南方系の樹々の深い森が印象的な場所だ。
 少しまとめておくと、琉球創世の神アマミキヨが「ヤハラヅカサ」に降り立った後、仮住まいをした地とされている場所がここ。アマミキヨは浜川と呼ばれる湧水で疲れを癒し、近くの洞窟にしばらく住んだ後にミントングスクに移り住んだと言われている。
 首里城の東方にある霊地を巡拝する「東御廻り(あがりうまーい)」で訪れる拝所のひとつで、琉球の国王や琉球信仰の神女「聞得大君(きこえのおおきみ、チフージン)」もこの地を訪れて参拝したと言われている。

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(浜川御嶽)

 「浜川御嶽」のすぐ海側にあった「ヤハラヅカサ」。海の彼方の理想郷「ニライカナイ」からやってきて久高島に降り立ったアマミキヨが、その後沖縄本島に上陸したときに最初に足に降ろした場所とされているところとなる。百名ビーチの北端の海中に石碑があり、満潮時には水没し、干潮時にはその全容を見ることができる。このときは干潮で、碑がしっかりと見えた。
 百名の海がとてもきれいだ。だがこの砂浜に、猪ぐらいはある巨大なウミガメの死体が打ち寄せられていたのを見てショックを受ける。

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(これが「ヤハラヅカサ」)

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(晴れの「百名ビーチ」)

 戻って、「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)」も改めて見ておく。琉球における稲作発祥の地という伝説がある地だ。2つの泉があり、西側を受水、東側を走水といい、受水に面して御穂田(みふーだ)と呼ばれる田がある。小さな田ではあるが、青々とした稲穂が立っている。

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(高い位置から「受水走水」を撮る)

 それから、初めて「藪薩(やぶさつ)御嶽」へと赴く。「浜川御嶽」からそう離れていないのだが、たどり着くには道を大きく迂回していく必要がある。住所地番では場所が特定できないので、このあたりかとナビに入力して進むと、「アージ島」という陸続きだが海に突き出た地形のところに連れていかれたのだが、御嶽は見つからない。スマホで再度調べると、どうやら「カフェやぶさち」の裏手だということがわかり、そちらのほうへと引き返す。
 ようやく見つけたが、林の中に香炉が置かれているだけのそっけないもので、ほかには何もない、古来の御嶽の原型のようなところだった。藪薩の浦原には展望所のような場所があり、そこから見えるニライの海がきれいだった。

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(やっとみつけた「藪薩御嶽」)

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(藪薩の浦原からはニライの海が見えた)

 南部散策はこの程度にとどめて、「ローソン与那原東浜店」でちょっぴり買い物をして、13時45分には部屋へと戻る。
 夕方部屋で、ラジオ番組の配信サービスをしているウェブページ「radiko」で、先週日曜日に聴き逃した「民謡の花束」を聴いていると、パーソナリティの山川まゆみが、松田弘一が亡くなったという話をしているではないか。え?
 調べてみると、昨年の11月6日、不整脈のため72歳で死去していたことがわかった。親分、まだ早いよ。少年の頃からエイサーの地謡を務め、二十歳を過ぎてから津波恒徳、嘉手苅林昌に師事して本格的に民謡研究に打ち込む。「島情話」「じんだま」などの代表曲があり、ザ・フェーレーの親分としても活躍していた。愛娘で同じ唄者の道を進んだ松田しのぶも悲しんでいることだろう。
 また、ザ・フェーレーのメンバーの波田間武男も、2017年に死去していたことも知る。時は着実に進み、時代は否応なく移ろっていくということなのか。

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(生前の松田弘一)

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(ヒロカズの愛娘の松田しのぶ)

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(波田間武男と村吉茜(2012年頃))

 初めて聴いたが、ラジコはいい。沖縄にいなくても「RBCiラジオ」、「ROKラジオ沖縄」、「FM沖縄」の3局の放送が聴けてしまうのだ。沖縄を離れてからもラジコで時々島唄を聴くことにしよう。

