2020.11.02
山陽旅202009 07 高山
2020年10月1日(木)。
外が明るくなってきた6時に起床。耳栓を取って初めて、雨が降っていることに気づく。Tシャツ1枚では寒そうなのでその上に長袖トレーナーを着て眠ったが、これは正しい判断だった。朝の外気温はおそらく13℃ぐらいだったのではなかろうか。
2日に一回と決めている髭剃りをして、6時45分に「道の駅アルプ飛騨古川」を出発する。
本日はまずマックで昨日分の旅のドキュメントをして、高山、下呂、郡上へと進んでいく。

(朝の「道の駅アルプ飛騨古川」)
7時過ぎに「マクドナルド高山駅西店」に着いて、ノマドワークを始める。ここは電源のある席が1階と2階にひとつずつしかない。1階の電源席が埋まっているので、8時からオープンするはずの2階席を早く使わせてもらって作業を始める。ログ付けに時間がかかってしまい、9時半まで長滞在することとなった。
高山市に到着し、市営神明駐車場に停めて町歩きを始める。
「高山市三町伝統的建造物群保存地区」は町の中心部にあり、商人の町として発達した上三之町を中心に、江戸末期から明治期に建てられた屋敷等が軒を連ねる古い町並みになっている。通りには地酒や朴葉味噌など、飛騨高山ならではの名産品を扱う店がずらりと並ぶ。
ここには、次男が小さかった印象があるから四半世紀前ぐらいに一度訪れている。そのときは狭い通りの人混みがものすごく、一度手を離したら絶対に迷子になるだろうと心配しながら歩いたものだった。しかし今回はまったくスカスカで拍子抜けする感じだ。沿道の店も軒並みヒマそうで、半ば開店休業モードだ。この日全国地価調査の結果が発表されていて、外国人観光客が来なくなったことなどが響いて高山市の地価下落率がトップクラスになったとの報道を聞いた。1時間以上たっぷり歩く。
駐車場からほど近い「高山市政記念館」。
入母屋造2階建て、1895年に高山町役場として建てられ、1968年に役場機能が移転したのちは公民館として使われ、86年に行政資料を保存・展示する市政記念館として生まれ変わったのだそうだ。年中無休で無料なのはすばらしいが、展示物は見るほどのものはなかった。

(高山市政記念館)

(ここはその2階展示室)
高山の町のシンボル的な橋となっている朱塗りの「中橋」を確認して、メインの「三町筋」に入り、老舗の日本酒蔵元で「山車(さんしゃ)」という銘柄の酒を造る「原田酒造場」の前などを通り、スカスカの筋道を北へと進んでいく。

(「中橋」付近)

(原田酒造場)

(こちらは「原田酒造場」の向かいの「舩坂酒造店」)

(「三町筋」を北進する。観光客はほぼゼロと言っていい)

(「御食事処坂口屋」付近)

(「藤井美術民芸館」前)
その後は、宮川に架かる鍛冶橋と弥生橋の間の、東岸沿いにたつ「宮川朝市」、飛騨商家建築の典型で、家自体が民芸品のような「日下部民藝館」を見て歩く。その並びにある「吉島家住宅」は、江戸後期頃から生糸繭の売買などで栄えた商家だったという。

(「宮川朝市」も人がいない。これでは高山も楽ではなかろう)

(日下部民藝館)

(吉島家住宅)
「飛騨高山まちの博物館」。いくつかの蔵が並び、江戸幕府の天領だった飛騨高山に関する展示物が多数あった。このボリュームで入館無料はうれしい。中学生の修学旅行が入っていて、ここは賑やかだった。

(「飛騨高山まちの博物館」は中学生でにぎわっていた)
「高山陣屋」に戻ってくる。陣屋の前は「陣屋朝市」が立っている。高山の市の起源の植木市や花市の名残を残していて、市周辺の農家のおばさんたちが野菜・果物・漬物・生花などを販売している。
そこからさらに足を延ばして、「高山白山神社」へ。そこの矢立杉が、カメラのファインダーに全部入りきらないほどに立派だった。樹齢推定1200年だという。

(「高山陣屋」への入り口)

(「陣屋朝市」も本来ならこんな客数ではないだろう)

(「高山白山神社」。矢立杉が有名だが……)
外が明るくなってきた6時に起床。耳栓を取って初めて、雨が降っていることに気づく。Tシャツ1枚では寒そうなのでその上に長袖トレーナーを着て眠ったが、これは正しい判断だった。朝の外気温はおそらく13℃ぐらいだったのではなかろうか。
2日に一回と決めている髭剃りをして、6時45分に「道の駅アルプ飛騨古川」を出発する。
本日はまずマックで昨日分の旅のドキュメントをして、高山、下呂、郡上へと進んでいく。

(朝の「道の駅アルプ飛騨古川」)
7時過ぎに「マクドナルド高山駅西店」に着いて、ノマドワークを始める。ここは電源のある席が1階と2階にひとつずつしかない。1階の電源席が埋まっているので、8時からオープンするはずの2階席を早く使わせてもらって作業を始める。ログ付けに時間がかかってしまい、9時半まで長滞在することとなった。
高山市に到着し、市営神明駐車場に停めて町歩きを始める。
「高山市三町伝統的建造物群保存地区」は町の中心部にあり、商人の町として発達した上三之町を中心に、江戸末期から明治期に建てられた屋敷等が軒を連ねる古い町並みになっている。通りには地酒や朴葉味噌など、飛騨高山ならではの名産品を扱う店がずらりと並ぶ。
ここには、次男が小さかった印象があるから四半世紀前ぐらいに一度訪れている。そのときは狭い通りの人混みがものすごく、一度手を離したら絶対に迷子になるだろうと心配しながら歩いたものだった。しかし今回はまったくスカスカで拍子抜けする感じだ。沿道の店も軒並みヒマそうで、半ば開店休業モードだ。この日全国地価調査の結果が発表されていて、外国人観光客が来なくなったことなどが響いて高山市の地価下落率がトップクラスになったとの報道を聞いた。1時間以上たっぷり歩く。
駐車場からほど近い「高山市政記念館」。
入母屋造2階建て、1895年に高山町役場として建てられ、1968年に役場機能が移転したのちは公民館として使われ、86年に行政資料を保存・展示する市政記念館として生まれ変わったのだそうだ。年中無休で無料なのはすばらしいが、展示物は見るほどのものはなかった。

(高山市政記念館)

(ここはその2階展示室)
高山の町のシンボル的な橋となっている朱塗りの「中橋」を確認して、メインの「三町筋」に入り、老舗の日本酒蔵元で「山車(さんしゃ)」という銘柄の酒を造る「原田酒造場」の前などを通り、スカスカの筋道を北へと進んでいく。

(「中橋」付近)

(原田酒造場)

(こちらは「原田酒造場」の向かいの「舩坂酒造店」)

(「三町筋」を北進する。観光客はほぼゼロと言っていい)

(「御食事処坂口屋」付近)

