2023.10.03
へなちょこ探検隊―屋久島へ行ってきました 銀色夏生

幻冬舎文庫 571円+税
2001年10月25日 第1刷発行
「通が言うには、屋久島にはぜひとも船で行ってほしいそうですよ」「ふーん……、その人は、まさに……通だね……。でも、私たち、へなちょこだから、飛行機でいいよね」
木や緑が多く、水も空気もきれいで、自然がたっぷりの屋久島に、へなちょこ探検隊が行ってきました。ほのぼの楽しく心地いい、オールカラーフォトエッセイ。(カバー裏表紙から)
古書市場から110円で入手したもので、当作はこの文庫が書き下ろし初出でしょうか。銀色夏生と編集者が、女性二人で屋久島へ行った際の旅行記です。
銀色夏生の本を購入したのは初めてなので確認しておくと、銀色は1960年、宮崎県えびの市生まれの埼玉大学教養学部卒。1982年に作詞家として活動を開始し、大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」などの作詞をしているそうです。85年に第1詩集「黄昏国」を刊行。のち本の制作や著書に掲載する写真・イラストも自ら手がけ、詩のほかに創作物語なども執筆し、160冊を超える著書があるのだそうです。
淡々とした旅行記ですが、自分たちの行動をなぞることが主になっているような書きぶりは、書き手の備忘のためのドキュメントとしてはいいかもしれませんが、第三者に向けた旅の読み物としてはあまり上等なものとは言えない仕上がりになっている気がします。
つまりは、旅の目的や興味の行く先がきちんと定まらないまま旅に出てしまったことが問題なのではないでしょうか。読み手は、書き手がどのような思いなり感慨を持って旅をしているか、してきたかに、心を揺り動かされるものです。また、つけ加えるならば、編集者を伴って行くような「書くための」旅とは、そもそも「本当の」旅と言えないのではないでしょうか。
カラー写真が多いことは内容を理解する上でとてもいいのですが、それらの写真の多くは草木の緑色ばかりで占められていて、どれも同じように見えてしまいます。そして、写真それぞれの説得力が高いかというとそうでもなく、たとえば、一湊(いっそう)集落で自転車の男の子が大木のまわりを回っているというくだりの写真だけで7枚、なんと7ページも割いていて、単なるページ数稼ぎだとしてもこれではあまりではないかと思わせるものがありました。
でもって、旅を終えた後の著者の感想。
「で、結局、屋久島はどうだったのかと言うと、木や緑が多く、水もきれいで、空気もきれいで、自然たっぷりの島。特別なものは感じなかったけど、気持ちいいところでした」とのことでチョン。
これでは、お金を出して本を買った読者諸氏をナメきっていると糾弾されてもやむを得ないのではないかと思ったところです。悪しからず。
(2023.8.20 読)
2023.10.02
短篇ベストコレクション 現代の小説2003 日本文藝家協会

徳間文庫 800円+税
2003年6月15日 第1刷発行
このシリーズを読むのはこれが8冊目。
阿刀田高の「海の中道」は、死んだ友人の頼みで訪れたシチリア島で体験した幻想的な出来事をめぐる短篇。
岩井志麻子の「満ち足りた廃墟」は、廃墟のようなアパートで育った少女の、薄幸な人生の端々で描写される、彼女の目を通して見える廃墟の情景が印象に残る作品。
黒岩重吾の「闇が蠢いた日」は、半世紀昔の大阪、旧飛田遊郭界隈で暮らしていた「黒木」の、当時の懐かしい情景が眼前に見えるように表現されているノスタルジックな回顧譚。黒岩は2003年3月死去。
常盤新平の「各駅停車」は、平成不況下、職場でお荷物扱いされ始めた壮年男性の哀切な心境が、日々乗車する鉄道と、旧知の初老男性との会話によって浮かび上がる作品。常盤は2013年死去。
西木正明の「熊穴いぶし」は、東北北部の山で育った少年時代の記憶。都会に暮らす主人公に、狩猟を教えてくれたマタギの死が伝えられたが、その娘のことが思い出され、主人公は葬儀への出席をやめる。もう若い頃の思い出には浸らないと決めた男の気持ちが、この年齢になるとよくわかる。
