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   集英社文庫  780円+税
   2017年10月25日 第1刷発行

 「短編伝説 めぐりあい」に続く、集英社文庫短編集の第2弾という位置づけ。
 愛だけでは生きていけない。だけど、愛がない人生はつまらない。人生にうるおいを、読書にも愛を。一口に愛といってもその形はさまざま。異性への愛、兄弟愛、祖国愛 etc。収録作品のジャンルも純文学から恋愛小説、時代小説までバラエティ豊か。笑える話も、泣ける話もあって、楽しみ方いろいろ。「愛」をきっかけに、豊かな読書ライフを始めてみては? 短掌編あわせて19本、自信と信頼のラインナップ。(カバー背表紙から)

 池上冬樹の解説によれば、「愛といっても、単に未婚の恋愛ではなく、夫婦愛も、不倫も、すでに終わった愛もある。姉妹愛もあれば、手紙だけの愛もあるし、行きずりの疑似的な愛の関係もあり、愛の多様性を捉えていて、たっぷり読ませる。」とし、「押さえておくべき古典から、人気作家による知られざる名品まで、短・掌編を精選。軽快な作品から始まり、歯ごたえのあるどっしりした佳作まで、飽きずに読ませる自慢のセットリスト」になっているとのこと。

 そのセトリは次のとおり。
 ごはん 江國香織/いとしのローラ 森絵都/あいびき 吉行淳之介/日系二世へのサム・クェスチョン 影山民夫/理想の妻 坂東眞砂子/飛行機で眠るのは難しい 小川洋子/おねえちゃんの電話 氷室冴子/エンドレス・リング 群ようこ/華燭 舟橋聖一/祝辞 乃南アサ/食卓 小池真理子/雛の宿 三島由紀夫/玻璃の雨降る 唯川恵/やさしい言葉 藤堂志津子/微笑と唇のように結ばれて 中島らも/貞淑 山本文緒/湯豆腐がしみる夜 嵐山光三郎/ポール・ニザンを残して 原田宗典/秘剣 白石一郎
 解説 山田裕樹/池上冬樹

(2020.8.31 読)

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   集英社文庫  640円+税
   2020年1月25日 第1刷発行

 「最高の泡盛を教えて下さい」
 バーマン阿部のもとに、常連客から難題が舞い込んだ。沖縄出身の祖父の長寿のお祝い「カジマヤー」に贈る泡盛を探しているという。
 阿部はさっそく沖縄にある酒造所へ飛ぶ。そこには芳醇で奥深く、そして何より飛び切りうまい泡盛の世界が広がっていた!
 数多の候補の中から、阿部が選んだ究極の泡盛とその飲み方とは? 読めば必ず飲みたくなる大人の「読むツマミ」。(カバー背表紙から)

 著者の広小路尚祈(ひろこうじなおき)は、1972年愛知県生まれ。高校卒業後、音楽活動をしながら職を転々とし、ホテル従業員、清掃作業員、不動産業、消費者金融など10種類以上の職種を経験。2007年「だだだな町、ぐぐぐなおれ」が第50回群像新人文学賞優秀作に選ばれたという人物です。その後も、10年「うちに帰ろう」で、12年「まちなか」で、それぞれ芥川賞候補にもなっています。けっして泡盛のスペシャリストではないのに、泡盛物をここまで書けるのはすごいかもしれません。

