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2021.01.01 20201231 木
 7時20分起床。外は積雪。雪かきをしなければならないか? いや、けっこう積もってはいるけれども、この程度ならやらなくてもいいんじゃない?
 つれあいは力の要らない雪がふわふわのうちにやっておきたいタイプで、さっそく朝から出ていく。世間体を優先しているとも見える。しかし自分は、悪天候と低温が収まってからやりたいタイプで、雪かきはむしろ体力維持のためのトレーニングと考えたい。
 コロナと雪のため極力外出は控えるように言われていることでもあり、外に出る人も少ないだろうからという屁理屈をこねまわして、朝の雪かきはつれあいに任せることにする。

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(okinawa-image(アダンの木))

 昼は、雪道を走って、嶋南の「麺工房華みずき」を丸8年ぶりに再訪。辛味噌ラーメンやギトギトラーメンがウリのようだが、それよりもこっちが食べたいなと、味噌ラーメン(野菜煮込み)700円を選び、ここは餃子もウリなので、ぎょうざ3個210円を合わせてみた。
 味噌ラーメンがおいしい。「野菜煮込み」とサブネームがつくだけあって、野菜炒めがたっぷり。その煮出しスープと挽肉のコクが絶妙で、味噌味として最高のスープになっている。チャーシューとメンマが入らないのが惜しいところだが、本格味噌ラーメンにはそういうものは入れねえんだよ!ということなのだろう。この価格でそれまで望むのは酷かもしれない。
 自慢の餃子は、大ぶりで食べ応えあり。
 帰宅後、午後には長男夫婦が来るので、露天の駐車スペースが使えるようにと、軽く雪いじりをする。

 14時過ぎ、長男夫婦が来宅。いつもは家族で年越しの食事をするが、今年は嫁さんの妊娠とコロナを考慮して、1時間余りのお茶タイムに留めることにした。妊娠の経過は順調で、あと2か月半ぐらいで出産のはこびとなるとのこと。母子ともに元気で出産を迎えてほしいと祈る。

 無職人間は毎日早上がりをしているわけだが、大晦日の今晩はそれよりもさらに1時間ほど早めに上がり、16時過ぎには入浴を楽しむ。たっぷりと湯に浸かり、1時間余り。
 飲み始めるのも17時半とフライング気味。500mlの缶チューハイを空け、その後の締めは上寿司に純米酒を合わせる。なぜだか今夜はそんなに酔わない。

 大晦日にたくさんある番組から選んだのは、ボクシング。世代交代かと目されたWBOスーパーフライ級タイトルマッチの井岡一翔対田中恒成は、井岡が8RにTKOで田中を下して貫録を見せた。ほかに比嘉大吾の復活戦の東洋太平洋王者戦も。

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(井岡が田中を下す)

 年末恒例の「RIZIN」も。メインイベントでは堀口恭司が、前戦で敗れている朝倉海を1RにKOで下して復活の勝利。
 これらは録画をして、邪魔なCMや冗長な前フリをバンバン飛ばして観戦する。効率的に観たい。

 ほかにも録画をせずに、「吉田類の年またぎ酒場放浪記」や「バナナマンのせっかくグルメ5時間SP」もところどころ観る。
 つけ足しておくと、「NHK紅白歌合戦」はちーとも見ず。まず知っている歌がほとんどなく、見て聴いてワクワクするようなことはない。また、1年のうち最も派手な衣装を着、最大の緊張をして表現される芸術なんて、観ていてそう楽しいものではない。万人に受け入れられようと思ってつくっているというコンセプトも、今の時代に合っているとは思えない。

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(勝利して喜ぶ堀口恭司)

 こうして、コロナウィルスの未曽有の席巻を蒙った2020年の大晦日は暮れていく。太平洋戦争を知らないので、この長く暗く、つまらない1年は、自分にとっては人生中で最悪の社会状況となった1年だったと思う。
 今日も東京で、新規感染者が初の4桁の1,337人となったというショッキングなニュースで1年が締めくくられた。

 23時45分、テレビを消し、本を持ってベッドへ。
 読書成果は、「慈雨」を100ページ。
 粉雪が降り、除夜の鐘も聞こえないままに新年がやってきた。2021年こそはコロナが去り、平和な年になってほしいと祈りつつ、眠りへ。