(「藤井美術民芸館」前)
その後は、宮川に架かる鍛冶橋と弥生橋の間の、東岸沿いにたつ「宮川朝市」、飛騨商家建築の典型で、家自体が民芸品のような「日下部民藝館」を見て歩く。その並びにある「吉島家住宅」は、江戸後期頃から生糸繭の売買などで栄えた商家だったという。

(「宮川朝市」も人がいない。これでは高山も楽ではなかろう)

(日下部民藝館)

(吉島家住宅)
「飛騨高山まちの博物館」。いくつかの蔵が並び、江戸幕府の天領だった飛騨高山に関する展示物が多数あった。このボリュームで入館無料はうれしい。中学生の修学旅行が入っていて、ここは賑やかだった。

(「飛騨高山まちの博物館」は中学生でにぎわっていた)
「高山陣屋」に戻ってくる。陣屋の前は「陣屋朝市」が立っている。高山の市の起源の植木市や花市の名残を残していて、市周辺の農家のおばさんたちが野菜・果物・漬物・生花などを販売している。
そこからさらに足を延ばして、「高山白山神社」へ。そこの矢立杉が、カメラのファインダーに全部入りきらないほどに立派だった。樹齢推定1200年だという。

(「高山陣屋」への入り口)

(「陣屋朝市」も本来ならこんな客数ではないだろう)

(「高山白山神社」。矢立杉が有名だが……)
2020.11.03
山陽旅202009 08 下呂
高山から約50km、1時間強かけて、下呂市の「下呂温泉」へ。
下呂温泉は、千年の歴史をもつという。傷ついた一羽の白鷺が温泉の在り処を知らせたという伝説があり、江戸時代には儒学者林羅山が、有馬・草津に並ぶ「天下の三名泉」と紹介した。「美人の湯」とも呼ばれ、宿泊施設が軒を連ねている。
まずは、下呂に来たならここを見なければと、すぐ近くの駐車場に停めて、飛騨川に架かる下呂大橋の上から「噴泉池」を眺める。飛騨川のせせらぎをバックに源泉を堪能できる名所ということで、四半世紀前に国道から見たときは大勢の裸の人々がまわりから丸見えの中で湯に浸かっていた記憶があるのだが、今はそういう人は減ったのか、着衣のまま足湯をしている人が数人いる程度だった。世も変わるもの、ということか。夜ならば暗くて裸体が見えないし、野趣があっていいかもしれない。

(下呂温泉街)

(下呂大橋脇の「噴泉池」は様変わりしていた)
下呂大橋を左岸に渡って、「下呂温泉神社」。下呂温泉旅館会館の1階にあり、出羽三山の湯殿山神社の分霊を祀っているという。
その傍には、急傾斜の川沿いにつくられた「せせらぎの小径」。おそらくわりと最近つくられたプロムナードだろう。

(旅館会館の1階にあった「下呂温泉神社」)

(せせらぎの小径)
下呂温泉街を進んで、「加恵瑠神社」。「下呂(ゲロ)」にちなんだネーミングと「無事帰る」など語呂合わせのユーモア、縁起やご利益を楽しむスポットとして多くの人が訪れるという。
賽銭を入れると、箱の下のスピーカーから女性の声で、おみくじみたいなお告げが聞こえてくるというのだが、それを失念して引かずに終わってしまった。お告げは「ケロケロ」というフレーズで終わるのだそうだ。
加恵瑠神社の隣りには「下呂発温泉博物館」。温泉を科学と文化の両面から紹介する全国でも珍しい温泉専門博物館らしいが、外観のみチェックする。
その奥には「醫王霊山 温泉寺」。下呂温泉に伝わる白鷺伝説の薬師如来像が祀られた寺ということだが、山の上まで続く参道の石段がプレッシャーとなり、上らずに戻る。寺の高台に駐車場があり、景色を一望できたようだった。

(加恵瑠神社)

(下呂発温泉博物館)

(「醫王霊山温泉寺」は石段が長いのでパス)
下呂での昼食は、隠れた名物料理の「鶏(けい)ちゃん」を食べたい。にんにくと醤油ベースのタレをからませた鳥モモ肉とキャベツをジンギスカン鍋で焼く料理だ。
提供店の一番手に常に上がってくる「杉の子」を13時頃に訪問。5台程度の駐車場の1台分が空いていたので難なく入店することができた。
「鶏ちゃん定食」は、鶏ちゃん1人前、ごはん、味噌汁、漬物、箸休めのおかずのセットで1,370円。一般的には鶏ちゃんを2人前に増やし、後半は焼きそばなどをトッピングして食べるらしいが、そうするとその後が食べられなくなるし、価格が2千円以上に跳ね上がるので、そこまではしない。岐阜県産恵那鶏もも肉だけを使っているというが、妙に柔らかくて鶏らしくない。タレは薄味。焦げっぽさが残るし、一人前では少ない。これでこの価格ならば大儲けなのではないか。個人的には味が濃くてはっきりしている「かつや」の鶏ちゃんのほうが好きだ。

(焼き始める前の、「杉の子」の鶏ちゃん)

(鍋とのセットはこんな感じ)
下呂温泉は、千年の歴史をもつという。傷ついた一羽の白鷺が温泉の在り処を知らせたという伝説があり、江戸時代には儒学者林羅山が、有馬・草津に並ぶ「天下の三名泉」と紹介した。「美人の湯」とも呼ばれ、宿泊施設が軒を連ねている。
まずは、下呂に来たならここを見なければと、すぐ近くの駐車場に停めて、飛騨川に架かる下呂大橋の上から「噴泉池」を眺める。飛騨川のせせらぎをバックに源泉を堪能できる名所ということで、四半世紀前に国道から見たときは大勢の裸の人々がまわりから丸見えの中で湯に浸かっていた記憶があるのだが、今はそういう人は減ったのか、着衣のまま足湯をしている人が数人いる程度だった。世も変わるもの、ということか。夜ならば暗くて裸体が見えないし、野趣があっていいかもしれない。

(下呂温泉街)

(下呂大橋脇の「噴泉池」は様変わりしていた)
下呂大橋を左岸に渡って、「下呂温泉神社」。下呂温泉旅館会館の1階にあり、出羽三山の湯殿山神社の分霊を祀っているという。
その傍には、急傾斜の川沿いにつくられた「せせらぎの小径」。おそらくわりと最近つくられたプロムナードだろう。

(旅館会館の1階にあった「下呂温泉神社」)

(せせらぎの小径)
下呂温泉街を進んで、「加恵瑠神社」。「下呂(ゲロ)」にちなんだネーミングと「無事帰る」など語呂合わせのユーモア、縁起やご利益を楽しむスポットとして多くの人が訪れるという。
賽銭を入れると、箱の下のスピーカーから女性の声で、おみくじみたいなお告げが聞こえてくるというのだが、それを失念して引かずに終わってしまった。お告げは「ケロケロ」というフレーズで終わるのだそうだ。
加恵瑠神社の隣りには「下呂発温泉博物館」。温泉を科学と文化の両面から紹介する全国でも珍しい温泉専門博物館らしいが、外観のみチェックする。
その奥には「醫王霊山 温泉寺」。下呂温泉に伝わる白鷺伝説の薬師如来像が祀られた寺ということだが、山の上まで続く参道の石段がプレッシャーとなり、上らずに戻る。寺の高台に駐車場があり、景色を一望できたようだった。

