2020.01.04
九州旅201910 72 垂水~鹿屋~錦江~南大隅
これでようやく桜島を脱して灰かぐらから逃れ(笑)、垂水市にある映画のワンシーンのようだという「たるみず千本イチョウ」を見に行く。第1回目の「鹿児島景観大賞」を受賞したという。
ナビがまたもや変な場所に連れて行くので難儀したもののなんとかたどり着く。しかし、11月下旬から12月上旬が見頃だというイチョウはまだ色づいていず不発に終わる。高いところから垂水の田園風景を眺めたにとどまった。

イチョウは不発。垂水の田園風景を眺める
鹿屋に進んで、「荒平神社」。
海に突きでた島のような岩山上に神社が建てられている、風光明媚なところだ。もう15時近くになってしまっている。

荒平神社
「鹿屋航空基地史料館」。
自衛隊鹿屋駐屯地の内部にあり、史料館前庭の「飛行機公園」にはやや旧式だといううらみがあるものの、軍用ヘリや対潜哨戒機、魚雷砲弾などがずらりと陳列されていて、まずはこれらに圧倒される。頭上では現役のヘリの練習機が頻繁に飛んでいる。
建物内部では、いかにも自衛官上がりという紳士がお出迎え。旭川の「北鎮資料館」でもそうだったが、自衛隊直営の展示館には今でも旧日本軍の雰囲気が漂っている。好きなのだ、こういうの。
旧日本海軍創設期から第2次世界大戦までの資料が展示され、特攻隊員の遺書、遺品などもあり、隊員たちが復元したという零戦も。海軍の名君として東郷平八郎や山本五十六はもちろんだが、彼らに交じって沖縄戦で海軍司令部を背負って立った太田實が加わっていたのがうれしかった。面白いのでつい長居をしてしまい、16時10分まで。

鹿屋航空基地史料館

敷地内には昭和時代に活躍した自衛隊機がいくつも並んでいる

ここでも展示のメインは復元した零戦だった
史料館に並んで建つ「鹿屋市観光物産総合センター」のレストランでは「鹿屋海軍航空カレー」を食べたかったのだが、この時間ではやっていず。

「鹿屋市観光物産総合センター」。ここで「鹿屋海軍航空カレー」を食べたかったのだが
鹿屋では「鹿屋市鉄道記念館」にも寄ってみた。
旧国鉄大隈線の歴史を示す展示品等があるというのだが、北海道の各地で見てきたものとは陳列のレベルが違い、ここも不発だっただろうか。

「鹿屋市鉄道記念館」は陳列がプアで不発
錦江町に至って、「神川大滝」。
山道を分け入って、神ノ川に架かる「神の川虹のつりはし大滝橋」の上から滝を見る。幅30m、高さ25mと雄大だ。ああもう。そうこうするうちに17時。もう暗くなってきた。

神川大滝
17時18分には、たまたまその時間に通りかかった「城元(きもと)展望所」から落陽を眺める。

「城元展望所」から眺めた落陽。今回の車旅では夕陽を眺める機会がとても多い
そうなればもう手遅れだろうと思いつつ、南大隅町にあり、滝壺の水がきれいなエメラルドグリーンだという「雄川の滝」も見に行く。
ここもまた山奥かつ細道のためかなり難儀して駐車場まで進んだのだが、そこからさらに遊歩道を上っていかなければならないのだった。それは無理でしょ、もう暗くなっているもの。
さあ、今日も上がりだ。最寄りの入浴施設は「ねじめ温泉ネッピー館」しかない。月曜休みで祝日なら翌火曜休だというのでぎくりとしたが、それは第2月曜だけのようで、第1のこの日は大丈夫だったのでほっとした。
円形の大浴槽は広くて深めでいい塩梅で、体の隅々まで入り込んだ細かい火山灰が流されていくようだ。石鹸・シャンプー類は置いていず、これで2日連続で使わないことになるが、皮膚科の医者からあまり体を洗い過ぎるなと言われているので気にしない。むしろ脚の痒さは日々収まってきている。
この風呂で330円は安い。コスパはこの旅で随一かもしれない。

ねじめ温泉ネッピー館
ステイは、これもこの地域では唯一となる「道の駅根占」にて。
夜だとよく認識できずに通り過ぎてしまうほどの小さな道の駅だ。道路沿いに小さな駐車場があり、売店や道路情報が得られる建屋は少し高いところにあって、トイレはさらにスロープを上って行かなければならないうら寂しいところにつくられている。
下の駐車場よりも少し高いところに舗装なしの空き地があったのでそこに車を停め、対岸の薩摩半島のかすかな灯りを眺めながら、缶チューハイをごくり。350ml2本でけっこう酔ってしまう。
明日も元気に走るため、21時半には就寝とする。
11月5日の走行距離は251km。
ナビがまたもや変な場所に連れて行くので難儀したもののなんとかたどり着く。しかし、11月下旬から12月上旬が見頃だというイチョウはまだ色づいていず不発に終わる。高いところから垂水の田園風景を眺めたにとどまった。

イチョウは不発。垂水の田園風景を眺める
鹿屋に進んで、「荒平神社」。
海に突きでた島のような岩山上に神社が建てられている、風光明媚なところだ。もう15時近くになってしまっている。

荒平神社
「鹿屋航空基地史料館」。
自衛隊鹿屋駐屯地の内部にあり、史料館前庭の「飛行機公園」にはやや旧式だといううらみがあるものの、軍用ヘリや対潜哨戒機、魚雷砲弾などがずらりと陳列されていて、まずはこれらに圧倒される。頭上では現役のヘリの練習機が頻繁に飛んでいる。
建物内部では、いかにも自衛官上がりという紳士がお出迎え。旭川の「北鎮資料館」でもそうだったが、自衛隊直営の展示館には今でも旧日本軍の雰囲気が漂っている。好きなのだ、こういうの。
旧日本海軍創設期から第2次世界大戦までの資料が展示され、特攻隊員の遺書、遺品などもあり、隊員たちが復元したという零戦も。海軍の名君として東郷平八郎や山本五十六はもちろんだが、彼らに交じって沖縄戦で海軍司令部を背負って立った太田實が加わっていたのがうれしかった。面白いのでつい長居をしてしまい、16時10分まで。

鹿屋航空基地史料館

敷地内には昭和時代に活躍した自衛隊機がいくつも並んでいる

ここでも展示のメインは復元した零戦だった
史料館に並んで建つ「鹿屋市観光物産総合センター」のレストランでは「鹿屋海軍航空カレー」を食べたかったのだが、この時間ではやっていず。

「鹿屋市観光物産総合センター」。ここで「鹿屋海軍航空カレー」を食べたかったのだが
鹿屋では「鹿屋市鉄道記念館」にも寄ってみた。
旧国鉄大隈線の歴史を示す展示品等があるというのだが、北海道の各地で見てきたものとは陳列のレベルが違い、ここも不発だっただろうか。

「鹿屋市鉄道記念館」は陳列がプアで不発
錦江町に至って、「神川大滝」。
山道を分け入って、神ノ川に架かる「神の川虹のつりはし大滝橋」の上から滝を見る。幅30m、高さ25mと雄大だ。ああもう。そうこうするうちに17時。もう暗くなってきた。

神川大滝
17時18分には、たまたまその時間に通りかかった「城元(きもと)展望所」から落陽を眺める。

「城元展望所」から眺めた落陽。今回の車旅では夕陽を眺める機会がとても多い
そうなればもう手遅れだろうと思いつつ、南大隅町にあり、滝壺の水がきれいなエメラルドグリーンだという「雄川の滝」も見に行く。
ここもまた山奥かつ細道のためかなり難儀して駐車場まで進んだのだが、そこからさらに遊歩道を上っていかなければならないのだった。それは無理でしょ、もう暗くなっているもの。
さあ、今日も上がりだ。最寄りの入浴施設は「ねじめ温泉ネッピー館」しかない。月曜休みで祝日なら翌火曜休だというのでぎくりとしたが、それは第2月曜だけのようで、第1のこの日は大丈夫だったのでほっとした。
円形の大浴槽は広くて深めでいい塩梅で、体の隅々まで入り込んだ細かい火山灰が流されていくようだ。石鹸・シャンプー類は置いていず、これで2日連続で使わないことになるが、皮膚科の医者からあまり体を洗い過ぎるなと言われているので気にしない。むしろ脚の痒さは日々収まってきている。
この風呂で330円は安い。コスパはこの旅で随一かもしれない。

