2019.07.10
北陸・山陰旅行記37 20190531(金)の2 出雲~大田
出雲市のほかのスポットも見たい。
海側のほうに山道を進んで10km近く入ったところにあった「日御碕(ひのみさき)神社」。「出雲国風土記」にも記された古社で。上の宮(神の宮)、下の宮(日沈宮(ひしずみのみや))よりなる社殿は権現造の朱塗りで、なぜこの壮大な社がこの山間にと思わせる。これは行った甲斐ありだった。

日御碕神社。なぜこのような山中に?

下の宮(日沈宮)拝殿

後ろから見た下の宮(日沈宮)拝殿と本殿(右)

上の宮(神の宮)拝殿(うしろに本殿)
もうひとつ、こちらは中国山地の山の中の須佐集落にある「須佐神社」。須佐之男命を祀る古社で、例大祭の「念仏踊」が有名なのだそうだ。こちらはぐっと質朴な印象の神社。奥の正殿で女性神主が「かしこみかしこみ……」とやっていて、拝殿の畳上では正座のまま深々と拝礼し、こちらに尻を向けたまま微動もしない人間が一人。汝は何に悩み、何を祈るのか。
静かな集落に正午を告げるサイレンが鳴り響いた。

須佐神社

正殿の屋根が質実剛健さを物語る

こういう状況。撮影してはいけなかっただろうか
次は大田市まで移動して、「石見銀山」を見る。
駅や市役所を見た後、まずは「石見銀山世界遺産センター」に赴いて情報収集。案内窓口の女性に周辺地図を所望すると、地図にマーカーを使って、ここはこう、ここを曲がってと丁寧に説明してくれた。電動自転車もあるが、自転車が入れない遊歩道を徒歩で行くのがいいとのこと。銀山地区は片道45分、町並み地区は片道20分とのことなので、14時にスタートすれば夕刻までには回りきれるだろう。
世界遺産センターではその中にある資料館でお勉強をしていこう。予備知識を得ておけば銀山見学も充実度が上がるというものだ。
石見銀山は戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)で、最盛期には日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定され、石見銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされるのだという。
日本を代表する鉱山遺跡として1969年に国史跡に指定。2007年には世界遺産委員会でユネスコの世界遺産(文化遺産)への登録が決まった。

大田市駅

大田市役所

石見銀山世界遺産センター

銀を抽出する様子を示したジオラマがあった
センターから車で「石見銀山公園」まで移動してそこに駐車し、銀山地区に向けて緩い上り坂を歩き始める。見学ポイントは多く、「大久保石見守墓所」「清水寺精錬所跡」「清水寺」「新切間歩(まぶ)」「吉岡出雲の墓」「福神山間歩」「高橋家」「龍源寺間歩」「下河原吹屋跡」など。
このうちのメインは「龍源寺間歩」で、一般公開されている唯一の坑道跡となっていて、約600mの坑道のうち273mが歩いて通ることができる。1715年に開発された銀の採掘坑道で、壁面や天井にはノミで掘った跡がそのまま残っていたりする。
ほかは写真で。ここまで1時間半。

遊歩道の散策が始まる

こんな感じの歩道が続く。いいでしょう

大久保石見守墓所

清水寺精錬所跡。こういうのは佐渡金山にもあった

清水寺

吉岡出雲の墓は入り口から見ただけ。この階段を上り下りする気にはなれないのだった

高橋家は「銀山町寄山組頭遺宅」として島根県指定史跡。普通の家みたいだけどな

龍源寺間歩の入り口。厳か

龍源寺間歩の内部。ノミの跡が残る

たくさんある横穴はいずれも狭い。ここを人間が掘り進んだということか
海側のほうに山道を進んで10km近く入ったところにあった「日御碕(ひのみさき)神社」。「出雲国風土記」にも記された古社で。上の宮(神の宮)、下の宮(日沈宮(ひしずみのみや))よりなる社殿は権現造の朱塗りで、なぜこの壮大な社がこの山間にと思わせる。これは行った甲斐ありだった。

日御碕神社。なぜこのような山中に?

下の宮(日沈宮)拝殿

後ろから見た下の宮(日沈宮)拝殿と本殿(右)

上の宮(神の宮)拝殿(うしろに本殿)
もうひとつ、こちらは中国山地の山の中の須佐集落にある「須佐神社」。須佐之男命を祀る古社で、例大祭の「念仏踊」が有名なのだそうだ。こちらはぐっと質朴な印象の神社。奥の正殿で女性神主が「かしこみかしこみ……」とやっていて、拝殿の畳上では正座のまま深々と拝礼し、こちらに尻を向けたまま微動もしない人間が一人。汝は何に悩み、何を祈るのか。
静かな集落に正午を告げるサイレンが鳴り響いた。

須佐神社

正殿の屋根が質実剛健さを物語る

こういう状況。撮影してはいけなかっただろうか
次は大田市まで移動して、「石見銀山」を見る。
駅や市役所を見た後、まずは「石見銀山世界遺産センター」に赴いて情報収集。案内窓口の女性に周辺地図を所望すると、地図にマーカーを使って、ここはこう、ここを曲がってと丁寧に説明してくれた。電動自転車もあるが、自転車が入れない遊歩道を徒歩で行くのがいいとのこと。銀山地区は片道45分、町並み地区は片道20分とのことなので、14時にスタートすれば夕刻までには回りきれるだろう。
世界遺産センターではその中にある資料館でお勉強をしていこう。予備知識を得ておけば銀山見学も充実度が上がるというものだ。
石見銀山は戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)で、最盛期には日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定され、石見銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされるのだという。
日本を代表する鉱山遺跡として1969年に国史跡に指定。2007年には世界遺産委員会でユネスコの世界遺産(文化遺産)への登録が決まった。

大田市駅

大田市役所

石見銀山世界遺産センター

銀を抽出する様子を示したジオラマがあった
センターから車で「石見銀山公園」まで移動してそこに駐車し、銀山地区に向けて緩い上り坂を歩き始める。見学ポイントは多く、「大久保石見守墓所」「清水寺精錬所跡」「清水寺」「新切間歩(まぶ)」「吉岡出雲の墓」「福神山間歩」「高橋家」「龍源寺間歩」「下河原吹屋跡」など。
このうちのメインは「龍源寺間歩」で、一般公開されている唯一の坑道跡となっていて、約600mの坑道のうち273mが歩いて通ることができる。1715年に開発された銀の採掘坑道で、壁面や天井にはノミで掘った跡がそのまま残っていたりする。
ほかは写真で。ここまで1時間半。