 急いでやるようなことは何もないので、17時過ぎたあたりから飲み方を開始する。つまみは袋入りの豆菓子と、買ってきたサラダだけ。サラダには冷蔵庫のドレッシングをたっぷりかけて食べるが、使い切るのは難しそうだ。一方米のほうは、この日で沖縄に来てすぐの頃に買った2kgの米袋をすべて炊き上げることになった。
 18時から行われた新型コロナに関する安倍首相の記者会見での決意表明は立派だった。相変わらずへらへらとしたしゃべり方には大和の男としての重厚感を感じることはできないが、ノー原稿で自らの想いを的確な言葉にして国民に説明して訴える姿には強い使命感が読み取れ、一人の国民として応援したくなるところがあった。

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(新型コロナウィルス対策で29日、記者会見をする安倍首相)

 自分も昨年度まである意味似たような仕事をしてきたが、安倍首相のような厚顔無恥にはなれなかったし、彼ほど雄弁にもなれなかった。けっして有能な社会人ではなかったかもしれないが、上司を忖度するような姑息なことは一切せず、少なくとも自分に嘘をつくことはないままに仕事を全うできたことは誇っていいことだと密かに思っている。いずれにせよもう終わったことなので、今となってはどうでもいいことだということにしておこう。
 今の日本はいろいろと課題は多いが、18時40分の西の空はきれいだ。今日も暮れていていく。

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(2月晦日の夕暮れ。敷島の大和の国よ、コロナなどにはくじけずにがんばれ)

 飲み終えたあとの今夜のメシは、あんだんすぅの海苔巻きに、コンビニで買ってきたきんぴらごぼう。これで十分おいしくいただける。あんだんすぅはこれで全部食べ終えた。そろそろ沖縄ステイの終わりが近いことを、冷蔵庫内の在庫が減っていくのを見ることで実感することができる。

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(今夜の夕食。米は使い果たし、あんだんすぅも使い切った)

 その後は、ブログ「旬刊・上原直彦「浮世真ん中」の内「おきなわ日々記」」が、本人の体調不良もあってかこの1月31日をもって終了してしまったので、すでに確保してある2018年6月までの分以降の記事をWORDに落とす作業をする。いずれ読むことにしよう。
 22時半に横になり、眠くなるまで本を読んで就寝となる。
 「沖縄文学の100年」を読了。

 5時に目覚めてそのまま本を読み7時に起床という、二度寝の日々が続いている。とうとう3月に入ってしまい、約2か月の沖縄滞在も残すところあとわずかとなってきた。今朝も朝日が眩しいが、午後になって雨が降るとの予報だ。
 この日も、観る予定だった北谷ニライセンターでの「大伸座 沖縄芝居公演 丘の一本松」が早々と中止になっていて、その代わりに近くでやっているイベントをということで、与那古浜公園で行われる「春のよなばるマルシェ」と、公園内に出来上がったばかりの陸上トラックで同時開催される「第1回 キャラリンピック(ゆるキャラオリンピック)」を見がてら散歩でもしようかと考えていたが、これらも数日前に中止または延期となってしまった。
 前者では「与那原大綱曳の道ジュネー」があるというし、後者は与那原に滞在し始めた頃から工事を始めていたトラックが完成してそのお披露目ということで、両方ともそれなりに期待していたのだったが。
 さらに、この土日に開かれる予定だった「第7回与那原町公民館まつり」も中止だ。

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(「春のよなばるマルシェ」も中止×)

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(「第1回 キャラリンピック(ゆるキャラオリンピック)」も中止××)

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(「第7回与那原町公民館まつり」も中止×××)

 催し物的なものはもうほとんどないので、この日の午前中はオリンピック出場選手を決める事実上の最終選考会となる「東京マラソン」をテレビで注視することにする。この日は多くの国民が巣ごもりしているだろうから、視聴人口はぐんと増えるのではなかろうか。
 結果は、日本記録保持者の大迫傑がそれを更新する2時間5分29秒をたたき出し、日本代表第3の椅子をほぼ獲得した形となる。記録更新の賞金は1億円。彼がこれを手にするのは2度目となる。宝くじに2回当たったような感じだろうか。……ちがうか。

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(東京マラソンを日本人最高記録で優勝した大迫傑)