ねじめ温泉ネッピー館
ステイは、これもこの地域では唯一となる「道の駅根占」にて。
夜だとよく認識できずに通り過ぎてしまうほどの小さな道の駅だ。道路沿いに小さな駐車場があり、売店や道路情報が得られる建屋は少し高いところにあって、トイレはさらにスロープを上って行かなければならないうら寂しいところにつくられている。
下の駐車場よりも少し高いところに舗装なしの空き地があったのでそこに車を停め、対岸の薩摩半島のかすかな灯りを眺めながら、缶チューハイをごくり。350ml2本でけっこう酔ってしまう。
明日も元気に走るため、21時半には就寝とする。
11月5日の走行距離は251km。
2020.01.05
沖縄ステイ 20200104土
ウィークリーマンションで迎える初めての朝。外はまだ暗いが、何時かなと思って時計を見ると6時50分。ゆっくり眠ったな。
東浜のさらに東方の海がようやく明らんできたいわゆる「あけもどろ」の時間帯。沖縄の夜明けだ。「明け」+「もどろ」。谷川健一によれば「もどろ」は本土でつかう「しどろもどろ」の「もどろ」で、まだぼんやりしている状態を表す語だという。昔々の沖縄では、太陽はこの先にある「太陽(てぃだ)の穴」から上がってくると思われていた。神様の住まう「ニライカナイ」もこの東方海上のずっとむこうにあることになっている。
7時25分にはようやく南城市の山手から朝日が昇ってきた。

(部屋の窓から見えた沖縄の「あけもどろ」)
これがやりたいと思っていた、トーストチンにマーガリンを塗って食べるゆっくりとしたコーヒータイム。備品のトースターの調子も上々だ。
テレビのニュースを見、パソコンをしながらそれをやるのは、大きくない1LDKでの一人の朝だからできることだ。持参した保温性の高い大きめのマグカップで飲むコーヒーが香る。こんがりきつね色のトーストにはマーガリンがすごく合うが、いちごジャムでもイケそうだ。
朝の時間を部屋でまったりと過ごす。旅でやってきたのであればこうのんびりとしているわけにはいかないが、ステイであり、しかもその第1回目の朝であれば、こういう過ごし方もいいのではないか。
9時過ぎ、出発。まずは今月初旬から観られる組踊等のチケットを買いに、浦添勢理客(うらそえじっちゃく)の「国立劇場おきなわ」へ。10時の開館だったので少し待って、開場と同時にチケットカウンターで6つのチケットを買う。それらは、①今日の新春組踊大公演の「執心鐘入」と「花売の縁」、②明日の新春組踊大公演の「護佐丸敵討」と「万歳敵討」、③1月10日の劇団綾船「冬の夜雨」(かりゆし芸能公演)、④1月11日の「琉球舞踊公演 春夏秋冬を舞う」、⑤1月18日の組踊パロディ「企画公演 ゆらてぃく遊ば」、⑥2月22日の「組踊公演「伏山敵討」(ふしやまてきうち)」。合計16,500円だが、今日の分も含めて全部前売りの金額で買えたし、2月の公演は早割なのかさらに500円安く買えたので、よしとしておこう。

(2か月間の相棒となるレンタカーはマツダのフレアだ)
その後、部屋にいながらラジオで沖縄民謡を聴くのもいいかなと思い、ここでは中古品を安く売っていないかと「ハードオフ宜野湾はにんす店」まで足をのばしてみる。しかし、ラジオなどという安物はほとんど置いていないのだった。ではいずれ電気店で買うことにするかどうか、よく考えてみよう。価格によるのだろうな。
一度与那原に戻って、冷たい酒類と今夜のあっさりしたご飯に使う明太子を買って冷蔵庫に入れ、持参した米を2合研いで炊飯の予約をセットし、13時、再度国立劇場へと向かう。
今日の昼メシはしばらく食べていなかった沖縄そばをぜひとも食べたかったので、途中、南風原町大名の道沿いにあった「中村商店」という沖縄そば屋に飛び込んで、ゆしどうふそば(小)650円を腹に入れる。
見た目シンプル過ぎてパッとしないけれども、これは写真を撮るときに紅生姜を添えるのを忘れたことが大きく影響している。ゆしどうふの量が少ないのが不満だが、香り高い鰹風味のダシは天下一品だ。沖縄そばのいいところはこれだよな。
あまり時間の余裕がなく急いで食べたので、その後に汗がドバッと出て大変だった。車にタオルを1本入れておかなければいけない。

(「中村商店」のゆしどうふそば)
「国立劇場おきなわ」には、14時開演の10分前に到着。沖縄の地域間の移動時間の読みなり距離感はある程度身に付いている。
今日の「新春組踊大公演」は、組踊の祖といわれる玉城朝薫の五番の中でも必ず最初に名の上がる「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」と、戦後すぐのクリスマスに捕虜収容所でも演じられたという高宮城親雲上(たかみやぐすくペーチン)作の「花売の縁(はなういぬいん)」の2本が続けて見られるという豪華版だ。
特に「執心鐘入」については、書籍等で紹介されているのを何度も読んだりしているが、実際に観るのは沖縄通い27年目にして初めてとなる。1719年に首里城で初演されてから300年。実はつい最近、この「執心鐘入」について島尾敏雄が学生向けにわかりやすく講義したのを読んだばかりだったので、見どころやあらすじがよくわかって観られたのがよかった。
「執心鐘入」では、中城若松役の佐辺良和と宿の女役の新垣悟がよかった。「花売の縁」では、乙樽役の大湾三瑠と森川の子役の島袋光尋。猿引の猿役をやった糸数彰馬はまだ5歳ぐらいだったのではないか。
終演16時15分。明日の敵討ちもの2本も楽しみだ。
那覇名物の渋滞にはまりつつ17時までには帰宅して、ここまでのドキュメントを書いて、18時半からは部屋飲みを始める。島豆腐の冷奴とダイソーで買った焼き干し芋。暖かいのでシャツ1枚になって寛ぐ。寒い北国ではいかに暖冬だとはいってもこうはいかない。今日は外では長袖シャツだけで十分で、半袖シャツ姿で歩く人もけっこういた。
〆は炊き立てごはんに明太子を載せ、海苔でくるりと巻いて食べる。もう最高。こういうものがまずいはずがない。備品の炊飯器のごはんの炊け方もいい。ここまででは備品を含めたアメニティについて、不足感はない。

(部屋の様子はこんな感じ)

(もう1枚)
21時半までには飲みと食事を終え、軽くシャワー。あとは本を読んだりして、22時半頃には就寝。
東浜のさらに東方の海がようやく明らんできたいわゆる「あけもどろ」の時間帯。沖縄の夜明けだ。「明け」+「もどろ」。谷川健一によれば「もどろ」は本土でつかう「しどろもどろ」の「もどろ」で、まだぼんやりしている状態を表す語だという。昔々の沖縄では、太陽はこの先にある「太陽(てぃだ)の穴」から上がってくると思われていた。神様の住まう「ニライカナイ」もこの東方海上のずっとむこうにあることになっている。
7時25分にはようやく南城市の山手から朝日が昇ってきた。

(部屋の窓から見えた沖縄の「あけもどろ」)
これがやりたいと思っていた、トーストチンにマーガリンを塗って食べるゆっくりとしたコーヒータイム。備品のトースターの調子も上々だ。
テレビのニュースを見、パソコンをしながらそれをやるのは、大きくない1LDKでの一人の朝だからできることだ。持参した保温性の高い大きめのマグカップで飲むコーヒーが香る。こんがりきつね色のトーストにはマーガリンがすごく合うが、いちごジャムでもイケそうだ。
朝の時間を部屋でまったりと過ごす。旅でやってきたのであればこうのんびりとしているわけにはいかないが、ステイであり、しかもその第1回目の朝であれば、こういう過ごし方もいいのではないか。
9時過ぎ、出発。まずは今月初旬から観られる組踊等のチケットを買いに、浦添勢理客(うらそえじっちゃく)の「国立劇場おきなわ」へ。10時の開館だったので少し待って、開場と同時にチケットカウンターで6つのチケットを買う。それらは、①今日の新春組踊大公演の「執心鐘入」と「花売の縁」、②明日の新春組踊大公演の「護佐丸敵討」と「万歳敵討」、③1月10日の劇団綾船「冬の夜雨」(かりゆし芸能公演)、④1月11日の「琉球舞踊公演 春夏秋冬を舞う」、⑤1月18日の組踊パロディ「企画公演 ゆらてぃく遊ば」、⑥2月22日の「組踊公演「伏山敵討」(ふしやまてきうち)」。合計16,500円だが、今日の分も含めて全部前売りの金額で買えたし、2月の公演は早割なのかさらに500円安く買えたので、よしとしておこう。

