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   文藝春秋社  1,000円
   1986年3月15日 第1刷発行

 消費税導入前の1986年に発売された古い本。
 近藤紘一については、「サイゴンのいちばん長い日」(1975)、「サイゴンから来た妻と娘」(1978)、「バンコクの妻と娘」(1980)、「パリへ行った妻と娘」(1985)と読み続けてきていて、当作はそのシリーズの最後であり、また著者の遺作となる作品です。

 複雑な国情と厳しい風土の中で生きる東南アジアの人々に常に暖かな目差しを注ぎつづけ、心から愛したベトナム人の妻と娘に熱い思いを遺しながらガンで逝った45歳の著者の最後のエッセイ集。(コシマキから)
 著者が病床でテープに吹き込んだ音声を原稿にしたという「あとがき」には、当作が過去10年余の間に雑誌等に連載した27の文章を1冊にまとめたものであることが記されています。したがって、書下ろしだった「妻と娘」シリーズの前3作とはやや趣を異にしています。各項とも取材活動の一環で体験したことを文章にしており、ベトナム人の妻や娘のことはあまり出てきません。
 そして著者は、取材記者として東南アジアに関わったものの、新聞記者という「現象」を追う身でありながら、興味はその地域で生きる人々の生き方や喜怒哀楽といったものに注がれているとし、この小文集は、新聞記者の事件取材ノートとなっていず、一人の人間好きの旅人の覚書といったようなものになっていると記しています。

 第1部の10編は、1985年1月から11月にかけて月刊「諸君!」に連載されたもので、タイ、南ベトナム、カンボジア、フィリピン、ブルネイ、シンガポール、インド、イランなどでの体験記になっていて、最後の「ベテラン記者の死」は、著者が胃と肝臓が悪化したため、入院中の東京・虎の門病院の病室で書いています。
 参考ながら「諸君!」は、文藝春秋が発行していた1969年創刊の保守的なオピニオン雑誌で、2009年6月号を最後に休刊となっています。20世紀にはイデオロギーを明確に打ち出すこのような雑誌が多く発行されていたものですが、今はこの種の刊行物はほとんど見かけなくなっています。

 第2部では、日本人から見たベトナムの国家構造、軍部のあり方、人間性、タイの国民性などについて、著者が身近に接してみての感想や意見を述べています。初出は「マネジメント・レポート」や「週刊サンケイ」に、1970年代後半に掲載されたものが並んでいます。

 近藤紘一作品については、ここで一応の区切り。
 なお、1986年1月29日に東京・南蔵院にて営まれた近藤の葬儀では、サンケイ新聞の大先輩で「人間の集団について」のベトナム取材に同行して以来の関係だった司馬遼太郎が弔辞を読んでいます。
 その「人間の集団について―ベトナムから考える」(司馬遼太郎著、中公文庫、1996)も購入済みで、間もなく読むことにしています。また、妻ナウと娘ミーユンは現在パリで暮らしているとのことで、ミーユンは「パリへ行った妻と娘」に登場していたフランス人男性と結婚し、男児をもうけたようです。
(2023.1.16 読)

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   祥伝社文庫  730円+税
   2017年4月20日 第1刷発行

 娯楽本としては最適な柚月裕子作品の、自分にとって7作目となる文庫本です。
 「ベテランケースワーカーの山川が殺された。新人職員の牧野聡美は彼のあとを継ぎ、生活保護受給世帯を訪問し支援を行うことに。仕事熱心で人望も厚い山川だったが、訪問先のアパートが燃え、焼け跡から撲殺死体で発見されていた。聡美は、受給者を訪ねるうちに山川がヤクザと不適切な関係を持っていた可能性に気付くが……。生活保護の闇に迫る、渾身の社会派ミステリー!」(カバー背表紙から)というものです。

 ケースワーカーとして生活保護に携わる公務員は多く、その人たちの地道な取り組みや秘かな苦労を近くで見ていた時期が当方にはあり、登場人物にそういうメンタリティや機微がきちんと描かれているかどうかということに視点を当てて読み始めました。
 おもしろいのは、舞台が広島であるのに、生活福祉課の職員の何人かの苗字は、山形もしくはその近辺に多いものが使われていることでした。主人公の苗字の「牧野」や「西田」それほどでもありませんが、「山川」は山形県の特に山形市や上山市、「猪又」は新潟県、「小野寺」は宮城・岩手に多い名字です。おそらく、著者にとって身近にいる人物がイメージされているのかもしれません。

