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 筑後草野駅には14時10分頃着。戻りの便を確認すると、15時05分があり、その次だと16時台になってしまう。では、15時05分で帰ることにして、わずか50分少々で見て来よう。こうなると、「ひろせ食堂」でのタイムロスが響いてくる。

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(1両編成の下りディーゼル車両は筑後草野駅を発っていった)

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(筑後草野駅)

 草野地区は、中世の豪族・草野氏の城下町として発展してきたところで、旧日田街道・草野宿として栄えた往時の姿を今に残しており、枡形の道路が町並みを特徴づけ、江戸末期から明治にかけての町屋や古社寺が並んでいる。また、明治・大正時代に建てられた和洋折衷の建物も多く残る。
 時間が気になるので、いくつかのポイントのうち駅から最も離れている西方の「山辺道(やまのべのみち)文化館」まで行き、そこから漸次東へと取って返して、筑後草野駅に戻るルートをとろう。

 「山辺道文化館」。大正初期に完成した木造2階建ての洋風建築物。もともと病院として久留米市花畑にあったものを草野町に移設している。地域の祭りや町並みを紹介する部屋を設けている。国登録文化財。
 「鹿毛(かげ)家住宅」。江戸時代から醤油醸造や櫨鑞製造のほか質屋などを経営してきた家系で、盛時には数十棟の蔵が並んでいたというが、現在は、表門、蔵3棟、井戸小屋が残っている。大型町屋で、平入りの大屋根の上に低い妻入りの2階をのせ、座敷が直角に張り出すなど、複雑な屋根構成がおもしろい。

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(山辺道文化館)

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(文化館の脇道にもいい味があった)

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(鹿毛家住宅)

 「草野歴史資料館」。1910年に草野銀行本店として建築されたもので、国登録文化財。館内では、当地方の豪族草野氏ゆかりの縁起絵や古文書等が展示されているという。この建物の色が、いわば草野のイメージカラーなのだろうな。

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(草野歴史資料館)

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(資料館の裏手にはこんな道も)

 「須佐能袁(すさのお)神社」。えらく急な太鼓橋を渡っていくと、彫刻の立派な本殿、拝殿、楼門などがあり、これらは県指定文化財。大きくはないが、鳥居、太鼓橋、楼門、拝殿としっかり揃っている。
 「上野邸」。見どころとしてあまり名前の挙がってこないものだが、現地の案内板によれば、主屋は幕末頃に建築されたもので、2階建ての入母屋平入で横に長い屋敷構えは町屋としては珍しかったという。

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(「須佐能袁神社」のエントランス。拝殿には急な太鼓橋を渡っていく)

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(山門を見れば「須佐能袁神社」の格式の高さがわかる)

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(上野邸)

 無事に15時05分発の便に乗ることができて久留米着。さらに15時49分の便で博多に戻る。
 この日もたくさん鉄道を利用した。今回のステイはずいぶんローカル鉄道を利用したが、これでこのステイ中のローカル線利用は最後になるだろう。

 この日は博多駅周辺でウロウロせず、まっすぐ筑紫口からホテル方面へと進む。実は、すっかり気に入ってしまったフードショップ「レガネットキュート」が、ホテルから100mほどのところにもあることを、昨夜知ったのだ。
 「レガネットキュートテラソ店」。寿司コーナーにご自由にドウゾのさしみ醬油の小袋があったので、今夜は豆腐を買って部屋で冷奴だ。こういうのをつまみにしたかったので、ついつい一人でニンマリする。ほかにはサクサク揚げ餃子3個とビールで722円。毎晩部屋で盛大に飲んでいても、こういう良店を使っている限り、一晩にかかる費用は1,500円までいかないで済む。毎晩飲むなら安く上げなきゃ。

 17時前にホテル帰着。今日は早上がりするつもりだったのだが、なかなかそうはいかない。この日は1万8千歩。
 シャワーでスッキリして、缶ビールをプハーとやって一息ついてご満悦。もうすぐ博多ステイも終わってしまうのだなぁ。

 いやにならないうちに今日のドキュメントをやり、真面目に書いて20時過ぎに出来。
 ふう、それではここから飲み直しだ。豆腐だ豆腐だ。
 ということで、今夜も深まっていくのであった。

 飲んだ後はテレビを見るなどして、22時過ぎにベッドへ。

 「久留米シティプラザ」付近へとたどり着く。ここは2016年にオープンした新施設で、コンサートやライブ、芝居等様々のイベントが開催される。「六角堂広場」があった。
 その近くにあった「くるめりあ六ツ門」というビルは、かつて百貨店が入っていた建物をリノベーションしたものであることが一目瞭然。2005年までは「ダイエー六ツ門店」だったという。
 その1本南の東西にのびる通りはアーケードの「久留米ほとめき通り商店街」になっている。ここも“ほとめき”だが、いずこも同じでここも苦戦しているかな。

