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   河出文庫  760円+税
   2012年11月20日 第1刷発行

 宮本常一に関しては、近時「忘れられた日本人」「民俗学の旅」「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」「ふるさとの生活」「絵巻物に見る日本庶民生活誌」などを読んでいて、これがその6冊目になります。
 当著は宮本による編著といった位置づけで、初出は1956年に山口大島文化研究連盟から発行されたもの。85年に瀬戸内物産出版部から再版され、2012年に河出書房新社が文庫化したという経過があります。

 父母から、祖父から、土地の古老等から、宮本常一が採集し続けた郷土に伝わるむかし話。瀬戸内海に浮かぶ島ゆえ、土佐大工・伊予大工に出稼ぎに出た者が伝えた話など、内外の豊富な話柄が熟成されている。「百合若大臣」など、ポピュラーな話の変奏も楽しめる。宮本民俗学の背骨をなす、貴重な一冊。(カバー裏表紙から)

 昔話語りがずーっと続いている単調なつくりなので、しばらくするとおじいちゃんの昔話を聞いて条件反射的に眠ってしまう幼子のように、ウトウトと……。
 また、昔話なので論理性に乏しいことも、難点のひとつです。理屈に合わないと眉間に皴を寄せたりせず、頭と気持ちを柔らかくして読むことが求められました。
 つまり正直を言えば、当方にとっては退屈な書物でした。

 宮本常一が1956年9月に書いた「巻末記」には、この昔話集が、山口県大島郡東和町(もと家室西方村)長崎に生まれた著者が幼少時に祖父、父、母から聞かされた話を中心に、1930~40年頃の記憶をよびさまして書いたものであるとし、記憶の曖昧なものをすべて省いたが、省いた量のほうが多かったことが記されています。
 そして、常光徹(民俗学者)は解説で、この時期がおそらく、島の生活の中で昔語りが生き生きと脈打っていた最後の時期だったのかもしれないと述べていました。
(2023.2.19 読)

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   文春文庫  476円+税
   1993年9月10日 第1刷
   2003年2月15日 第24刷発行

 日本は世界の他の国とくらべて特殊な国であるとはおもわないが、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている。――長年の間、日本の歴史からテーマを掘り起こし、香り高く稔り豊かな作品群を書き続けてきた著者が、この国の成り立ちについて研ぎ澄まれた知性と深く緻密な考察をもとに、明快な論理で解きあかす白眉の日本人論。(カバー背表紙から)
 ――という、自分にとって期待度の大きい全6巻の第1冊目です。雑誌「文藝春秋」の巻頭随筆として書かれたものをまとめたもので、1冊目は1986~87年に掲載されたものです。「街道をゆく」シリーズの文庫本と違ってぐっと活字が大きくなっているので、案外すぐに読めてしまうかもしれません。「街道をゆく」は43文字×18行ほどの体裁でしたが、こちらは35文字×13行となっていて、1ページのマス目に換算すればおよそ1.7対1となっています。これならページは捗るわけです。

 はじめの部分では、日露戦争の勝利が日本国と日本人を調子狂いにさせ、太平洋戦争が終結するまでの40年間は日本の“異胎の時代”だったと述べ、日本陸軍の機密文書の記述を例に挙げて、憲法以下のあらゆる法律とは無縁と解説された「統帥権」について、思いを馳せています。

 薩摩における「テゲ(大概)」に関する論考は興味深いものがありました。
 テゲとは、上の者は大方針のあらましを言うだけで配下の者にこまごまとした指図はしないことを言うようなのですが、これを戊辰戦争時の西郷隆盛、日露戦争の野戦軍を指揮した大山巌、連合艦隊を統率した東郷平八郎を例に挙げて説明しており、なるほどと膝を打ちたくなるような名解説になっていました。

 司馬の語り口が軽快で、現代の“昔話”として聴いているような気分になれ、並行して読んでいる宮本常一の「周防大島昔話集」よりも、ずっと面白く読めます。このようなことを夜話として聴かされたなら、聴くほどに目が冴えてしまいそうです。いいシリーズものに出会えたと思います。
(2023.2.19 読)

