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 ゆっくり眠って7時起床。旧暦では今日が大晦日、沖縄でいう「年の夜」だ。
 この日は見るべき公演はなく、やっておかなければならないようなこともこれといってない。それでは部屋でゆっくりしようかとも思ったが、あまりに天気がよく暖かいので、ドライブに出ることにする。
 八重瀬町の、旧東風平(こちんだ)町の中心部や志多伯(したはく)集落あたりをうろついてみよう。観光地でもないので、ここを見ようというあてもないまま行ってみる。

 10時45分発。15分ほどで東風平の中心部の字伊覇(いは)に着いてしまい、そこからほど近いショッピングセンター「サンエー八重瀬シティ」に入ってみる。スーパーサンエー、マツキヨ、書店、100円ショップなどがあり、サンエーは以前も一度別店舗をチェックしているが、いいものを置いているのか野菜、総菜類などは総じて高い。

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(ショッピングセンター「八重瀬シティ」)

 SCでしばらく時間をつぶしてから、11時半開店の「やちむん食堂」が開くのを待って、ここで昼食とする。
 「クーブイリチー定食」780円。クーブイリチーと豚の三枚肉が載ったごはんがメインで、それに鶏の唐揚げ、コロッケ、千切りキャベツ、大根煮の小鉢、マグロの刺身、そばスープが付いて、重量感のあるやちむん(焼き物)のワンプレートで供されるというもの。大根煮には小海老があしらわれるなど凝った一面もあり、品名となっているクーブイリチーがおいしく、満足のいく昼食となった。

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(「やちむん食堂」(八重瀬町))

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(クーブイリチー定食)

 食後は腹ごなしをしようと、伊覇の街路を歩いてみる。通りにはマックスバリュ、かねひで、琉球銀行、沖縄銀行、マック、ケンタ、すき家、JAなど一通りのものが揃っているのだった。少し歩いただけでぶわりと汗が出る。今日はかなり暑いぞ。

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(旧東風平町の伊覇交差点付近)

 その後は、まだ新しい八重瀬町役場を車内から眺めるなどして、志多伯へ。
 初めて志多伯という地名を知ったのは、沖縄戦当時の状況を知るために各種の書籍を読んでいたときのことだった。1945年4月から5月にかけて、沖縄戦の「鉄の暴風」が吹き荒ぶさなか、戦火を避けて南へと逃げ惑う県民の多くがこの志多伯を通過した。旧東風平町の各集落では戦火のため多くの人命と住家が失われ、ところによっては集落の住人の大部分、あるいは全員が死亡し、集落自体が消滅してしまったところもあったという。
 適当な目的地がないので「志多伯公民館」をナビに入力して、訪れてみる。

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(志多伯公民館)

 志多伯を走っていて「当銘(とうめ)・小城(おぐすく)の共有龕(がん)」と「小城のニーセー石」の案内板を見つけたので、そちら方面に行ってみる。
 「小城のニーセー石」。「クワギブク嶽」の西側に広がる小城集落に向かって建てられている。いちおう獅子の形をしているが、いつ誰が建てたかは定かでなく、古老の語るところによれば、この石を建てて拝むようになってから小城の青年たちは栄えるようになったという。
 火除けや魔除けのために設けられたシーサーがほとんどの沖縄にあって、青年繁栄の守り神だというのは特異な存在と言っていい。

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(小城のニーセー石)

 「当銘・小城の共有龕」。龕とは、葬式時に棺を入れて運ぶ屋形の輿のこと。ここの龕は1833年に制作されたもので、2005年に改築された龕屋に格納されていた。小窓しかない建物の中の龕はよく見えない。今ではお披露目はすることがあるのだろうが、実際の用には供されていないのではなかろうか。
 龕屋の周辺は「西部プラザ公園」として整備されていて、このあたりは集落背後地の、風水にいう「クサティムイ(腰当森)」に当たっているように思われた。ここでも園内のアップダウンを歩いて大汗をかく。
 ところで昨日、知花小百合は自己紹介で、読谷出身で今は八重瀬町に住んでいると言っていたが、あとで知ったが志多伯在住のようだった。

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(「当銘・小城の共有龕」の格納庫。龕の全容はよく見えない)