(2か月間の相棒となるレンタカーはマツダのフレアだ)
その後、部屋にいながらラジオで沖縄民謡を聴くのもいいかなと思い、ここでは中古品を安く売っていないかと「ハードオフ宜野湾はにんす店」まで足をのばしてみる。しかし、ラジオなどという安物はほとんど置いていないのだった。ではいずれ電気店で買うことにするかどうか、よく考えてみよう。価格によるのだろうな。
一度与那原に戻って、冷たい酒類と今夜のあっさりしたご飯に使う明太子を買って冷蔵庫に入れ、持参した米を2合研いで炊飯の予約をセットし、13時、再度国立劇場へと向かう。
今日の昼メシはしばらく食べていなかった沖縄そばをぜひとも食べたかったので、途中、南風原町大名の道沿いにあった「中村商店」という沖縄そば屋に飛び込んで、ゆしどうふそば(小)650円を腹に入れる。
見た目シンプル過ぎてパッとしないけれども、これは写真を撮るときに紅生姜を添えるのを忘れたことが大きく影響している。ゆしどうふの量が少ないのが不満だが、香り高い鰹風味のダシは天下一品だ。沖縄そばのいいところはこれだよな。
あまり時間の余裕がなく急いで食べたので、その後に汗がドバッと出て大変だった。車にタオルを1本入れておかなければいけない。

(「中村商店」のゆしどうふそば)
「国立劇場おきなわ」には、14時開演の10分前に到着。沖縄の地域間の移動時間の読みなり距離感はある程度身に付いている。
今日の「新春組踊大公演」は、組踊の祖といわれる玉城朝薫の五番の中でも必ず最初に名の上がる「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」と、戦後すぐのクリスマスに捕虜収容所でも演じられたという高宮城親雲上(たかみやぐすくペーチン)作の「花売の縁(はなういぬいん)」の2本が続けて見られるという豪華版だ。
特に「執心鐘入」については、書籍等で紹介されているのを何度も読んだりしているが、実際に観るのは沖縄通い27年目にして初めてとなる。1719年に首里城で初演されてから300年。実はつい最近、この「執心鐘入」について島尾敏雄が学生向けにわかりやすく講義したのを読んだばかりだったので、見どころやあらすじがよくわかって観られたのがよかった。
「執心鐘入」では、中城若松役の佐辺良和と宿の女役の新垣悟がよかった。「花売の縁」では、乙樽役の大湾三瑠と森川の子役の島袋光尋。猿引の猿役をやった糸数彰馬はまだ5歳ぐらいだったのではないか。
終演16時15分。明日の敵討ちもの2本も楽しみだ。
那覇名物の渋滞にはまりつつ17時までには帰宅して、ここまでのドキュメントを書いて、18時半からは部屋飲みを始める。島豆腐の冷奴とダイソーで買った焼き干し芋。暖かいのでシャツ1枚になって寛ぐ。寒い北国ではいかに暖冬だとはいってもこうはいかない。今日は外では長袖シャツだけで十分で、半袖シャツ姿で歩く人もけっこういた。
〆は炊き立てごはんに明太子を載せ、海苔でくるりと巻いて食べる。もう最高。こういうものがまずいはずがない。備品の炊飯器のごはんの炊け方もいい。ここまででは備品を含めたアメニティについて、不足感はない。

(部屋の様子はこんな感じ)

(もう1枚)
21時半までには飲みと食事を終え、軽くシャワー。あとは本を読んだりして、22時半頃には就寝。
2020.01.05
九州旅201910 73 南大隅
2019年11月6日(水)。
4時45分起床。起きる時間がだんだん早くなっている。というのも、明るくなったらすぐに行動しないとあっという間に日が暮れてしまうからなのだ。日没は17時半前ぐらいになっている。暗くなってからは車の運転も楽しくないし、眼も疲れる。
砂利敷きの駐車場を使ったのは自分だけだったようで、耳栓いらずの極めて静かな夜だった。
トイレから車に戻ろうとすると、眼前にはぎらぎらと輝く星空。オリオン座が嘘のようにはっきりと見える。こんなにすごい星空を見たのは久しぶりだ。
この日は夜明け前にスタートして本土最南端の佐多岬を攻め、そこで朝焼けを迎えようという考えだ。その後は肝付、志布志を通って宮崎県の串間、日南、宮崎市へと進んでいく。5時20分発。暗すぎて、ステイした「道の駅根占」は暗すぎて撮影できずに終わる。
暗い中を走って、朝6時のチャイムが鳴るのと同時に、2018年1月に完成したという「佐多岬展望公園」に着く。
駐車場の手前にあった「北緯31度線展望広場」や公園駐車場から見る景色を撮ってみるが、光量が足りずうまく撮れない。でははじめに遊歩道を歩いて「佐多岬灯台」を目指そう。
と、歩き始めて、長い歩道トンネルを抜け、台風で一部破損した遊歩道を進んでいくが、展望台や灯台はまだまだ遠くの山の上。これはやめておいたほうが無難だな。「御崎神社」まで行って、そこから戻ることにする。

6時過ぎの「佐多岬展望公園」。まだ写真撮影には不適だ

遊歩道を進むが、展望台や灯台は遠く暗い。これはやめておいたほうが得策だ
駐車場に戻った6時半頃にはようやく写真もいい感じで取れるようになり、風景などを撮る。駐車場にあった大きなガジュマルの樹も印象的だった。
暗い中を40分もかけてくる価値があったのかどうかは正直疑問だが、まあ、先っちょは省略しないでちゃんと攻めていますよ、ということだろうか。

「佐多岬展望公園」のまだ新しい売店

園地の真ん中には大きなガジュマルの樹があった。ここは南国なのだな

6時半にはこういう写真が撮れるようになった

「北緯31度線展望広場」も忘れずに撮る
佐多岬から60kmを1時間20分ほど走って、知る人ぞ知る穴場スポットだという肝付町の「辺塚(へつか)海岸」へ。
穴場というだけあって、船間(ふなま)地区から国道を離れて細道をさらに5kmぐらい進み、浜辺へと向かう狭い小径をのろのろ進んでようやく到着。ここまで来る旅の者は少ないにちがいない。
浜の手前から見る景色は絶品で、朝日を浴びて美しい。砂浜自体は本土の火山性土質なので沖縄などの離島のような白いものではないものの、この感動は奄美加計呂麻島の諸鈍湾を初めて訪れたときのそれとよく似ている。

絶品だった「辺塚海岸」
さらに進んでいくと、走っている幹線から脇道にそれることなく「岸良(きしら)海岸」が見えたので、遠望しておく。こちらは展望所もあって、辺塚海岸よりもずっとメジャーな印象だ。

「岸良海岸」も贅沢ないい眺めだ
4時45分起床。起きる時間がだんだん早くなっている。というのも、明るくなったらすぐに行動しないとあっという間に日が暮れてしまうからなのだ。日没は17時半前ぐらいになっている。暗くなってからは車の運転も楽しくないし、眼も疲れる。
砂利敷きの駐車場を使ったのは自分だけだったようで、耳栓いらずの極めて静かな夜だった。
トイレから車に戻ろうとすると、眼前にはぎらぎらと輝く星空。オリオン座が嘘のようにはっきりと見える。こんなにすごい星空を見たのは久しぶりだ。
この日は夜明け前にスタートして本土最南端の佐多岬を攻め、そこで朝焼けを迎えようという考えだ。その後は肝付、志布志を通って宮崎県の串間、日南、宮崎市へと進んでいく。5時20分発。暗すぎて、ステイした「道の駅根占」は暗すぎて撮影できずに終わる。
暗い中を走って、朝6時のチャイムが鳴るのと同時に、2018年1月に完成したという「佐多岬展望公園」に着く。
駐車場の手前にあった「北緯31度線展望広場」や公園駐車場から見る景色を撮ってみるが、光量が足りずうまく撮れない。でははじめに遊歩道を歩いて「佐多岬灯台」を目指そう。
と、歩き始めて、長い歩道トンネルを抜け、台風で一部破損した遊歩道を進んでいくが、展望台や灯台はまだまだ遠くの山の上。これはやめておいたほうが無難だな。「御崎神社」まで行って、そこから戻ることにする。