(加恵瑠神社)

(下呂発温泉博物館)

(「醫王霊山温泉寺」は石段が長いのでパス)
下呂での昼食は、隠れた名物料理の「鶏(けい)ちゃん」を食べたい。にんにくと醤油ベースのタレをからませた鳥モモ肉とキャベツをジンギスカン鍋で焼く料理だ。
提供店の一番手に常に上がってくる「杉の子」を13時頃に訪問。5台程度の駐車場の1台分が空いていたので難なく入店することができた。
「鶏ちゃん定食」は、鶏ちゃん1人前、ごはん、味噌汁、漬物、箸休めのおかずのセットで1,370円。一般的には鶏ちゃんを2人前に増やし、後半は焼きそばなどをトッピングして食べるらしいが、そうするとその後が食べられなくなるし、価格が2千円以上に跳ね上がるので、そこまではしない。岐阜県産恵那鶏もも肉だけを使っているというが、妙に柔らかくて鶏らしくない。タレは薄味。焦げっぽさが残るし、一人前では少ない。これでこの価格ならば大儲けなのではないか。個人的には味が濃くてはっきりしている「かつや」の鶏ちゃんのほうが好きだ。

(焼き始める前の、「杉の子」の鶏ちゃん)

(鍋とのセットはこんな感じ)
2020.11.04
山陽旅202009 09 郡上~関
下呂からまたもや42km、1時間近くかけて郡上市へ。
かつて侍町だった柳町と、様々な職人が住んでいた職人町・鍛冶屋町には、2度の大火から建物に備えられた「袖壁」や軒先の「防火バケツ」に加え、湧水をいかした水路の「セギ」といった水利用施設が残り、城下町としての歴史的風致を今日に伝えているという。
郡上市役所八幡庁舎に駐車し、そこから歩いて「郡上八幡市街地一帯」へと向かう。
八幡小学校の脇を通って、吉田川に架かる「八幡橋」へ。山と川の眺めがよく、川では長い釣竿をもって鮎を釣る人々が見える。
鯉の絵が描かれた看板のかかる細い道に入ると、「いがわ小径」がある。郡上八幡旧庁舎記念館のすぐ裏手にある小径で、鯉や川魚が泳ぎ自然と人の暮らしが共存している素敵な場所だ。
「郡上八幡旧庁舎記念館」。1994年まで八幡町役場として使われていたもので国登録有形文化財。1階では郡上八幡の特産品の展示販売や軽食を提供し、2 階には郡上おどりの体験などが行われるホールを備えている。

(「八幡橋」から見た山と川の眺めはなかなかステキだった)

(「いがわ小径」のエントランス。この先は狭くて写真が撮りづらい)

(「郡上八幡旧庁舎記念館」は一帯のランドマークになっている)
「新橋」を通って古い町並みのあるほうへと進むが、この橋はたしか、郡上八幡の子供たちが夏になると橋の上から川へと飛び込む風景が見られる場所ではなかったか。橋下の深い淵に見覚えがある。
「安養寺」という大きな寺院の前を行くと、古くて小さな家が並ぶ一角に入った。こういう人の息遣いが感じられるような現役の路地こそが素晴らしいと思う。
その先には「郡上八幡博覧館」。まもなく15時で、この日最後の郡上おどりの実演が見られるというので入館したが、展示物が古く手間がもたず、実演も浴衣姿の女性と1対1での見学となるようで、とたんに気恥ずかしくなりそれもやめて出てしまった。シャイなんだよ、俺。

(「新橋」の下の淵には見覚えがある)

(大きくて立派だった「安養寺」)

(こういう現役の路地こそが美しく素晴らしい)

(郡上八幡博覧館)

(「郡上八幡博覧館」内に展示されていた土人形(?)の数々)
職人町、鍛冶屋町と、すっかりつくられてしまったような古い町並みを歩き、連歌の宗匠飯尾宗祇が文明年間、この泉のほとりに草庵を結び、この清水を愛用したところから付けられたという名水百選の「宗祇水」をチェック。
宮ケ瀬橋を南へと渡って古い町並みを離れ、レストランなどで見かける食品サンプルを販売している「食品サンプル創作館さんぷる工房」を眺め、柳並木と大きな家屋敷が立ち並ぶ「やなか水のこみち」をチラ見する。

(職人町の家並は整然とし過ぎてはいまいか)

(名水百選の「宗祇水」)

(やなか水のこみち)
先に見た「郡上八幡旧庁舎記念館」近くに戻って「郡上八幡樂藝館」。林寮院として1904年に建てられた建物で、4棟のうち、看護婦棟と洋風外観の本館、レントゲン棟は国登録有形文化財だ。
町を歩いていて常に山上の高いところに「郡上八幡城」の城郭が見えた。そこにも行ってみたかったが、麓から徒歩約20分かかるのでは断念するしかない。15時40分に車戻り。1時間以上たっぷり歩いて足が痛い。

(元は林寮院だった「郡上八幡樂藝館」)
次は、24km、35分走って、関市にある「名もなき池(通称:モネの池)」へ。
絵画の「モネの池」のようにきれいな水の池で、ネットやテレビでは口コミで結構有名なスポットになっているらしい。北海道の「青い池」のミニチュア版的な感じなのかなと思って赴いたが、それよりもはるかに小規模だし、池のきれいさもさほどではなく、がっかりポイントだったか。

(「名もなき池(通称:モネの池)」)
この日の見て歩きはここまでとし、池の駐車場で風呂の場所を探し始める。ほど近いところに「関観光ホテル西の屋別館 武芸川(むげがわ)温泉」があり、口コミ情報ではわりと評判がよさそうなので、ここへ。
湯温はそれほど高くないが、ゆったりとした露天風呂と中にあるシルク風呂が気に入って、ゆっくりと浸かる。この日の瓶入り牛乳は懐かしのフルーツ牛乳にしてみた。1時間15分の滞在で、18時15分スタート。