 著者本人のエッセイが「青春と読書」のウェブページに掲載されていたので、以下に引用しておきます。

・「いなたい」は「うまい」 広小路尚祈
 うまい酒を飲みたいという一念だけで、一本の長編小説を書き上げた。主題としたのは沖縄の酒、そう、「泡盛」である。
 きっかけは、一本の素晴らしい泡盛に出会ったことだ。そこから私のうまい酒を探す旅が始まった。元々沖縄という土地が好きで、泡盛も度々飲んでいたが、それほど詳しいわけではなかった。まずは文献を読み漁り、ある程度の知識を頭に叩き込んで、とにかく沖縄に飛んでみることにした。
 取材旅行という名目ではあったが、要するに酒飲み旅行である。昼間は泡盛の蔵元を巡って試飲をしまくり、夜は街に出て泡盛を飲みまくる。蔵元の直売コーナーや立ち寄った場所で、興味を惹かれるものがあれば購入して、愛知の家に戻ってからも飲みまくる。地元の酒屋でも泡盛のコーナーを常にチェックし、飲んだことのないものがあれば買って飲んでみる。東京へ出張した際も、品揃えのよさそうな酒屋を調べて訪問し、気になったものがあれば買って帰る。そんなことばかりしていた。
 非常に仕事熱心である、とも言えるけれど、私はとにかく泡盛に夢中になってしまったのだ。泡盛の味は温かい。これは温度のことではなく、味や香りから感覚的に感じるぬくもりのことだ。泡盛は米に麴を生やして造る酒なので、グラスに注げばそれぞれ強弱や個性の違いはあれど、やさしい麴の香りが立ち上ってくる。この香りになんとも言われぬ心地よさを感じるのだ。
 「いなたい」と表現するのが、一番ぴったりくるだろうか。音楽を語る際によく使われる言葉だが、泥臭いとか、田舎っぽいとか、それが転じて、ブルージーである、といったニュアンスで使われることが多い。ただし、あまり否定的な感じではなく、むしろ味があるとか、温かみがあるとか、哀愁や憂いを含んでいるといったように、誉め言葉としての性格が強い。
 泡盛というのは元々琉球王朝御用達の酒であったからだろうか、とても洗練された酒である。洗練された酒というイメージと、泥臭い、田舎っぽいという意味を持つ言葉。一見相反するようだが、実はそうでもない。たとえば、格式の高い料亭で出てくる野菜の煮物。洗練された料理人によって、洗練された調理法で作られたものである。だがこれを口に入れると、しっかりと野菜の味がする。調味料の味しかしない煮物なんて、洗練からはもっとも遠いものだ。野菜というのは、大体が田舎でとれたものである。お寿司屋さんの魚だってそう。なかでも上等とされる天然ものは、ことさら「いなたい」。
 私が泡盛を「いなたい」と表現するのは、そういうことなのだ。特に日本料理の場合、素材の味をうまく生かすことが重要だとされている。すなわち、「いなたさ」をいかによい形で提供するか、それこそが日本料理の神髄である、と言えないだろうか。
 泡盛には様々なタイプのものがあり、それぞれに個性的な「いなたさ」を提供してくれる。もちろん、好みに合う合わないはあろう。しかし、一人の酒飲みとして、一つでも多くの「いなたさ」を知り、愛したいと思うのだ。ピーマンが苦手なんです、ニンジンが食べられないんです、という人が食通を気取れるだろうか。気取るだけならよいかもしれないが、気取ることしかできないだろう。また、ピーマンやニンジンが食べられないからといって、それらをくさすのはスジが違う。悪いのはあくまでも、自分の舌なのだから。
 泡盛にふさわしい、洗練された飲み手となるには、この多様さをいかに楽しむかが重要であると、私は考えている。これは何も、泡盛に限ったことではない。ウイスキーやワインなど、他の酒でも同じだろう。さらに言うならば、酒に限ったことでもない。音楽や文学を楽しむ場合でもそうだ。
 酒飲みにも色々あって、中にはアルコール度数の高い酒が苦手だ、と言う人もいる。そんな方には水で割ったりソーダで割ったりすることをおすすめするが、コーヒー好きな方には「泡盛コーヒー」というのも、ぜひおすすめしたい。
 その名の通り泡盛をコーヒーで割ったもので、沖縄ではわりとポピュラーな飲み方なのだろうか、コンビニでカップに入ったものを売っている。うちの妻はほとんど酒を飲まない人なのだけれど、取材をかねて一緒に沖縄へ旅行した際、コンビニで購入し、ホテルの冷蔵庫にしまっておいた泡盛コーヒーを、私が寝ている間に飲んでしまっていた。寝る前に味見をさせたところ、気に入ったようだ。ちなみに私たち夫婦は、朝、昼、晩と必ずコーヒーを欠かさない、なかなかのコーヒー好きである。
 泡盛は長い伝統を持つ酒だが、日々新しく変化している。それも泡盛の大きな魅力の一つであると、私は感じている。