 志多伯からは、いったん同じ八重瀬町の高良を経由し、東風平から南城市大里を通って与那原へと戻る。島尻地区については地理そのものや道路のつながりがよく理解できないでいたが、何度も道路を利用することで、頭ではなく体で、方向や距離感、集落間のつながりなどが少しずつだがつかめるようになってきた。

 走っている最中はRBCiラジオにチューニングを合わせていて、平日の午前から午後にかけてやっている「MUSIC SHOWER Plus+」がおもしろい。
 番組を担当するアナウンサーの狩俣倫太郎を知ったのは入社したての20年近く前のことで、「RBC民謡紅白歌合戦」などで初々しい司会ぶりを見せていたものだが、今は女性言葉を使ったりしてなんだかオカマっぽくなってしまっている。いまやアナウンス室長となり、態度もややぞんざいになってしまったようだ。
 この番組で光っているのは、くだかまりという女性パーソナリティだ。彼女の話を聴いていると、思いもよらないようなおかしいリアクションをすることがあり、運転しながら思わず笑ってしまうことがよくあるのだ。父が日本人、母がスペイン人のハーフだが、ばりばりの沖縄中部なまりでしゃべる40歳。先日は、相田みつをの「人間だもの」がお題になっていたが、彼女はそれを「人間だのに」と口にしたのには大笑い。「~だのに」はウチナーンチュが得意とする表現なのだ。顔立ちはシャープで、ウチナーンチュばなれしているのだけどな。日中のドライブ時のラジオはこれからもこれだな。

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(狩俣倫太郎とくだかまり)

 13時半過ぎには帰宅。部屋で窓を開けてじっとしていても暑いので、クーラーこそ点けないものの、ここでとうとう半袖Tシャツを取り出してこれに着替える。誰も来るはずもないので、下はパンツだけだ。短パンの出番はさすがにないだろうと、持ってこなかったのだ。これだと汗もかかず、気持ちがいい。
 ベランダから見た15時の様子は太陽がばんばんに照ってこんな感じだ。今日の最高気温は那覇で25.8℃と、今季最高の「5月上旬並み」だった。北国にお住いの皆さん、申し訳ない。

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(5月上旬並みの気温となった本日の、午後3時)

 本日は早めの17時過ぎから、相撲中継を見ながら缶ビールを飲み始める。ポテチをつまみながら細々と飲むのだが、350mlをたった1本飲み切った段階でかなり酔いが回ってしまったのはなぜだろう。もうそれ以上飲もうという気にもなれず、しばらくベッドで眠ってしまう。

 そうするうち、つれあいから電話が入る。入院中の母の状況や退院後に入る施設の選定方法などについて連絡してくれるのだが、その8割以上は母に対するグチだ。こちらが沖縄から戻らないためにほぼ一人でこの事態に対応してくれていて大変なのだろうし、誰かにグチりたい心境もわかる。だが、2言も3言も多いのにはどうにも我慢ができない。
 悪口の対象は、そちらにとっては義母という名のただの口うるさい高齢女性かもしれないが、こちらにとっては替えがきかないたった一人の実の母なのだ。つれあいは最も言ってはいけない相手をわざわざ選んで悪口を言っている。社会ではそういう人を無神経な人という。これ以上黙って聞いているのはもうウンザリなので、これからやることがあると告げて早めに会話を切り上げた。

 「やること」とは、電話中に始まってしまったNHKの番組「沖縄の歌と踊り 首里城を歌う」をじっくり見ることだ。沖縄でしか見られず、録画の術もない、1度だけの視聴となる。
 「首里古城」をソプラノ歌手の平山留美子がうたう。知名定繁が作曲したという「ハンタン山の枯れ赤木」は孫の知名定人がうたう。沖縄版「みんなのうた」的な番組で流れた「首里の一人旅」。乙女椿の「花の首里城」は1991年のアナログ画像。1992年の正殿落成時に普久原恒勇が作曲した「首里城賛歌」は律音階の八重山民謡調のもの。これらは全部、初めて聴いたものだった。

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(知名定人。知名定男の次男だ)

 21時前、冷凍のナポリタンをチンして食べて、あとはニュースとシャワーでこの日はおわりだ。
 23時まで沖縄の情報収集をするが、Wifiがとても遅いのには閉口する。
 その後少し本を読んで就寝。

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