 「音戸の瀬戸」の風景を見ようと、呉市警固屋(けごや)の山手にある「高烏(たかがらす)台展望台」を目指す。
 近くまで行き「音戸大橋」と「音戸第二大橋」を見下ろすのだが、雨雲がかかってきれいに見えない。だったら、音戸の瀬戸周辺のスポットは後回しにして、江田島方面を先に攻めてしまおう。江田島からは音戸大橋を通らなければ戻って来られので、音戸の瀬戸はそのときでいいだろう。

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(10時段階で「高烏台展望台」眺めた「音戸大橋」(奥)と「音戸第二大橋」(手前))

 ということで、江田島市に入り、目指すは「旧海軍兵学校・海上自衛隊第一術科学校」だ。
 江田島へは、音戸の瀬戸から倉橋島を経由して車で行ける。直線距離はわずかだが、走行距離は20km以上あってけっこう遠回りとなり時間がかかる。
 旧海軍兵学校は、1888年に東京築地から江田島に移転する。石造り・レンガ造りの旧海兵当時の建物が多く残り、今も幹部候補生学校や第一術科学校として引き継がれ、現在も使用されている。
 通常時なら見学が可能で、緑の芝生に赤レンガが映える旧生徒館や御影石の大講堂、特攻隊員の遺書など旧海軍の資料が展示された教育参考館などを、係員の案内付きでまわることができる。現役で使われている施設なので自衛官や学生が訓練しているのも見かけるという。
 しかし、事前に調べてみると、コロナのため当面の間はすべての見学を中止しているようだった。でもまあこの地はわが父が学んだ学舎でもあることだし、たとえ入場できなくてもその場に立ってみることに意義があるのではないかと考え、ひょっとしたら見学できるかもという甘い期待もちょっぴり抱いて行ってみることにした。

 江田島市には2万1千人ほどが暮らしていて、離島とはいえ橋でつながっているため、コンビニはもちろんスーパーの「YouMe(ゆめ)タウン」やファミレスの「Joyfull」などもある。この地は車でたどり着くほかに、船で広島市とつながっていて、むしろそちらが便利なのだろう。

 学校の入り口に至って、水兵の制服を着た若い係員に見学について尋ねると、今はやっていないのでここでUターンしてくださいとあっさり門前払いをされてしまった。うーん、遠くからやって来たのになぁ。やむを得ないので、近くのコンビニに停めさせてもらって、入り口付近にしばらく佇んで撮影するだけで終わりとなってしまった。父よ、あなたの青春はきっとこのあたりにあったのだよね。
 ようやく雨が小降りになってきた。戻ろう。
 入れないのが残念なあまり、少し先まで進んで、「江田島小用港旅客ターミナル」を見てから戻ることにする。

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(「旧海軍兵学校・海上自衛隊第一術科学校」は、この入り口でUターンとなる)

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(小用港旅客ターミナル)

 来た道を延々と戻って呉の警固屋に戻り着き12時前。ここで昼食にしよう。狙うは「呉細うどん」だ。
 呉市には細うどんと呼ばれる、一般的なうどんよりも細い手打ちうどんを提供する店が多くある。細うどんは呉が軍港だった戦時中に生まれたもの。軍港関係者が短時間で食事を終わらせることができるよう、うどんの麺を細くして茹で上がりを早くしたものだという。つゆが多めなのも特徴らしい。
 往路の段階で目を付けていた「だし道楽警固屋店」へ。昼前から満員で、ギリチョンで駐車場に停めて、食券を買うためにしばらく並ぶ。人気ナンバーワンだという細めんかすうどん700円に天ぷら140円を添えてみた。
 トッピングは、かすと呼ばれる半ば乾燥したスジ肉と、わかめ、とろろ昆布、ネギ。天ぷらには子供がおやつとして食べるイカの形をしたあのイカ天が、小さく砕かれて入っているのかな?
 太くはないという程度の細めのうどんは丸麺で、コシがなくやわらかめだった。うーむ……これが840円とは、高いだろうな。しかし、“だし道楽”というぐらいなので、つゆがすごくうまい。入口にはだし醤油の自販機が2台並んでいた。

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(「だし道楽警固屋店」の細めんかすうどん)