 昼メシは久しぶりに自室にて。レトルトの中華丼の具を温めて食べる。しかしこれでは具が少なく、漬物、佃煮などの塩辛系がもうないので、醤油をかけて味を濃くして食べる。100円ほどで買ったものだが、この1.5倍の量は欲しい。

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(昼メシは、自室でのショボい中華丼で済ませる)

 やることがなくてだらけた午後は、おそらくこのステイで最後になるであろう洗濯をする。洗い物を洗濯機に投入するのは楽だが、その後浴室で干す作業は暑くて汗がどっと噴き出す。
 雨が降ってきたのは15時頃で、こうなると外出もしたくなくなる。冷蔵庫などにある食料の残存物を考慮すると、この日の夜の分ぐらいは何とかなりそうなので、それらを脈絡なく食べて済ませることに決め、外出はしないことにする。
 思えばこのステイ中、一度も外出せず、したがって支出ゼロとなった一日というのは初めてなのではなかろうか。夕刻までたらたらと読書をして過ごす。

 18時を過ぎるのを待つ形で、冷奴で飲み始める。その後は冷凍の茄子入りミートソースと肉まんを食べて締める。これで冷蔵庫に残っているものは、1食分のタッパーごはんとパンに付けるちょっぴりのマーガリンと氷と各種調味料ぐらいになった。

 夜は、今夜が沖縄ステイ最後の日曜日になるので、20時からのROK「民謡の花束」と22時からのFM沖縄「タンメーカラハーイ」を聴き忘れのないように注意してチューニングを合わせる。
 「民謡の……」では、チャンプ流ぅ芸能団の「我した沖縄ヒヤルガヘイ!」、この日公演が中止になった話とともにフォーシスターズの「丘の一本松」、超なつかしい屋良ファミリーズの「海ヤカラー」、ゆいゆいメンバー上原唯のミーウタ「よーたい」、これもミーウタ、山川まゆみの娘宮城マナミの「私の大好きな島」、仲里幸一の筝の入った情け唄の「親ぬ真心」、古謝美佐子の「童神」、最後にはこれを聴いてコロナ禍を乗り切ろうと、登川誠仁の「ヒヤミカチ節」を聴く。励まされるよな、「ヒヤミカチ節」。
 今夜の山川まゆみは鼻声だ。彼女も5月までのイベントがすべてキャンセルになり仕事がなくなって大変していると苦笑しながら言っていた。

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(「チャンプ流ぅ芸能団」は、沖縄芝居役者の嘉陽田朝裕、仲宗根創、平敷勇也、知念勝三の4人(左から)のグループだ)

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(「屋良ファミリーズ」が活躍したのは1960年代だ)

 「タンメー……」では、りんけんバンドの「乾杯さびら」と「ヨーイヨイ」、嘉手苅林昌の「南洋小唄」、ティンクティンクの「おばー黄金言葉」。
 大相撲春場所も理事会で無観客で開催することを決めたようで、この春はなんだか戦時中の「欲しがりません勝つまでは」のような我慢を強いられる日々になる様相を呈してきた。この状況が長引かなければいいのだが。

 22時半に寝床に移動して、眠くなるまで読書。

 7時前起床。
 明日の火曜日が燃やすごみと資源ごみの収集日なので、この月曜日のうちにゴミ出しの準備を終えなければならない。不用品を今夜のうちに全部出し終えるとするならば、その前に部屋の掃除や片付け、さらには荷造りもあらかた済ませることが手順となる。そんなわけで、退室を明後日に控えたこの日は部屋掃除、荷造りと進めていくことにする。

 まずは冷蔵庫や棚にある残存物を処分する。味ぽん、本つゆ、キャノーラ油、オイスターソース、コショウ、塩、七味は大幅に余った。このうち水物は内容物を牛乳パックに移して処分する。
 一方、醤油、マーガリン、コーヒー、海苔、チューブ入りわさび、茶漬けの素はほぼ使い切り、ソース、青じそドレッシング、かつお節パック、緑茶も困るほどには余らず、想定した程度の消費量となった。まあこの程度の残存量であれば上手な買い物と使い方だったと言っていいのではないたろ゛うか。

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(冷蔵庫と棚に残っていた残存物(一部))