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(百貨店ビルをリノベしたことが明らかな「くるめりあ六ツ門」)

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(久留米ほとめき通り商店街)

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(「久留米シティプラザ」の「六角堂広場」)

 久留米シティプラザとほぼ並んで建っていた「久留米カトリック教会」。国道沿いにあり、大きくて立派な現役の教会だ。縦に長い教会を撮るときの常だが、横フレームで尖塔部分までファインダーに入れようとすると、かなり引かなければならず、横フレーム愛好者泣かせだ。そういう場合はナナメ撮りするんだもん。国道の向こう側に立ち位置を移してなんとか撮影する。

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(「久留米カトリック教会」の礼拝堂内部)

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(国道の向こう側に移ってなんとかナナメ撮り)

 日吉町交差点を挟んで、教会の対角線上にあるのが「日吉神社」。小さい神社で、寄るまでもなかったかもしれない。
 明治通りの東の先に、「西鉄久留米駅」があった。

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(日吉神社)

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(西鉄久留米駅)

 西鉄久留米駅から天神大牟田線に乗って、2駅南の「試験場前」まで行き、そこから北西のJR久留米駅方面へと町歩きを再開する。何の試験場があるのかと思って歩いていたが、あとで調べてみると、かつては県の工業試験場があったのだが、現在は移転してもうないようだった。
 てくてく行くと、「手延うどん人力屋」があった。福岡県と佐賀県に10数店舗を展開するうどんチェーンで、1987年オープンのここが1号店だ。セットメニューがいいようできわめて魅力的だが、スマンがこのたびは別の店が目標なので……。

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(西鉄天神大牟田線「試験場前」駅)

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(「手延うどん人力屋」の1号店があった)

 「雪の聖母聖堂」を見る。聖マリア病院の敷地内の一角にある。1984年まで福岡市にあった「大名町カトリック教会旧聖堂」を復元移築したものであるとのこと。現役の教会で、建物の隣にはルルドの洞窟とマリア像もあった。中からオルガンの音色が聴こえたのでミサ中かとそっとドアを開けると、集う人はいず。一人の人がパイプオルガンの練習をしているのだった。なんだかわざわざ自分のために弾いてくれていたようにも受け取れ、ありがたいのだった。アーメン。

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(雪の聖母聖堂)

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(内部ではパイプオルガンが荘厳に響いていたのだった)

 さて、本日2回目の久留米ラーメンは、「ひろせ食堂」にて。時間はちょうど12時で、行列は長い。でもまあ、調理時間のかからないラーメンだからすぐに回ってくるだろうと並んだのが運の尽きだった。この店はデカ盛りのやきめしも有名なので、その調理にたっぷりの時間がかかるのだった。
 40分ほど外で直射日光を浴びながら並んで待ってようやく注文の運びとなり、ラーメン750円を。残念ながらもうやきめしは入らないのだ。ふむふむ、店の匂いは「沖食堂」のほうがいいな。
 丼が大きく、スープが多いし、麺も多い。大ラーメンにしなくてもけっこう量がある。スープが独特で、東北人にとっては初めての味だ。溶けた海苔が入っていて、はじめから磯風味も感じられる。スープが多くて見えないけれども、輪切りのゆで卵も下のほうに入っている。チャーシューも枚数が多く、ネギの量のだいぶありと、いいことずくめだ。
 よーし、これで久留米三大食堂の現役2店を制覇したぞ。ここもうまかったなぁ。正味1時間を要してしまったのは痛かったが。

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(「ひろせ食堂」のラーメン)

 膨れた腹をさすりつつ、次は「青木繁旧居」へ。青木が多感な少年時代を過ごし、類希な芸術の才能を育んだふるさとの家を、市民の財産として復元整備さたものだ。住宅地の一角にあり、所有者が6回も変わったがきちんと残っていたため、補修して無料で展示している。庭の一角には青木の代表作「海の幸」のブロンズレリーフがあった。

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(青木繁旧居)

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(庭には「海の幸」のブロンズレリーフがあった)

 これでだいたい久留米市街にあるポイントをひととおり押さえた格好だが、これからどうするか考える。今からJR久留米駅に戻れば、13時49分発の久大本線の下りに乗れる。これならば、ホテル帰着が多少遅くなるが、草野の町並みを見に行けるのではないか。
 そう決めて、行動開始。