遊歩道の散策が始まる

こんな感じの歩道が続く。いいでしょう

大久保石見守墓所

清水寺精錬所跡。こういうのは佐渡金山にもあった

清水寺

吉岡出雲の墓は入り口から見ただけ。この階段を上り下りする気にはなれないのだった

高橋家は「銀山町寄山組頭遺宅」として島根県指定史跡。普通の家みたいだけどな

龍源寺間歩の入り口。厳か

龍源寺間歩の内部。ノミの跡が残る

たくさんある横穴はいずれも狭い。ここを人間が掘り進んだということか
2019.07.11
北陸・山陰旅行記38 20190531(金)の3 大田~浜田
続いて大森地区の町並み。これが期待以上の町並みで、江戸時代の武家屋敷や代官所跡、銀山で栄えた豪商の住宅などが並び、それなりにレトロ感が漂うだけでなく、古民家がうまく使われているし、住んでいる人もわりと多く、これまで見てきた旧宿場町のいくつかの町並みの中でも優れているほうだと思う。もちろん伝統的建造物群保存地区指定。
ごま豆腐の「中田商店」は現役。金森家、宗岡家などそれぞれの由緒を見ながら集落を下る。集落唯一の菓子店「有馬光栄堂」では素朴なあられと大豆の入った飴、茶などのふるまいを受ける。旧大森区裁判所だった「町並み交流センター」、町最大の商家だった「熊谷家住宅」、旧大森代官所跡の「石見銀山資料館」なども見て歩く。この界隈に約45分を費やす。

ごま豆腐製造販売店は現役

町並みへと進んでいく。花がきれいだ

道幅は昔のまま。道の湾曲がいいんじゃない

ほう!

旧大森区裁判所

昭和だなあ。自販機のない時代のタバコ屋はこんなだった

重文熊谷家住宅ではカフェもやっている

石見銀山資料館(代官所跡)は外塀と甍の波が見事

資料館の建物自体は年季が入っている
終了16時15分。2時間以上歩いていたことになり、スマホの万歩計はここだけで1万4千歩を指していた。
ああ、汗かいたなあ。今日はこの程度で勘弁してやろうか。そして風呂に入りたいな。
17時、この日の入浴は大田市から少し進んで温泉津(ゆのつ)温泉で。少し鄙びたいい風情が漂う温泉街で、そこにある古い銭湯のような「薬師湯」に入る。金気のにおいがある温泉でいい感じ。しかし、石鹸類が置かれていないので、湯に入って水道水で流すことしかできず、石見銀山でかいた汗は流せたが風呂上がりのさっぱり感は薄い。まあ、風呂に入れるだけで十分幸せなのだが。
さらに浜田市まで走ってきて、ガソリン補給の際にタイヤの空気圧を見てもらう。実は走っていてどうもしっくりこないので前回給油時にもチェックしてもらったところ、左後輪の空気が抜けているとのことだったのだ。
そして今回も同じタイヤの圧が下がっている。はずして調べてもらうと、釘が刺さっていてそこからわずかに空気が漏れているのだった。
これならなおせますと言うので、それではと3千円近くかけて釘を抜きそこに凝固剤を注入して、今後の憂いを解消した。スタンドの店員さん、どうもありがとう。浜田は全体としてぱっとしない印象だったけれども、あなたの親切はそれを覆すに足ります。
その浜田ではここらで夕飯をとあちこち探すが、店自体が少ない。しばらくウロウロしたがパッとしないので、コンビニで我慢するかとさらに進む。と、道沿いに「すき家9号浜田店」を発見。時間も20時を回っていることだし、ここでやむを得ないかと入店する。
「おろしポン酢牛丼」のサラダセット630円。さすが全国展開するだけあって、低価格でそれなりのものを食べさせてくれる。ここで紹介するほどのこともなかろうが、画像も載せておくことにしよう。

「すき家9号浜田店」のおろしポン酢牛丼
21時、「道の駅ゆうひパーク三隅」着。大きくない道の駅で、駐車台数もそれなりだが、大型トラックも数台停泊していた。
夜になってから肌寒く感じ、この旅で初めて、長袖のジャケットを羽織って眠る。
22時過ぎ就寝。
5月31日の走行距離は201km。
ごま豆腐の「中田商店」は現役。金森家、宗岡家などそれぞれの由緒を見ながら集落を下る。集落唯一の菓子店「有馬光栄堂」では素朴なあられと大豆の入った飴、茶などのふるまいを受ける。旧大森区裁判所だった「町並み交流センター」、町最大の商家だった「熊谷家住宅」、旧大森代官所跡の「石見銀山資料館」なども見て歩く。この界隈に約45分を費やす。

ごま豆腐製造販売店は現役

町並みへと進んでいく。花がきれいだ

道幅は昔のまま。道の湾曲がいいんじゃない

ほう!

旧大森区裁判所

昭和だなあ。自販機のない時代のタバコ屋はこんなだった

重文熊谷家住宅ではカフェもやっている

石見銀山資料館(代官所跡)は外塀と甍の波が見事

資料館の建物自体は年季が入っている
終了16時15分。2時間以上歩いていたことになり、スマホの万歩計はここだけで1万4千歩を指していた。
ああ、汗かいたなあ。今日はこの程度で勘弁してやろうか。そして風呂に入りたいな。
17時、この日の入浴は大田市から少し進んで温泉津(ゆのつ)温泉で。少し鄙びたいい風情が漂う温泉街で、そこにある古い銭湯のような「薬師湯」に入る。金気のにおいがある温泉でいい感じ。しかし、石鹸類が置かれていないので、湯に入って水道水で流すことしかできず、石見銀山でかいた汗は流せたが風呂上がりのさっぱり感は薄い。まあ、風呂に入れるだけで十分幸せなのだが。
さらに浜田市まで走ってきて、ガソリン補給の際にタイヤの空気圧を見てもらう。実は走っていてどうもしっくりこないので前回給油時にもチェックしてもらったところ、左後輪の空気が抜けているとのことだったのだ。
そして今回も同じタイヤの圧が下がっている。はずして調べてもらうと、釘が刺さっていてそこからわずかに空気が漏れているのだった。
これならなおせますと言うので、それではと3千円近くかけて釘を抜きそこに凝固剤を注入して、今後の憂いを解消した。スタンドの店員さん、どうもありがとう。浜田は全体としてぱっとしない印象だったけれども、あなたの親切はそれを覆すに足ります。
その浜田ではここらで夕飯をとあちこち探すが、店自体が少ない。しばらくウロウロしたがパッとしないので、コンビニで我慢するかとさらに進む。と、道沿いに「すき家9号浜田店」を発見。時間も20時を回っていることだし、ここでやむを得ないかと入店する。
「おろしポン酢牛丼」のサラダセット630円。さすが全国展開するだけあって、低価格でそれなりのものを食べさせてくれる。ここで紹介するほどのこともなかろうが、画像も載せておくことにしよう。