重松清の「ゲルマ」は、吃音に悩む中学生の心が、乱暴・短気・おせっかいな友人のつくった鉱石ラジオで癒されていくという、ノスタルジックな話。会話は、作者の故郷の岡山弁だろうか。
東郷隆の「ハラビィ」は、アフガニスタン紛争が激化していた時代の、パキスタンからアフガン国境周辺での現地体験に基づいた、リアリティのある短篇。
立松和平の「火の川法昌寺百話」は、1945年3月の東京大空襲で両親と姉を亡くした女性が、寒行団の一人となって56年ぶりに当時暮らしていた浅草を訪れる。隅田河畔での地獄絵図が回想として描かれている。立松は2010年死去。
石田衣良の「空色の自転車」は、大酒呑みの父親を凍死させた容疑で警察にひっぱられた親友を気遣う中学生3人組が活躍する。前作に続き、これも隅田川界隈が舞台。
赤瀬川隼の「接吻」は、20歳以上も年齢が下の女性に思いを強めていく50代の男性が主人公。初のキスが別れのキスになるが、そのような美しげなことが小説の世界でしか起こらないことは、この年齢になった自分にはよくわかりすぎ、興醒め感すらある。赤瀬川は2015年死去。
菅浩江の「言葉のない海」は、体外受精治療で細胞質を移植されて生まれた男と女が恋に陥るという、近未来を舞台とした問題作。
佐々木譲の「借りた明日」は、北海道出身の作家が描く1895年の富良野盆地。役人に追われている男が開拓地の民家に匿われ、もめごとに巻き込まれるというストーリー。
高橋克彦の「声にしてごらん」は、締め切りに追われる小説家の背後に、何者かの気配が頻繁に訪れる。死期が近い入院中の母が自分の元にやってくるのかと察したのだが、実はそうではなく……。
牧野修の「電獄仏法本線毒特急じぐり326号の殺人」は、惑星間を結ぶ国際鉄騎道公社に勤務する男が主人公。SF風の非現実で混沌とした環境設定に違和感があり、唐突に使われる未知の固有名詞になじめず、読むに耐えずスルー。読者不在の、書き手の自己満足。こういう人間は、世の中に少なからずいる。
安東能明の「夜汽車」は、絶望的な悩みを抱える3人の中学生が示し合わせ、辛い毎日が消えてしまう悲国行きの夜行列車に乗るという、クラスメートの話を耳にしたトオル。両親の再婚で家族と離れて暮らすトオルも一緒に乗り込もうとするのだが……。
江国香織の「前進、もしくは前進のように思われるもの」は、かつてホームステイした英国人一家の19歳になる娘を家で預かることになった女性。家庭では夫とのわだかまりが深まっている。迎えに行った空港で会った英国娘がとった意外な行動とは。
帚木蓬生の「百日紅」は、村の実家で一人医師として暮らしていた父が火災のため突然死亡し、連絡を受けて里帰りした息子の行動と心境を描く。自分は父親を十分の一も理解していなかったのではないかと素直に嘆くシーンが印象的。
筒井康隆の「余部さん」は、作家の「私」のもとに、原稿の最後に大きな余白があると怒ってやって来る「余部さん」という怖い婆さんが登場。目覚めた後にうろ覚えとなった意味不明の夢を文章で再現したようなつくりの話。
角田光代の「秋のひまわり」は、田舎の小学生、花屋をしている彼の母親、その母がおそらく再婚するであろう相手の店員のマナベさんの3人が、それぞれ心に思い描く家族を演じている様子を描いたもの。ところが、本物の家族になりかけたところで……。
吉田修一の「日曜日の新郎たち」は、恋人を交通事故で亡くした主人公と、3年前に妻を亡くした大工の父親の人間関係の妙をソフトタッチで描いたもので、好感度が高い。
(2023.8.19 読)
2023.10.01
そこらじゅうにて 日本どこでも紀行 宮田珠己

幻冬舎文庫 600円+税
2017年6月10日 第1刷発行
退屈な毎日を抜け出して、どこか別の世界へ行ってしまいたい! だから今日も旅に出る――。本州の西の端っこに見つけた“ハワイ”。絶対撮影禁止のご神体の、意外すぎる姿。何の変哲もないところが、変哲な湖……。「異世界のへの入り口」は、いつもちょっとだけおかしい。そして、そこらじゅうにある! まだ知らぬ日本を味わいつくす、爆笑旅エッセイ。(カバー背表紙から)