 2022年5月28日(土)。
 外が明るくなり始めた5時45分起床。今日も予想最高気温は30℃を超えていて、暑い日になりそうだ。明太子おにぎりと牛乳パックの軽食で腹ごしらえをする。
 ステイの日々も残り少なくなった週末。この日は少し軽めのスケジュールとなるが、一昨日、雨のために行くのを断念した久留米を巡ろう。それをメインにして、余力があれば、24日以来となる久大本線に乗って筑後草野駅周辺の町並みを見に行こう。久大本線の各駅停車は1時間に1本程度の便がある。今日も“汽車旅”となる。
 土曜日なので、朝の通勤ラッシュはないだろうから、早めに動いて早めにホテルに戻り、あとは部屋で身体を休める時間にしようか。

 8時30分に部屋を出て、博多発8時56分の列車に乗り、9時半頃にJR久留米駅に着く。
 JR久留米駅の自由通路の「ほとめき広場」を通って東側の「まちなか口」に出る。あとで知ったところによれば、「ほとめき」とは筑後方言で「おもてなし」の意味だそうで、「うちに来たなら、ほとめくばい」というふうに使われるらしい。

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(JR久留米駅の自由通路「ほとめき広場」)

 駅前には大きなからくり時計があって目立っていた。江戸後期から明治にかけての発明家で郷土の偉人「からくり儀右衛門」こと「田中久重」の生誕200年ほかを記念して、1999年に設置されたもの。芝浦製作所(後の東芝の重電部門)の創業者だった人なのだそうだ。
 その隣りには巨大なゴムタイヤのモニュメントがある。直径4m、重量5tのデカさだ。それを見てピンときたが、久留米はもともとブリヂストンの企業城下町だったのだろう。「ゴム産業発祥の地」とあった。
 また、小さいけれども「とんこつラーメン発祥の地」のモニュメントも発見する。華奢なつくりで、血の気の多そうな酔客なんかがいたずらしないかと心配なのだが、どうなのだろうか。
 さらに、久留米出身の青木繁が1904年に描いた名画「海の幸」も一角に掲げられ、目を惹いていた。

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(JR久留米駅には大きな「からくり時計」と…)

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(巨大なゴムタイヤのモニュメントがあった)

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(「とんこつラーメン発祥の地」のモニュメント)

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(青木繁の名画「海の幸」も使われている)

 さて。とんこつラーメン発祥の久留米に来たならまずはその久留米ラーメンを食べなければ始まらないのではないか。
 「久留米ラーメン」についてここでまとめておくと、次のとおり。
 1937年、西鉄久留米駅前に屋台「南京千両」が開店し、長崎島原出身の創業者が、横浜市南京町などで流行していた「支那そば」と、地元長崎ちゃんぽんの「豚骨スープ」をヒントに考案。この頃の豚骨スープは透明感を残したものだった。
 その10年後に屋台「三九」が久留米に開業。この店の店主がある日、母親に仕込みを任せて外出したところ、手違いでスープは強く炊かれて煮立ち白濁。ところが、失敗と思われたこのスープを飲んだところ意外に美味で、現在の久留米ラーメンの主流の「白濁豚骨スープ」が誕生した。その後店主や弟子たちは各地に散り、玉名、熊本、佐賀など九州各地の豚骨ラーメンの元となったといわれる。
 久留米ラーメンの特徴は、麺はストレートの固めで、博多ラーメンよりやや太め。博多ラーメン以上に濃厚で骨髄の匂いが強いスープ、具材はキクラゲ・チャーシュー・ワケギで博多と共通。海苔をのせる店が多い。熊本ラーメンと異なり、焦がしニンニクやニンニクチップは入らない。ゆで玉子を入れる場合も多いが、他地域よりも生玉子を入れることが多い――など。またスープは、博多ラーメンでは一般的な取り切り製法だが、久留米は継ぎ足し製法で、鰻蒲焼のタレなどと同じなのだそうだ。

 久留米三大食堂(沖食堂、ひろせ食堂、松尾食堂←閉店)といわれる店のひとつ「沖食堂」が10時開店だというので、久留米巡りはそこからにしよう。1955年創業の老舗でもある。
 明善高校向い。店前に10人ほどの客が並んでいたが、直後の開店となり、1巡目に食べることができた。
 この日は久留米ラーメンをはしごするつもりなので、ラーメンの普通盛り600円を注文したのだが、周囲のほぼ全員がやきめしも注文しているのを見て、おばさんにお願いして、ラーメンやきめしセット950円に変更。ごはんが中華鍋の表面を擦る“焼きめしサウンド”を聴きながらできあがりを待つのもなかなかオツなものだ。
 両方に紅生姜をたっぷり添えて、ラーメンからいくが、スープがうまっ! 博多より太めとはいっても、基本極細。キクラゲは入らず。やきめしは、茶色く色がついていてシンプルだが、どこのものにも負けないうまさがある。すでにこの店で腹が満たされてしまったが、このラーメン・やきめしはベストマッチで、やきめし追加は大正解だった。これでもう、久留米に来た甲斐があったと言ってもいいぐらいだ。