「すき家9号浜田店」のおろしポン酢牛丼
21時、「道の駅ゆうひパーク三隅」着。大きくない道の駅で、駐車台数もそれなりだが、大型トラックも数台停泊していた。
夜になってから肌寒く感じ、この旅で初めて、長袖のジャケットを羽織って眠る。
22時過ぎ就寝。
5月31日の走行距離は201km。
2019.07.12
北陸・山陰旅行記39 20190601(土)の1 益田~萩
6月に突入。5月12日にこの旅を始めたときは5月中には終えられるのではないかと思っていたが、まだまだ旅の途中だ。もう少し先まで行き、そろそろ帰路を考えようかと思っている。内科の服薬の残量があと3日分となってしまったが、まあいいんじゃない。
停泊した道の駅から30分ほどかけて益田市のマクドナルドにたどり着き、7時過ぎからノマドワークをする。つくづく7時から開くマックはありがたい社会インフラだ。モーニングのセットは330円から食べられるし、なんならドリンクだけでも粘れる。
店内のクーラーがきついことを悟ったので、ジャケットを持参。6月から店内BGMが変わったようだ。
これから萩、長門方面へと向かう。
萩市内に入る前に、「須佐ホルンフェルス」を見る。北長門海岸国定公園に聳えるストライプの断層で、割ると角ばった破面で割れることから角石(つのいし)の意味としてホルンフェルスと呼ばれているところ。
幹線からだいぶそれた上に駐車場から歩くと結構距離がありそう。途中まで歩いて下りてみたが、このあたりからでも景色は十分と判断して、畳が千枚ひけるといわれるほど広いという場所まではいかずに終わった。そこでは何人かが磯釣りに興じていた。

須佐ホルンフェルス

視界を左手にめぐらせばこんな感じ

ホルンフェルスへと続く道の途中にあった斜面の田。こういうのも北陸海岸沿いの典型的な風景だ
萩市内に入って、「萩反射炉」。大砲を鋳造するための金属溶解炉の煙突部分が残っていて、これは1858年に築かれたもの。
続いて「恵美須ケ鼻造船所跡」。萩藩は洋式造船技術と運転技術習得のため、伊豆に船大工の尾崎小右衛門を派遣し、萩市恵美須ヶ鼻に軍艦製造所を建設することを決定。現在も当時の防波堤が残っていて、その脇の土地はまだ復元作業中だった。

萩反射炉

恵美須ケ鼻造船所跡。当時の防波堤(左)が残っている
昼食のため「道の駅萩しーまーと」へ。萩漁港に隣接し、鮮魚や水産加工品、地元産野菜・果物などのショッピングが楽しめる。オープンカフェのあるベーカリーや地酒・菓子が揃ったみやげ物店もある。去年、山形県北部にも新たな道の駅を設置しようとフォーラムを開催し、この道の駅の支配人から講演をしていただいたことを思い出した。
2~3店の海鮮レストランが入っていて、このうち「浜料理がんがん」に入ってがんがん名物だという海鮮丼1,404円を食べる。すぐ後ろが漁協の市場という立地なのに、海鮮丼はウニやイクラが入っているとはいえ少量で、イカや蒸しエビなど残念ながら平凡なものも。まあ安いものを頼んだのがいけないのだろうけれど。
量的にも物足りないので、漁協直営の売店から「萩港産瀬付アジのすし」5貫入り440円を追加して食べる。こっちのほうが自分には合っている。

「道の駅萩しーまーと」の「がんがん」名物の海鮮丼

萩港産瀬付アジのすし
停泊した道の駅から30分ほどかけて益田市のマクドナルドにたどり着き、7時過ぎからノマドワークをする。つくづく7時から開くマックはありがたい社会インフラだ。モーニングのセットは330円から食べられるし、なんならドリンクだけでも粘れる。
店内のクーラーがきついことを悟ったので、ジャケットを持参。6月から店内BGMが変わったようだ。
これから萩、長門方面へと向かう。
萩市内に入る前に、「須佐ホルンフェルス」を見る。北長門海岸国定公園に聳えるストライプの断層で、割ると角ばった破面で割れることから角石(つのいし)の意味としてホルンフェルスと呼ばれているところ。
幹線からだいぶそれた上に駐車場から歩くと結構距離がありそう。途中まで歩いて下りてみたが、このあたりからでも景色は十分と判断して、畳が千枚ひけるといわれるほど広いという場所まではいかずに終わった。そこでは何人かが磯釣りに興じていた。

須佐ホルンフェルス

視界を左手にめぐらせばこんな感じ

ホルンフェルスへと続く道の途中にあった斜面の田。こういうのも北陸海岸沿いの典型的な風景だ
萩市内に入って、「萩反射炉」。大砲を鋳造するための金属溶解炉の煙突部分が残っていて、これは1858年に築かれたもの。
続いて「恵美須ケ鼻造船所跡」。萩藩は洋式造船技術と運転技術習得のため、伊豆に船大工の尾崎小右衛門を派遣し、萩市恵美須ヶ鼻に軍艦製造所を建設することを決定。現在も当時の防波堤が残っていて、その脇の土地はまだ復元作業中だった。

萩反射炉

恵美須ケ鼻造船所跡。当時の防波堤(左)が残っている
昼食のため「道の駅萩しーまーと」へ。萩漁港に隣接し、鮮魚や水産加工品、地元産野菜・果物などのショッピングが楽しめる。オープンカフェのあるベーカリーや地酒・菓子が揃ったみやげ物店もある。去年、山形県北部にも新たな道の駅を設置しようとフォーラムを開催し、この道の駅の支配人から講演をしていただいたことを思い出した。
2~3店の海鮮レストランが入っていて、このうち「浜料理がんがん」に入ってがんがん名物だという海鮮丼1,404円を食べる。すぐ後ろが漁協の市場という立地なのに、海鮮丼はウニやイクラが入っているとはいえ少量で、イカや蒸しエビなど残念ながら平凡なものも。まあ安いものを頼んだのがいけないのだろうけれど。
量的にも物足りないので、漁協直営の売店から「萩港産瀬付アジのすし」5貫入り440円を追加して食べる。こっちのほうが自分には合っている。

「道の駅萩しーまーと」の「がんがん」名物の海鮮丼

萩港産瀬付アジのすし
2019.07.13
北陸・山陰旅行記40 20190601(土)の2 萩
腹を満たして、いよいよ萩のメインスポットを巡り始める。
「松陰神社」と「松下村塾」。
松陰神社は、明治維新の原動力となった吉田松陰を祀る神社で、1907年に伊藤博文らによって建立されたものという。メインの観光地とあってかなりきれいに整備されている印象があり、神社正面の参道は広々としているし、駐車場ももちろんタダだ。
いきなり「明治維新胎動の地」の大きな石碑が。境内には「松下村塾」、「松陰幽囚の旧宅」などがあり、拝殿まで進んで参拝。
「松下村塾」は、神社境内にある瓦葺き平家建て8畳・10畳半の2室の家で、吉田松陰が1857年から2年半の間、下級武士や庶民の子弟を教育した私塾として有名。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文など明治維新期に活躍した多くの人材がこの塾から輩出された。