 改めて「音戸の瀬戸」で何か所かを巡る。
 音戸の瀬戸は、800年以上前に平清盛が切り開いたと伝えられる。瀬戸内海航路の要所である一方、潮の流れが速いため難所としても知られている。間隔わずか90m。平清盛が夕日を招き返して1日で切り開いたという日招き伝説の伝わる名勝地だ。

 改めて「高烏台展望台」へ。海抜200mの高台にあり、瀬戸内海が一望できる。2時間余り前に道の途中から見たよりもすこしだけクリアになっている。
 「音戸大橋」は、音戸の瀬戸上に架けられた日本初のアーチ型らせん式高架橋で、ループ式道路を組み合わせた形状が美しい。橋長172m、全長は1,184mある。
 「第二音戸大橋」は、2013年の完成で、橋長492m。アーチの中央部は国内最大級の海上クレーン船で一括架設したという。音戸の瀬戸に残る平清盛の日招き伝説から「日招き大橋」の愛称がつけられている。
 展望台のトップにはその「平清盛の日招き像」があった。その目線の先には音戸大橋、手前に第二音戸大橋がきれいに見える。
 展望台の下方には「旧高烏砲台兵舎跡」が遺っていた。広島湾の防護のため1896年につくられたものだとのこと。

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(再度、「高烏台展望台」からの眺め。10時段階と較べられたし)

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(展望台には「平清盛の日招き像」があった)

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(下方には「旧高烏砲台兵舎跡」)

 「音戸の瀬戸公園」。音戸大橋の袂一帯が公園として整備されていて、高みにある「吉川英治文学碑」あたりからの眺める音戸の瀬戸の景観がいい。音戸大橋の曲線がきれいだ。公園内にはツツジの木がたくさんあり、その季節に来たならさぞかし見事なことだろう。

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(「音戸の瀬戸公園」にはツツジの木が多い)

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(音戸大橋付近には道路の曲線も多かった)

 音戸大橋を渡って倉橋島へと渡り、「清盛塚」を見る。
 瀬戸開発で人身御供案をしりぞけた清盛を讃える海中の塚だ。海のすぐそばにあるのだが、海はざあざあと音を立て、渦を巻いて流れている。ここに落ちたら絶対溺れて遠いところに流されていくのだろうな。
 音戸の瀬戸はここまでとして、13時15分、広島市に向けて走り始める。

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(清盛塚)

2021.01.02 20210101 金
 新年を迎えた。
 7時前に覚醒するが、格別やることもないので8時15分まで温い布団の中で惰眠を貪る。いいだろ、正月だし。こういうところに正月気分を感じたいのだよ。
 だが、遅く起きればその後の時間の進みが早い。カキモノとブログ記事公開の朝ルーチンが終わったのは10時近くになってからだった。

 昼食は、昨晩食べなかったそばがあるというので、それをかけそばにしてもらって食べる。鳥とごぼうでとったそばつゆがうまい。これに焼き餅を1個入れて正月の雑煮風にして、ゲソ天とともに食べる。
 したがって、この日は外出なし。金も使わず、終日家にいることになった。外の積雪は多いから、家にいるのは正しい行動だ。

 午前中から午後にかけては、テレビの「ニューイヤー駅伝」が点けっぱなしになっていた。6区あたりになると眠くなって、しばらく昼寝。結果が出る頃には復活して、富士通が12年ぶり3回目の優勝をし、山形のNDソフトは36チーム中35位だったことを知る。

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(「ニューイヤー駅伝2021」は、前年予選落ちの富士通が復活優勝)

 ほかは読書と、読後本の記事書きを2本。
 「慈雨」を100ページ余り読んで今年の読了1冊目となったが、柚月裕子のこの著作はなかなかよかった。
 警察官となり組織に忠誠を尽くしてきた主人公が、誤認捜査による冤罪かもしれない事件を上層部がもみ消すことに抵抗できず、深く傷ついていく姿が描写されている。それに似たようなことはおそらく多くの職業集団をはじめとした社会的組織にあることだろうと思われ、自分の過去に照らしてもまったく身に覚えがないわけではない。現役時代には、いったいこの組織は何なのだ、どうかしていると、愕然とすることもあった。そういうことがあると、職務に対する士気はいとも簡単に崩れていくものだ。
 そういった思いと、物語に登場する四国霊場八十八か所を自分でも数十か所、今年の初夏に巡ったこともあって、風景をイメージしながら我が身に照らして読むことができたのがよかったのかもしれない。
 柚月裕子を読むのはこれで3作目だが、今後もう少し読んでみようと思う。