(2020.8.31 読)

2021.02.05 20210204 木
 7時10分起床。今朝も新たな積雪がある。庄内地方は荒れ模様のようだ。この時期に旬を迎えている寒ダラの漁にも出られず、関係者が困る気候なり時期だ。
 朝の作業とともに、株式市況を見て、開場直後に日航を200株売って小利益を得る。今年に入ってからはこの調子が続いていて、株式の確定収入のほうが毎日の支出額合計を上回っている。たとえ一時期ではあっても、無職なのに黒字でいられるのはうれしいことだ。
 息が上がらない程度に、軽くガレージ前の雪かきをする。積雪はその程度だ。

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(okinawa-image(辺野古社交街入口付近))

 昼メシは、株式の稼ぎがいいので、少し贅沢をして寿司にしよう。
 南館の「くら寿司山形南館店」を、11か月ぶりに再訪。いつもはスタンダードの皿ものばかりだが、写真写りも考えて、はじめは「人気にぎり(麺セット)」の醤油らーめんバージョン770円にしてみた。これに甘えびユッケを一皿添えて。
 ラーメンは、7種の魚介、追い鰹仕立てということで、あとがけの花かつおも付いて、香り高い節スープが美味。麺は極太だ。小ラーメン程度の大きさ。9貫のにぎりのほうは、おいしいけれども、ひとつひとつが寿司のミニチュアのように小さく、ままごとでお寿司屋さんをやっているような気がしないでもなく、このセットで腹がくちくなることはない。
 なので、その後は一人軍艦巻き攻めを開始し、涙小柱、生しらす、たら白子ジュレポン酢、シーフードサラダの4種の軍艦を次々に撃沈させ、腹も満たされて勝利の終戦を迎える。(笑)
 合計1,320円。贅沢といってもこの程度。容器のわさびで味を引き締め、合い間にガリをたくさん食べ、粉製の茶も好きなだけ。やっぱり寿司はうまいよねぇ、いいよねぇ。
 正午前の帰宅時は、フォレスターのアイサイトが作動しなくなるほどの吹雪。車はどれもヘッドライトを点けて走っていた。

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(昼食は「くら寿司山形南館店」にて)

 午後は、読書を数10ページと、読後本のインプレ書きを3本。
 夜の録画視聴は、BS-TBSの「Sound Inn“S”」という番組の鈴木雅之編。2015年4月分の再放送。山下達郎や大瀧詠一との出会いを話していた。1956年生まれなので、まあいい齢なのだな。立ち姿を見ていて思うのは、頭が大きいなあということか。(笑)
 ほかには「新日本風土記」の隠岐諸島編。未踏の離島で、何回か渡島を画策することはあったが、行動に移すまでの魅力を感じられず、未踏のままになっている。今回も番組を見て、よーし行こうかという気にまではなれなかった。島が4つに分かれていて巡るのが大変なことと、文化的な見地からいえばかつての上皇が島流しに遭って現地で亡くなった歴史があるもののそのほかには果たしてどうなのかということもある。

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(鈴木雅之)

 「世に棲む日日(1)」を50ページ余り読んで読了。引き続き「世に棲む日日(2)」に移行し、これを70ページ。2巻目では、若き日の“異常人”吉田松陰に関する記述をいったん締めくくられて、松陰よりも9歳年下の高杉晋作を中心に据えた記述が始まっている。
 23時半過ぎまで読んで、その後眠りへ。