松陰神社のエントランス

「明治維新胎動の地」の大きな石碑が

松下村塾

松下村塾には「講義室」があった

松陰幽囚の旧宅

そしてようやく松陰神社へ
「伊藤博文旧宅、別邸」もこの近くにあることを思い出して、徒歩で行ってみるが、雨漏りがするため屋根を修復している最中だった。

伊藤博文旧宅は修復中。ちっちぇー。ブルーシートではないところがエライ
次は、菊ケ浜の無料駐車場に停め、そこから歩いて「萩城城下町」を見る。1604年に毛利輝元が萩城を築いて以来36万石の城下町として栄えた萩は、日本有数の史跡都市。重厚な武家屋敷、夏みかんがのぞく土塀やなまこ壁、鍵曲など、町並みには今なお城下町の風情が色濃く残っている。碁盤の目状の道は、四辻に立って四方を眺めるとそのどの方向もきっちり「武家屋敷」しているところがすごい。
とぼとぼ歩くが、この立派な武家屋敷地帯に観光客が極端に少ないのは不思議だ。広範囲にわたって屋敷群が続くが、その一角は萩西中学と萩高校。いずれも白い土塀が敷地を囲っていて、萩高校は校舎までもが武家屋敷風。土曜日なので生徒はいない。ほかに「御宿北門屋敷」、毛利輝元の墓所「天樹院」、今はセミナーハウスになっている「旧毛利家別邸表門」、どでかい田中義一大将の像などを見る。

まっすぐで長い道沿いの家並みはこんな感じ

こんな感じⅡ。まっすぐ感がすごい

こんな感じⅢ。観光客が少ない

こんな感じⅣ。医院も窯元も武家屋敷風

県立萩高校の校舎だって武家屋敷風

御宿北門屋敷

旧毛利家別邸表門

怒り肩の「田中(義一)大将像」
いったん駐車場に戻って、せっかくなので「菊ヶ浜」も見てみる。北長門海岸国定公園内にある白砂の海岸。日本の夕陽百選にも選ばれている景観がよい。土曜日とあって、小さな子供を伴った家族が数組、浜遊びをしていた。

菊ヶ浜。武家屋敷群のすぐそばにこんなきれいな浜がある萩とはいいところだ

菊ヶ浜Ⅱ。雲が高い
「松陰神社」と「松下村塾」。
松陰神社は、明治維新の原動力となった吉田松陰を祀る神社で、1907年に伊藤博文らによって建立されたものという。メインの観光地とあってかなりきれいに整備されている印象があり、神社正面の参道は広々としているし、駐車場ももちろんタダだ。
いきなり「明治維新胎動の地」の大きな石碑が。境内には「松下村塾」、「松陰幽囚の旧宅」などがあり、拝殿まで進んで参拝。
「松下村塾」は、神社境内にある瓦葺き平家建て8畳・10畳半の2室の家で、吉田松陰が1857年から2年半の間、下級武士や庶民の子弟を教育した私塾として有名。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文など明治維新期に活躍した多くの人材がこの塾から輩出された。

松陰神社のエントランス

「明治維新胎動の地」の大きな石碑が

松下村塾

松下村塾には「講義室」があった

松陰幽囚の旧宅

そしてようやく松陰神社へ
「伊藤博文旧宅、別邸」もこの近くにあることを思い出して、徒歩で行ってみるが、雨漏りがするため屋根を修復している最中だった。

伊藤博文旧宅は修復中。ちっちぇー。ブルーシートではないところがエライ
次は、菊ケ浜の無料駐車場に停め、そこから歩いて「萩城城下町」を見る。1604年に毛利輝元が萩城を築いて以来36万石の城下町として栄えた萩は、日本有数の史跡都市。重厚な武家屋敷、夏みかんがのぞく土塀やなまこ壁、鍵曲など、町並みには今なお城下町の風情が色濃く残っている。碁盤の目状の道は、四辻に立って四方を眺めるとそのどの方向もきっちり「武家屋敷」しているところがすごい。
とぼとぼ歩くが、この立派な武家屋敷地帯に観光客が極端に少ないのは不思議だ。広範囲にわたって屋敷群が続くが、その一角は萩西中学と萩高校。いずれも白い土塀が敷地を囲っていて、萩高校は校舎までもが武家屋敷風。土曜日なので生徒はいない。ほかに「御宿北門屋敷」、毛利輝元の墓所「天樹院」、今はセミナーハウスになっている「旧毛利家別邸表門」、どでかい田中義一大将の像などを見る。

まっすぐで長い道沿いの家並みはこんな感じ

こんな感じⅡ。まっすぐ感がすごい

こんな感じⅢ。観光客が少ない

こんな感じⅣ。医院も窯元も武家屋敷風

県立萩高校の校舎だって武家屋敷風

御宿北門屋敷

旧毛利家別邸表門

怒り肩の「田中(義一)大将像」
いったん駐車場に戻って、せっかくなので「菊ヶ浜」も見てみる。北長門海岸国定公園内にある白砂の海岸。日本の夕陽百選にも選ばれている景観がよい。土曜日とあって、小さな子供を伴った家族が数組、浜遊びをしていた。

菊ヶ浜。武家屋敷群のすぐそばにこんなきれいな浜がある萩とはいいところだ

菊ヶ浜Ⅱ。雲が高い
2019.07.14
北陸・山陰旅行記41 20190601(土)の3 萩~長門
車を移して「萩城址」へ。城址内は有料。入場料を出したくないケチのへそまがりは濠まわりこそがいいんじゃないかと、そちらを中心に眺める。周囲は萩焼の店ばかりが乱立して土産屋の体をなしていて、こういうのはあまり好きになれないんだよな。

こんな橋を渡って萩城址へ。遊覧船も運行中

萩城址へのエントランス。この先からは有料だ

濠と石積みを見て我慢する
「菊屋横町」を見るために有料駐車場を避けて山口県の合同庁舎の敷地を拝借し、そこから歩いてアプローチする。中央公園にあった山県有朋公の騎馬像がカッコイイ。
藩の豪商「菊屋家」をはじめ、幕末の風雲児「高杉晋作の誕生地」、第26代総理大臣「田中義一の誕生地」、「木戸孝允旧宅」などがある横町で、なまこ壁が美しい。先ほど見たのは武家屋敷群で、こちらは萩城下町の町筋。町筋は現在もそのままに残り、往時の面影をとどめている。
という具合にまたいっぱい歩いた。あ、「萩・明倫学舎」を見るのを忘れてしまったが、まあいいか。