 続いてトイレ掃除。漂白剤を使って便器を洗う。さらに、濡れタオルで洗面所や流し台なども拭き拭き。体を動かすとドバッと汗が滲んでくるが、なんだかそれも清々しい。過去にも3月には卒業や異動のため何度かこのような場面を迎えたことを思い出す。引っ越しをモチーフにしたキャンディーズの「微笑みがえし」なんて歌もあったよな。

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(キャンディーズ)

 でもまあ、ウィークリーの部屋なので、たとえば最後まで使ったタオル類やベッドまわりのカバー、備え付けの食器類などはそのまま置いていってもいいわけだし、換気扇にも手を付けず、何よりも大きな電化製品類を動かす必要がないので、作業はこんな程度かと思うぐらいに簡単なものだ。
 今回は初めてのウィークリー利用だったので要領を得なかったために、食器類などの余計なものを持ってき過ぎたことが作業量を増やしているだけのことだ。

 この間、週明けの東京の株価もしばしばチェックする。午前からまたもや大きく下げていたので、電力株3銘柄と商社株1銘柄を買う。
 買っても買ってもどんどん下がっていくのでほとほとウンザリしていたが、この日は10時を過ぎたあたりに前日比マイナス300円圏から一気にブラス400円台まで急騰する場面があり、乱高下する。結果はプラス200円ほど。実に久しぶりに前日比プラスで終えることができたが、大きな落ち込み幅をカバーするには到底至らず、焼け石に水と言ったところだ。

 R331を与那原方面から南風原町エリアに入ってすぐのところにある「上原そば店」で昼食をとる。あの「ひが家具」の隣りで、「JEF与那原店」の真正面に店はある。2015年6月開店で、夜には居酒屋もやっているようだ。
 油そば(並)にうなぎと高菜のいなり寿司を付けて、650+90+70円。自家製麺だという細めの沖縄そばでつくられた油そばは珍しい。配膳されたものに紅生姜を添え、よくかき混ぜてハフハフしながら食べる。何種類かのいなりが1個から追加できるのもよい。厨房から排水溝の匂いが漂ってくる点はすぐに改善した方がいい。

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(「上原そば店」の油そばといなり2個)

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(R331に面して建っている「上原そば店」)

 食後は「MV南城大里店」で、今晩から明日朝にかけて食べるものを買う。何度かこの店にも通ったが、ここは小学校の跡地につくられた店だったと初めて知る。
 12時半前には自室に戻ってチンタラを決め込む。こうして誰が来るはずもない部屋で一人好き勝手なことをやれるのも残りわずかのことなわけだし。
 荷造りに着手し、部屋にモップをかけるなどして少しずつ作業を進めながらも、本を読んだり昼寝をしたりと、お気楽な感じで過ごす。

 18時まで我慢してようやく始めた今夜のひとり飲みは、500mlのストロング缶チューハイに生野菜パックと冷凍のお好み焼きだ。まだあるドレッシングとソースを多めに使っておいしくいただく。この先ごみを多く出さないことを考えると、部屋での夕食はこれが最後になるかもしれない。使い残しのソースやドレッシングは食後に処分する。
 締めは、炊いたごはんの最後のものを茶漬けにしてサラサラといく。チューブ入りのわさびも使ってわさび茶漬けにしたのはいいアイデアだったが、入れすぎて辛いのなんの。少々ごはんが多いけれども、全部腹に入れてしまう。

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(今夜の一人飲み。ソースなどのボトルの外装をはがしてあることにお気づきだろうか)

 本日の最後の仕事はごみ出しだ。燃やすごみを2袋と、資源ごみ(アルミ缶、ペットボトル、同フタ、ガラス瓶、缶)の各袋を出してくる。
 22時からテレ朝系の報道ステーションを見て、シャワー。その後は横になるが、眠くならないので本を読む。就寝は26時頃だっただろうか。
 「蝉しぐれ 上」を読了し、沖縄ステイ中での18冊目を読み終えた形となった。「十九の春」(中川陽介著、沖縄タイムス社、2019)を読み始める。