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(「沖食堂」の一風変わった店内。この左側はほぼ満席)

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(「沖食堂」のラーメンやきめしセット)

 医大通りを市役所西交差点で東に折れて昭和通りを歩き、大きな「久留米市役所」の庁舎を仰ぎ見る。久留米は人口30万人ほどの福岡県第3の都市だが、博多や天神などよりもこのぐらいの大きさのほうが町歩きをするには適していると思う。高層ビルが林立しているような場所では歩くのはちょっと辛いし、それほど楽しいものではない。

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(久留米市役所の庁舎を北(裏)側から撮影)

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(こんどは南東側から。右隣は「両替町公園」だ)

 市役所東交差点を南に折れて三本松通り、明治通りを東進していく。

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(明治通りを東進して…)

 ここで正午を迎えたので、小休止としよう。まだ無名だった秋月の「杉の馬場」に店を構えて今年で50周年を迎えるという「黒門茶屋」で、「蒸し雑煮」というものを食べてみる。
 秋月の郷土料理「蒸し雑煮」は、蒸すタイプの珍しい雑煮。江戸中期、長崎に伝わった茶わん蒸し料理が、長崎警備をしていた福岡藩に伝わる。さらに後期には、朝倉に置かれた分家の秋月藩も長崎警備を代行し、福岡藩とも親密だったため、特に朝倉地域にそれが広まった。当時、卵を使う「茶わん蒸し料理」は貴重で、正月の「雑煮」と並ぶご馳走だった。いつしかこの2つが合わさり、より贅沢な「蒸し雑煮」が生まれたという。
 蒸し雑煮700円。一見すれば、大きな茶わん蒸しといったところ。椎茸、鶏肉、海老、銀杏などが使われ、味わいも茶わん蒸しそのものだ。異なる点は、鮮やかな緑色の「かわたけ」という地元産の川海苔がトッピングされていることと、中に丸餅が2個入っている点。軽く食べるつもりだったのに、なかなか腹持ちがいいのだった。

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(「杉の馬場」にあった「黒門茶屋」)

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(秋月の郷土料理「蒸し雑煮」)

 バスがやってくるまでもう少し時間があるので、町場に下りてきて、「武家屋敷久野邸」を見る。
 秋月黒田藩直参の武家屋敷で、茅葺きの本屋と瓦葺きの二階建て離れ座敷、庭園と往時のままで再現されている。庭木にもしっかりと手が入れられて立派。蔵内には資料館があるというのだが、有料なので内部はパス。
 もう1軒、近くの「旧田代家住宅」。秋月藩上級武士の武家屋敷で、こちらは無料。

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(武家屋敷久野邸)

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(旧田代家住宅)

 目鏡橋バス停まで戻り、13時ちょうどのバスに乗って甘木に戻る。
 駅の手前の「昭和通り」バス停で下りて、甘木の街並みや西鉄甘木線の甘木駅などを見ながら甘木鉄道甘木駅へ。列車待ちの間、駅構内をなかば自由に歩いて写真を撮って時間をつぶす。甘木発13時47分の基山行きは、先ほども甘木駅で見た306の藤色の車両だった。

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(秋月の中心部にあった「秋月」バス停)

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(甘木駅に戻ってくる)

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(甘木駅の構内には、色の違う車両もいくつかあった)

 余力があるので、2駅先の太刀洗駅で下りて、2か所を見学することにする。
 「筑前町立大刀洗平和記念館」。戦前のこの地は、東洋一の大刀洗飛行場を中心とする一大軍都が存在し、発展してきたところなのだが、1945年3月、米軍の空襲で施設は壊滅した。記念館では、その大刀洗飛行場とその関連施設の概要、空襲や特攻に関する歴史を伝える資料を展示している。
 カメラを提げている当方に目ざとく気づいたガイドボランティアの爺さんから、零戦だけしか写真を撮ってはダメですよと告げられ、もしほかを撮ったらすぐにでも注意しようと思ってか、いつまでも見つめられているのがいやだ。
 シアターでは飛行場の歴史を紹介した映像を見ることができたのがよかった。
 入場料は600円だが、「太刀洗レトロステーション」との共通入場券なら800円だというので、そうする。

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(筑前町立大刀洗平和記念館)

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(録っていいのは零戦だけですからね)