(この日の風呂は「関観光ホテル西の屋別館 武芸川温泉」にて)
ステイは、明日見る美濃市の「うだつの上がる町並み」にほど近い「道の駅美濃にわか茶屋」にする。
18時45分に着いて、隣にあるファミリーマートまで歩いて食料を調達しに行き、冷えた缶チューハイに生ハムといなり寿司を合わせる。ここは国道沿いだが、駐車場内に入ってくる車両はそれほど多くない。山手を鉄道が走っている。
飲み終えて20時。旅をしているとこの時間になればもう眠くなる。そろそろ寝ようかな。今夜は中秋の名月の旧8月15日だそうだが、月は満月ではない。東京株式取引所でシステムトラブルがあり、この日は終日取引ができなかったようだ。
10月1日の走行距離は171km。
かつて侍町だった柳町と、様々な職人が住んでいた職人町・鍛冶屋町には、2度の大火から建物に備えられた「袖壁」や軒先の「防火バケツ」に加え、湧水をいかした水路の「セギ」といった水利用施設が残り、城下町としての歴史的風致を今日に伝えているという。
郡上市役所八幡庁舎に駐車し、そこから歩いて「郡上八幡市街地一帯」へと向かう。
八幡小学校の脇を通って、吉田川に架かる「八幡橋」へ。山と川の眺めがよく、川では長い釣竿をもって鮎を釣る人々が見える。
鯉の絵が描かれた看板のかかる細い道に入ると、「いがわ小径」がある。郡上八幡旧庁舎記念館のすぐ裏手にある小径で、鯉や川魚が泳ぎ自然と人の暮らしが共存している素敵な場所だ。
「郡上八幡旧庁舎記念館」。1994年まで八幡町役場として使われていたもので国登録有形文化財。1階では郡上八幡の特産品の展示販売や軽食を提供し、2 階には郡上おどりの体験などが行われるホールを備えている。

(「八幡橋」から見た山と川の眺めはなかなかステキだった)

(「いがわ小径」のエントランス。この先は狭くて写真が撮りづらい)

(「郡上八幡旧庁舎記念館」は一帯のランドマークになっている)
「新橋」を通って古い町並みのあるほうへと進むが、この橋はたしか、郡上八幡の子供たちが夏になると橋の上から川へと飛び込む風景が見られる場所ではなかったか。橋下の深い淵に見覚えがある。
「安養寺」という大きな寺院の前を行くと、古くて小さな家が並ぶ一角に入った。こういう人の息遣いが感じられるような現役の路地こそが素晴らしいと思う。
その先には「郡上八幡博覧館」。まもなく15時で、この日最後の郡上おどりの実演が見られるというので入館したが、展示物が古く手間がもたず、実演も浴衣姿の女性と1対1での見学となるようで、とたんに気恥ずかしくなりそれもやめて出てしまった。シャイなんだよ、俺。

(「新橋」の下の淵には見覚えがある)

(大きくて立派だった「安養寺」)

(こういう現役の路地こそが美しく素晴らしい)

(郡上八幡博覧館)

(「郡上八幡博覧館」内に展示されていた土人形(?)の数々)
職人町、鍛冶屋町と、すっかりつくられてしまったような古い町並みを歩き、連歌の宗匠飯尾宗祇が文明年間、この泉のほとりに草庵を結び、この清水を愛用したところから付けられたという名水百選の「宗祇水」をチェック。
宮ケ瀬橋を南へと渡って古い町並みを離れ、レストランなどで見かける食品サンプルを販売している「食品サンプル創作館さんぷる工房」を眺め、柳並木と大きな家屋敷が立ち並ぶ「やなか水のこみち」をチラ見する。

(職人町の家並は整然とし過ぎてはいまいか)

(名水百選の「宗祇水」)

(やなか水のこみち)
先に見た「郡上八幡旧庁舎記念館」近くに戻って「郡上八幡樂藝館」。林寮院として1904年に建てられた建物で、4棟のうち、看護婦棟と洋風外観の本館、レントゲン棟は国登録有形文化財だ。
町を歩いていて常に山上の高いところに「郡上八幡城」の城郭が見えた。そこにも行ってみたかったが、麓から徒歩約20分かかるのでは断念するしかない。15時40分に車戻り。1時間以上たっぷり歩いて足が痛い。

(元は林寮院だった「郡上八幡樂藝館」)
次は、24km、35分走って、関市にある「名もなき池(通称:モネの池)」へ。
絵画の「モネの池」のようにきれいな水の池で、ネットやテレビでは口コミで結構有名なスポットになっているらしい。北海道の「青い池」のミニチュア版的な感じなのかなと思って赴いたが、それよりもはるかに小規模だし、池のきれいさもさほどではなく、がっかりポイントだったか。

(「名もなき池(通称:モネの池)」)
この日の見て歩きはここまでとし、池の駐車場で風呂の場所を探し始める。ほど近いところに「関観光ホテル西の屋別館 武芸川(むげがわ)温泉」があり、口コミ情報ではわりと評判がよさそうなので、ここへ。
湯温はそれほど高くないが、ゆったりとした露天風呂と中にあるシルク風呂が気に入って、ゆっくりと浸かる。この日の瓶入り牛乳は懐かしのフルーツ牛乳にしてみた。1時間15分の滞在で、18時15分スタート。

(この日の風呂は「関観光ホテル西の屋別館 武芸川温泉」にて)
ステイは、明日見る美濃市の「うだつの上がる町並み」にほど近い「道の駅美濃にわか茶屋」にする。
18時45分に着いて、隣にあるファミリーマートまで歩いて食料を調達しに行き、冷えた缶チューハイに生ハムといなり寿司を合わせる。ここは国道沿いだが、駐車場内に入ってくる車両はそれほど多くない。山手を鉄道が走っている。
飲み終えて20時。旅をしているとこの時間になればもう眠くなる。そろそろ寝ようかな。今夜は中秋の名月の旧8月15日だそうだが、月は満月ではない。東京株式取引所でシステムトラブルがあり、この日は終日取引ができなかったようだ。
10月1日の走行距離は171km。
2020.11.05
山陽旅202009 10 美濃
2020年10月2日(金)。
空が白み始めた5時45分起床。昨夜は早く寝入ったので、夜がずいぶん長く感じられた。気温も下がったようだ。
道の駅の内部で散歩してみるが、踵だけでなく腿や腰などにも疲労がきている。
6時40分発。この日は、早朝の美濃市を見て、関市内のマックでログ付け、その後は揖斐川、養老を巡って滋賀県へと進出する予定だ。

(「道の駅美濃にわか茶屋」で迎えた朝)
美濃市の、「うだつの上がる町並み」を見に行く。
城下町は、旧一番町通り・二番町通りを中心に目の字型に構成されていたようだ、それは現在の加治屋・本住・泉・魚屋・相生・常盤・俵の各町界隈となる。町を歩くと、往時の紙問屋など、うだつの連立する商家の町並みに目を奪われるのだという。
目の字通りの真ん中にある営業時間前の「第十六銀行」に停めさせてもらって、軽く歩く。まだ7時なので、町のなかは静かなものだ。
「旧今井家住宅・美濃史料館」。江戸時代から営まれてきた和紙問屋で、うだつ造りの家屋。中庭には環境庁より日本の音風景百選に認定されているうだつの町の水琴窟があり、透明感のある澄んだ音を楽しむことができるのだという。
「美濃和紙あかりアート館」や「町並みギャラリー・山田家住宅」にも寄るつもりでいたが、時間帯と足の具合を理由に早めに切り上げる。

(美濃市「うだつの上がる町並み」内の「第十六銀行」)

(家々にはずらりとうだつが上がっている)

(旧今井家住宅・美濃史料館)

(建物に掲げられていた古い看板。こういうものが至る所にある)

