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 2020年10月24日(土)。
 昨晩早く寝たので自然に4時半に目が覚め、せっかくなのでそこで起きて、昨夜はほぼ手を付けなかったドキュメント作業を開始する。

 7時前までに書き上げて、この日はどこまで進もうかと考える。
 津山市で城東の町並みや市内の特徴ある建物を見れば、けっこう時間がかかるだろう。次の美作では湯郷温泉と宮本武蔵生誕地などを見て、佐用町でホルモンうどんを食べ、宍粟市にチョイ寄りし、福崎町で柳田國男関連のスポットを見る。少し多すぎるような気もするが、1日で巡れるのはせいぜいこのぐらいだろうか。
 ということで、だいぶ先に当たる西脇市の「アーバンホテル西脇」を予約する。中国、近畿の山間部にはそれなりに道の駅が点在しているが、毎日ホテルで安楽に過ごしているともう車中泊にはなかなか戻ることはできない。一晩3千円程度でホテルのベッドや各種設備とアメニティが得られるのであればそうする。

 7時50分にホテルを発って、27km、40分ほど走って津山市へと向かう。スタート時は霧が出ていて寒く、外気温は7℃の表示。車のフロントガラスにはたっぷりの水滴が着いている。

 津山市は、中国地方の内陸部随一と直感できるような大きは都市だ。結果として、8時半から11時15分までみっちり見て歩くことになった。
 まずは「城東町並み」から。この地域は古来の城下町らしい姿を色濃く残していて、なまこ壁・防火用の袖壁・うだつのある町家が軒を連ねている、重要伝統的建造物群保存地区。無料の「城東地区観光駐車場」に停めて歩き始める。中国地方の内陸部に入ってからは駐車料金がほとんどかからなくなったのはいいことだ。
 この地区のメインポイントと思しき「城東むかし町家(旧梶村邸)」。元禄時代に建てられたこの町家は、茂藤籐右衛門(しげとうとうえもん)なる人物が、1767年に津山藩から「札元」(今の銀行)を命じられ「藩札」の発行をしていたという。主屋は江戸時代の終期、西側の部屋は明治期に建てられ、北側の2階建ては洋館も含め大正期に建てられたものだ。
 その隣り奥には「津山洋学資料館」。こちらは現代風な建物で、江戸中期から明治前期にかけて活躍した洋学者の著訳書、書簡、肖像、遺品、医療器具などの資料を展示しているという。朝早くからウロウロしていると、隣の「城東観光案内所 和蘭堂」に出勤してきた女性職員から「おはようございます!」とあいさつされた。カメラをぶら下げているのですぐに観光客とわかるものな。

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(晴天の下、城東地区の町並みを歩き始める)

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(城東むかし町家(旧梶村邸))

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(「城東むかし町家(旧梶村邸)」には庭園も)

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(「津山洋学資料館」のエントランス)

 その並びには、日本初の大学教授だという「箕作阮甫(みつくりげんぽ)旧宅」。幕末に活躍した洋学者の生家。当時の町医者だった旧宅がそのままの雰囲気で復元されている。
 しばらく西へと歩を進めて「作州城東屋敷」。江戸期の町家を復元した無料休憩所になっていて、白壁と火見櫓が目を惹く。小学校や県津山工芸専修学校など城東の教育の場として利用されてきた建物ものを、1993年より作州城東屋敷として整備して活用している。
 このあたりはいい町並みが続いている。朝の空気が清々しく、散策するにはもってこいのいい場所だ。缶ビールの空き缶でつくった装飾品を飾っている店もあって、生活感も十分に感じられる。

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(箕作阮甫旧宅)

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(作州城東屋敷)

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(いい町並みが続く)

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(空き缶の装飾品を飾る店)

 いったん車を「津山城」の南側にある「津山観光センター駐車場」に移動して、津山市内(市街西部)のユニークな建物群などを見て歩く。
 観光センター東隣りの「津山郷土博物館」。これは旧津山市庁舎を増改築したもの。
 西隣りは「旧津山基督教図書館」で、今は「森本慶三(人物紹介がいる)記念館」として利用されているが、あまり補修・保存の手は入っていないように見える。

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(津山郷土博物館)

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(「津山観光センター」と「旧津山基督教図書館」)

 センターのうしろの「つやま自然のふしぎ館」の脇の坂道を上って「津山城(鶴山公園)」へとアプローチする。しかしこの津山城、天守閣はなく、復元したものとしては「備中櫓」ぐらいしかないにもかかわらず、城域に入ったとたんに切符売り場があり中には自由に入れないようになっている。これではダメだと思い、中には入らずぐるりと城壁下部を回って城の北側へと進む。

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(「つやま自然のふしぎ館」(右)脇の坂道を上って「津山城(鶴山公園)」へと向かう)

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