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(謹賀新年)

 夜は、正月バラエティばかりが放送されていて楽しくないので、録画鑑賞へ。
 NFLのWEEK16のNYG対BALの後半戦。BALは勝利して、プレーオフ出場へ大きく前進した。同地区ではDALカウボーイズも首の皮1枚で出場可能性があり、今週の最終週の結果が楽しみだ。
 「探偵!ナイトスクープ」では、48歳主婦が若い頃に一度経験したドリフト走行にチャレンジするのがよかった。

 寝る前にかけては、「居酒屋味酒覧」を30ページ。
 さらに、「抗いと創造―沖縄文学の内部風景」(大城貞俊著、コールサック社、2019)を読み始めて20ページ。これは2020年2月に小説だろうと思って買ったものだが、開いてみると、緻密な内容の詩評書だった。大城貞俊は小説家が定着する前は詩人として文壇に登場していたので、ははぁ、そういうことなのかと思って読む。

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(「抗いと創造―沖縄文学の内部風景」と、大城貞俊)

 新しい年を迎えたわけだが、新年はこうしようとか、こうであらなければならないといった格別の気負いはない。なにせ60回以上も新年を迎え続けてきているわけだから。
 ただ一方で、見たいこと、知りたいこと、やってみたいこと……と、日々やりたいことは人生半ばを大きく過ぎてもいまだに尽きることなく湧いてくる。それらを自分の身の丈に合った形で、自分なりに工夫を凝らして、納得のいく形で、一歩一歩実現していこうと思っている。

 広島市では、マツダのクルマづくりの過去・現在・未来を見ることができるという「マツダミュージアム」を観たかったが、ここは要予約だし、現在閉館中ということでスルー。
 市街地に入り、広島市民病院の有料駐車場に停めて、14時35分から歩き始める。臨時休業中の「広島県立美術館」の建物を見ながら、まずは「広島城」へ。
 1589年、太田川河口の三角州に毛利輝元が築城した平城で、“鯉城(りじょう)”と呼ばれる優美な城だったそうだが、原爆で天守閣が全壊した。現在は復元されて武家文化を中心に紹介する歴史博物館になっている。

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(広島市民病院の駐車場にクルマを停めて……)

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(「広島城」へは「表御門」からエントリー)

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(天守閣は歴史博物館になっている)

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(すっかり晴れてええ天気じゃ)

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(ついでにこんなショットも)

 原爆ドーム方面へと進み、「旧広島市民球場跡地」を見る。山本浩二や衣笠祥雄らが活躍した場所だ。1957年に完成して以降、2009年まで広島東洋カープが本拠地として用いていた。球場が解体されてからはイベント開場として利用されている。
 原爆ドームの東隣にできた広島観光の新スポット「おりづるタワー」もチェック。屋上はウッドデッキの展望スペースになっていて、原爆ドームや平和記念公園などを見下ろせるといい、太田和彦も居酒屋番組で訪問しているのを見たが、入場料1,700円では入れない。

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(「旧広島市民球場跡地」は今、こうなっている)

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(「おりづるタワー」(右))

 地下街の「シャレオ」や、「広島県庁」と、河井案里議員の公選法違反問題で揺れている「広島県議会」、「そごう広島店」、広島のバスネットの拠点「広島バスセンター」などを見て歩く。

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(広島県議会議事堂)

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(「そごう広島店」前、紙屋町交差点付近)

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(そごうのビルの一角にあった「広島バスセンター」)

 「平和記念公園」へと進み、「原爆ドーム」。チェコ人の建築家ヤン・レツルの設計で1915年開館した、かつて市の中心街にあった「広島県産業奨励館」の跡だ。原爆の実状を伝えるため永久保存され、1996年にユネスコ世界遺産として登録されている。現在は保存工事中だった。
 ドームの前を流れる「元安川」。原爆投下後、爆風や熱線で傷ついた数多くの被爆者たちがこの川の水を求め、力尽きて亡くなったという。毎年8月6日に犠牲者を弔う灯篭流しが行われる。

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(「原爆ドーム」は大修復中。こういう景色もそう見られるものではあるまい)

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(同上)

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(元安川とドーム)