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   琉球新報社  1,800円+税
   2019年9月2日 第1刷発行

 著者の普久原恒勇(ふくはらつねお)は、戦後沖縄を代表するの作曲家。1932年大阪市淀川生まれで、家業は昭和元年創業のマルフクレコード(伯父で養父の普久原朝喜が大阪で始めた沖縄音楽専門レーベル)。19歳の頃よりクラシックギターを習い、後にヴァイオリンを学ぶ。59年から沖縄で琉球古典音楽や琉球民謡のプロデュースに携わり、61年から作曲を始め、「芭蕉布」「ゆうなの花」などの普久原メロディと呼ばれる歌曲と、これまで沖縄に存在しなかった民族楽器による新しい器楽曲を生み出している。作曲数は500超。宮良長包音楽賞など受賞多数。

 ということで、発行時には87歳になっていた普久原恒勇が書き溜めていたエッセー集で、2016年8月から18年11月の間、琉球新報・日曜版に「ぼくの目ざわり耳ざわり」として連載されたものを一部修正し。発刊にあたって書き下ろした3編を加えて発行されたものがコレ。
 見開きの2ページほどの短いながら庶民的な感覚で書かれた文章が、全部で123本。音楽・芸能に対する思い、沖縄の芸能や俚諺、俗謡、ヤマトの芸道や俳諧への深い造詣などについて、あちこちにネイティブなウチナーグチを登場、ヤマト口では表現しきれないことを本音で書いているなーという感じ。滋味あふれるウチナー賛歌、という感じでしょうか。
 ウチナーグチの面白さ、豊かさを再認識した読者も多かったようで、連載中はファンから多くの投書が寄せられ、出版を望む声も多かったそうです。

 以下に連載終了時に掲載された「ゆくい語り」を、本書から引用しておきます。

・ゆくい語り  2018年12月3日(月)琉球新報掲載より
《私は職人、頼まれたら書かんといかん》
 ――120回の連載を終えての感想は。
「数え86歳から始め、書きためていたんです。50回くらいで終わるつもりだったんですが、調子に乗ってよく120回も続きましたね。自分でも驚いています。連載なんて初めてだから。しかも本になるなんて」
「年を取るといろんなことが気になるじゃない。老人の証拠だなと思いましてね。老人が書くと自慢話か愚痴か、説教ですよね。そうならないように注意しました。テーマはどんどん出てくる。どんどんあらぬ所に行くよね」
 ――連載に対する周囲の反応はどうでしたか。
「まず、意味分からんと。小難しいとね。老人の文章ですから。難しい漢字もつい使うんです。劣等生の特徴なんですよ。でも、できるだけ優しい言葉で書くよう努力しましたよ。漢字には意識的にルビを振った。難しい漢字は読む気にならないという方々、本を読む人以外の人に読んでいただきたかった」
 ――音楽家としての裏話は少なかった。音楽のことはあまり書きたくないと書かれていました。
「音楽家の話はたくさんあるけど、あんまり書きたくない。音楽仲間が集まって音楽の話はあまりしません。仕事としてやっている音楽から逃げたいというか、逃げてリラックスしたいんです」
 ――これまでインタビューなどと共通のユーモアと少しの毒気がありました。
「しゃべりたいことを文字にしただけですから。毒気があるかは分からないけど、ちょっとふざけていると言う人はいるかも。でも本人は大真面目です」
 ――子どもの頃の話や病気をした話は今まであまり公にしてこなかったのでは。
「私にとってはとても大事なことです。まあ、ネタ切れかな。でもみんながびっくりするし、へえって言うから、じゃあ書いていいなと」
 ――ウチナーグチのうんちくがすごい。
「私はほぼウチナーグチで育ちました。ウチナーグチオンリーです。皇民化教育は台湾、琉球(沖縄)、朝鮮でありましたが、沖縄だけが今も日本だ。なぜだろうという疑問がある。20歳から30歳まで大阪にいたけど、朝鮮の人は朝鮮語で堂々と闊歩している。僕たちは沖縄人とばれたらいかんとウチナーグチを使わず、使ったら叱られた。なんでそんな努力をするのか理解できなかった。父親たちは、琉球人お断りの時代だったから。ウチナーグチはだんだん使われなくなっているが、仕方がないと患っている」
 ――作曲を始めたきっかけは。
「音楽の勉強をして、弦楽器をやっていた。ギターと三線、それからバイオリンもやった。しかし、性に合わんと、カメラマンになろうと沖縄に帰ってきた。沖縄の人間の写真を撮りに帰ってきたつもりが、親父は音楽の人。その人の長男が帰ってきたということで民謡の人たちがどっと集まって来て抜けられなくなっちゃった」
「作曲はやる気は全然ない。親父の曲を1、2曲編曲したが、音楽をやるっていう気は全然なかった。当時は、古い民謡じゃなくて新しい民謡が売れた時代。新しい曲を待ち望んだ歌手たちから、作曲してみろということになった」
 ――1961年に最初の曲「月眺み」、65年に「芭蕉布」、66年に「ゆうなの花」を作りました。
「「芭蕉布」が転機だったね。がらっと変えてみたからね。民謡とは別の物ですから。民謡界からは反発食らいましたが」
 ――500を超える曲を書いてこられました。どんなときに曲ができるんですか。
「私はこれを書けと言われたら書く請負人、つまり職人。芸術家じゃないからね。頼まれたら書かんといかん、断るのは失礼。スランプはなかったかな。書いたものは全て録音できました。皆さんのおかげです」