 なかなか面白く、読むほどに深みにはまっていきます。
 ケースワーカーという仕事の大変さ、深さなどが的確に表現されていて、この著者はこの業界に関するこれほどの知識をいったいどこで得てきたのだろうと恐れ入ります。広島弁なのか、登場人物の話す地域語の響きも違和感がなく、耳に心地よいものになっていました。

 そんなわけで、連日ついつい読み耽るありさまに。2夜続けての夜更かしとなりました。
(2023.1.19 読)

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   朝日文庫  400円+税
   1987年4月20日 第1刷
   2006年1月30日 第20刷発行

 何年かをかけて読み続けてきた「街道をゆく」シリーズ全43冊の、自分にとって最後を飾る1冊。これで終わりかと思うと名残惜しく、読むのがもったいないような心境になります。
 初めて読んだのは「沖縄・先島のみち」で、それは1995年のこと。この本を読んで初の先島旅行をし、本の内容に導かれるようにして石垣島、竹富島、与那国島を巡ったことを思い出します。
 また、2012年には、「壱岐・対馬のみち」を携えて両島を巡ったことも懐かしい。司馬遼太郎も寄ったという対馬の旧上県の佐須奈の「かっぽれ」で司馬定食を食べようと行ってみたり、厳原の長寿院にある雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)の墓を見に行ったりしたことを思い出します。

 さて、「中国・蜀と雲南のみち」。1981年6月時の記録です。
 「蜀のみち」では、上海から成都へ向かう上空で、かつては到達が困難だった峻険な地、蜀(四川省)を思い、年中曇り空だと聞いていたとおりの成都に到着します。
 地元の人々と、少数民族や唐辛子、豆腐などについての会話を楽しんだあと、2千年以上も前から成都盆地を潤し続けているダム・都江堰へ向かい、ダムをつくった李冰やその技術に感嘆しています。そして成都への帰途には、幸福人民公社という村の農家に立ち寄り、日本の民家との共通点を考えていました。
 成都へ戻った司馬は、諸葛孔明を祀った武侯祠を訪れ、『三国志』や蜀の英雄たちに思いを馳せています。司馬は成都の地を、三国時代に劉備が建てた蜀漢の都であるという視点からアプローチしているのですが、古い中国の時代に関する当方の歴史認識が不足しているため、古臭い話だという第一印象から脱却することができず、いま一つ波に乗れないことが残念でした。
 杜甫草堂で儒教国家の知識人について考えた後、望江楼公園で日本とは違う竹を見て、隣接する四川大学を訪れています。

 「雲南のみち」では、成都から昆明へ向かう機上で、古代の雲南省で漢民族とは別の文明圏を形成していた民族の「西南夷」のことを思い、彼らの稲作のこと、また、彼らが日本人の祖先なのではないかと考えを発展させています。そして石寨山遺跡から出土した金印に関して、日本とのつながりを思考しています。
 睡美人(西山)にある道観(龍門石窟)を訪れて池を上から眺め、昆陽に生まれた大航海家・鄭和を思います。
 雲南省博物館では、石寨山遺跡から出土した見事な青銅器を見て、昆明郊外の少数民族イ族の支族、サメ族の村を訪ねます。大観公園では、市内で抗日戦線に参戦した老人と市内の茶館で語り合うなどして旅を終えていました。
(2023.1.20 読)

beer boy

   PHP文芸文庫  686円+税
   2011年5月31日 第1刷
   2013年8月1日 第9刷発行

 吉村喜彦のビール会社営業マンの奮闘と成長を描く青春小説シリーズの第1弾。
 ビール会社のエリート宣伝部から、突然、売上げ最低支店に飛ばされたオレ。待っていたのは小狡い上司と、だらけた空気。田舎のドブ板営業を舐めきってきたオレは赴任早々、得意先で大失態を演じてしまう……。ここで結果を出さねば本社へ帰れない。よし、売ってやろうじゃないか! アホな上司や性悪同期に負けてたまるか! 瀬戸内の青い空と海を背景に、爽やかで、ほろ苦い、共感度120%のザ・営業成長小説。(カバー背表紙から)――というものです。

 このシリーズに関しては、第3弾「炭酸ボーイ」を先に、去年の夏にすでに読んでおり、それがよかったため、1、2作の「ビア・ボーイ」と「ウイスキー・ボーイ」(2014年)も入手しました。
 著者は沖縄関連の著作もものしており、過去に「食べる、飲む、聞く~沖縄・美味の島」(光文社新書、2006)を読んだのが手はじめでした。
 そして最近、吉村が写真家の垂水健吾と共著で発行した「ヤポネシアちゃんぷるー」(アスペクト、1998)も古書でゲットしました。さらに、これを書いている途中に「オキナワ海人日和」(創英社、2008)も古書市場で見つけたので、すぐさまそれも買っておきました。(笑)