6時過ぎの「佐多岬展望公園」。まだ写真撮影には不適だ

遊歩道を進むが、展望台や灯台は遠く暗い。これはやめておいたほうが得策だ
駐車場に戻った6時半頃にはようやく写真もいい感じで取れるようになり、風景などを撮る。駐車場にあった大きなガジュマルの樹も印象的だった。
暗い中を40分もかけてくる価値があったのかどうかは正直疑問だが、まあ、先っちょは省略しないでちゃんと攻めていますよ、ということだろうか。

「佐多岬展望公園」のまだ新しい売店

園地の真ん中には大きなガジュマルの樹があった。ここは南国なのだな

6時半にはこういう写真が撮れるようになった

「北緯31度線展望広場」も忘れずに撮る
佐多岬から60kmを1時間20分ほど走って、知る人ぞ知る穴場スポットだという肝付町の「辺塚(へつか)海岸」へ。
穴場というだけあって、船間(ふなま)地区から国道を離れて細道をさらに5kmぐらい進み、浜辺へと向かう狭い小径をのろのろ進んでようやく到着。ここまで来る旅の者は少ないにちがいない。
浜の手前から見る景色は絶品で、朝日を浴びて美しい。砂浜自体は本土の火山性土質なので沖縄などの離島のような白いものではないものの、この感動は奄美加計呂麻島の諸鈍湾を初めて訪れたときのそれとよく似ている。

絶品だった「辺塚海岸」
さらに進んでいくと、走っている幹線から脇道にそれることなく「岸良(きしら)海岸」が見えたので、遠望しておく。こちらは展望所もあって、辺塚海岸よりもずっとメジャーな印象だ。

「岸良海岸」も贅沢ないい眺めだ
2020.01.06
沖縄ステイ20200105日
6時15分に起きるが、まだ真っ暗。目が覚めるのでしょうがないが、日の出の遅い沖縄ではここまで早く起きることはないようだ。昨日の朝を思い出せば、7時ぐらいに起きるのが妥当だろう。それならば、夜はもう少し夜更かししてもいいのかもしれない。
夜中はエアコンの暖房を点けたまま眠っているが、24度設定で点いたり止まったりしている。薄着に布団1枚で眠って、これでちょうどいい感じだ。暖かいことはそれだけで幸せにつながるものだ。
今朝も、マーガリントースト2枚に熱いコーヒー。申し分なし。極めて熱く、下唇を火傷してしまった。7時20分ぐらいには外が明るくなってくる。
昨日分の沖縄ステイのテキストに写真を付けてブログ記事としてアップロードし、天気もいいので8時前から小1時間ほど、マンション近くを散歩する。
「与那原マリーナ」を右手に見て進み、「A&Wマリンタウン東浜店」は8時からの開店で準備中。「与那古浜公園通り」と「ゆめなり橋通り」の交差点には大型ビジョンが設置されている。18時までに入店すればにぎりと刺し盛り半額(!)になる大衆居酒屋、ステイ先の候補のひとつに挙げていたマンションなどを眺めて、「東浜野球場」の入り口にある「兄弟小(ちょーでーぐゎー)節の碑」を見る。前川朝昭作詞、屋良朝久作曲の、ウチナーンチュの心情を表わした名曲だ。2005年1月、前川本流一門会の建立で、これは2008年2月に一度見ている。あとはニュータウンらしいいい家並みを見ながら戻り足に。
2008年に寄ったときは造成したばかりだった「与那古浜公園」。公園の一角で寒風吹きすさぶ中、小浜司、新垣小百合、赤瓦ちょーびんらと弁当を食べたのだったが、今朝は長袖シャツ1枚を腕まくりして歩いていてもまったく寒くはない。公園内にジョギング用と思われるトラックを造成中で、この1月末には完成するようだ。

(朝日が射すA&Wマリンタウン東浜店)

(メイン交差点には大型ビジョンがあった)

(兄弟小節の碑)

(沖縄の高級住宅街?)

(与那古浜公園)
11時に再度部屋を出て、ナビがピンポイントで行き先を示せず周辺のいい加減なところに連れていくのでかなり迷いながら、まずは昼食処へ。
南風原町新川の「ちらー小(ぐゎー)」でてびち煮付け定食(小)800円を食べる。沖縄の家庭料理で何が一番好きかと問われれば、「煮付け」と答えるぐらいに好きな一品。かつての沖縄大衆食堂では定食は大の男でも食べきれないほどに大盛りなのが当たり前だったが、ここの場合は「小」でもあるためかそれほどでもなく、この年齢でも平易に食べることができた。量はそんな感じだが、味はまちがいなし。てびちの骨をしゃぶり尽くして満足がいく。人気店のようで、昼どきになるにつれて順番待ちの行列ができていた。いい店に出会ったと思う。

(「ちらー小」のてびち煮付け定食(小)。紅生姜は後付けです)
その後、南風原のイオンタウンに寄って、買い物をする。タウン内の「ベスト電器イオン南風原店」で交流電源付きのAM・FMラジオが3千円チョイで出ていたので、持参のJCB商品券を使ってゲットする。20年も前に誰かからもらって塩漬けになっていた商品券なので、ほぼタダで買ったような気になる。
ほかに、牛革製だという幅が広めのベルトを660円で買う。今使っている愛用のベルトがやや長めなので動いているとボトムスがずり下がる傾向にある。しかしそれを短く切ってしまう気にはなれず、ダメもとでもう1本ということで。あとはスキンローションがなかったのでひとつ。

(南風原のイオンタウンで買ったものたち)
13時45分に「国立劇場おきなわ」に着き、今日も「新春組踊大公演」を見る。
舞踊「かぎやで風」(かじゃでふうと読む)に続いて、組踊「護佐丸敵討」と「万歳敵討」の2本だ。
「護佐丸敵討」は、玉城朝薫作の別名「二童敵討」のことで、第一尚氏王統時代の話。名君の護佐丸(ごさまる)を殺害した阿麻和利(あまわり)を、護佐丸の遺児の鶴松と亀千代が討つというつくりになっている。
この組踊ではもっぱらの悪役となっている阿麻和利を演じるのは、昨日も「森川の子」役でメインを張った島袋光尋。連日がんばるなあ。
「万歳敵討」は、1756年、田里朝直の作で、玉城朝薫の五番にはみられない口説(くどぅち)形式の音楽を使ったり、当時の旅芸人が演じていた万歳を登場させるなどの新しい面がある。節をつけて歌うように唱える「つらね」が数か所しかなく、今でいう「せりふ」が多用されているのも面白い。転用されて舞踊でもよく踊られるようになった「高平良万歳(たかでーらまんざい)」を組踊の流れの中で見ることができたのも僥倖だった。
仇討ち役の「謝名の子」を演じた金城真次については、もう20年以上前に「沖縄三線入門Ⅰ」というCDで彼の幼い歌声に触れたことがあるが、今は組踊の立方(たちかた)として堂々としたものだ。高平良御鎖(うざし)役は、琉球芸能史に大きな足跡を残した玉城盛義の名籍を襲名した二代目玉城盛義で、彼は2011年までは大田守邦といっていた役者だ。
本日も16時終演。いやぁ、いいものを見せてもらった。
帰宅途中には今日もかねひでに寄って食料を調達する。
今夜のアテは、まぐろの刺身とパック入りのサラダにして、飲み終えたあとは明太子ごはんで〆るという作戦にする。ほかに、青じそドレッシング、おろしわさび、卓上コショウ、冷凍のえだまめなども買って、1,300円ほど。
17時に帰宅するが、外はまたまだ明るい。山形だったらとっくに暗くなっているはずだ。沖縄はずっとずっと西に位置していることがよくわかる。
今日のログ付けがあらかた終わり、撮ってきた写真を加工して、ラジオをセットする。ラジオは我慢できる範囲の音だし、チューニングした民放からはBEGINの「三線の花」が流れてきた。
シャワーを終えて19時。よーし、それでは飲み方開始だな。泡盛残波の黒、通称ザンクロを水で割り、大ぶりのグラスで2杯飲む。
21時までには出来上がり、その後はラジオの民謡番組やテレビのニュースをチェックし、読書を少しして減速態勢に入る。この土日は公演を見たが、明日の月曜日からの平日はそれもなく、少しは生活が落ち着いていくことだろう。
22時台には寝室に移動し、しばらく本を読んで、眠くなった段階でそのまま寝る。
夜中はエアコンの暖房を点けたまま眠っているが、24度設定で点いたり止まったりしている。薄着に布団1枚で眠って、これでちょうどいい感じだ。暖かいことはそれだけで幸せにつながるものだ。
今朝も、マーガリントースト2枚に熱いコーヒー。申し分なし。極めて熱く、下唇を火傷してしまった。7時20分ぐらいには外が明るくなってくる。
昨日分の沖縄ステイのテキストに写真を付けてブログ記事としてアップロードし、天気もいいので8時前から小1時間ほど、マンション近くを散歩する。
「与那原マリーナ」を右手に見て進み、「A&Wマリンタウン東浜店」は8時からの開店で準備中。「与那古浜公園通り」と「ゆめなり橋通り」の交差点には大型ビジョンが設置されている。18時までに入店すればにぎりと刺し盛り半額(!)になる大衆居酒屋、ステイ先の候補のひとつに挙げていたマンションなどを眺めて、「東浜野球場」の入り口にある「兄弟小(ちょーでーぐゎー)節の碑」を見る。前川朝昭作詞、屋良朝久作曲の、ウチナーンチュの心情を表わした名曲だ。2005年1月、前川本流一門会の建立で、これは2008年2月に一度見ている。あとはニュータウンらしいいい家並みを見ながら戻り足に。
2008年に寄ったときは造成したばかりだった「与那古浜公園」。公園の一角で寒風吹きすさぶ中、小浜司、新垣小百合、赤瓦ちょーびんらと弁当を食べたのだったが、今朝は長袖シャツ1枚を腕まくりして歩いていてもまったく寒くはない。公園内にジョギング用と思われるトラックを造成中で、この1月末には完成するようだ。