fukuhara tsuneo 201906 (普久原恒勇 2019年6月撮影)

《沖縄音楽を乱用するな 音階熟知して使って》
 ――最近の沖縄の民謡界について。
「苦言を呈することになりますからあまり言いませんけどね。世代の違いあるでしょ。理解できないところもある。でも本当にやりたいことができる時代。僕らができないことをする。若いお客さんに喜んでもらえたらそれでいいと思うし。歌は世につれ、と言うから。われわれは化石みたいなもんですから、それでいいと思っています」
 ――歌、音楽には国境があると持論を語ってきました。
「音楽に国境なし、という言葉があるが、私はそうじゃない。今の音楽を聞いたら世界中どこの国のものか区別がつかない。人種が交ざり込んでどこの人というのがなくなるように、音楽もそういうことになってきたのかなと。ただ、沖縄の音楽を乱用してほしくない。琉球音階を熟知してから使っていただきたい。それが、国境あれ、ということ」
 ――これからは音楽だけでなくエッセイスト、批評家としても活躍していただきたい。
「また書こうとは考えていませんよ。そそのかす人がいたらすぐ乗るけど」
(聞き手 琉球新報社文化部長・米倉外昭)

(2020.8.31 読)

2021.02.06 20210205 金
 7時起床。このところ少しずつ日の出が早くなってきていて、7時前の明るさが顕著になってきた。明るくなったら起きるというスタンスからすれば、7時前に起きてもいいぐらいになっている。だが、気温が低くて寒いのでつい暖かいところに滞留しがちで、そうもいかないというのが実際のところだ。早起きは、もう少し暖かくなってからでもいいだろう。
 朝ルーチンとブログの記事公開手続きをして、いま読んでいる本の理解を深めるために、Google Mapで萩市の城下町の様子を改めて確認する。見ながら、ああここも行ったなあと。

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(萩の高杉晋作誕生地 20190601)

 それから株式市場の確認。前日のNYが最高値を更新しているので、今朝も反発するだろうと読みながら、いくつかの売り買いを入れる。朝のうち、ストップ高まで駆け上ったマツダを売って、若干の利益を出す。この日は総じて自動車関連がいい動きをしている。しかし、高値だった頃に自動車関連に突っ込んでいる額は多く、それらはまだ売りに出せるレベルにまでは達していない。
 結果としては、多くの銘柄がしっかり上がって、買いはひとつも成立しなかった。日航もぐんと上げている。昨日売ってしまったのは早計だったな。