このリードを読む限りでは、これこそまさに自分が求めていたそのものではないかと思われ、楽しみにして読み始めました。
2013年に発刊された「日本全国もっと津々うりゃうりゃ」の表題を変えて、4年後に文庫本として発刊されたもので、当方にとってはタマキングの13冊目となるものです。
先に読んだ「日本全国津々うりゃうりゃ」(初出・廣済堂出版、2012)の続編で、引き続き編集者のテレメンテイコ女史とともに日本各地を「うりゃうりゃ」しています。なお、テレメンテイコ女史というニックネームは、タマキングがテキトーにつけた仮の名で、本名は川崎優子さんというようです。
内容は、長崎の出島・ランタンフェスティバル・軍艦島、奈良の飛鳥石めぐり・天理教寺院、北陸の永平寺・那谷寺奇岩仙遊境、道南の函館・大沼公園、奄美大島の古仁屋でのシュノーケリング・シーカヤック、山形の羽黒山・湯殿山・善宝寺、横浜の物流博物館・原鉄道模型博物館・京浜工業地帯夜景クルーズ、琵琶湖の竹生島・余呉湖・安土城、山口(+福岡)の門司港レトロ地区・関門トンネル・青海島・県の西側の小串。
ところどころに著者手書きのイラストが入り、それらがあることで語られていることの面白みがよく理解できるところがよい。文中に登場するテレメンテイコ女史や作家仲間の高野秀行氏などについての記述も面白い。
著者の目の付けどころがユニークというか、一般人が何気なく見過ごしてしまうようなことに一見奇妙とも思えるような興味を抱いているところがおもしろいです。そしてそれらは、常識人にとってナンセンスかというとそうではなく、ものによってはよくぞそのことに気づいたりというような拍手モノもあったりします。
当著の最後に出てくる、本州の西の端に当たる山口県の西側にどんな町や風景があるのか知らない人は多いのではないか、という疑問については、思わずそうだよなぁと深く同調するのでアッタ。
(2023.8.18 読)
2023.09.30
インド旅行記2 南インド編 中谷美紀

幻冬舎文庫 495円+税
2006年10月10日 第1刷発行
北インド旅行から21日後、嫌味を言うマネージャーを後目に、南インドへいざ出発! 今度こそはインド人に負けまいと、ヨーデルを声高に歌い、しつこいお土産屋を撃退するも物乞いにお金を渡せば、少なすぎると追いかけられ、ホテルではシャツを紛失されたにもかかわらず従業員に居直られる……。(カバー背表紙から)
――という、1冊目の「北インド編」からさらにパワーアップした一人旅の記録、第2弾。
2度目のインドめぐりのため、いきなりインドの毒気に当てられるようなことはなく、1作目よりも落ち着いて旅を始めている印象があります。チェンナイ(マドラス)、カンチープラム、マハーバリプラムなどから巡り始めています。
中谷美紀の、気品がありながらも穏やかな表情や仕草、肝のすわり方などを思い浮かべつつ、読み進めることができるのがいいところ。しかし、プロが書く文章ほどには説得力や訴求力はなく、聞き慣れないインドの地名やそれらの地理、ヨガやボディトリートメントなどの趣味の世界、インドの料理名や材料名などについて、一般化していないカタカナ語を多用して説明なしに流してしまう、よくないクセが見受けられます。
中谷という女優の旅行中の思考回路や彼女の体調、ガイドとのやり取りの機微なども興味深いのですが、そんな彼女の人となりよりも旅の記録を主に読みたいと思っている読み手にとっては、インドという場所がどういうところで、そこで暮らしている人々はどんなで、何をどう食べて暮らしているのか――といったようなことをもっと的確に表現してほしいと感じたりもしました。
後半後の部分からいくつかのトピックを拾うと、次のとおり。
マイソールにて。おかしな男性3人組と知り合い、エッセンシャルオイルを売る店で1本750ルピーと言われたものを、そのうちの一人が2本で800ルピーにするために大奮闘。たかがオイルを買うために数人がああでもないこうでもないと議論しなくてはいけないこの国とは何なのだろう?