(朝日が射すA&Wマリンタウン東浜店)

(メイン交差点には大型ビジョンがあった)

(兄弟小節の碑)

(沖縄の高級住宅街?)

(与那古浜公園)
11時に再度部屋を出て、ナビがピンポイントで行き先を示せず周辺のいい加減なところに連れていくのでかなり迷いながら、まずは昼食処へ。
南風原町新川の「ちらー小(ぐゎー)」でてびち煮付け定食(小)800円を食べる。沖縄の家庭料理で何が一番好きかと問われれば、「煮付け」と答えるぐらいに好きな一品。かつての沖縄大衆食堂では定食は大の男でも食べきれないほどに大盛りなのが当たり前だったが、ここの場合は「小」でもあるためかそれほどでもなく、この年齢でも平易に食べることができた。量はそんな感じだが、味はまちがいなし。てびちの骨をしゃぶり尽くして満足がいく。人気店のようで、昼どきになるにつれて順番待ちの行列ができていた。いい店に出会ったと思う。

(「ちらー小」のてびち煮付け定食(小)。紅生姜は後付けです)
その後、南風原のイオンタウンに寄って、買い物をする。タウン内の「ベスト電器イオン南風原店」で交流電源付きのAM・FMラジオが3千円チョイで出ていたので、持参のJCB商品券を使ってゲットする。20年も前に誰かからもらって塩漬けになっていた商品券なので、ほぼタダで買ったような気になる。
ほかに、牛革製だという幅が広めのベルトを660円で買う。今使っている愛用のベルトがやや長めなので動いているとボトムスがずり下がる傾向にある。しかしそれを短く切ってしまう気にはなれず、ダメもとでもう1本ということで。あとはスキンローションがなかったのでひとつ。

(南風原のイオンタウンで買ったものたち)
13時45分に「国立劇場おきなわ」に着き、今日も「新春組踊大公演」を見る。
舞踊「かぎやで風」(かじゃでふうと読む)に続いて、組踊「護佐丸敵討」と「万歳敵討」の2本だ。
「護佐丸敵討」は、玉城朝薫作の別名「二童敵討」のことで、第一尚氏王統時代の話。名君の護佐丸(ごさまる)を殺害した阿麻和利(あまわり)を、護佐丸の遺児の鶴松と亀千代が討つというつくりになっている。
この組踊ではもっぱらの悪役となっている阿麻和利を演じるのは、昨日も「森川の子」役でメインを張った島袋光尋。連日がんばるなあ。
「万歳敵討」は、1756年、田里朝直の作で、玉城朝薫の五番にはみられない口説(くどぅち)形式の音楽を使ったり、当時の旅芸人が演じていた万歳を登場させるなどの新しい面がある。節をつけて歌うように唱える「つらね」が数か所しかなく、今でいう「せりふ」が多用されているのも面白い。転用されて舞踊でもよく踊られるようになった「高平良万歳(たかでーらまんざい)」を組踊の流れの中で見ることができたのも僥倖だった。
仇討ち役の「謝名の子」を演じた金城真次については、もう20年以上前に「沖縄三線入門Ⅰ」というCDで彼の幼い歌声に触れたことがあるが、今は組踊の立方(たちかた)として堂々としたものだ。高平良御鎖(うざし)役は、琉球芸能史に大きな足跡を残した玉城盛義の名籍を襲名した二代目玉城盛義で、彼は2011年までは大田守邦といっていた役者だ。
本日も16時終演。いやぁ、いいものを見せてもらった。
帰宅途中には今日もかねひでに寄って食料を調達する。
今夜のアテは、まぐろの刺身とパック入りのサラダにして、飲み終えたあとは明太子ごはんで〆るという作戦にする。ほかに、青じそドレッシング、おろしわさび、卓上コショウ、冷凍のえだまめなども買って、1,300円ほど。
17時に帰宅するが、外はまたまだ明るい。山形だったらとっくに暗くなっているはずだ。沖縄はずっとずっと西に位置していることがよくわかる。
今日のログ付けがあらかた終わり、撮ってきた写真を加工して、ラジオをセットする。ラジオは我慢できる範囲の音だし、チューニングした民放からはBEGINの「三線の花」が流れてきた。
シャワーを終えて19時。よーし、それでは飲み方開始だな。泡盛残波の黒、通称ザンクロを水で割り、大ぶりのグラスで2杯飲む。
21時までには出来上がり、その後はラジオの民謡番組やテレビのニュースをチェックし、読書を少しして減速態勢に入る。この土日は公演を見たが、明日の月曜日からの平日はそれもなく、少しは生活が落ち着いていくことだろう。
22時台には寝室に移動し、しばらく本を読んで、眠くなった段階でそのまま寝る。
2020.01.06
九州旅201910 74 南大隅~志布志
「内之浦宇宙空間観測所」。
だらだら山中を走っているとロケット発射場が突如として出現し、入り口にはゲートがあって、この周辺だけは雰囲気は一変する。1970年に日本初の人工衛星「おおすみ」が打ち上げられて以来、20を超す衛星探査機の打ち上げが行われているという。
山全体に点在する施設を自家用車に乗ってめぐることができるらしいのだが、ここも開館時刻までまだあと少しある。まだ柵の開いていない駐車場からはロケットの発射台?が見え、ロケットの実物模型も展示されていたので、それらを見るにとどめて退去する。大隅半島付近は移動に思いのほか時間がかかっているので、先を急ごう。

内之浦宇宙空間観測所

ロケットの実物模型も展示されていた
「轟(とどろき)の滝」。
3段の滝からなり、夏には子供から大人までが水浴びをして楽しめるのだという。この滝には水木しげるの漫画「ゲゲゲの鬼太郎」でおなじみの「一反木綿」が出没するという言い伝えが残っていることでも有名なのだそうだ。
農作業をしていたおばさんに道を尋ねつつ、またもや超徐行が必要な極狭な道を進んで到着したが、これが素晴らしい滝でびっくり。狭い道をぐりぐりしてやってきた甲斐があった。
戻る途中で先のおばさんとまた話したが、昔はこの地区の子供たちもみんなして滝で遊んだものだが、今は子どもがいなくなり、祭りさえも途絶えてしまったと地元言葉で嘆いていたのだった。

これも素晴らしかった「轟の滝」
志布志市へと進んで、「志布志港フェリーのりば」。
志布志は長距離フェリー航路の寄港地になっていて、大阪~志布志間を運航する大阪商船の「さんふらわあ」がちょうど寄港していた。
またかつては、マルエーフェリーが東京~志布志~沖縄航路を運航していたが、数年前に休航となっている。現状はどうかと少し離れたところにあるマルエーの岸壁にも行ってみたが、今は貨物専用のRORO船が停まるだけ。石炭灰のものなのだろうか、貨物港らしい独特のにおいが濃密に漂っているのだった。

「志布志港フェリー旅客待合所」と「さんふらわあ」

別の埠頭にあったマルエーフェリーの営業所
「志布志駅」。JR日南線の終着駅で、小さな駅舎がレール止めとともにひっそりと存在していた。1日に片道8便があるようだったが、その時間帯以外は静かなものだ。