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   自費出版  非売品  1996年2月25日 発行

 まだ仕事をしていた、あれは2016年のことだったと記憶していますが、業務上仙台市で開かれた在宮城の山形県人会に出席した時のこと、多くの方々と話をしている中で、ある人が海軍兵学校卒だという話をしたので、わが父も海軍機関学校で学んだと言うと興味を持っていただき、話がはずみました。
 その方は米沢市の出身で、父と同じ生年の先輩が海軍時代の本を書いて自費出版しているとのことでした。そしてその後、渡した名刺をもとに郵送していただいたのがこの本です。

 しばらく本棚で出番を待っていてくれましたが、仕事から離れたこのたび、読んでみたところ。
 調べてみると著者は、米沢中学(現米沢興譲館高校)から海軍兵学校に入校。海兵75期で、在校中に第二次世界大戦の終結を迎え卒業。戦後は東北大学法文学部英文科を卒業し、我妻栄記念館の館長もなさった方だったようです。すでに2012年に逝去していたようです。なお、父も2011年に亡くなっています。

 内容としては、「米沢海軍」と言われるほどに米沢は海軍に進む者が多かった土地柄であることや、米沢出身の士官が中心となって「米沢出身武官会」という親睦団体を設けて、海軍時代のことを語り、聞き、懐かしんでいる様子、さらにはそれらの活動によってまとめられた帝国海軍やその幹部たちのエピソードが収録されています。
 当時そこに身を置いた人は懐かしさでいっぱいになるのでしょうが、部外者が読むとあまりにも多くの人名が既知であることを前提として次々に登場するので、少々辛いものがありました。
 巻末には「米沢海軍武官会」、「米沢出身海軍士官名簿」も収録されていました。
(2019.12.19 読)

 6時10分起床。
 この朝までのNYの株価はどうだったかを確認すると、なんと1,300ドル近く上げていて、過去最大の上げ幅となったという。この流れを受けて日本でもぐんと上げてくれることを期待して、市場が開くのを待つ。しかし朝のうちは思ったほどに上げない。まあ、乱高下するよりはこの程度の穏やかな動きをステディに続けてもらったほうが心安らかではあるかもしれない。
 と、楽観していたら、結局はまたもや大きく下げて終わる。今日は少なくとも前日比プラスで終わるものと思っていただけに、落胆は大きい。

 本日は、早めに開く店で早めの昼食をとり、このステイ中にまだ行っていないおもろまちに行って、県立博物館・美術館を観て、往路にはかつて一度訪れたことのある西原町立図書館付近を見て、午後の早めの時間帯にいったん戻るという算段で、行動を開始する。おっとその前に、髭を剃って用具を収納しなければならない。
 店の開店時刻の10時に合わせて部屋を出る。この日も太陽サンサンで、汗ばむ陽気になりそうだ。

 早い昼食は、豊見城市高安のゴルフ練習場内にある「わらいそば」へ。豆腐チャンプルーを食べたいと思ってウェブ画像で調べたところ、ここのが最もおいしそうに見えたので。ちなみに第2位は、一度行った八重瀬町伊覇の「やちむん食堂」で、ここもよさげだった。
 10時過ぎの開店直後の時間帯なので終始客は自分一人。ココはゆし豆腐そばがイチオシのようだが、敢えて予定どおり「宇那志豆富チャンプルー」680円をいく。宇那志豆腐とは、糸満市で33年続く店のもの。豆乳を釜に入れて直火で炊く昔ながらの製法で製造しているとのことだ。
 ウェブでチェックした画像はメインディッシュとポテサラのほかにもう一皿あって豪華に見えたのだが、昨年の12月からサラダとチキンの皿がなくなって、そのかわりに味噌汁がミニそばにしたということのようだ。「もう一皿」が重要なのであって、それではダメじゃん。うーむ……こうなると刺身皿が付いていた「やちむん食堂」のほうがよかったかなぁ。そういうことばかり考えている人間のことを、沖縄では「がちまやー」と言う。(笑)
 豆腐チャンプルー自体はとてもおいしかったことを申し添えておく。

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(豊見城ゴルフ練習場の建物内にある「わらいそば」の店内)

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(「わらいそば」の宇那志豆富チャンプルー)