ホテルでは、クリーニングに出したシャツを紛失してしまったと、ハウスキーパーの責任者。紛失物の対価を払うことはできないが、「私のキャリアでこのようなことは一度もなかった、穏便に願いたい」と、悪びれる様子のないのが笑える。
3人の男のうちいちばんのクレージー男は、自称アーティスト。著者のためにTシャツに絵を描いてくれ、その芸術的な?!作品の意味の説明を聞くと、ただのだらしないダメ人間と思っていた男が、意外と彼女のことをしっかり観察して描いているのだった。
観光のため出向いた寺院では、お決まりの土産物売りに囲まれて身動きがとれなくなる。そこで「ヨーロレーイッヒー♪」となぜかこの上ない大きな声でヨーデルを歌うと、彼らは聴き慣れないヨーデルに驚いたのかみな一斉に退き、距離を保ちながら様子を窺っている。中谷は「面倒なことになったらヨーデルを歌おう!」と決め、その後も何度か成功していたようだった。
という具合に、面白いエピソードもあって、読み続けられるのはこういうところがあるから。
「インド旅行記3 東・西インド編」も購入済みです。
(2023.8.14 読)
2023.09.28
草原の記 司馬遼太郎

新潮文庫 388円+税
1995年10月1日 第1刷発行
史上空前の大帝国をつくりだしたモンゴル人は、いまも高燥な大草原に変わらぬ営みを続けている。少年の日、蒙古への不思議な情熱にとらわれた著者が、遥かな星霜を経て出会った一人のモンゴル女性。激動の20世紀の火焔を浴び、ロシア・満洲・中国と国籍を変えることを余儀なくされ、いま凜々しくモンゴルの草原に立つその女性をとおし、遊牧の民の歴史を語り尽くす、感動の叙事詩。(カバー裏表紙から)
――という、1992年6月初出のもので、司馬作品の中では晩年の紀行文。
大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)の蒙古語学科を学徒出陣のため仮卒業している司馬の、モンゴルに対する思い入れたっぷりの思考が、モノローグを聞かせるような形でわりと冗長に綴られています。
モンゴルなあ……。モンゴル帝国の時代が去ったあとは頻繁に中国の農耕文明に浸食され、近世にはロシアのシベリア政策によって搾取され、ロシア革命後にはやむなく社会主義を選択せざるを得なかった国、でしょうか。
劇作家・山崎正和の「解説」によれば、モンゴル民族は元という名の帝国でもって世界征服を果たしたが、国が滅ぶに際しては実に淡泊に自領を捨てて北へと帰ったと史実を概括しています。そして、この不思議な民族を象徴させるように、司馬は巧みに、帝国の基礎を築いたオゴタイ・ハーンと、現代詩の非情を淡々と生き抜いた女性「ツェベクマさん」の二人の人物を対比的に登場させていると記しています。
とりわけ、著者の通訳を務めたツェベクマさんは、ロシア、満州、中国の国籍を転々とし、日本の支配、ソ連の侵攻、中国文化大革命の嵐を次々に経験し、政治に裏切られ続け、故郷も夫も奪われ、終生不遇に甘んじながらも、最後には草原の天幕生活に戻り、したたかな明るささえ見せている人物なのでした。
本書の最後は、その彼女の半生を司馬が当人に聞く場面で締めくくられます。聞き終えて、「ツェベクマさんの人生は、大きいですね」との司馬の語りかけに、彼女は「私のは、希望だけの人生です」と返します。その場面に、多くの読者は感動し、涙したのではないでしょうか。
(2023.8.12 読)
2023.09.27
琉球建国記 矢野隆

集英社文庫 840円+税
2022年4月30日 第1刷発行
2023年に読む7冊目、6月以来となる久しぶりの沖縄関連本です。沖縄本ばかり読んでいた4、5年前と比べると、年が変わって半年以上が経過しているのにまだたったの7冊?!というオドロキがあったりします。
15世紀、琉球王国。勝連半島の無頼漢の赤や氷角たちと役人の加那は、立場を超えて仲間となり、民衆に悪政を強いる勝連城主を倒した。新たな按司となった阿麻和利(加那)は、活発な交易で繁栄をもたらす。