(早朝であっても町並みはいい雰囲気だ)
「マクドナルド関大平町店」で、7時半から9時半過ぎまでログ付けをする。前日の1日分を翌朝にまとめようとすると、毎日このぐらいかかってしまうのだろうか。1時間ぐらいで終わらないものだろうか。まあ、先を急ぐ旅ではないからいいけれども、旅の4日目に入っても目的地の山陽地方にはまだ入れていない。
関市から美濃市内に戻って、「旧名鉄美濃駅」。
かつて岐阜と美濃を結んでいた名鉄美濃町線の終点駅だったところ。1999年3月の美濃・新関間の路線廃止に伴って駅舎を整備して、路面電車等4両と電車に関するパネルを展示している。ずいぶん野口五郎がディスプレイされていたが、ここは彼の出身地なの?
後で調べてみると、野口五郎はやはり美濃市の出身で、本人は「上京の際にはこの駅から出発したことを今でも懐かしく思い出す」と語っているということだった。

(旧名鉄美濃駅)

(美濃駅の舎内は無人だが整頓が行き届いている)

(駅舎の外には路面電車の車両が4両置かれていた)
空が白み始めた5時45分起床。昨夜は早く寝入ったので、夜がずいぶん長く感じられた。気温も下がったようだ。
道の駅の内部で散歩してみるが、踵だけでなく腿や腰などにも疲労がきている。
6時40分発。この日は、早朝の美濃市を見て、関市内のマックでログ付け、その後は揖斐川、養老を巡って滋賀県へと進出する予定だ。

(「道の駅美濃にわか茶屋」で迎えた朝)
美濃市の、「うだつの上がる町並み」を見に行く。
城下町は、旧一番町通り・二番町通りを中心に目の字型に構成されていたようだ、それは現在の加治屋・本住・泉・魚屋・相生・常盤・俵の各町界隈となる。町を歩くと、往時の紙問屋など、うだつの連立する商家の町並みに目を奪われるのだという。
目の字通りの真ん中にある営業時間前の「第十六銀行」に停めさせてもらって、軽く歩く。まだ7時なので、町のなかは静かなものだ。
「旧今井家住宅・美濃史料館」。江戸時代から営まれてきた和紙問屋で、うだつ造りの家屋。中庭には環境庁より日本の音風景百選に認定されているうだつの町の水琴窟があり、透明感のある澄んだ音を楽しむことができるのだという。
「美濃和紙あかりアート館」や「町並みギャラリー・山田家住宅」にも寄るつもりでいたが、時間帯と足の具合を理由に早めに切り上げる。

(美濃市「うだつの上がる町並み」内の「第十六銀行」)

(家々にはずらりとうだつが上がっている)

(旧今井家住宅・美濃史料館)

(建物に掲げられていた古い看板。こういうものが至る所にある)

(早朝であっても町並みはいい雰囲気だ)
「マクドナルド関大平町店」で、7時半から9時半過ぎまでログ付けをする。前日の1日分を翌朝にまとめようとすると、毎日このぐらいかかってしまうのだろうか。1時間ぐらいで終わらないものだろうか。まあ、先を急ぐ旅ではないからいいけれども、旅の4日目に入っても目的地の山陽地方にはまだ入れていない。
関市から美濃市内に戻って、「旧名鉄美濃駅」。
かつて岐阜と美濃を結んでいた名鉄美濃町線の終点駅だったところ。1999年3月の美濃・新関間の路線廃止に伴って駅舎を整備して、路面電車等4両と電車に関するパネルを展示している。ずいぶん野口五郎がディスプレイされていたが、ここは彼の出身地なの?
後で調べてみると、野口五郎はやはり美濃市の出身で、本人は「上京の際にはこの駅から出発したことを今でも懐かしく思い出す」と語っているということだった。

(旧名鉄美濃駅)

(美濃駅の舎内は無人だが整頓が行き届いている)

(駅舎の外には路面電車の車両が4両置かれていた)
2020.11.06
山陽旅202009 11 揖斐川~養老
揖斐川町に至って、この地域を走る「樽見鉄道」を見ようと、11時頃に「谷汲口(たにぐみぐち)駅」を訪れてみる。
樽見鉄道は、大垣市から本巣市根尾までをつなぐのどかなローカル列車。沿線には緑があふれ、観光名所も豊富だという。谷汲口駅も鄙びた感じのいい風情が漂っていて、周辺の桜の木は満開の時期に来れば見事であろうことは容易に想像がつく。

(樽見鉄道「谷汲口」駅)
次は、揖斐川町の山奥にある「天空の茶畑・遊歩道」へ。
1960年代までは養蚕が盛んで、このあたりは桑の木の畑だったが、その後茶が高価に売れたため今は茶畑に変わっている。南米ペルーのマチュピチュのような標高約300mの高地で茶が栽培されていることから、「天空の茶畑」、「岐阜のマチュピチュ」と称され、ここで栽培される古来茶も「天空の古来茶」としてブランド化されているという。
駐車場から絶景ポイント(茶畑の東側)までは、徒歩約20分で行けるらしいが、当面新型コロナ感染防止のため遊歩道は閉鎖されていた。
ところがそのさらに手前で、ここから先は入れないので500円の駐車場に停めて歩くしかないと言って行く先を阻む者がいる。今観光客が自分以外に一人もいないこの山の中で500円とは大きく出ましたね。日本中を巡ってきた自分の感覚ではあり得ないので、先でUターンして帰りますと告げる。わざわざ山形から来たのに……と言っているアナタ、相当罪なことをしているのに気づかないのデスカ。
Uターンしようと少し進んでいくと、なんだよ、「200m先駐車場」の看板があるではないか。はい、そこまで行きましょうね。
結局閉鎖中の遊歩道入口の前まで行けて、そこで写真を撮って戻る。戻るときに挨拶をしていこうと先ほどのウソつき男を探したが、どこへやら雲隠れをしていたのだった。彼はニゲたな。
四国旅のときもそうだったが、絶景ポイントはコロナや天候のためになかなかたどり着けないことが多い。

(閉山中の遊歩道入口までは車で来れる。すぐ左が駐車場と書いてある)

(これが「天空の茶畑」なのだが、やはり展望地点まで行かないと迫力が足りないようで)
少し遠回りになるのを承知で小1時間ほど走って、次は養老町の「養老の滝」へ。居酒屋チェーンの名前になったりしてその名はよく聞くので、一度は行っておきたいと思って。
手前にある「養老公園」に停めて歩けば滝までハードな道を30~40分歩くことになるので、有料でもいいやと滝の遊歩道のそばまで行って300円。そばとは言ってもそこから約1km、上りで20~30分歩く必要がある。足の疲弊度は半端ではないが、歩くしかない。
足の痛さをぐっとこらえてたどり着いたのは、養老山地の巨岩老樹の中を流れ落ちる高さ約30m、幅約4mの女性的で小さな滝。名瀑であり養老町のシンボルとは言ってもこんなものかとグチりたくなるようなレベルだ。北海道ではこんな滝なら観光地にもならないだろうし、駐車場が有料なんてありえない。まあ、来て、見たという事実は残るだろう。
駐車場まで戻って、名物の「養老サイダー」を飲む。飲んでクールダウンするつもりが、飲んだハナから汗になったようで、この旅初となる大汗をかく。四国の金比羅さんほどではないが、足がガクガクになった。