 本社宣伝部から左遷された先は広島支社。主人公には県東部の福浦地区というところが営業のテリトリーとして割り当てられましたが、これはどうやら福山市がモデルのようです。駅前の福山城が「小さな城」として、また、鞆の浦の風景も「玉の浦」という名称で、それぞれ登場しています。
 専門書、歴史書、評論などと比べれば、小説ははるかに読みやすく、読み進めるにしたがっただんだん面白くなっていきます。

 後半になって、なかなかいいことを言っている場面が出てきました。
 主人公がビールの営業をしている中で知り合った酒屋の社長の言。
 「いかに生きるかは、いかに死ぬかということじゃ。わしは任侠の世界に身を置いとったけぇ、いつも死が身近にあった。毎朝、今日は日暮れまで生きとるかのう、と思うた。恐ろしかったけど、若かったけえ、そのピリピリし感覚は痺れるように心地よかった。」
 「世の中、素直が一番。まっすぐがええ。……上杉君。ええか、思い切り、暴れちゃれ。信頼できる朋輩と一緒に行動を起こすんじゃ。やってしまやあ、こっちのもんよ」

 妻の不遇の死によって会社を退いた、共に働いたたたき上げの先輩営業マンからの手紙。
 「ええか。変な大人にはなるな。営業の典型みたいな、曖昧に笑う人間にはなるな。君はいびつなまま大きくなれ。心配せんでも、大きなるうちに、人間まるなる。小さい頃から円い奴は、大きなっても、おもろい人間にはなられへん。」
 「組織にずっとおるんやったら、絶対に主流になるな。傍流で生きろ。そうやないと、組織に足をすくわれて、最後には会社病を患った嫌な人間になってしまう。……端っこにいて冷静に見ることや。」

 そんな話を聞いた主人公は、“おれもそうだ。好きなように生きたい。たかだか80年の人生、他人や組織に気を使って生きたくはない”と奮起していくのでした。

 自分もかつては大きな組織の中に身を置いていたことがあるので、彼らが言わんとしていることは身に沁みてよくわかります。会社組織の正義は時として、一般社会の不正義になることが少なくありません。そんな時、自分の思いを封印して上層部が言うことを唯々諾々と受け入れ、長いものに巻かれても心が痛まないような輩が、不幸なことに自信のない上層部にとっては理解ある優秀な部下だと認識されるものです。
 理不尽なことであり、そのような場面を苦々しく思いつつ空しく諦めている人間がこの世にどれほど多いことか。もっとマンパワーを正しい方向に活用してこそ、優れた組織力が発揮できることはわかり切っているのに。
(2023.1.23 読)

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   講談社文庫  619円+税
   2006年3月15日 第1刷
   2007年6月27日 第4刷発行

 アジアパー伝シリーズ(初出2000~04年)6冊のうちの4作目で、当方にとっては最後の6冊目となります。
 奔放なタイ娘と列車で向かった国境の町。高校時代からの友人と見上げたソウルの雪空。父親の生まれ故郷をたどる旅でも、酒と女に彩られた夜は変わらない……。鴨ちゃんの流れゆく旅の記録と、サイバラ画伯のミもフタもないオモシロ漫画が同居するアジア紀行。生きる事の意味を考えながら、ますます佳境に!(カバー背表紙から)

 これまでに読んだものと同様に、下半身の自由度を高めつつ、四六時中酒を飲みまくっています。こんな生活をしていたら確実に肝臓をやられるかアル中になることは火を見るよりも明らかだと思うのですが。カモちゃんはやはりアル中になり、癌のため42歳で早世しています。

 「文庫版あとがき」には、ある朝に吐血し、その足でトイレに行きコールタールのような便を排出して、救急車で大学病院に運ばれるというすさまじい様子が記されています。まだ止まりたくない、やり残したことは数えきれないとも書いています。
 書いた日付は2006年2月20日になっていて、彼はその1年1か月後に亡くなるのでした。遺灰の一部は本人の遺言に則って西原理恵子が子供とともに世界各国の海に流したという。