 「太刀洗レトロステーション」。太刀洗駅の駅舎の一部を使っていて、昭和史を語る品々の展示と、戦時中のまま保存された太刀洗駅舎の「線路地下道」の見学ができる――という施設らしいのだが、ここに入ったのは失敗だった。展示物は粗大廃品の山といった状況で、埃だけでなく蜘蛛の巣がはっていたりして、ほとんど手がかけられていない感じだった。店守をしている老いぼれた爺さんが監視がてらずっとうしろをついてくるのがかなりウザイ。これで単品入場料500円って、ウソだろ。
 思いのほかくだらなかったので、時間が余ってしまい、自販機のジュースを飲んで休む。ここに寄らなければ1本早い便に楽に乗れたのに。
 15時半過ぎの列車で基山へ。

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(太刀洗レトロステーション)

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(「太刀洗レトロステーション」の内部)

 基山駅で、16時01分発の区間快速に乗り換えてJR博多駅へ。
 16時半頃に博多に着き、夕食をどうしようか考えて、まだ博多ラーメンを食べていないじゃないかと気づき、筑紫口側の新幹線乗り場に近い博多デイトス2階の、「博多めん街道」と称して12軒のラーメン店が並んでいる一角に行ってみる。各店舗のインフォメーションを眺めて、豚骨スープが濃厚だという「元祖博多だるま」という店に入る。
 ラーメン720円。ふんふん、確かにこてこてとろとろで濃厚。このきらいじゃない臭み、タマランなぁ。麺がストレートで極細なのにはどうにも馴染めないけれども、このスープにはやっぱりこの細麺しかないよなと思わせる説得力がある。
 で、こういう体のラーメンなんていうのは軽食の範疇でしかなく、あとは部屋飲みで補強だな。

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(「元祖博多だるま」のラーメンは軽食の範囲)

 17時半ホテル帰着。フロントで、今日からの3泊4日分のチェックインを済ませる。
 部屋に入り、大至急で服を脱ぎ、バスタオルで汗を拭き、エアコンを強めにして、しばらくの間クールダウンする。今日は1万7千歩だったか。ひたすら歩き回るこういう毎日にはぼちぼち足が慣れてきたようで、もう痛さはなくなりつつある。
 シャワーで汗を流し、日々のルーチン作業をやってからの今夜の部屋飲みは、19時過ぎ頃から。一昨日利用して気に入った「レガネットキュート博多BT」に今日も立ち寄り、大きな真アジフライ138円とつゆだく肉じゃが321円を調達してきたので、それらを肴に缶チューハイを飲む。

 飲み終えてから今日のドキュメンテーションをして、終わったのは22時過ぎ。カキモノに時間がかかっているが、その日のうちに終えられているうちは大丈夫だ。これが日を越えて後ろ送りになり始めると、書くこと自体が苦行になってくるものなのだ。
 さ、明日は遅発ちでもよさそうなので、もうちょっと飲んでから寝ることにしようか。
 23時15分にベッドへ。本はほとんど読めずに眠りへ。

 秋月城下町を歩いていてようやく気付いたのだが、秋月とは、日本史で習った「秋月の乱」の秋月だった。戻ってから確認してみたところそれは、1876年10月に熊本で起こった「神風連の乱」に呼応して、旧秋月藩の士族ら約400名によって起こされた反乱だった。神風連の乱から3日後、「秋月党」が挙兵し、旧豊津藩の氏族らと同時決起を約束していた豊津へと向かうが、結局は決起ならず鎮圧されている。

 秋月の乱で本陣として利用された「西福寺跡」(1966年廃寺)、熊本城の武者返しをまねて1900年に築かれたという日限地蔵院の「武者返しの石垣」、細道でひっそりと営業していた粋な温泉料亭旅館「清流庵」、藩主長重公の御歌「諸の 雑行雑思 振り捨てて 浄く覚りなん 夢の世の中」から文字を拝領して寺号としたという「浄覚寺」などを見ながら歩く。
 秋月の中心部に戻って、「秋月郵便局」を見つけたので、ここのCD機で少なくなっていた現金を引き出す。

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(乱の本陣となった「西福寺」は、今は墓地のみ)

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(日限地蔵院の「武者返しの石垣」)

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(独特の存在感を醸し出していた旅館「清流庵」)

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(「浄覚寺」山門)

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(「秋月郵便局」で現金を引き出す)

 中心部から秋月街道を東へと進み、「野鳥橋」に至ったところから南へと折れた約500mのまっすぐな通りが、「杉の馬場」という桜並木を伴う味わい深い道になっているのだった。以前は杉の大樹があったことからこの名がついたという、秋月のおそらくいちばんの名所。日露戦争の戦勝祝賀記念として植樹された桜が咲き誇り、今では「桜の馬場」とも呼ばれている。
 「杉の馬場」両脇には、茶陶・高取焼の伝世品と古窯跡出土品を収蔵・展示する「秋月美術館」や、藩校稽古館跡に建ち秋月黒田家の遺品を所蔵する「秋月博物館」があり、博物館の並びには、江戸時代の上級武家の屋敷だった「戸波半九郎屋敷跡」と、「古処学園」という児童養護施設があった。