(「養老の滝」までは沢沿いの遊歩道を30分近くかけて歩いていく)

(滝壺近くでは全容がファインダーに収まらないのでナナメ撮り)

(思っていたよりもショボめの滝だった)

(養老サイダー)
樽見鉄道は、大垣市から本巣市根尾までをつなぐのどかなローカル列車。沿線には緑があふれ、観光名所も豊富だという。谷汲口駅も鄙びた感じのいい風情が漂っていて、周辺の桜の木は満開の時期に来れば見事であろうことは容易に想像がつく。

(樽見鉄道「谷汲口」駅)
次は、揖斐川町の山奥にある「天空の茶畑・遊歩道」へ。
1960年代までは養蚕が盛んで、このあたりは桑の木の畑だったが、その後茶が高価に売れたため今は茶畑に変わっている。南米ペルーのマチュピチュのような標高約300mの高地で茶が栽培されていることから、「天空の茶畑」、「岐阜のマチュピチュ」と称され、ここで栽培される古来茶も「天空の古来茶」としてブランド化されているという。
駐車場から絶景ポイント(茶畑の東側)までは、徒歩約20分で行けるらしいが、当面新型コロナ感染防止のため遊歩道は閉鎖されていた。
ところがそのさらに手前で、ここから先は入れないので500円の駐車場に停めて歩くしかないと言って行く先を阻む者がいる。今観光客が自分以外に一人もいないこの山の中で500円とは大きく出ましたね。日本中を巡ってきた自分の感覚ではあり得ないので、先でUターンして帰りますと告げる。わざわざ山形から来たのに……と言っているアナタ、相当罪なことをしているのに気づかないのデスカ。
Uターンしようと少し進んでいくと、なんだよ、「200m先駐車場」の看板があるではないか。はい、そこまで行きましょうね。
結局閉鎖中の遊歩道入口の前まで行けて、そこで写真を撮って戻る。戻るときに挨拶をしていこうと先ほどのウソつき男を探したが、どこへやら雲隠れをしていたのだった。彼はニゲたな。
四国旅のときもそうだったが、絶景ポイントはコロナや天候のためになかなかたどり着けないことが多い。

(閉山中の遊歩道入口までは車で来れる。すぐ左が駐車場と書いてある)

(これが「天空の茶畑」なのだが、やはり展望地点まで行かないと迫力が足りないようで)
少し遠回りになるのを承知で小1時間ほど走って、次は養老町の「養老の滝」へ。居酒屋チェーンの名前になったりしてその名はよく聞くので、一度は行っておきたいと思って。
手前にある「養老公園」に停めて歩けば滝までハードな道を30~40分歩くことになるので、有料でもいいやと滝の遊歩道のそばまで行って300円。そばとは言ってもそこから約1km、上りで20~30分歩く必要がある。足の疲弊度は半端ではないが、歩くしかない。
足の痛さをぐっとこらえてたどり着いたのは、養老山地の巨岩老樹の中を流れ落ちる高さ約30m、幅約4mの女性的で小さな滝。名瀑であり養老町のシンボルとは言ってもこんなものかとグチりたくなるようなレベルだ。北海道ではこんな滝なら観光地にもならないだろうし、駐車場が有料なんてありえない。まあ、来て、見たという事実は残るだろう。
駐車場まで戻って、名物の「養老サイダー」を飲む。飲んでクールダウンするつもりが、飲んだハナから汗になったようで、この旅初となる大汗をかく。四国の金比羅さんほどではないが、足がガクガクになった。

(「養老の滝」までは沢沿いの遊歩道を30分近くかけて歩いていく)

(滝壺近くでは全容がファインダーに収まらないのでナナメ撮り)

(思っていたよりもショボめの滝だった)

(養老サイダー)
2020.11.07
山陽旅202009 12 長浜
38km、約1時間走って、滋賀県の長浜市へ。
長浜は、豊臣秀吉によって築城され城下町が建設されたが、その後廃城となって城下町はなくなり、商工業中心の町として発展を遂げ、宿場町としてもにぎわったところ。旧北国街道は湖岸に平行して走っているが、現在の朝日町には古い町家が並び、昔の街道の面影を残している。
「豊公園(ほうこうえん)」の、3時間以内無料というステキな駐車場に停めて、長浜駅、旧市街方面へと歩く。
「長浜鉄道スクエア」の前を通るが、ここは戻るときに入館することにして、その向かいにある「慶雲館庭園」をチラ見。1887年に明治天皇の行在所に充てられたところで、庭園は池泉回遊式、築山、池泉、松などが見事に調和して美しいという。だが自分は、三大庭園レベルならまだしも、普通の庭を見るのに300円を出すようなヒトではない。
長浜駅、かつてのランドマークだったであろう「長浜タワー」、1874年に建てられ幼稚園や高等女学校などとして使われた建物をこの地に移築したという「長浜旧開知学校」などを見ながら、「黒壁スクエア」方面へと入っていく。

(「慶雲館庭園」の入り口)

(入り口付近から庭園をチラ見)

(JR長浜駅)

(「長浜タワー」の建つビルはかなり古い)

(「長浜タワー」の向かいには「長浜旧開知学校」)
ここでまず、腹ごしらえをしたい。
「翼果楼(よかろう)」という店で「焼鯖そうめん」を食べたかったのだ。焼鯖そうめんは、湖北地方の伝統的なおもてなし料理で、焼鯖を甘辛く煮て、その煮汁の味をそうめんに浸み込ませたものだ。この地域には、農家に嫁いだ娘のもとに実家から焼鯖を届ける風習があり、その時に送られた焼鯖とそうめんを炊き合わせたものが、定番の家庭の味となったと言われている。
朝マックをしてからここまで昼食を我慢してきて、15時入店。焼鯖そうめん950円。ビジュアルが極めて美しい。茹で立てで熱々の細そうめんには味がしっかり付いていて、山椒を効かせて食べるととてもおいしい。焼鯖もうまいがちょっぴり塩辛い。いずれにせよこういう食べ物はわが故郷にはない。
量的にはこれだけでは不十分だが、まもなく夕食も食べるつもりでいるので、作り置きの焼き鯖寿司などそそられるところもあったが食べない。山椒をかけ過ぎて舌が麻痺してきた。

(「翼果楼」の店構え)

(見た目がとてもきれいな「焼鯖そうめん」)
「黒壁スクエア」は、北国街道沿いに続く古い街並の一角の総称。明治時代から黒壁銀行の愛称で親しまれた古い銀行を改装した「黒壁一號館 黒壁ガラス館」を中心に、ガラスショップや工房、ギャラリー、体験教室、レストランやカフェなどの店が点在している。年間約200万人の観光客が訪れる湖北随一の観光スポットだそうで、この日も中高生の団体客がわんさか来ていてにぎやかになっていた。