 古書2冊を購入。それらは、「日本の異界 名古屋」(清水義範著、ベスト新書、2017)と、「殉国 陸軍二等兵比嘉真一」(吉村昭著、文春文庫、2020)。
 また、数日前に注文していた「街道をゆく」の文庫本3冊が届く。読書ライフは順調だ。

 昼メシは、少し考えて、「ビッグボーイ山形大野目店」へ。ビッグボーイは山形桜田東店と山形南館店は既訪だが、大野目店は初入店となる。とはいえ、食べるものはいつも同じで、638円の日替わりランチ(平日のみ)に、プラス110円でスープバー・カレー・ライスが付くランチセット。金曜日は手ごねハンバーグ&牛肉コロッケだった。

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(「ビッグボーイ山形大野目店」の日替わりランチ)

 正直言うとメインの鉄板のほうは、ハンバーグだろうとフライだろうと、何でもいい。自分が買っているのは110円の部分で、ビッグボーイ体験4回目にして、カレーライス(ライス少なめ)を小皿に2杯、2種類のスープを3杯ぐらい食べれば概ね満足できることがわかってきている。
 今回もその回数にて。ここのカレーは過去のビッグボーイ2店よりもとろみが強め、色が濃い目で、おいしい。ワカメスープのワカメの量もたっぷり。ハンバーグのガーリックソースもいい仕事をしていた。
 テーブル数のわりには客数は少なめなので、食後は腹をさすりながら、陽が射してきた暖かい室内で文庫本を読む。748円でこれらの寛ぎが得られるなら、なかなかいいんじゃないだろうか。

 午後は、取り立てて何かをやったわけではなく、どちらかというと無為に過ぎていく。明日一時帰宅する母からは電話がなく、気分が棘々しくならず安んじて時間を送ることができるのがとてもよい。この状況下にどうしても家に帰りたいというごり押しを容れて実現に向かわせたのだから、これ以上のことを望まれたり不満を言われたりしても困るということもある。
 手であちこち触りながらの伝い歩きになるので、玄関から母の居室までの手の触れそうなところを拭き掃除する。思ったことは相手のことなど考えずすぐに口に出すようになっているので、いない間に掃除もしてくれず埃が付いているなどと言われたくないという、それだけのことなのだが。

 夜は、概ね19時から21時まで、飲みながら録画鑑賞をする。
 その後、酔いが醒めてからは読書。「世に棲む日日(2)」をこの日は120ページ。読んでいるのは、1859年10月、吉田松陰が満29歳で死罪となったあたり。司馬遼の手にかかると高杉晋作でさえもが、何をしでかすかわからない鬱懐のようなものがある風変わりな人物として語られる。
 23時半、就寝。

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(吉田松陰)

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   文春文庫  514円+税
   1992年3月10日 第1刷
   2004年12月24日 第23刷発行

 不伝流の俊才剣士・片桐敬助は藩中随一とうたわれる剣の遣い手・弓削新次郎と、奇しき宿縁にむすばれ対峙する。男の闘いの一部始終を緊密な構成、乾いた抒情で描き出す表題作のほか、名品3篇(「三ノ丸広場下城どき」「山姥橋夜五ツ」「榎屋敷宵の春月」)。時代小説の芳醇・多彩な味わいはこれに尽きる、と評された作品集。(作品紹介から)

 初出はいずれも「オール讀物」で、1987~89年のもの。
 4編は独立していて、それぞれ様々な人物が登場するので、読んでいるときはわかっているけれども、しばらく経つとどんな人物がどのように絡んでいたのかがほとんどわからなくなります。したがって、読み終えて5か月も経ってからその感想を書こうと思っても、そうはいかなくなるものなのですねぇ。
 特に短編集というものはそういう方向に陥りがち。今後は、読み終えたら忘れないうちに書いておくか、さもなければ覚書ぐらいは残しておかなければならないと思ったところです。
 読んでいる最中はいい感じなのだけどなぁ。
(2020.9.3 読)