山県有朋公の騎馬像(萩市中央公園)

高杉晋作立志像。建立はわりと最近のこと

高杉晋作誕生地

菊屋横丁はこんな感じ

田中義一生誕地は狭くて坪庭のようだった

菊屋家住宅

江戸屋横丁にあった木戸孝允旧宅
少し離れた鄙のほうに「桂太郎旧宅」があるというので赴くが、こちらは水路沿いの狭い道をくねくねと進んだところにあり、駐車などできそうにもない民家の密集する場所だった。一観光客がこんなところまで入ってきてはいけないと思う。桂太郎が少年時代を過ごした地に1948年に建てた屋敷なのだそうだ。写真だけ撮って退却。

桂太郎旧宅
これにて萩観光は終了。長門方面へと進み、途中入浴を済ませて今夜は早めに上がろうか。
15時台だが、湯免温泉の「湯免ふれあいセンター」で入浴。前日は湯に浸かっただけにとどまったので、ゆっくり湯船に浸かって汗を出し、いつもよりも盛大に泡立てて体と頭を洗いすっきりする。17時まで滞留。
長門市内に入り、「青海島」に寄る。北長門海岸国定公園の代表的な景勝地で、「海上アルプス」の別称で呼ばれているとか。しかし、その景色は地上からではよくわからず、青海島は海上から遊覧船に乗って見ないとその迫力は伝わらないということがわかった。
青海島(おうみじま)と聞いて連想するのは、沖縄の各地にある奥武島(おうじま)で、それらはいずれも本島からほとんど離れていないところにあり、先祖の眠る地となっているのだったが、ここももしかしたらそうなのかもしれない。
島から戻ってすぐの仙崎漁港の一角に「海外引揚げ上陸跡地」を示す標柱があった。舞鶴や呉などと並んでここも引揚船の受入れ港となっていたようだ。

夕陽の仙崎漁港。ここも引揚船の受入れ港だった
まだ18時前だが、「道の駅センザキッチン」を今夜の滞留地と定め、その近くには数軒の料理店があるので、今夜はそこのどこかで食事をしよう。
活魚料理と釜めしが得意だという「浜屋」に入り、そろそろ旅も終わりだなという感慨とともにカタクチイワシの刺身で瓶ビールの大をやっつける。足りないのでもう少しとなると、また大瓶をもう1本。〆に海賊釜めしを食らう。3,200円。
外で飲むのは本来ならばもっとやりたいところだが、久しぶりとなる。外飲みは寛ぐし楽しいが、会計が高く経済的にはイマイチ。寛ぎと経済性のどちらを優先させるべきかだが、収入もなくなったわけだし、そろそろ経済性を優先させ始めなければならないのだろう。

店で飲む。カタクチイワシの刺身

海賊釜めし
飲んでしまったしやることもないので、酔いに任せて20時前に早々に就寝。歯を磨かなければと一度22時半に起き、また眠る。
6月1日の走行距離は150km。

こんな橋を渡って萩城址へ。遊覧船も運行中

萩城址へのエントランス。この先からは有料だ

濠と石積みを見て我慢する
「菊屋横町」を見るために有料駐車場を避けて山口県の合同庁舎の敷地を拝借し、そこから歩いてアプローチする。中央公園にあった山県有朋公の騎馬像がカッコイイ。
藩の豪商「菊屋家」をはじめ、幕末の風雲児「高杉晋作の誕生地」、第26代総理大臣「田中義一の誕生地」、「木戸孝允旧宅」などがある横町で、なまこ壁が美しい。先ほど見たのは武家屋敷群で、こちらは萩城下町の町筋。町筋は現在もそのままに残り、往時の面影をとどめている。
という具合にまたいっぱい歩いた。あ、「萩・明倫学舎」を見るのを忘れてしまったが、まあいいか。

山県有朋公の騎馬像(萩市中央公園)

高杉晋作立志像。建立はわりと最近のこと

高杉晋作誕生地

菊屋横丁はこんな感じ

田中義一生誕地は狭くて坪庭のようだった

菊屋家住宅

江戸屋横丁にあった木戸孝允旧宅
少し離れた鄙のほうに「桂太郎旧宅」があるというので赴くが、こちらは水路沿いの狭い道をくねくねと進んだところにあり、駐車などできそうにもない民家の密集する場所だった。一観光客がこんなところまで入ってきてはいけないと思う。桂太郎が少年時代を過ごした地に1948年に建てた屋敷なのだそうだ。写真だけ撮って退却。

桂太郎旧宅
これにて萩観光は終了。長門方面へと進み、途中入浴を済ませて今夜は早めに上がろうか。
15時台だが、湯免温泉の「湯免ふれあいセンター」で入浴。前日は湯に浸かっただけにとどまったので、ゆっくり湯船に浸かって汗を出し、いつもよりも盛大に泡立てて体と頭を洗いすっきりする。17時まで滞留。
長門市内に入り、「青海島」に寄る。北長門海岸国定公園の代表的な景勝地で、「海上アルプス」の別称で呼ばれているとか。しかし、その景色は地上からではよくわからず、青海島は海上から遊覧船に乗って見ないとその迫力は伝わらないということがわかった。
青海島(おうみじま)と聞いて連想するのは、沖縄の各地にある奥武島(おうじま)で、それらはいずれも本島からほとんど離れていないところにあり、先祖の眠る地となっているのだったが、ここももしかしたらそうなのかもしれない。
島から戻ってすぐの仙崎漁港の一角に「海外引揚げ上陸跡地」を示す標柱があった。舞鶴や呉などと並んでここも引揚船の受入れ港となっていたようだ。

夕陽の仙崎漁港。ここも引揚船の受入れ港だった
まだ18時前だが、「道の駅センザキッチン」を今夜の滞留地と定め、その近くには数軒の料理店があるので、今夜はそこのどこかで食事をしよう。
活魚料理と釜めしが得意だという「浜屋」に入り、そろそろ旅も終わりだなという感慨とともにカタクチイワシの刺身で瓶ビールの大をやっつける。足りないのでもう少しとなると、また大瓶をもう1本。〆に海賊釜めしを食らう。3,200円。
外で飲むのは本来ならばもっとやりたいところだが、久しぶりとなる。外飲みは寛ぐし楽しいが、会計が高く経済的にはイマイチ。寛ぎと経済性のどちらを優先させるべきかだが、収入もなくなったわけだし、そろそろ経済性を優先させ始めなければならないのだろう。