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(「野鳥橋」から見通した「杉の馬場」)

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(秋月美術館)

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(秋月博物館)

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(戸波半九郎屋敷跡)

 「杉の馬場」をさらに南へと進んで、「秋月城跡」エリアへ。
 陣屋形式として整備された秋月城は、現在では石垣や堀、黒門、長屋門が残り、往時を偲ぶことができる。
 「瓦坂」。秋月城の前面の堀に造られた、大手門(表門)へと続く坂道で、名前のとおり瓦を縦に並べて坂にして造ったもので、土の流れを防ぐ為にこのようなつくりになっているとのこと。当時はこの奥に「黒門」があったが、現在は移築されて少し離れた所にある。
 「長屋門」。正しくは内馬場裏御門といい、江戸期建造で、建てられた当初の位置に残る唯一の史跡となっている。かつては側室や家族の住む奥御殿へと続く通用門だったものだそうで、両側には門番が住む長屋を併設している。県指定有形文化財。中は芝の園地で、北隣りは秋月中学校だ。

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(瓦坂)

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(長屋門)

 「黒門」。秋月城の大手門(表門)で、移築されて、秋月黒田藩祖長興公を祀る「垂裕神社」の参道にある。形式的には江戸初期のものとされるが、伝承では戦国時代には秋月氏古処山城の搦手門(裏門)であったとも伝えられている。どれもこれも立派なものばかり。よくぞ昔のまま残したりといった印象だ。
 「杉の馬場」はここまでになっていて、来た道を北方面へとゆっくり歩いて戻る。

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(黒門)

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(「杉の馬場」を、南側から北方面へ)

 2022年5月27日(金)。
 前夜は早く寝たので、6時前には起きて活動を開始する。
 当初の予定では、今日までの6泊7日で福岡に滞在する計画を立てたのだが、見たいものを見るにはこの日程ではどう考えても足りないと思い、その後3泊を追加して30日までの日程としたのだった。この措置は正解で、今日ここでやめて帰ったら悔いが残っただろうし、近いうちに改めて戻ってこなければならなくなったと思う。

 冷蔵庫に残っていたおつまみきゅうりと野菜ジュースを腹に入れながら、本日の日程を考える。
 東・北日本や沖縄の一部で避難指示が出るほどの激しい雨が降っているところがあるようだが、北九州地方では今日はすっきりと晴れるようで、雨の心配をせずに済みそうだ。では、少し足を伸ばして甘木鉄道に乗ってみようか。終点の甘木(朝倉市)からはバスで秋月の城下町を目指す。その帰りは、時間と体力に余裕があれば、大刀洗(筑前町)にも立ち寄ろう。

 今朝までのNY市場が大幅上昇して引けたので、日本株式の売り注文をいくつかセットして、8時45分にホテル発。この時間帯、博多駅まで歩く道のりは一人だけ完全に逆流している様相を呈していて、人のカタマリが襲撃してきて極めて歩きづらい。

 博多発9時01分発の鹿児島本線で、甘木鉄道の始発駅でもある基山(きやま)駅へ。この駅は佐賀県域なのだ。基山駅で9時44分発の甘木鉄道に乗り換え、ディーゼル車両1両で終点の甘木へと向かう。車両はAR300系の305番だ。乗客2人で発車したものの、小郡で数人が乗り込んで、ようやく鉄道の旅らしくなる。甘木鉄道は1日40便以上あるので、待ち時間に困ることはなさそうなのがいい。1939年に大刀洗飛行場の軍需用輸送鉄道として、鹿児島本線の基山から甘木までが開通。1986年に国鉄から三セクの甘木鉄道になっている。

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(基山駅。甘木鉄道はコチラ)

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(甘木鉄道。ディーゼル1両が発車を待っていた)

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(発車直後の甘木鉄道線)

 甘木鉄道の終着駅、「甘木駅」。駅舎は開業当初の建築で、重厚なレトロ感ある外観が歴史を感じさせる。
 駅舎を出てすぐのところに「日本発祥の地 卑弥呼の里 あまぎ」と刻まれた碑が建っている。邪馬台国がどこにあったかについて“九州説”と“畿内説”の両論があるが、さらに具体的な場所については両説ともさまざまな意見があるらしい。九州説に関しては、「博多湾一帯」「筑前甘木朝倉」「筑前島原」「筑後八女」「筑後山門」「筑後川流域」「豊前京都郡」「豊前宇佐」などが候補地に挙げられているといい、つまりこの碑は甘木こそがその場所なのだと主張しているわけだ。「日本発祥の地」の碑は鹿児島県加世田市にもあるという。
 駅前はロータリーになっていて、ここから小京都といわれる秋月などへ行けるバスが出ている。100mほど離れたところには西鉄甘木駅もある。