 食事を終えて、那覇のひめゆり通りで渋滞にはまりつつ、「沖縄県立博物館・美術館」へ。入るのは3回目となるが、しばらく間が空いている。
 11時35分から13時45分まで、博物館を90分、美術館を40分かけてじっくりと観る。このようにうしろの時間を気にせずに観ることができるのもステイのいいところだ。新型コロナの影響か、来館者はとても少ない。

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(沖縄県立博物館・美術館)

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(館内では撮影できないので、外の展示物を撮る)

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(美術館には屋外の展示場所もあった。いい天気だ)

 「西原町立図書館」では、「比嘉春潮顕彰碑」を見る。ここも二度目だ。
 比嘉春潮(1883~1977)は、現西原町翁長生まれの沖縄の歴史・民俗の研究家。41歳で上京し、柳田国男の下で研究に励み、敗戦後は在京の伊波普猷、仲原善忠らと沖縄文化協会の創設に関わり、郷土沖縄の復興支援と沖縄研究の基礎づくりに優れた業績を残した人物だ。
 比嘉春潮を知る上では、「比嘉春潮~沖縄の歳月 自伝的回想縄」(比嘉春潮著、日本図書センター、1997)がいいと思う。碑は2006年3月の建立だった。

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(比嘉春潮の碑)

 いったん部屋に戻って身辺整理をして、16時過ぎ、外で飲むために徒歩で再び外出する。
 今後は部屋でごみを出したくないので、今夜の夕食は外で飲酒をしながら食べることに決めていた。歩いていける中華料理店の「金」を想定していたが、改めてリサーチしてみると街中華というよりも少しお高くとまった本格的中華料理店のようで、中華の定番料理が900円ほどと高い上に種類が少なく、瓶ビールもなさそうで、あまりぴんとこない。はてそれではと考えあぐねた挙句、お得路線を貫くならやはりここしかあるまいということで、結局3回目となる「たまるや東浜店」で飲むことにする。

 店へと向かう途中に通過した「与那古浜公園」では、1月初旬に与那原滞在を始めた頃から工事をしていた陸上トラックが竣工して供用されていた。来た当時はこのトラックができる頃には帰らなければならないけれども、それはずいぶん先のことだと思っていたものだったのだが。
 青くて真新しいトラックでは小学生たちが多く遊んでいたが、沖縄県内の小・中・高校では新型コロナのため今日から休校になったところが多いのだった。おもろまちでも制服姿で所在無げにたむろしている数人のグループをいくつか見かけたが、そういうわけなのだな。

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(「与那古浜公園」に整備された青いトラックが真新しい)

 60分飲み放題が激安の330円。今回は半額のにぎり盛りは腹がくちくなるので避け、半額の刺身盛りのほかに冷やしトマトとほうれん草チーズ焼きを注文して、酒類を5杯飲む。のどごし生2杯、ハイボール、泡盛の水割りとロック。結果として、過去2回よりも少し高いが2,134円であがった。「金」であれば900円の料理2品と中生2杯だけにとどめたとしても、プラス税で3千円超となり、こうはいくまい。

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(「たまるや」の刺し盛り+冷やしトマト+のどごし生)

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(同じくほうれん草のバター焼き+ホワイトホースのハイボール)

 店を出てとぼとぼと歩いて戻ると、町内防災放送施設から18時を告げる「夕焼け小焼け」が流れてくる。そうだな、自分の沖縄ステイも夕焼け小焼けで日が暮れるのだな。
 まだ陽はあるが、この日はこれまでほどに気温は上がらなかったようで、ワイシャツ1枚で歩いていると暑くなく、風が吹くと少し冷たく感じる。

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(18時の西空。わが沖縄ステイも夕焼け小焼けで日が暮れる)

 夜は、ラジオも片づけてしまったので、テレビを見て過ごすしかない。
 荷物の整理や漏れていた部分の掃除、再度のモップ掛けなどをしながらNHKとテレ朝系のニュース番組をみて、23時過ぎには寝床での本へと移行する。
 いよいよ明日はマンションを退去して山形へと帰る日となった。朝のうちに荷物をまとめて、時間があれば近くのA&Wでルートビアとバーガーのセットで寛ごうか。