店で飲む。カタクチイワシの刺身

海賊釜めし
飲んでしまったしやることもないので、酔いに任せて20時前に早々に就寝。歯を磨かなければと一度22時半に起き、また眠る。
6月1日の走行距離は150km。
2019.07.17
北陸・山陰旅行記42 20190602(日)の1 長門~下関
「道の駅センザキッチン」で迎えた朝は静かだが、どんよりとした曇り空。この日は天候が芳しくないようだ。
昨晩大瓶を2本飲んだので5時過ぎに尿意で覚醒する。6時には長門市では唯一朝からやっていると思われるファミレスの「ジョイフル長門店」で、豚汁朝食に納豆を付けて558円。納豆とか温泉卵とかがずっと食べたかったのだ。外食が続くとこういうものを日本人の心が欲しがるということなのだろう。8時過ぎまでかけて前日のログ付けを終える。
この日は長門市にあるポイントをいくつか見て、海岸沿いを流して下関に至り、そこをいったん旅のゴールとしたい。九州や山陽道にも見たいものはたくさんあるが、一度家に戻って下調べをし、充電をしてから改めて臨みたい。
長門古市地域の「千畳敷」。海にある岩場がそう呼ばれるところはいくつか見てきたが、山の上にある千畳敷は初めてだ。標高333mの高台に広がる草原の地で、眼下には日本海に浮かぶ島々と大きな海と空の360度パノラマが一望できる。海をわたる風が爽やかかと思いきや、むしろ峰を越えていく強風になっていて、しかもかなり冷たい。
キャンプ場もあり週末の野営者あり。ここは広い草原よりも、ここから見える景色がいちばんのウリなのだろうな。

キャンプする者あり

ここから見える景色が千畳敷のいちばんのウリだろうか
くねくね道をアップダウンして、長門市油谷の「元乃隅稲成神社」へ。こんな山中に来てまたもや有料駐車場だが、平らな土地が少ない場所にがんばって駐車帯を整備したようなのでやむを得ず300円を支払ってそこへ。
白狐のお告げにより、昭和30年に建てられた神社で、123基という赤い鳥居がずらりと並ぶ景色が印象的だ。くねくね道をものともせずにここまで観光バスが入ってきており、かなりの観光スポットのようだ。
岩場からは「龍宮の潮吹」が見えるというのだが、この日のように海が凪いでいるときは潮を吹かないのだそうだ。
おなじ油谷地区の「東後畑棚田」も見に行ったが、棚田自体はまったくたいしたことはない。日本海を眼下にするロケーションで、海に見える漁り火があってこそ、それを水田とともに見るのがいいのかもしれない。
ここからは下調べができていないので、しばらくは無目的に海岸沿いを下関方面へと進んでいく。

元乃隅稲成神社のエントランス

この鳥居群をくぐって下りていく

くぐりながら撮れば一面真っ赤

下から見た神社全景

おっ!という感じではなかった「東後畑棚田」
しばらく走って下関市の豊北地区に突入し、「角島大橋(つのしまおおはし)」を見る。
下関市町神田と同市角島間の海士ヶ瀬戸に架かる橋で、それを橋の手前の「海士ケ瀬公園」から眺める。
1993年に着工し、総工費149億円をかけて2000年に開通した橋。県道なのだが、この橋の建設にそれほど巨額の予算を投入できる山口県の底力はすごいと思う。
北長門海岸国定公園内なので、橋脚の高さを抑え周囲の景観に配慮した構造となっているというのだが、近代的な景観だと言われれば頷けるが、自然とマッチしているかは疑問も。完成後には自動車などのテレビCMのロケ地として何度か使われているとのこと。
なお、完成当時は無料の離島架橋としては日本最長だったが、その後沖縄の古宇利大橋や伊良部大橋ができてこの上をいっている。
薄曇りではあるけれどもいい眺めだ。日曜なので人出が多く、若いカップルたちが次々と展望台でポーズをとって写真を撮っている。なんだか日本人も東南アジア化してきているのか。バカみたいな大声を出しながらでないことがせめてもの救いだが。

未来的。写真はあまりよく撮れていない

このモニュメントの前では日本人もアジア化する
橋を渡って、島にある「角島灯台」へ。イギリス人技師が建てたもので、石造り(総御影石)の灯台としては日本でも最も美しいと言われているらしい。
いやな予感はあったがこんな末端でも有料駐車場制。冗談だろと300mほど戻って山口県の所有する更地(進入禁止の仕切りなし)に駐車して歩いて見に行く。すると、灯台の敷地内への入場も有料。ここも拝金主義のにおいがプンプンだ。灯台を撮影するのはタダだろうと、写真を撮って退散する。

角島灯台

土地に余裕はあるのに駐車場ばかり

眺めは悪くはないのだけどねぇ…
何を見るべきなのかがよくわからないこともあり、「特牛」と書いて「こっとい」という地名が道路標識に頻繁に表れたので、その駅に行ってみることにする。
琉球舞踊曲に「特牛節」と書いて「くてぃぶし」と読むものがある。あとで調べてみると、古くは牡牛のことを「ことひ」といい、広辞苑には「こといのうし(特牛)」として重荷を背負う牡牛、強健な牡牛、こっていうし。とあるとのこと。
山口県のほうは、牡牛を意味する方言の「コトイ」から取ったという説と、日本海に面した小さな入り江を示す「琴江」から取ったという説があるとのこと。駅自体は素朴な無人駅だった。

山陰本線特牛駅
昨晩大瓶を2本飲んだので5時過ぎに尿意で覚醒する。6時には長門市では唯一朝からやっていると思われるファミレスの「ジョイフル長門店」で、豚汁朝食に納豆を付けて558円。納豆とか温泉卵とかがずっと食べたかったのだ。外食が続くとこういうものを日本人の心が欲しがるということなのだろう。8時過ぎまでかけて前日のログ付けを終える。
この日は長門市にあるポイントをいくつか見て、海岸沿いを流して下関に至り、そこをいったん旅のゴールとしたい。九州や山陽道にも見たいものはたくさんあるが、一度家に戻って下調べをし、充電をしてから改めて臨みたい。
長門古市地域の「千畳敷」。海にある岩場がそう呼ばれるところはいくつか見てきたが、山の上にある千畳敷は初めてだ。標高333mの高台に広がる草原の地で、眼下には日本海に浮かぶ島々と大きな海と空の360度パノラマが一望できる。海をわたる風が爽やかかと思いきや、むしろ峰を越えていく強風になっていて、しかもかなり冷たい。
キャンプ場もあり週末の野営者あり。ここは広い草原よりも、ここから見える景色がいちばんのウリなのだろうな。