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(甘木駅のホームはこんな感じ)

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(甘木鉄道甘木駅)

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(「日本発祥の地 卑弥呼の里 あまぎ」の碑)

 今回ここまでやって来たのは、秋月の城下町を見るためだ。
 秋月は、1203年に原田(秋月)氏がこの地に配されて以降、16世紀末に豊臣秀吉によって日向高鍋に移封されるまで、ずっと秋月氏の本拠地だったところだ。1623年には、福岡藩主黒田長政の遺言によって三男の長興に5万石が分与され、秋月藩が成立する。翌年長興が秋月に入り、城下町の縄張りを行う。その都市設計は今も歴史的な町並みとなって往年の面影をとどめている。秋月は町全体が国の重要伝統的建造物群保存地区になっている。

 甘木駅前のバス停の時刻表を見ると、およそ1時間に1本のペースで秋月行きがあり、ほどなく10時17分発の小さなバスがやって来た。乗客2人で発車する。

 10時40分、秋月集落の入口に位置し、秋月へのゲートウェイのようになっている「目鏡橋(めがねばし)」バス停で下車し、ここから城下町の散策に入る。
 「秋月目鏡橋」。1810年に完成した石造のアーチ橋で、御影石製のものとしては日本でも数少ないものであるとのこと。このような橋の形は当時としてはかなり斬新なものだっただろうが、今では古都の風情をこの橋が最も強く示してくれている。

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(秋月目鏡橋)

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(秋月城下町の散策開始~♪)

 「石田家住宅」。秋月城下町の町屋地区の中心部にあり、町歩きマップにも大きく出ているのだが、なかなか見つけられない。何度か前を通過したのに気づかなかったのは、あたりの建物がいずれもそれらしき構えを持った家だったからだ。県指定有形文化財。「みせ」「なかのま」「ざしき」が一列に並ぶ典型的な町家(商家)が並んで建っているのだそうだが、外観のみ観覧可となっている。

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(石田家住宅)

 雨宿りを兼ねて、早めの昼食にしよう。場所は、三国ヶ丘ならこことセレクトしておいた「そば処武蔵小郡店」だ。ここも外装工事中。「鴻臚館跡展示館」「財団法人廣瀬資料館」「天麩羅処ひらお大名店」などに続いてここもシートをかぶっている。今回のステイではなぜかこういう眺めによく当たる。
 ところで、九州でそば? そうなのだ。知らなかったのだが、あるとき「秘密のケンミンSHOW」を見ていると、福岡ではとろとろのあんかけがたっぷり入ったあんかけそばが有名だというのだ。福岡と言えばとんこつラーメンと博多うどんでしょ。そうなると逆に、この蕎麦は食べてみなければならないという欲求が湧く。
 武蔵そば890円。ゆず胡椒入りの揚げ出し豆腐がのったあんかけそばで、具は揚げ出し豆腐・大根おろし・ネギのみ。豆腐を割って中に隠れている柚子胡椒を絡めながら食べると鼻から抜ける上品な辛味があり、不思議な感激がやってくるようなおいしさなのだった。まあ、蕎麦自体は細打ちの更科系で、田舎者の蕎麦喰いとしては物足りない。それと、この時期に食べるあんかけは、大汗をかくことになりきつい。

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(「そば処武蔵小郡店」も外装工事中)

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(これが九州の「武蔵そば」)

 食べ終えて店を出ても小雨は続いている。ここで潔く決断して、本日の久留米攻めは断念・順延し、ここから西鉄でまっすぐ天神まで戻ることにする。今日は雨だが、明日、明後日は晴れる予報だから、久留米の町歩きはそういうときに行くほうがいいだろう。

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(雨の西鉄三国ヶ丘駅)

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(西鉄天神駅改札)

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(天神駅そばの「新天町商店街」も覗いてみた)