志布志駅
ここで昼食。志布志市の中心部にある「丼や和華(わか)」はこれまでに数々の丼物でどんぶりイベントの受賞歴がある店だという。とりわけ、「志布志黒豚バルク丼」は、志布志産の黒豚を韓国と日本が融合したようなしょうゆ味がベースのオリジナルの「バルクソース」に漬け込み、志布志産「もやしのナムル」を添えたぜいたくな丼だという。
志布志黒豚バルク丼1,100円。やっと本場の黒豚にありつけた。
ちなみにこのあたりの住所は「志布志市志布志町志布志」となっていて、「志」が6つも入る志しの高い地域なのだ。店のおばさんも志が高そうな人で、誰にでもフランクに語り掛け、提供する料理の内容や地元の名物などについて紹介、説明してくれるのだった。

「丼や和華」の志布志黒豚バルク丼
朝から何も食べていないとは言え腹はこれで十分膨れたのだが、この「志6通り」(勝手にそう呼ぶ)には志布志が本店の「マルチョンラーメン」があって大賑わいしている。よくわらないが「NYラーメンコンテスト準優勝」の幟が乱立。どこぞの土産店ではこのラーメンの箱入りが土産品として出ていたりもしていたので、さぞかし有名店なのだろう。されば、残されたわずかの腹のスペースにこれを入れていかなければなるまい。
威勢のいい掛け声が飛び交う店に入り、「ラーメン中」700円。とんこつ味だが臭みがほとんどなく、独特の甘みがあるスープ。これは初めて体験する種類の味で独創性の高さを感じる。豆もやしのしゃきっとした歯ざわりも一流だ。食べ終えた正午近くになると、店はさらに混み始めていくのだった。
帰ってから調べてみると、創業1962年、「鹿児島ラーメン王座決定戦」で優勝歴のある鹿児島でも有数の人気店なのだった。
港町だからなのかおいしいものがいろいろあって、志布志はいいところだ。

「マルチョンラーメン店(志布志本店)」のラーメン中
その後は、藩政時代には番所が置かれ、入出国時に荷駄を積み換えたという「ダグリ岬」に寄って、志布志を離れる。ここは海が広がるばかりで写真にはならなかった。

ダグリ岬のメイン施設は「国民宿舎ボルベリアダグリ」だった
だらだら山中を走っているとロケット発射場が突如として出現し、入り口にはゲートがあって、この周辺だけは雰囲気は一変する。1970年に日本初の人工衛星「おおすみ」が打ち上げられて以来、20を超す衛星探査機の打ち上げが行われているという。
山全体に点在する施設を自家用車に乗ってめぐることができるらしいのだが、ここも開館時刻までまだあと少しある。まだ柵の開いていない駐車場からはロケットの発射台?が見え、ロケットの実物模型も展示されていたので、それらを見るにとどめて退去する。大隅半島付近は移動に思いのほか時間がかかっているので、先を急ごう。

内之浦宇宙空間観測所

ロケットの実物模型も展示されていた
「轟(とどろき)の滝」。
3段の滝からなり、夏には子供から大人までが水浴びをして楽しめるのだという。この滝には水木しげるの漫画「ゲゲゲの鬼太郎」でおなじみの「一反木綿」が出没するという言い伝えが残っていることでも有名なのだそうだ。
農作業をしていたおばさんに道を尋ねつつ、またもや超徐行が必要な極狭な道を進んで到着したが、これが素晴らしい滝でびっくり。狭い道をぐりぐりしてやってきた甲斐があった。
戻る途中で先のおばさんとまた話したが、昔はこの地区の子供たちもみんなして滝で遊んだものだが、今は子どもがいなくなり、祭りさえも途絶えてしまったと地元言葉で嘆いていたのだった。

これも素晴らしかった「轟の滝」
志布志市へと進んで、「志布志港フェリーのりば」。
志布志は長距離フェリー航路の寄港地になっていて、大阪~志布志間を運航する大阪商船の「さんふらわあ」がちょうど寄港していた。
またかつては、マルエーフェリーが東京~志布志~沖縄航路を運航していたが、数年前に休航となっている。現状はどうかと少し離れたところにあるマルエーの岸壁にも行ってみたが、今は貨物専用のRORO船が停まるだけ。石炭灰のものなのだろうか、貨物港らしい独特のにおいが濃密に漂っているのだった。

「志布志港フェリー旅客待合所」と「さんふらわあ」

別の埠頭にあったマルエーフェリーの営業所
「志布志駅」。JR日南線の終着駅で、小さな駅舎がレール止めとともにひっそりと存在していた。1日に片道8便があるようだったが、その時間帯以外は静かなものだ。

志布志駅
ここで昼食。志布志市の中心部にある「丼や和華(わか)」はこれまでに数々の丼物でどんぶりイベントの受賞歴がある店だという。とりわけ、「志布志黒豚バルク丼」は、志布志産の黒豚を韓国と日本が融合したようなしょうゆ味がベースのオリジナルの「バルクソース」に漬け込み、志布志産「もやしのナムル」を添えたぜいたくな丼だという。
志布志黒豚バルク丼1,100円。やっと本場の黒豚にありつけた。
ちなみにこのあたりの住所は「志布志市志布志町志布志」となっていて、「志」が6つも入る志しの高い地域なのだ。店のおばさんも志が高そうな人で、誰にでもフランクに語り掛け、提供する料理の内容や地元の名物などについて紹介、説明してくれるのだった。

「丼や和華」の志布志黒豚バルク丼
朝から何も食べていないとは言え腹はこれで十分膨れたのだが、この「志6通り」(勝手にそう呼ぶ)には志布志が本店の「マルチョンラーメン」があって大賑わいしている。よくわらないが「NYラーメンコンテスト準優勝」の幟が乱立。どこぞの土産店ではこのラーメンの箱入りが土産品として出ていたりもしていたので、さぞかし有名店なのだろう。されば、残されたわずかの腹のスペースにこれを入れていかなければなるまい。
威勢のいい掛け声が飛び交う店に入り、「ラーメン中」700円。とんこつ味だが臭みがほとんどなく、独特の甘みがあるスープ。これは初めて体験する種類の味で独創性の高さを感じる。豆もやしのしゃきっとした歯ざわりも一流だ。食べ終えた正午近くになると、店はさらに混み始めていくのだった。
帰ってから調べてみると、創業1962年、「鹿児島ラーメン王座決定戦」で優勝歴のある鹿児島でも有数の人気店なのだった。
港町だからなのかおいしいものがいろいろあって、志布志はいいところだ。

「マルチョンラーメン店(志布志本店)」のラーメン中
その後は、藩政時代には番所が置かれ、入出国時に荷駄を積み換えたという「ダグリ岬」に寄って、志布志を離れる。ここは海が広がるばかりで写真にはならなかった。

ダグリ岬のメイン施設は「国民宿舎ボルベリアダグリ」だった
2020.01.07
沖縄ステイ 20200106月
体内時計が正確過ぎて、今朝も6時前からもぞもぞし始め、6時15分起床。この時間では沖縄地方はまだ暗いのに。
昨日買ったラジオでラジオ沖縄の「暁でーびる」を聴きながら食事。盛和子と吉田安盛夫婦の名コンビがウリの番組だったが、安盛は彼岸に渡って今は息子の吉田安敬との親子コンビでやっているのだった。ウチナーグチと沖縄民謡が耳に心地よい。
いちごジャムが加わって、トーストはマーガリンと2種類で楽しむ。
世は今日から今年の仕事が始まる人が多いだろうが、こちらはステイ4日目、初の「平日」を迎えて、ますます滞在気分が盛り上がってくる頃合いだ。
9時に新年の東京株式市場が動くのでその状況を確認。大きく下げている。
9時半に外出開始。島尻半島を南に進んで近場のいくつかを見てみようという考えだ。今日もいい天気で、カーラジオでは沖縄本島地方は高気圧が張り出して今日は終日晴れると言っている。
はじめは南城市旧佐敷町の「シュガーホール」を見る。平成時代の初め頃の竣工だったと記憶しているが、国道の車中から眺めはしたことはあるものの近くまで行くことはなかったので、今回初めて行ってみた。白亜の殿堂という感じだが、なにせ周りには人がいない。自治体が合併すると、それまで各町村で維持していた同じ種類の複数の公共施設の全部に管理が行き届かなくなることがあるのだが、建設当時は鳴り物入りで出来上がったこのホールはそうはならないでほしいと願う。