 6冊読み終えて、カモちゃんシリーズはこれにて終了。
 それにしても、書き添えてある西原理恵子のマンガはインパクトが大きく、読み手の深層心理に訴えてくるようなところがあります。
(2023.1.27 読)

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   河出文庫  780円+税
   2017年8月20日 第1刷発行

 時刻表をつぶさに見れば、終着駅がどこともつながらない鉄道が発見できる――それが“いきどまり”。アクセス不便、観光スポットなし、グルメとはかけ離れた飲食店。でも、そこには日本の「いま」がある。延々と続いてきたレールの最終地点をしっかりと見届ける、新感覚の鉄道“奇行”エッセイ!(カバー背表紙から)――というもの。

 著者の北尾トロは福岡県生まれの同年代。近時は下関マグロと組んでの町中華のレポートなどで活躍していて、「季刊レポ」の編集・発行人をしているライターです。
 著者は若い編集者を伴って汽車旅に出かけているのですが、その記述スタイル、編集者のポジショニング、編集者に対する著者のあしらい方などは、汽車旅エッセイの嚆矢として名高い内田百閒の「阿房列車」のつくりと酷似していて、新鮮さはそれほどありません。どうして模倣するのか、また、模倣以外に汽車旅ルポは成り立たないのでしょうか。もう少し考えて書いたらどうかというのが偽らざる心境です。しかしまあ、読めばそれなりに面白いので、何とか救われているのですが。
 こういう本は、グーグルマップで地理や現況などを確認しながら読むと面白さがぐんと深まるので、デスクでそのようにしながら読み進めます。

 全10編+オマケの旅という構成で、登場する路線は以下のとおりです。
 わたらせ渓谷鐵道、烏山線・真岡鐵道、横須賀線・久留里線、水郡線・ひたちなか海浜鉄道湊線、名松線・加太線・水間線、大井川鐵道、吾妻線・信越本線・上信電鉄、鶴見線・東武小泉線・秩父鉄道・青梅線・五日市線、石勝線、東武佐野線、越美北線・長良川鉄道。

 「あとがき」には当著の概要が記されていて、主に関東地方に点在する、終着駅がどこともつながらずに終わっている鉄道路線を乗り歩いたものだとし、終着駅には「何とも言えないニッポンの今」という、答えの見つからない状況を目にすることになったと述べています。
 2009~12年にかけて取材したものですが、その後にも廃線の動きはひたひたと続いており、たとえばこの著書に登場していた石勝線から分離する夕張支線は、2019年4月に廃線になっています。
(2023.1.29 読)

tanpenbest 2007

   徳間文庫  876円+税
   2007年6月15日 第1刷発行

 このところ2014、2005、2008と読んできている短篇ベストコレクションの、4冊目。
 多彩な作家が軒を並べているオムニバスものは、それぞれを他作と比較しながら読めるため、各作品の優劣がはっきりとわかってしまうところがある意味の欠点かもしれません。はじめのうちに読んだ「おと」(新井素子)や「天使」(佐藤哲也)は自分にとっては駄作の範疇で、強い物足りなさを感じました。

 また、後半のホラー、SF、ファンタジーのジャンルの作品でかなりの中だるみを感じたのは、読み手である自分の好みの問題が大きく作用しているかもしれませんが、いくら短編だからといって、思い付きでパパッとまとめたようなものを読まされてはかなわないと思わせるものもあったからです。
 売文稼業のためとにかく原稿用紙を埋めなければならない事情があることはわからないではありませんが、プロであるならば、そのことを読み手に軽々と見透かされてしまうようなもので金を取ってはいけません。(厳)

 その点、田口ランディ、あさのあつこ、石田衣良による最後の3編はしっかりした内容で、文脈構成、表現形式、読後の充足感などの面でこれぞプロの書き手であると納得でき、留飲を下げるのでした。

 巻末の解説には、2006年はどのような年だったかが簡潔に記されています。
 それによれば、トリノ五輪で荒川静香がイナバウアーを決めて金メダルを獲得し、秋篠宮夫妻に長男悠仁親王が誕生。一方では、いじめを苦にした子供たちの自殺が相継ぎ、我が子や他人の子を殺す親も。ライブドア社長の堀江貴文が「おカネで買えないものはない」と豪語し、「もの言う株主」で知られた村上ファンドの代表が逮捕されたのもこの年でした。
 そんな中で「美しい国へ」などという奇天烈なスローガンで、安倍晋三内閣が発足しているのでした。
 こうした事象を眺めると、わずか十数年前のことであるのに、ずいぶん昔のことのように思えます。
(2023.2.6 読)