   LINE文庫  670円+税
   2020年2月5日 第1刷発行

 新卒OLの東山葉月は旅行先で途方に暮れていた。勤めていた会社が、夜逃げ同然に倒産してしまったのだ。更に追い打ちをかけるかのように不思議な存在に絡まれた葉月だったが、通りかかった中年男性の室井俊郎に助けられる。
 彼によれば、葉月は「あちら側の住人」と意思疎通ができる「みえるひと」であるらしい。俊郎が「あちら側の住人」も顧客とするカフェを経営していると知った葉月は、その仕事を手伝うことを申し出る。
 南の島を、元OLが駆ける。こちら側と、あちら側の住人を繋ぎ、時に助けられながら――。

 というもので、アプリ「LINEノベル」に掲載されたものを加筆修正したもの。
 こういうのを「ライトノベル」っていうの? 漫画のノベライズに近いような印象で、軽く読めるのはいいのだけれども、この手のものってカギカッコつきのセリフの部分がやたらと多く、文章表現に乏しい。なので、充実した読後感はあまり得られないようだ。
 活字好きというよりも漫画やアニメ好きがその延長線上にある娯楽として読むようなものなのかもしれない。
 また「LINEノベル」とは、LINE株式会社が運営していた小説サービスでしたが、2020年8月末にサービスを終了したとのこと。
(2020.8.3 読)

 「爆心地(島病院)」にも行ってみる。戦前に外科病院として開業した島病院が、その上空で原子爆弾が炸裂したという調査結果から、原爆の爆心地とされている。
 病院は原爆により壊滅したが、戦後同じ場所に再建された。説明版の前で妙なポーズをとっているアジア人はその意味をわかっているとは思えない。

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(爆心地(島病院))

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(元安川に架かる「元安橋」)

 元安橋を渡り、「原爆の子の像」を見て、「広島平和記念資料館」。
 被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料を収集・展示し、広島の被爆前後の歩みや核時代の状況などについて紹介しているという。ここは中に入ってじっくりと観るべきところなのだが、そうなると長くなるので、時間の都合上またの機会に見ることにする。またいつか、広島ステイなんていう機会があるかもしれないし。
 「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」。国として、原子爆弾死没者の尊い犠牲を銘記し、追悼の意を表し永遠の平和を祈念するため、被爆地長崎とともに設けられた施設。入場無料なのだが、ここも内部は割愛する。
 散々歩いて16時半、駐車場戻り。

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(原爆の子の像)

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(「広島平和記念資料館」は、右奥横長の建物)

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(「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」も次回へ)

 ここでいったん、今夜の投宿先の「広島パシフィックホテル」へ。
 ホテルは、駐車していた広島市民病院から400mほどしか離れていないところにあった。今回も入り口でフロントに電話して指定駐車場を教えてもらい、そこに停めてチェックインして、17時に部屋で荷を解く。

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(広島パシフィックホテル)

 「広島平和記念資料館」と「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」を次回送りにしたのは、この日は外で飲むことにしていたからだ。
 市内中心部を走る路面電車の「広電」を乗り継いで、南区の「宇品3丁目」駅まで足を伸ばして、その電停そばにある「ぎょうざの美和」に行く。「吉田類の酒場放浪記」や倉本康子の「おんな酒場放浪記」で紹介されていたのを見て、広島に行ったなら寄ろうと思っていたのだった。

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(ホテル最寄りの「女学院前」から路面電車に乗り……)

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(来た来た……)

 テレビで見たように赤い暖簾が出ていて、中を覗いてみると満席。中は長いカウンターが続いていて、その目の前には惣菜や煮物、魚介などがずらりと並んでいる。大女将が気付いてくれたがちょっと待ってねと。
 しばらく待っても席が空かないのでもう帰ろうかと電停方向に向かおうとしたところに、「お兄さん、空いたよ、どうぞ」と若い店員が声をかけてくれた。これはもう、ラッキーでしょう。
 創業当時は餃子やラーメンの店だったが、今では瀬戸内の新鮮な魚と広島の地酒が揃う。とはいえ、常連が真っ先に頼むのは、大女将が1日に1,500個は包むという創業以来の名物の「ぎょうざ」なのだ。
 ぎょうざと生ビールを注文し、それに何かすぐできるものはと尋ねると気風のよさそうな女性店員は牛すじ煮込みかなという。ぜひそれもと所望すると、けっこう多いからとハーフにしてくれた。
 煮込みは、脂が唇にまとわりつくようなこってりさでうまい。ぎょうざは1皿に小ぶりのものが12個。焼いたものに最後は熱い油に通して揚げ気味に仕上げている。具材のきめが細かく、これを酢とラー油のタレにつけて食べるのが美和流だ。
 味はいいのだが、満員、稠密、大声という、この旅中、いや、コロナ禍が始まった2月末以降で最高の3密状態だったので、長居はせず早めに撤収する。