一方、王位を巡る内乱を経て国王となった尚泰久と側近の金丸は、彼らの活躍に脅威を感じ、失脚させるための計略をめぐらす。
琉球王朝の興亡を再構築し、それぞれの熱い生きざまを描く長編。(カバー裏表紙から)
――というもので、ウチナーンチュが大好きな、いわゆる肝高(チムタカ)の阿麻和利の物語です。
阿麻和利については、「琉球王女百十踏揚」(与並岳生著、新星出版、2003)をはじめとした様々な歴史書や物語、さらには旧勝連町の少年少女たちが演じる現代版組踊「肝高の阿麻和利」公演などに触れてきているためさほどの新鮮味はありませんが、作者や演出家の捉え方によっていろいろな見方ができます。文章は硬いほうと言ってよさそうですが、脈絡としてはしっかりしています。
読み進めていくにつれ場面がどんどん盛り上がっていき、面白く読めました。
琉球王国の正史では奸者扱いされている阿麻和利が、物語になるとスター扱いされるのが今の沖縄の常で、ここでも阿麻和利が悲劇のヒーローとなり、次代の琉球王となる金丸(尚円)が、武ではなく頭でもって他人をひれ伏させようとする小男として描かれています。
ところで、著者の矢野隆はヤマトの人間なのに、これだけ15世紀の沖縄史に精通しているのはアッパレで、おそらくかなりの量の関連文献を読み漁ったであろうことは想像に難くありません。
福岡県の出身で、2008年に「蛇衆」で小説すばる新人賞を受賞してデビューした人物だといい、これまでに源為朝を主人公としたものや、博多山笠を扱った幕末小説、江戸・寛政期の出版界を描いた作品などをものしている人物とのことです。
矢野隆の著作に関しては、最新作と思われる「城物語」を「web集英社文庫」から入手しています。今のところ第10話まで書き上げられていて、まだ終わりは見えていません。
(2023.8.10 読)
2023.09.25
ほげらばり―メキシコ旅行記 小林聡美

幻冬舎文庫 533円+税
1997年4月25日 第1刷
2000年4月25日 第4刷発行
著者の小林聡美は、ちょっと愛嬌のあるあの個性派女優。1994年からはエッセイを発表し始め、ほかにも45歳で大学入学、さらに大学院進学、句会の立ち上げと、さまざまなことに挑戦しているようです。
行ったことないし、暖かそうだし、ま、いいか、の気軽な気持ちで出掛けた16日間で6カ所を回るメキシコの旅。陽気なクラシック音楽に乗せて強制される疲労困憊の遺跡めぐり、アヤシイ日本料理店、牛の轢死体、アシカを求めて強行される凍えるシュノーケリング……。体力と気力の限界に挑戦した、書くは涙、読むは爆笑の傑作紀行エッセイ。(カバー裏表紙から)
――というもので、1994年10月が初出だから、著者が30歳になる前に記したものです。
当方にとって、メキシコには縁遠く、大昔にメキシコで開催されたオリンピックのことぐらいしか知らず、プロレスラーが修業時代に行く場所といった程度の知識しかない国。そこを女優小林聡美が旅するというので、読んでみたくなった本です。
「あとがき」によればこの旅は、1993年11~12月の記録で、本人曰く、どうしてメキシコなんだと聞かれると非常に苦しく、言ってみれば行ったことがなく日本より暖かそうだからという程度の理由だったと明かし、風物や情緒といったものがまるっきり感じられない中身だと反省しています。6カ所とは、メキシコシティをハブにして、チチェン・イッツァ、カンクン、オアハカ、グアダラハラ、カボ・サン・ルーカス。といっても、それらがどこかわからないので、グーグルマップで位置取りを調べてみる当方。
さらに「文庫版あとがき」では、手だれてしまった今となっては、手書きの原稿で書くのに必死になっていた自分の頭のひとつでも撫でてやりたくなると述べているのでした。
文庫本なのに字が大きく、これで270ページならすらすらサッサと読み終えてしまいます。
なお「ほげらばり」とは、「Forget about it!」のジャパン方言で、「なーんちゃって」とか「いいのいいの、気にしないで」といった意味どころであるとのことです。
(2023.8.8 読)