 三国ヶ丘発12時06分発の各駅停車で、13時に天神着。あれれ、なんだよ、こっちは降っていないのか。
 まだ見ていなかった「天神地下街」を、端から端まで歩いてみる。石造りのような外観と、間接照明オンリーのクラシックな佇まい。これは名古屋でたくさん見てきた地下街などとは一線を画したオリジナリティがあり、なかなかクオリティの高いつくりの場所なのではないか。
 あとで調べてみたところによれば、「19世紀のヨーロッパをイメージしてデザインされ、南欧風の石畳の道や唐草模様の天井が特徴。かつては日本語、英語、フランス語の案内アナウンスが流されていた。「劇場」というコンセプトのため、通路の照明は暗く、店舗は明るくライトアップされている。開業当初は暗いとの批判があり、照明が増設されたが、その後取り外された。また、このデザインには老朽化をほとんど感じさせないというメリットもあった」とのこと。
 南北590mの通りにファッションからグルメまで約150店舗が立ち並び、天候に関係なく買い物を楽しむことができる。まさに、この日のようなときにはうってつけだ。
 1時間近くひととおり歩いて見てまわり、地下鉄空港線で博多へ。

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(天神地下街)

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(お手洗いだってこんなに洒落ている)

 博多駅前に戻ってからは、一昨日に衣類の上下を買った「ユニクロKITTE博多店」を再訪する。「感動パンツ」のサイズがジャストフィットだったのでぜひもう1本というのと、この暑さでは半袖シャツがもう1枚あればいいなと思ったことがその理由だ。ボトムスなんて、旅の最中の今買う必要があるのかという一面もあるのだが、丈の長い薄手のボトムスは、山形の最寄りのユニクロでは扱っていないことを確認しているので、ぜひ“今のうち”なのだ。これにていつも悩まされてきた夏の丈長清涼ボトムス問題が一件落着となったのは、自分にとってたいへん喜ばしいことだ。

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(「ユニクロKITTE博多店」での買い物は2度目)

 あとはホテルに直帰してもいいのだが、コンビニの総菜をアテに部屋で飲むよりも、連日お世話になっている博多バスターミナルの、ビルの8階「博多味のタウン」内にある「まんぷく食堂ぎおん亭」で早めの夕食をとっていくというのがいいのではないか。この旅の初日から目をつけていた店だ。まだ14時半過ぎだが、午前に食べたのが華奢なそば1杯だったので、入れられないことはない。
 店前のサンプルを見てこれと決めていた、ロースかつ定食880円。カツは180g、ごはんの満腹盛(これが標準)が300g。いやもう、カツがデカいよ。「かつや」のかつ丼(梅)のとんかつは80gだそうで、それの倍以上。でもって、実際にかぶりついてみての印象は、「3倍ぐらいは優にあるんじゃないか」だった。甘口のとんかつソースと小袋入りのカラシ4個を使っておいしくいただく。圧縮されて密度の高い千切りキャベツは胡麻ドレをかけて。味噌汁もなんだか酒粕風味が感じられて独特のうまさだった。このボリュームと他店に劣らない質感でこの価格は立派としか言いようがない。

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(何度も足を運ぶことになった「博多バスターミナルビル」)

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(「まんぷく食堂ぎおん亭」のロースかつ定食)

 はあ、もう腹がいっぱい。今夜はもう食べなくてよく、夜は部屋で飲むだけにとどめよう。
 博多駅からホテルへと向かう道沿いはさながら居酒屋通りの様相を呈しているのだが、滞在期間中は結局のところ部屋で飲むのが最も自分に合っているという確信がますます深まっていて、そういう店には目もくれない。第一、部屋飲みは最も経済的だし、加えて、好きなものを好きなだけ飲み食いし、あるいは自分の気持ち次第でいつでも切り上げることができ、下着と部屋着のガウンを着けた程度のいい加減な服装OKで、飲みつぶれてもどこかに帰る必要もなく、脇のベッドに倒れ込めばいいだけだ。何よりも、共に飲む相手も店員もいない気楽さがいい。もう外飲みはたまにでいいや。

 というわけで、コンビニで缶チューハイを買い、15時半過ぎ、なんとか手ひどく降られないうちにホテル帰着。
 久留米攻めをやめて引き返したため、この日の万歩計は1万5千歩にとどまる。ふふん、もうこの程度ならまったくたいしたことはないなと強がってみる。筋肉痛などがないわけではないが、確かに昨日までよりはよっぽど楽だ。
 雨を浴びた湿気とずぶどろの汗とがひどかったので、すぐさまシャワーを浴びてサッパリする。車旅と違って、こういう点はホテルがいいんだよナ。昨日までは毎晩その日に着ていた下着と靴下を手洗いしていたが、そうすることによって残りの日に着る分は十分確保できたので、今夜からは洗濯は不要となった。

 夜は飲むほうから初めて、その後にログ付けを始め、21時までに完了。いい感じじゃないか。
 歯を磨いて、はぁどっこいとベッドに横になれば、笑えるぐらいすぐに眠くなってくる。起きていなければならない理由も見当たらないので、このまま眠ってしまおう。22時過ぎには安らかな眠りへ。