キャンプする者あり

ここから見える景色が千畳敷のいちばんのウリだろうか
くねくね道をアップダウンして、長門市油谷の「元乃隅稲成神社」へ。こんな山中に来てまたもや有料駐車場だが、平らな土地が少ない場所にがんばって駐車帯を整備したようなのでやむを得ず300円を支払ってそこへ。
白狐のお告げにより、昭和30年に建てられた神社で、123基という赤い鳥居がずらりと並ぶ景色が印象的だ。くねくね道をものともせずにここまで観光バスが入ってきており、かなりの観光スポットのようだ。
岩場からは「龍宮の潮吹」が見えるというのだが、この日のように海が凪いでいるときは潮を吹かないのだそうだ。
おなじ油谷地区の「東後畑棚田」も見に行ったが、棚田自体はまったくたいしたことはない。日本海を眼下にするロケーションで、海に見える漁り火があってこそ、それを水田とともに見るのがいいのかもしれない。
ここからは下調べができていないので、しばらくは無目的に海岸沿いを下関方面へと進んでいく。

元乃隅稲成神社のエントランス

この鳥居群をくぐって下りていく

くぐりながら撮れば一面真っ赤

下から見た神社全景

おっ!という感じではなかった「東後畑棚田」
しばらく走って下関市の豊北地区に突入し、「角島大橋(つのしまおおはし)」を見る。
下関市町神田と同市角島間の海士ヶ瀬戸に架かる橋で、それを橋の手前の「海士ケ瀬公園」から眺める。
1993年に着工し、総工費149億円をかけて2000年に開通した橋。県道なのだが、この橋の建設にそれほど巨額の予算を投入できる山口県の底力はすごいと思う。
北長門海岸国定公園内なので、橋脚の高さを抑え周囲の景観に配慮した構造となっているというのだが、近代的な景観だと言われれば頷けるが、自然とマッチしているかは疑問も。完成後には自動車などのテレビCMのロケ地として何度か使われているとのこと。
なお、完成当時は無料の離島架橋としては日本最長だったが、その後沖縄の古宇利大橋や伊良部大橋ができてこの上をいっている。
薄曇りではあるけれどもいい眺めだ。日曜なので人出が多く、若いカップルたちが次々と展望台でポーズをとって写真を撮っている。なんだか日本人も東南アジア化してきているのか。バカみたいな大声を出しながらでないことがせめてもの救いだが。

未来的。写真はあまりよく撮れていない

このモニュメントの前では日本人もアジア化する
橋を渡って、島にある「角島灯台」へ。イギリス人技師が建てたもので、石造り(総御影石)の灯台としては日本でも最も美しいと言われているらしい。
いやな予感はあったがこんな末端でも有料駐車場制。冗談だろと300mほど戻って山口県の所有する更地(進入禁止の仕切りなし)に駐車して歩いて見に行く。すると、灯台の敷地内への入場も有料。ここも拝金主義のにおいがプンプンだ。灯台を撮影するのはタダだろうと、写真を撮って退散する。

角島灯台

土地に余裕はあるのに駐車場ばかり

眺めは悪くはないのだけどねぇ…
何を見るべきなのかがよくわからないこともあり、「特牛」と書いて「こっとい」という地名が道路標識に頻繁に表れたので、その駅に行ってみることにする。
琉球舞踊曲に「特牛節」と書いて「くてぃぶし」と読むものがある。あとで調べてみると、古くは牡牛のことを「ことひ」といい、広辞苑には「こといのうし(特牛)」として重荷を背負う牡牛、強健な牡牛、こっていうし。とあるとのこと。
山口県のほうは、牡牛を意味する方言の「コトイ」から取ったという説と、日本海に面した小さな入り江を示す「琴江」から取ったという説があるとのこと。駅自体は素朴な無人駅だった。

山陰本線特牛駅
2019.07.18
北陸・山陰旅行記43 20190602(日)の2 下関~岩国~安芸太田
そしてとうとう下関市内へ。大きい町だ。下関といえばここだろうと、「カモンワーフ」へ行ってみる。しかし、土日にはこういうところに来るべきではなかったかもしれない。家族連れやカップルで大混雑していて、駐車場も長蛇の列。とりあえず旧商店街のほうにある市営駐車場に駐車して歩いてアプローチする。
関門自慢の海の幸を中心としたレストランや土産物店が立ち並ぶシーサイドモールなのだが、ああ人だらけ。これまでずっと山岳地帯の無人のくねくね道を走ってきた身とすれば、なんだか人あたりがしそうだ。整備されたボードウォークからは関門海峡が一望できる。見えるは北九州の町並み。じきに行くからな、待ってろよ、九州。

カモンワーフに持っていかれた感じの「赤間本通り商店街」

赤間通りとクロスする唐戸商店街も同様

ババーン! カモンワーフは大盛況

広いウッドデッキがいい。人混みが途切れたところで撮影

北九州が遠望できた
カモンワーフから見えるところにある「唐戸市場」も大盛況で、大きな市場なのだが人があふれて歩けないほど。1貫ごとに売っている寿司に群がる人・人・人。大勢の人の前に裸で置かれている寿司を食べたいとは思わないし、こんな喧騒の中に身を置くのは本旨ではない。
ここは平日に来るべき場所だ。車旅をしていれば下関はまた来る機会があるだろうし。そう判断して早々に撤収することにした。

噂には聞いていたぞ、唐戸市場

おお、市場だ市場だ

寿司に群がる観光客
山口に来たならぜひ食べたいと思っていた「瓦そば」。下関の名物料理で、熱した瓦の上に茶そばと錦糸卵や牛肉などの具材を乗せて、温かいつゆにくぐらせて食べるインパクトある料理だ。
有名店としては豊浦町川棚の「元祖瓦そばたかせ」があるが、その地区を通ったのだけれどもまだ時間的に早いのでスルーしてきてしまった。下関の市内で食べられるところはないかとスマホに尋ねると、その支店「元祖瓦そばたかせゆめシティ店」が近くにあるようなので、そこへ行く。
瓦そばの「一人分」1,188円。独特の境地を創造しており、これはもう普通の蕎麦ではないでしょ。茶そば、トッピングに豚肉、焼いた蕎麦だもの。いや、焼かれてパリパリとした食感が美味しいのだけれど。
一人分だと大きな瓦に対して貧相に見えるのが心配で、二人分を注文しようかとも思ったけれども、料金が2千円を超えるので自重。結果的には一人分でも適度に腹が満たされた。