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   アスキー  1900円+税
   1998年4月8日 第1刷発行

 混じり合えば、みんな、おいしい。
 何千年も前にはじまった人々の交流がまた復活し、来る者、行く者、戻る者で、今この島々は人の往来に沸き立っている。その具体的な例をぼくたちはこの本に見ることができる。在日外国人、移民二世、沖縄人……新たなる日本人像を探る渾身のルポ。(「BOOK」データベースほかより)

 このところ吉村喜彦のビール会社営業マンの奮闘と成長を描く青春小説シリーズを読んでいて、吉村喜彦ってたしか、沖縄モノもいろいろ書いていたよナと思い当たり、未読のものをと古書店から100円で買ったもの。厚手紙の単行本なので、デスクの上に置き文鎮で両脇を固定して読みました。
 「混じり合う「日本人」を訪ねて」という副題が付いています。表紙には若かりし古謝美佐子が三線を抱えてにっこり笑っている姿があったし、ヤポネシアという島尾敏雄の造語と沖縄のちゃんぷるーで表題が構成されているので、これは沖縄本デアルと思って購入しました。しかし内容は、著者の吉村と南方写真師の垂水健吾が沖縄のみならず本土の各地やハワイなどの外国で活躍する魅力ある人物を取材に行く趣向のもので、主たる登場人物24人のうち沖縄関係者は、大阪在住の大島保克とニューヨークで活躍するアイコ・ナカソネを含めて8記事(ほかにブラジル食堂、本間智俊、内間豊三、パスティス・タカラ、崎元酒造、古謝美佐子)になるようでした。でもまあ、問題はありません。

 はじめの部分では、名護で沖縄そば屋を営むブラジル帰りの山下千恵さんらや、鳩間島で漁師見習いをしている本間智俊君などが登場します。
 四半世紀も前の書籍なので、今となっては当時営業していた店が閉店していたり、中には語っていた本人がすでに死亡していたりします。タルケンの写真が多く使われていて、ビジュアル感覚で読めるため、ページの消化スピードは速いです。

 ニューヨークでミュージカル女優として活躍しているアイコ・ナカソネも、ホノルル生まれの沖縄移民の子で、沖縄古典舞踊の第一人者・真境名由康は母方の祖父に当たるのでした。当時30歳でしたから、今生きているとすれば55歳ぐらいでしょうか。ググっても芳しい情報は得られませんでしたが、今はどうしているのでしょう。
 大阪をベースに活躍していた29歳時の大島保克も取り上げられていましたが、彼の活動もぱったりと止まっているようです。いい唄者だったのになぁ。四半世紀という時間はそれほどに状況を変えてしまうものなのかもしれません。

 池澤夏樹が「あとがき」を書いています。
 彼は、「人の中には、境界を閉ざそうとする国の力に逆らって散っていきたい、混ざり合いたいという気持ちがある。知らない土地で自分の暮らしかたを見つけたいという衝動がある。その気持ちが抑えきれなくなって、ある日、心を決めて郷里を後にする。あるいはこの島々にやってくる。長い目で見れば、そういう人の心の動き、移動を求める内なる強い欲求が、今ぼくたちが住んでいるこの社会をつくってきた」とし、近代の一時期にはとても閉鎖的だったこの国が最近になってずいぶん開かれ、いろいろな国の人がやってきて、何かをもたらし、住み着き、ここを変えていることが、今の日本列島すなわちヤポネシアの元気な姿につながっているとまとめていました。
(2023.2.16読)

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   新潮文庫  466円+税
   1996年8月1日 第1刷
   1996年9月15日 第2刷発行

 自分が読む群ようこの3作目となるもので、古書買い110円で手に入れたもの。新潮文庫刊で、2004年には幻冬舎からも文庫で復刊されているようです。
 バンコクではタイ王宮の建物を飾るモザイクの超絶技巧に驚き、灼熱のサムイ島では友人の日焼けの介抱に追われる。上海では怪しい媚薬を大喜びで買う同行編集者に呆れ、手軽な親孝行のつもりで訪れた京都では、母親の買い物に付き合ううちに思わぬ大出費をするはめに……。猫にまたたび、日本人にアジア。アジア旅行の魅力に目覚めた著者が綴る、文庫書下ろし紀行エッセイ。(カバー裏表紙から)――というものです。