(シュガーホール(南城市、旧佐敷町))
次は「テダ御川(うっかー)」。琉球国王が麦の初穂祭の際に久高島を参拝する途中、この地で豊かに湧きでる水を飲んで休息して海上の無事を祈ったといい、今でも「東御廻り(あがりうまーい)」の聖地になっている場所だ。ここは2度目だが、当時撮影した写真を誤って消してしまい残っていないので、再確認をしてみようということで。一度目のときは上り下りの石段をだいぶ歩いたように記憶しているので、足元をサンダルからシューズに履き替えて進んだのだが、駐車場から海岸沿いの遊歩道を400mほど歩いて簡単に着いた。あれ? 別のルートを通ったのか、それとも単に記憶が間違っているだけなのか。歩いていると終始一方から吹いてくる初夏のような浜風が気持ちいい。

(テダ御川(南城市、旧知念村))
次に訪れた「知念岬公園」は、風景がもっと広々としていたように思うのだが、記憶よりも開放感がない。国道からの公園入り口付近は「斎場御嶽(せーふぁーうたき)」にやって来る観光バスの駐車場と化していた。斎場御嶽はすっかり観光地化してしまい、今ではここから500mも歩いて向かうようになったの? かつてはすぐ近くまで車でアプローチできたのだけどな。

(知念岬公園から見た「知念海洋レジャーセンター」(南城市、旧知念村))
馬天の集落を車窓から眺めるなどして与那原へと戻り、まだ11時前だが、板良敷(いたらしき)地区にあった「たけの子食堂」が開いていたので、ここで昼食とする。与那原中心部の「いけだ食堂」が閉店してしまったこともあり、滞在中にはぜひと狙っていた食事処のひとつだ。
「唐揚げ定食」600円。安いなあ! だが、価格は安くても質、量ともに充実度は高い。アッチッチの唐揚げ6個に千切りキャベツとポテサラと玉子焼き。具のしっかり入った味噌汁に、オレンジ2切れ。ごはんは多くないけれども今の自分には十分な適量だ。ハチミツが入っているアイスティーを好きなだけ、角のとがった新しい氷を入れて飲める点もポイントが高い。メニューも豊富だし、なにせ安いし、ここはいい食堂だ。滞在中には何度も行きたい店だ。

(「たけの子食堂」の唐揚げ定食600円)
腹が満たされた状態ではあるが、一人の生活なので自分で夕食の心配をしなければならない。今日も「タウンプラザかねひで東浜店」に行って買い物をする。今のところここには毎日行っているな。コンビニのような使い方になっている。
今晩は初めて部屋で、ガス台を使って調理してみよう。野菜炒めが食べたいので、キャベツ、モヤシ、タマネギ、豚肉切り落とし。調味料類も必要になるので、サラダ油、オイスターソース、鶏がらスープの素、七味唐辛子も買う。ほかにはパン、水、海苔、コーヒーを買い足す。

(滞在中のウィークリーマンション。建物の東側はまだ空き地だ。)
部屋に戻って12時過ぎ。部屋の備品でまだ確認していないのが洗濯機だ。汚れ物はまだそれほどたまっているわけではないが、洗濯機が4.5kgの小さいものなので、天気もいいし試してみようか。ROKラジオの「ティサージパラダイス」を聴きながらやってみれば特に問題はなく、13時にはベランダに干し終える。量が少ないので簡単だ。
作業を終えてからの午後の時間帯は読書をしながら、いい風があるので窓を開けて風を入れて過ごす。薄着していても全然平気だし、むしろ気持ちがいいんだものな、すごいよな、沖縄は。
15時前には洗濯物が完全に乾いて取り込む。
ところで、14時頃につれあいから電話があり、90歳になる母が脳梗塞で市立済生館病院に入院することになるとの報せがあった。
大晦日、家族で年越しの夕食をとったときに、めずらしく麦焼酎を飲んだ母が気分が悪くなり、少しの間横になったりしていたのだったが、今朝居室に行くと、呂律がまわらず足がふらついて歩行困難になっていたという。この症状は大晦日のときと同じで、脳梗塞からくるものだったようだ。医者からは2~3週間入院して様子を見ると言われたとのこと。
事の詳細はわからないが、命にかかわるようなさし迫った危機ではないようだ。しかし、最悪の場合は沖縄ステイを切り上げて帰らなければならなくなることもあるかもしれない。まだこちらに来たばかりなのだけどな。
考えあぐねてもしょうがないので、その後の状況については連絡を取り合い、対応を考えていこう。
16時からの1時間は、RBCラジオの「民謡で今日拝なびら」を聴き流す。

(RBCiラジオ「民謡で今日拝なびら」のナビゲーターの面々。番組開始からもう60年近くになる長寿番組だ。)
18時近くなったあたりで、夕食の準備に取り掛かる。つくり立て、熱々の野菜炒めを食べよう。モヤシだけではなくタマネギとキャベツも使い、豚肉を投入して肉野菜炒めにしたというのが、普段つくり慣れない自分にしては立派だ。味付けもオイスターソースや鶏ガラ出汁を奢っている。ニンジン、ピーマンを使っていないので彩り的にパッとせず、また適当な大きさの食器がないのでラーメンどんぶりというのが泣ける。このほかに冷凍の枝豆をチンしてつまみながら飲む。
飲んだあとは〆のごはん。明太子を海苔で巻いて食べ、残った野菜炒めのつゆは捨てるに忍びなかったので少々下品だが最後にごはんにかけて食べたら、それもまたやけにうまいんだよなあ。海苔とはこういうものにも合うのだな。

(手製の野菜炒めで泡盛ザン黒を飲む。)
年明けの東京株式市場はアメリカとイランの間の関係が急激に悪化したのを背景に大下げとなり、持ち株評価は2%ほど下がった。この間に下げた2つの銘柄を買って小利益を狙うのだが、今後ホントに上がるのかどうかは疑問だ。
シャワーを浴び、22時から「報道ステーション」を見て、あとは本を読みながら減速へ。23時前には寝入っていただろう。
昨日買ったラジオでラジオ沖縄の「暁でーびる」を聴きながら食事。盛和子と吉田安盛夫婦の名コンビがウリの番組だったが、安盛は彼岸に渡って今は息子の吉田安敬との親子コンビでやっているのだった。ウチナーグチと沖縄民謡が耳に心地よい。
いちごジャムが加わって、トーストはマーガリンと2種類で楽しむ。
世は今日から今年の仕事が始まる人が多いだろうが、こちらはステイ4日目、初の「平日」を迎えて、ますます滞在気分が盛り上がってくる頃合いだ。
9時に新年の東京株式市場が動くのでその状況を確認。大きく下げている。
9時半に外出開始。島尻半島を南に進んで近場のいくつかを見てみようという考えだ。今日もいい天気で、カーラジオでは沖縄本島地方は高気圧が張り出して今日は終日晴れると言っている。
はじめは南城市旧佐敷町の「シュガーホール」を見る。平成時代の初め頃の竣工だったと記憶しているが、国道の車中から眺めはしたことはあるものの近くまで行くことはなかったので、今回初めて行ってみた。白亜の殿堂という感じだが、なにせ周りには人がいない。自治体が合併すると、それまで各町村で維持していた同じ種類の複数の公共施設の全部に管理が行き届かなくなることがあるのだが、建設当時は鳴り物入りで出来上がったこのホールはそうはならないでほしいと願う。

(シュガーホール(南城市、旧佐敷町))
次は「テダ御川(うっかー)」。琉球国王が麦の初穂祭の際に久高島を参拝する途中、この地で豊かに湧きでる水を飲んで休息して海上の無事を祈ったといい、今でも「東御廻り(あがりうまーい)」の聖地になっている場所だ。ここは2度目だが、当時撮影した写真を誤って消してしまい残っていないので、再確認をしてみようということで。一度目のときは上り下りの石段をだいぶ歩いたように記憶しているので、足元をサンダルからシューズに履き替えて進んだのだが、駐車場から海岸沿いの遊歩道を400mほど歩いて簡単に着いた。あれ? 別のルートを通ったのか、それとも単に記憶が間違っているだけなのか。歩いていると終始一方から吹いてくる初夏のような浜風が気持ちいい。

(テダ御川(南城市、旧知念村))
次に訪れた「知念岬公園」は、風景がもっと広々としていたように思うのだが、記憶よりも開放感がない。国道からの公園入り口付近は「斎場御嶽(せーふぁーうたき)」にやって来る観光バスの駐車場と化していた。斎場御嶽はすっかり観光地化してしまい、今ではここから500mも歩いて向かうようになったの? かつてはすぐ近くまで車でアプローチできたのだけどな。