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(「宇品3丁目」電停前、「ぎょうざの美和」)

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(牛すじ煮込みハーフ)

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(ぎょうざは1皿12個)

 その後には紙屋町か八丁堀あたりで広島焼きを食べるつもりでいたが、だいたい腹は出来上がりつつあるし、明日までの期限付きの地域共通クーポンを使わなければならないので、ホテル近くのファミマでお好み焼きを買って戻ることにした。明日の朝食と今夜の酒も買い、手出しは49円だった。

 戻って19時。このホテルは男性用の大浴場があるので、部屋着に着替えてさっそく風呂に入りに行く。ビジネスホテルの難点は狭いユニットバスにあって、あちこちに身体をぶつけないようにと、普段はとらないような窮屈な姿勢で動くのがけっこう難儀なのだ。しかし大浴場があれば思いっきり体を伸ばして湯に浸かることができる。フラットで柔らかいベッドと大きな風呂があればもう最高だよな。

 21時まで本日のログ付けをして、今夜も途中でやめて飲み始める。買ってきたお好み焼きは麺の入る広島焼きではなかったので拍子抜け。
 1時間余り飲んだらもう眠くなり、22時半には消灯、即沈没となる。

 この日の万歩計は、15,500歩。
 10月17日の走行距離は115km。

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 3  文春文庫  590円+税
    1999年1月10日 新装版第1刷
    2004年8月25日 第14刷発行
 4  文春文庫  638円+税
    1999年1月10日 新装版第1刷
    2009年7月1日 第25刷発行

 改めて「坂の上の雲」の概要を整理すると、当作は司馬遼太郎の代表作の一つで、初めて近代を題材にとった長編作品。明治維新を経て新国家に生まれ変わった日本が、大いに欧米列強に学びながら近代国家としての体制を整えてゆき、日清戦争など幾多の困難を乗り越えて、ついには日露戦争でロシア帝国を破るまでを扱っています。
 旧伊予国(愛媛県)松山の出身で、日本陸軍における騎兵部隊の創設者である秋山好古、その実弟で海軍における海戦戦術の創案者である秋山真之、真之の親友で明治の文学史に大きな足跡を残した俳人正岡子規の3人を主人公に、彼らの人生を辿りながら物語が進行していきます。

 タイトルは、坂の上の天に輝く一朶の雲を目指して国民のすべてが一心に歩んでいた、当時の時代的昂揚感を表したものであるとのこと。
 また、日露戦争とは、官民の端々までが「国家が至上の正義でありロマンティシズムの源泉」と感じていた時代背景のもとで、情熱の下に一体となって遂行された国民戦争であり、司馬はそれを「国家の重さに対する無邪気な随従心をもった時代に行われ、その随従心の上にのみ成立した」と評しています。

 3、4巻のカバー背表紙の概要表記は、次のとおり。
 日清戦争から10年――じりじりと南下する巨大な軍事国家ロシアの脅威に、日本は恐れおののいた。「戦争はありえない。なぜならば私が欲しないから」とロシア皇帝ニコライ2世はいった。しかし、両国の激突はもはや避けえない。病の床で数々の偉業を成し遂げた正岡子規は戦争の足音を聞きつつ燃え尽きるようにして、逝った。(第3巻)
 明治37年2月、日露は戦端を開いた。豊富な兵力を持つ大国に挑んだ、戦費もろくに調達できぬ小国……。少将秋山好古の属する第二軍は遼東半島に上陸した直後から、苦戦の連続であった。また連合艦隊の参謀・少佐真之も、堅い砲台群でよろわれた旅順港に潜む敵艦隊に苦慮を重ねる。緒戦から予断を許さない状況が現出した。(第4巻)
(2020.8.6、2020.8.8 読)