 読んでみると、旅慣れしていない女性が恐るおそる海外に出かけていくというような筆致になっていて、それなりに面白く読めます。しかし、今日は何を食べた、あそこであれを買った、日本とは何々が違うといった普通の観光旅行のことをずらずらと書いている感じになっているところがやや物足りません。編集者などと連れ立って出かけているので、海外旅行特有の突発的なアクシデントも起こらず、淡々と読めてしまいます。そういう点は、正直言ってあまり楽しくありません。

 アジアを旅したときの旅日記だろうと思って購入したのですが、最後の第3部は、実母と京都に行って、母のねだる高価なありとあらゆるものを買ってあげたことをただずらずらと書いているだけのもので、がっかり。こんな内容でも人様に読ませる旅行記になってしまうのだなと、妙な感慨に浸りました。売れっ子作家なら何を書いても許されるということなのかな。
 母孝行はいいけれども買ってあげ過ぎで、我々が講読したことで得られた印税がこういうところに無駄に使われていると思うと、なんだかとても悲しくなるのでした。あ、当方は古書で買っただけだから、彼女の懐には1円たりとも貢献していないのだな。

 群ようこモノを続けて読むべきか少し悩みますが、まだその真価を理解できていないのかもしれず、もう何冊かは読んでみようと思います。失敗したとしても1冊110円ですから。(失礼)
(2023.2.15 読)

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   だいわ文庫  800円+税
   2021年4月15日 第1刷発行

 安くて、うまくて、人情があり、物語もある……。「大衆食堂」は、いつだって僕らの味方だ! いわゆる定食屋から、チェーン店、立ち食いそば屋まで、外食の楽しみを探求し、笑いと共に書き連ねたエッセイ集。こんな時代だからこそ、読んで街の飲食店を応援しよう!(カバー裏表紙から)
 東海林さだおのこれまでのエッセイ作品の中から、「大衆食堂」をテーマにした選りすぐりのエッセイを1冊にまとめたというつくりのもので、各項が具体的にいつ書かれたものかは記されていませんいが、読んでみると、価格などから類推すればかなり古いものもあるようです。「ひとり酒の時間 イイネ!」「ゴハンですよ」との3部作の完結編であるとのことです。
 なお、「こんな時代だからこそ」というのは、新型コロナの蔓延で飲食店の利用客が大幅に減っていることを意味しています。この3年ほど、多くの飲食店では収入激減で大変だったろうと思います。これを機に、店主の高齢化と後継者不在のために惜しまれながらも閉めてしまった店を多く見ています。

 構成は5章立てになっていて、ニッポンの昼食編、偏愛メニュー編、食べ方の流儀編、麺類について編、食堂で思い出づくり編。
 このうち著者の偏愛メニュー編では、なぜか雨の日に食べたくなる愛するレバー、行きつけの「てんや」で食べる天丼、パスタではなく懐かしいスパゲティ・ナポリタン、1年ぶりに食べるヨシギュウ、生ビールのつまみとしてのカツカレーの誘惑、ビタビタとソースをかけて食べたいレストランのイモコロッケ、“ツキツキ、サクサク”が楽しいかき揚げ丼などが挙げられています。
 2章の次には、「徹底分析対談」として、著者と定食評論家・今柊二による「正しい定食屋のあり方」についての対談も挿まれています。

 読み口が軽いので楽しく、難なく読めました。
 「ひとり酒の時間 イイネ!」も購入済みで、本棚で待機中になっています。
(2023.2.13 読)