(「翼果楼」の手前には、千鳥破風の屋根を載せた「浄琳寺(じょうりんじ)」の太閤楼)

(銀行を改装した「黒壁一號館 黒壁ガラス館」)

(黒壁三號館 黒壁オルゴール館)
長浜は、豊臣秀吉によって築城され城下町が建設されたが、その後廃城となって城下町はなくなり、商工業中心の町として発展を遂げ、宿場町としてもにぎわったところ。旧北国街道は湖岸に平行して走っているが、現在の朝日町には古い町家が並び、昔の街道の面影を残している。
「豊公園(ほうこうえん)」の、3時間以内無料というステキな駐車場に停めて、長浜駅、旧市街方面へと歩く。
「長浜鉄道スクエア」の前を通るが、ここは戻るときに入館することにして、その向かいにある「慶雲館庭園」をチラ見。1887年に明治天皇の行在所に充てられたところで、庭園は池泉回遊式、築山、池泉、松などが見事に調和して美しいという。だが自分は、三大庭園レベルならまだしも、普通の庭を見るのに300円を出すようなヒトではない。
長浜駅、かつてのランドマークだったであろう「長浜タワー」、1874年に建てられ幼稚園や高等女学校などとして使われた建物をこの地に移築したという「長浜旧開知学校」などを見ながら、「黒壁スクエア」方面へと入っていく。

(「慶雲館庭園」の入り口)

(入り口付近から庭園をチラ見)

(JR長浜駅)

(「長浜タワー」の建つビルはかなり古い)

(「長浜タワー」の向かいには「長浜旧開知学校」)
ここでまず、腹ごしらえをしたい。
「翼果楼(よかろう)」という店で「焼鯖そうめん」を食べたかったのだ。焼鯖そうめんは、湖北地方の伝統的なおもてなし料理で、焼鯖を甘辛く煮て、その煮汁の味をそうめんに浸み込ませたものだ。この地域には、農家に嫁いだ娘のもとに実家から焼鯖を届ける風習があり、その時に送られた焼鯖とそうめんを炊き合わせたものが、定番の家庭の味となったと言われている。
朝マックをしてからここまで昼食を我慢してきて、15時入店。焼鯖そうめん950円。ビジュアルが極めて美しい。茹で立てで熱々の細そうめんには味がしっかり付いていて、山椒を効かせて食べるととてもおいしい。焼鯖もうまいがちょっぴり塩辛い。いずれにせよこういう食べ物はわが故郷にはない。
量的にはこれだけでは不十分だが、まもなく夕食も食べるつもりでいるので、作り置きの焼き鯖寿司などそそられるところもあったが食べない。山椒をかけ過ぎて舌が麻痺してきた。

(「翼果楼」の店構え)

(見た目がとてもきれいな「焼鯖そうめん」)
「黒壁スクエア」は、北国街道沿いに続く古い街並の一角の総称。明治時代から黒壁銀行の愛称で親しまれた古い銀行を改装した「黒壁一號館 黒壁ガラス館」を中心に、ガラスショップや工房、ギャラリー、体験教室、レストランやカフェなどの店が点在している。年間約200万人の観光客が訪れる湖北随一の観光スポットだそうで、この日も中高生の団体客がわんさか来ていてにぎやかになっていた。

(「翼果楼」の手前には、千鳥破風の屋根を載せた「浄琳寺(じょうりんじ)」の太閤楼)

(銀行を改装した「黒壁一號館 黒壁ガラス館」)

(黒壁三號館 黒壁オルゴール館)
2020.11.08
山陽旅202009 13 長浜
「長浜大手門通り」というアーケード街を進んで、懐かしのヒーローから最近のキャラクターまで世代を超えて楽しめるフィギュアを多数展示している「海洋堂フィギュアミュージアム黒壁」、曳山まつりに関する情報を大スクリーンと実物展示で紹介している「曳山博物館」の建物を見る。

(「長浜大手門通り」の入り口)

(海洋堂フィギュアミュージアム黒壁)

(曳山博物館)
戻る途中、長浜駅前の土産店で「サラダパン」を見つけたのでゲットする。
コッペパンの間に刻んだ沢庵漬けとマヨネーズを塗り込んだシンプルな惣菜パンで、古くから滋賀県で愛されているノスタルジックな味わいの一品なのだと聞いていた。翌朝にホテルで食べてみたが、塩味の一風変わった味で、漬物のシャリシャリとした不思議な食感があった。でもこれ、思っていた以上にイケル。

(長浜名物「サラダパン」)
「長浜鉄道スクエア」に入館。
旧長浜駅舎・長浜鉄道文化館・北陸線電化記念館の3館で構成されている。
旧長浜駅舎は1882年に建造された現存する日本最古の駅舎。鉄道文化館では、貴重な鉄道資料と60mの鉄道模型が走る線路を展示。北陸線電化記念館では、北陸線で活躍した歴史的車両2両が置かれていた。

(「長浜鉄道スクエア」の旧長浜駅舎)

(「D51 793」が展示されていた)

(「ED 70 1」も。これらは室内保存なので状態がよい)
戻った豊公園はかつての長浜城の城跡公園で、桜と夕陽の名所なのだという。1983年に復元された白壁の長浜城を近くで見ようと湖畔のほうに歩いて行ったが、もう足がダメ。遠目に見て引き返そう。城は内部が歴史博物館として公開されているようだった。

(「長浜城天守閣」は遠くからで我慢)
ここで車内検討をして、本日の風呂は、豊公園内にある「国民宿舎 豊公荘」で入ることにして、ステイはやや南に下がって米原市の「道の駅 近江母の郷」にすることにする。
17時を回ったので、少し早いが「茶しん駅前通り本店」で「イタリアン焼そば」を食べよう。
茶しん駅前通り本店は長浜駅前通りにあり、長浜のB級グルメの総本山ともいうべきはずせない店なのだという。中でも「イタリアン焼そば」は、老若男女に人気のまさにB級グルメの王道。焼そばにミートソースを合わせた単純な組み合わせだが、不思議とまた食べたくなるらしい。
ホワイト餃子とイタリアン焼きそば、490+510円。
ホワイト餃子は揚げが強めで、皮がサクサクして全体の噛み応えはもっちりとしてボリューム満点。点心の域を超えていて、これだけでけっこう腹がくちくなる。10個で490円はいかにも安い。
一方のイタリアン焼きそばは不思議な味。上は完全なミートソースの風味なのに、下はキャベツ入りのソース焼きそばなのだ。この馬鹿みたいなミスマッチがとても新鮮に感じるのはなぜなのだろう。
今夜は飲むだけでいいほどに満腹になる。

(茶しん駅前通り本店)

(ホワイト餃子)