「元祖瓦そばたかせゆめシティ店」にて、瓦そば一人分
さて、瓦そばを食べたらなんだか急に里心がついてしまった。べつに瓦そばを食べるために旅に出たのではないのだけれど。
ということで、ここからは豊臣秀吉の「中国大返し」ではないが、中国地方を一気に東へととって返そう。ルートは中国山地を西から東へと横に走って、途中から松江に抜けたい。
下関から美祢経由で山口市へ。16時近くになっているので、せっかくだから湯田温泉に浸かっていこう。「かんぽの宿湯田」にて、つるつるする感じのお湯で汗を流し、1時間ほど滞留。
夕食だが、これもぜひ行きたいと思っていた岩国の「いろり山賊」へ。「山奥の不夜城レストラン」と題してNHKの「ドキュメント72時間」が取り上げた店だ。岩国市の山手の上り坂の途中にある食事処で、山賊むすび、山賊焼き、山賊うどんなどがウリなのだそうだ。
ここもまた大混雑で、駐車スペースの確保から難儀する。情報によれば日曜の昼食時間を大きく過ぎた頃合いでも2時間待ちということもあるそうだから、まあこれぐらいは想定内だ。
待ちリストに名を書いてから10分もしないでカウンター席に着座。「外の席でなくてすみませんねえ」と店のおばさん。つまりは屋外席が人気ということなのか。霧雨も降り出したし、こちらは中のほうがよく、問題アリマセン。
ここに来たならコレという山賊焼きに山賊手打ちうどんを合わせて1,415円。山賊焼きは鶏モモにたれを付けて焼いたもので、甘辛いたれが美味だが肉付き自体は特にいいわけではない。山賊うどんは小うどん程度の量だが、牛すじ肉入りでだしがうまい。
店の雰囲気がすごくて抵抗なく食べているけれども、あとで考えてみるとあの山賊焼きが730円+税はどう考えても高い。小うどんで500円以上というのもそうだ。
来た証しとして土産に「いろり山賊せんべい」を購入。そろそろお土産のことも念頭に置かなくてはいけない。

「いろり山賊」の山賊焼きと山賊手打ちうどん
食べ終えて19時15分。ここから山道を2時間かけて広島県安芸太田戸河内の「道の駅来夢とごうち」まで突っ走り、ここをこの世の泊地とする。
道すがらずっとコンビニを探していたが、暗い山道でそのようなものは1軒もなし。酒類を調達できずに困っていたが、なんと道の駅のすぐそばにコンビニがオアシスのように出現! ここで角ハイ缶をゲットし、今日も一日ご苦労さんと一人祝杯を上げて、23時前に就寝。
6月2日の走行距離は378km。
関門自慢の海の幸を中心としたレストランや土産物店が立ち並ぶシーサイドモールなのだが、ああ人だらけ。これまでずっと山岳地帯の無人のくねくね道を走ってきた身とすれば、なんだか人あたりがしそうだ。整備されたボードウォークからは関門海峡が一望できる。見えるは北九州の町並み。じきに行くからな、待ってろよ、九州。

カモンワーフに持っていかれた感じの「赤間本通り商店街」

赤間通りとクロスする唐戸商店街も同様

ババーン! カモンワーフは大盛況

広いウッドデッキがいい。人混みが途切れたところで撮影

北九州が遠望できた
カモンワーフから見えるところにある「唐戸市場」も大盛況で、大きな市場なのだが人があふれて歩けないほど。1貫ごとに売っている寿司に群がる人・人・人。大勢の人の前に裸で置かれている寿司を食べたいとは思わないし、こんな喧騒の中に身を置くのは本旨ではない。
ここは平日に来るべき場所だ。車旅をしていれば下関はまた来る機会があるだろうし。そう判断して早々に撤収することにした。

噂には聞いていたぞ、唐戸市場

おお、市場だ市場だ

寿司に群がる観光客
山口に来たならぜひ食べたいと思っていた「瓦そば」。下関の名物料理で、熱した瓦の上に茶そばと錦糸卵や牛肉などの具材を乗せて、温かいつゆにくぐらせて食べるインパクトある料理だ。
有名店としては豊浦町川棚の「元祖瓦そばたかせ」があるが、その地区を通ったのだけれどもまだ時間的に早いのでスルーしてきてしまった。下関の市内で食べられるところはないかとスマホに尋ねると、その支店「元祖瓦そばたかせゆめシティ店」が近くにあるようなので、そこへ行く。
瓦そばの「一人分」1,188円。独特の境地を創造しており、これはもう普通の蕎麦ではないでしょ。茶そば、トッピングに豚肉、焼いた蕎麦だもの。いや、焼かれてパリパリとした食感が美味しいのだけれど。
一人分だと大きな瓦に対して貧相に見えるのが心配で、二人分を注文しようかとも思ったけれども、料金が2千円を超えるので自重。結果的には一人分でも適度に腹が満たされた。

「元祖瓦そばたかせゆめシティ店」にて、瓦そば一人分
さて、瓦そばを食べたらなんだか急に里心がついてしまった。べつに瓦そばを食べるために旅に出たのではないのだけれど。
ということで、ここからは豊臣秀吉の「中国大返し」ではないが、中国地方を一気に東へととって返そう。ルートは中国山地を西から東へと横に走って、途中から松江に抜けたい。
下関から美祢経由で山口市へ。16時近くになっているので、せっかくだから湯田温泉に浸かっていこう。「かんぽの宿湯田」にて、つるつるする感じのお湯で汗を流し、1時間ほど滞留。
夕食だが、これもぜひ行きたいと思っていた岩国の「いろり山賊」へ。「山奥の不夜城レストラン」と題してNHKの「ドキュメント72時間」が取り上げた店だ。岩国市の山手の上り坂の途中にある食事処で、山賊むすび、山賊焼き、山賊うどんなどがウリなのだそうだ。
ここもまた大混雑で、駐車スペースの確保から難儀する。情報によれば日曜の昼食時間を大きく過ぎた頃合いでも2時間待ちということもあるそうだから、まあこれぐらいは想定内だ。
待ちリストに名を書いてから10分もしないでカウンター席に着座。「外の席でなくてすみませんねえ」と店のおばさん。つまりは屋外席が人気ということなのか。霧雨も降り出したし、こちらは中のほうがよく、問題アリマセン。
ここに来たならコレという山賊焼きに山賊手打ちうどんを合わせて1,415円。山賊焼きは鶏モモにたれを付けて焼いたもので、甘辛いたれが美味だが肉付き自体は特にいいわけではない。山賊うどんは小うどん程度の量だが、牛すじ肉入りでだしがうまい。
店の雰囲気がすごくて抵抗なく食べているけれども、あとで考えてみるとあの山賊焼きが730円+税はどう考えても高い。小うどんで500円以上というのもそうだ。
来た証しとして土産に「いろり山賊せんべい」を購入。そろそろお土産のことも念頭に置かなくてはいけない。

「いろり山賊」の山賊焼きと山賊手打ちうどん
食べ終えて19時15分。ここから山道を2時間かけて広島県安芸太田戸河内の「道の駅来夢とごうち」まで突っ走り、ここをこの世の泊地とする。
道すがらずっとコンビニを探していたが、暗い山道でそのようなものは1軒もなし。酒類を調達できずに困っていたが、なんと道の駅のすぐそばにコンビニがオアシスのように出現! ここで角ハイ缶をゲットし、今日も一日ご苦労さんと一人祝杯を上げて、23時前に就寝。
6月2日の走行距離は378km。