 2023年2月中に仕入れた本は、次の9冊です。

1 完全版 南蛮阿房列車(上)  阿川弘之 中公文庫 201801 古409
2 新装版 最後の将軍 徳川慶喜  司馬遼太郎 文春文庫 199707 古110
3 インド旅行記1 北インド編  中谷美紀 幻冬舎文庫 200608 古220
4 草原の記  司馬遼太郎 新潮文庫 199509 古110
5 以下、無用のことながら  司馬遼太郎 文春文庫 200407 古110
6 麦酒泡之介的人生  椎名誠 角川文庫 201004 古220
7 阿呆旅行  江國滋 中公文庫 202104 古220
8 鉄道ひとつばなし  原武史 講談社現代新書 200309 古220
9 東京バンドワゴン  小路幸也 集英社文庫 200804 古220

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 すべて古書買いで、9冊合計1,839円。
 1冊当たり220円以下でのものでもまだまだ楽しめるものが多く、ほぼそれらで満足しているところですが、1だけは送料を入れてもブックオフより安かったので、アマゾンから入手しています。1はぜひとも「完全版」で読みたいと思っていて、この下巻は古書価格が高いのでもうしばらくウェイティング。
 1のほか3、7、8も旅モノ及び鉄道がらみのものとなっています。

 2、4、5は、「街道をゆく」を全巻読み終えてからの司馬モノ。司馬関係は小説も含めてまだ読みたいものがあり、もうしばらくは買い続けたいと思っています。
 6はシーナ関係、9は自分にとっては新ジャンルと言っていいホームドラマ系のようです。

 最近の購入本はどれも肩の凝らない読みやすいものばかりになってしまっています。

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   文春文庫  581円+税
   2010年2月10日 新装版第1刷発行

 「街道をゆく」の全巻読破を達成して、同著者による他の紀行モノも読んでみようと購入したもの。初出は、「文藝春秋」の1968年1月号から12月号まで連載されたものなので、1971年に連載が始まった「街道をゆく」のいわば序章に当たるものという位置付けでしょう。

 幕末――松陰を筆頭に過激に突っ走った長州。西郷、大久保と大人の智恵を発揮した薩摩。容保を頂点とした会津の滅びの美学。危機の時ほど、その人間の特質が明瞭に現れる時はない。
 風土と人物との関わりあい、その秘密、ひいては日本人の原形質を探るため、日本史上に名を留める各地を歴訪し、司馬史観を駆使して語る歴史紀行。(カバー背表紙から)

 旧藩名でいえば土佐、会津、近江、肥前、加賀……と巡っていて、なかなかおもしろく、読ませる内容になっています。当方には、歴史的事実や逸話や想像が含まれるこういう類いの読み物が性に合っているのかもしれません。
 旅先の名所・旧跡などを詳述するのではなく、その地の歴史や風土、そこに住む人々に受け継がれる人間的特性などについて、独白のような筆致で記しています。こういうつくりのものがベストセラーになることなどそう多くあることではないように思いますが、これも博識な司馬遼太郎だからこそのマジックと言えるのかもしれません。

 記述は、「“好いても惚れぬ”権力の貸座敷」(京都)、「独立王国薩摩の外交感覚」(鹿児島)、「桃太郎の末裔たちの国」(岡山)、「郷土閥を作らぬ南部気質」(盛岡)と続き、最終盤は、徳川家先祖の揺籃の地だった三河、明治維新の起爆地となった萩、抜群の立地条件にもかかわらず首都として定着しなかった大阪について、記しています。

 司馬は「あとがき」で、書く対象地は著者の思い付きに拠っているが、基本的には風土性に一様性が濃く、傾斜がつよく、その傾斜が日本史につきささり、何らかの影響を歴史の背骨に与えた土地を選び、その交差部分が何であったのかを考えることに力点を置いたと記しています。取り上げられた12の土地はまさにその強烈さの代表地だと思います。

 そして、水戸や肥後などの地についてもいずれは続稿を書くかもしれないとしています。このうち肥後については「街道をゆく3」の肥薩のみちで触れていますが、水戸についてはどの著作を読めばいいのでしょうか。調べてみると、徳川慶喜のことを書いた「最後の将軍」(文藝春秋、1967)があるらしいので、これも即刻買いを入れて入手したところです。
(2023.2.12 読)