(イタリアン焼そば)
腹が満たされて、入浴のため「国民宿舎 豊公荘」に行くと、なんと、6月2日から無期限で休館しているではないか。あっちゃあ、こうなると長浜界隈では1,200円の別の入浴施設があるが、そんな高いところに行くのであれば、近くの安ホテルに泊まったほうがいいのではないか。
豊公園内のベンチで「楽天トラベル」を検索すると、GoToトラベルの35%割引クーポンが使えて3,055円で泊まれるホテルが長浜市内のこの近くにあるではないか。もうこれしかないよな。ソッコーで予約をする。
「ビジネスホテル・ウェルネス」。チェックインすると、話し方の明るいフロントの女性が、宿泊料金を割り引いた上に千円の地域共通クーポン券をくれるではないか。近くのドラッグストアの「アオキ」で使えますよと教えてくれたので、もう一度車を出して、今夜の飲み物を買いに行く。夜のアルコール類だけでは千円に到達しないので、明日以降に車内で飲むソフトドリンク、つまみ用のあられ、今すぐには必要のない目薬なども買う。つまりは今夜の飲み代はタダで、その後の日用品まで手に入れた形だ。国の大盤振る舞いとも言えるGoToは旅する者にとっては非常にいい制度だ。ホテルに戻って思わずフロントのお姉さんにその顛末まで報告してしまった。

(この日のステイはGoToトラベルで「ビジネスホテル・ウェルネス」泊)
19時には部屋に落ち着いて、電子機器の充電をセットしてモノカキを少し。その後は飲みながらNHKで放送していた日本陸上選手権を見る。男子100mは桐生祥秀が10秒27で優勝する。
トランプ米大統領から、新型コロナウィルスの陽性反応が出たとの報道。コロナを侮った対応をして死者数が最も多くなったアメリカだが、自らがコロナに足元を掬われた格好となり、近く行われる大統領選挙に大きく影響することだろう。
21時を過ぎてから、テレビを見ながら今日分のログ付けをし、
当日分を夜のうちにまとめてしまう。
ホテル泊だとつい寛いでしまい、就寝時間が遅くなる。人間の睡眠を妨げるものはテレビであると見つけたり。
23時を過ぎてからようやくベッドへ。
10月2日の走行距離は、158km。

(「長浜大手門通り」の入り口)

(海洋堂フィギュアミュージアム黒壁)

(曳山博物館)
戻る途中、長浜駅前の土産店で「サラダパン」を見つけたのでゲットする。
コッペパンの間に刻んだ沢庵漬けとマヨネーズを塗り込んだシンプルな惣菜パンで、古くから滋賀県で愛されているノスタルジックな味わいの一品なのだと聞いていた。翌朝にホテルで食べてみたが、塩味の一風変わった味で、漬物のシャリシャリとした不思議な食感があった。でもこれ、思っていた以上にイケル。

(長浜名物「サラダパン」)
「長浜鉄道スクエア」に入館。
旧長浜駅舎・長浜鉄道文化館・北陸線電化記念館の3館で構成されている。
旧長浜駅舎は1882年に建造された現存する日本最古の駅舎。鉄道文化館では、貴重な鉄道資料と60mの鉄道模型が走る線路を展示。北陸線電化記念館では、北陸線で活躍した歴史的車両2両が置かれていた。

(「長浜鉄道スクエア」の旧長浜駅舎)

(「D51 793」が展示されていた)

(「ED 70 1」も。これらは室内保存なので状態がよい)
戻った豊公園はかつての長浜城の城跡公園で、桜と夕陽の名所なのだという。1983年に復元された白壁の長浜城を近くで見ようと湖畔のほうに歩いて行ったが、もう足がダメ。遠目に見て引き返そう。城は内部が歴史博物館として公開されているようだった。

(「長浜城天守閣」は遠くからで我慢)
ここで車内検討をして、本日の風呂は、豊公園内にある「国民宿舎 豊公荘」で入ることにして、ステイはやや南に下がって米原市の「道の駅 近江母の郷」にすることにする。
17時を回ったので、少し早いが「茶しん駅前通り本店」で「イタリアン焼そば」を食べよう。
茶しん駅前通り本店は長浜駅前通りにあり、長浜のB級グルメの総本山ともいうべきはずせない店なのだという。中でも「イタリアン焼そば」は、老若男女に人気のまさにB級グルメの王道。焼そばにミートソースを合わせた単純な組み合わせだが、不思議とまた食べたくなるらしい。
ホワイト餃子とイタリアン焼きそば、490+510円。
ホワイト餃子は揚げが強めで、皮がサクサクして全体の噛み応えはもっちりとしてボリューム満点。点心の域を超えていて、これだけでけっこう腹がくちくなる。10個で490円はいかにも安い。
一方のイタリアン焼きそばは不思議な味。上は完全なミートソースの風味なのに、下はキャベツ入りのソース焼きそばなのだ。この馬鹿みたいなミスマッチがとても新鮮に感じるのはなぜなのだろう。
今夜は飲むだけでいいほどに満腹になる。

(茶しん駅前通り本店)

(ホワイト餃子)

(イタリアン焼そば)
腹が満たされて、入浴のため「国民宿舎 豊公荘」に行くと、なんと、6月2日から無期限で休館しているではないか。あっちゃあ、こうなると長浜界隈では1,200円の別の入浴施設があるが、そんな高いところに行くのであれば、近くの安ホテルに泊まったほうがいいのではないか。
豊公園内のベンチで「楽天トラベル」を検索すると、GoToトラベルの35%割引クーポンが使えて3,055円で泊まれるホテルが長浜市内のこの近くにあるではないか。もうこれしかないよな。ソッコーで予約をする。
「ビジネスホテル・ウェルネス」。チェックインすると、話し方の明るいフロントの女性が、宿泊料金を割り引いた上に千円の地域共通クーポン券をくれるではないか。近くのドラッグストアの「アオキ」で使えますよと教えてくれたので、もう一度車を出して、今夜の飲み物を買いに行く。夜のアルコール類だけでは千円に到達しないので、明日以降に車内で飲むソフトドリンク、つまみ用のあられ、今すぐには必要のない目薬なども買う。つまりは今夜の飲み代はタダで、その後の日用品まで手に入れた形だ。国の大盤振る舞いとも言えるGoToは旅する者にとっては非常にいい制度だ。ホテルに戻って思わずフロントのお姉さんにその顛末まで報告してしまった。

(この日のステイはGoToトラベルで「ビジネスホテル・ウェルネス」泊)
19時には部屋に落ち着いて、電子機器の充電をセットしてモノカキを少し。その後は飲みながらNHKで放送していた日本陸上選手権を見る。男子100mは桐生祥秀が10秒27で優勝する。
トランプ米大統領から、新型コロナウィルスの陽性反応が出たとの報道。コロナを侮った対応をして死者数が最も多くなったアメリカだが、自らがコロナに足元を掬われた格好となり、近く行われる大統領選挙に大きく影響することだろう。
21時を過ぎてから、テレビを見ながら今日分のログ付けをし、
当日分を夜のうちにまとめてしまう。
ホテル泊だとつい寛いでしまい、就寝時間が遅くなる。人間の睡眠を妨げるものはテレビであると見つけたり。
23時を過ぎてからようやくベッドへ。
10月2日の走行距離は、158km。