(知念岬公園から見た「知念海洋レジャーセンター」(南城市、旧知念村))
馬天の集落を車窓から眺めるなどして与那原へと戻り、まだ11時前だが、板良敷(いたらしき)地区にあった「たけの子食堂」が開いていたので、ここで昼食とする。与那原中心部の「いけだ食堂」が閉店してしまったこともあり、滞在中にはぜひと狙っていた食事処のひとつだ。
「唐揚げ定食」600円。安いなあ! だが、価格は安くても質、量ともに充実度は高い。アッチッチの唐揚げ6個に千切りキャベツとポテサラと玉子焼き。具のしっかり入った味噌汁に、オレンジ2切れ。ごはんは多くないけれども今の自分には十分な適量だ。ハチミツが入っているアイスティーを好きなだけ、角のとがった新しい氷を入れて飲める点もポイントが高い。メニューも豊富だし、なにせ安いし、ここはいい食堂だ。滞在中には何度も行きたい店だ。

(「たけの子食堂」の唐揚げ定食600円)
腹が満たされた状態ではあるが、一人の生活なので自分で夕食の心配をしなければならない。今日も「タウンプラザかねひで東浜店」に行って買い物をする。今のところここには毎日行っているな。コンビニのような使い方になっている。
今晩は初めて部屋で、ガス台を使って調理してみよう。野菜炒めが食べたいので、キャベツ、モヤシ、タマネギ、豚肉切り落とし。調味料類も必要になるので、サラダ油、オイスターソース、鶏がらスープの素、七味唐辛子も買う。ほかにはパン、水、海苔、コーヒーを買い足す。

(滞在中のウィークリーマンション。建物の東側はまだ空き地だ。)
部屋に戻って12時過ぎ。部屋の備品でまだ確認していないのが洗濯機だ。汚れ物はまだそれほどたまっているわけではないが、洗濯機が4.5kgの小さいものなので、天気もいいし試してみようか。ROKラジオの「ティサージパラダイス」を聴きながらやってみれば特に問題はなく、13時にはベランダに干し終える。量が少ないので簡単だ。
作業を終えてからの午後の時間帯は読書をしながら、いい風があるので窓を開けて風を入れて過ごす。薄着していても全然平気だし、むしろ気持ちがいいんだものな、すごいよな、沖縄は。
15時前には洗濯物が完全に乾いて取り込む。
ところで、14時頃につれあいから電話があり、90歳になる母が脳梗塞で市立済生館病院に入院することになるとの報せがあった。
大晦日、家族で年越しの夕食をとったときに、めずらしく麦焼酎を飲んだ母が気分が悪くなり、少しの間横になったりしていたのだったが、今朝居室に行くと、呂律がまわらず足がふらついて歩行困難になっていたという。この症状は大晦日のときと同じで、脳梗塞からくるものだったようだ。医者からは2~3週間入院して様子を見ると言われたとのこと。
事の詳細はわからないが、命にかかわるようなさし迫った危機ではないようだ。しかし、最悪の場合は沖縄ステイを切り上げて帰らなければならなくなることもあるかもしれない。まだこちらに来たばかりなのだけどな。
考えあぐねてもしょうがないので、その後の状況については連絡を取り合い、対応を考えていこう。
16時からの1時間は、RBCラジオの「民謡で今日拝なびら」を聴き流す。

(RBCiラジオ「民謡で今日拝なびら」のナビゲーターの面々。番組開始からもう60年近くになる長寿番組だ。)
18時近くなったあたりで、夕食の準備に取り掛かる。つくり立て、熱々の野菜炒めを食べよう。モヤシだけではなくタマネギとキャベツも使い、豚肉を投入して肉野菜炒めにしたというのが、普段つくり慣れない自分にしては立派だ。味付けもオイスターソースや鶏ガラ出汁を奢っている。ニンジン、ピーマンを使っていないので彩り的にパッとせず、また適当な大きさの食器がないのでラーメンどんぶりというのが泣ける。このほかに冷凍の枝豆をチンしてつまみながら飲む。
飲んだあとは〆のごはん。明太子を海苔で巻いて食べ、残った野菜炒めのつゆは捨てるに忍びなかったので少々下品だが最後にごはんにかけて食べたら、それもまたやけにうまいんだよなあ。海苔とはこういうものにも合うのだな。

(手製の野菜炒めで泡盛ザン黒を飲む。)
年明けの東京株式市場はアメリカとイランの間の関係が急激に悪化したのを背景に大下げとなり、持ち株評価は2%ほど下がった。この間に下げた2つの銘柄を買って小利益を狙うのだが、今後ホントに上がるのかどうかは疑問だ。
シャワーを浴び、22時から「報道ステーション」を見て、あとは本を読みながら減速へ。23時前には寝入っていただろう。
2020.01.07
九州旅201910 75 串間~日南
宮崎県に入って、串間市役所のすぐ隣にある「旧吉松家住宅」を見る。
主屋、外蔵、内蔵、物置、表門などが国の重文指定だというのだが、撮影ポイントが得にくくいい写真が撮れない。つまりは狭いところに密集して建っているということだ。加えて前の通りはアスファルトをはがして道路工事をしている最中で、結果としては不発に終わる。

旧吉松家住宅
以前から来て見たいと思っていた「都井岬」。
宮崎県南部は1988年と93年に2回訪れたことがあり、日南、宮崎、綾などはすでに経験済みなのだが、いずれのときにもその南にある都井岬までは来なかったのだ。
天然記念物の野生馬の棲息地で、その馬は約300年前に秋月藩主が放牧したのが始まりなのだという。こんなに近くで馬の写真を撮ることはそうあることではない。いい眺めも加わって、運転疲れが取れていく。先端には白亜の燈台「都井岬灯台」が聳えていた。

「都井岬」。ここも同じ日本なのだろうか

この風景こそが「都井岬」だよねぇ

「都井岬」から海を見る

白亜の「都井岬灯台」
天然記念物の野生猿が棲息していることで知られる「幸島(こうじま)」。
渡れるわけではないので、島の様子を見るだけ。その対岸にあたるこちら側の「石波海岸」と相まって、なかなかいい景色だ。
猿といえば、大隅半島に入ってからの道路で、10匹以上のサルの大集団を見かけた。幸島のみならずこのあたりには猿が生息しているのだろう。九州ではタヌキもわりとよく見かける。

道路沿いから見た「幸島」

「石波海岸」から「幸島」を望む
日南市に入り、油津では「油津赤レンガ館」を見る。
大正時代半ばに倉庫として建てられた三階建での建物で、中央にアーチ型の通路がある。
その斜め向かいには、木造三階建ての「杉村金物本店」もあった。

油津赤レンガ館

杉村金物本店
主屋、外蔵、内蔵、物置、表門などが国の重文指定だというのだが、撮影ポイントが得にくくいい写真が撮れない。つまりは狭いところに密集して建っているということだ。加えて前の通りはアスファルトをはがして道路工事をしている最中で、結果としては不発に終わる。

旧吉松家住宅
以前から来て見たいと思っていた「都井岬」。
宮崎県南部は1988年と93年に2回訪れたことがあり、日南、宮崎、綾などはすでに経験済みなのだが、いずれのときにもその南にある都井岬までは来なかったのだ。
天然記念物の野生馬の棲息地で、その馬は約300年前に秋月藩主が放牧したのが始まりなのだという。こんなに近くで馬の写真を撮ることはそうあることではない。いい眺めも加わって、運転疲れが取れていく。先端には白亜の燈台「都井岬灯台」が聳えていた。

「都井岬」。ここも同じ日本なのだろうか

この風景こそが「都井岬」だよねぇ

「都井岬」から海を見る

白亜の「都井岬灯台」
天然記念物の野生猿が棲息していることで知られる「幸島(こうじま)」。
渡れるわけではないので、島の様子を見るだけ。その対岸にあたるこちら側の「石波海岸」と相まって、なかなかいい景色だ。
猿といえば、大隅半島に入ってからの道路で、10匹以上のサルの大集団を見かけた。幸島のみならずこのあたりには猿が生息しているのだろう。九州ではタヌキもわりとよく見かける。

道路沿いから見た「幸島」

「石波海岸」から「幸島」を望む
日南市に入り、油津では「油津赤レンガ館」を見る。
大正時代半ばに倉庫として建てられた三階建での建物で、中央にアーチ型の通路がある。
その斜め向かいには、木造三階建ての「杉村金物本店」もあった。

油津赤レンガ館

杉村金物本店