2021.02.07 20210206 土
 7時起床。夜中の外気温が高かったとみえて、暖房の設定は変えていないのにずいぶん暑く感じてしまい、4時台には目が覚めた。

 今日は午前中、母が施設から一時帰休する。9時半前に迎えに行き、家で1時間余りの時間を過ごしたのだが、仏壇を拝んで、大好きな牛肉入りの里芋煮でお茶を飲んだ後は、過去に何度も聞いた話を拝聴する形となる。間にこちらの意見なども挟んでみるのだが、人の話を聞くという基本姿勢がなく、まったく聞いていないのが仕草でわかってしまう。これは会話とは言えない。
 話が一方的なのはどうせそんなことだろうと思っているのでいいのだが、今回は電話で聞く不平不満とは違い、施設にも馴染んできたので職員や入居者とはうまくやれるようになって楽しい、みんなよくしてくれるし優しい――などと言うではないか。こういうことを言うのは入所直後以来で、実に久しぶりのことだ。まあそのように楽しく笑顔で暮らしていけるのであれば、我々もうれしい限りだ。
 これまでとは違うね、よかったなとつれあいに言うと、この気分が今後も続いていくとは思えないという。そうそう、母の思いや発言は、そのときどきの瞬間風速なので、いちいち真に受けてはいけない。安心してはいられないのだった。
 ともあれ、昼食時間までには施設に送り届ける。半日がかりの大騒ぎだったが、帰ってきて何をしたかったのかということについては、よくわからないままに終わったというのが正直なところだ。

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(okinawa-image(知念岬公園))

 一仕事を終えての孤独のグルメ活動は、9か月ぶりに寿町の「麺や小福 六兵衛食堂」へ。わりとショートレンジでこの店を訪れたのは、まだここで味わったことのない麺類を食べてみようと思ったためだ。
 味噌ラーメンの大盛り、760+100円。結論から言うと、かなりいい仕上がりのラーメンだった。一定期間寝かせたと思われる浅茹での麺が、ぷりぷりとした食感でとてもおいしい。
 トッピングには大きなチャーシュー、うっすらと焦げを入れたメンマ、なると、刻みネギ、煮卵のほか、ワカメ、刻んだ生タマネギ、茹でたキャベツとニラなどがあり、充実度が高い。ラードのコクを感じるスープにも様々なものが入っていて、いわばどこを取っても独創性の高いものになっている。こういうラーメンだと知っていれば、もっと早くから食べに来ていたのに。
 麺量もマル。卓上の辛味噌や一味唐辛子を使って味変を楽しみ、完食、完汁、大汗。ということで、十分に納得できた1杯だった。

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(「麺や小福 六兵衛食堂」の味噌ラーメン)

 午後からは通常ペースに戻って、むこう一週間の録画予約から。
 そして「世に棲む日日(2)」を読む。
 幕末期から明治維新にかけての政局というものは、録画を早送りで見るような目まぐるしさがあって、何がどうやらよくわからないところがあったのだが、この本を読んで少しはその端緒というか、初期の頃の様子が理解できるようになってきた。
 場面は、攘夷のリーダー格が水戸藩から長州藩に移行し、久坂玄瑞や高杉晋作といった松下村塾上がりのガチガチの攘夷の志士たちが、長州藩の政務役・長井雅楽(うた)の暗殺を企てる。しかしその動きが藩に知れてしまい(バラしたのは桂小五郎(=後の木戸孝允))、危険人物と目された晋作は、志士集団から隔離しようとする藩の作戦に乗せられて、幕府派遣施設の一員として上海へと赴くことになる。上海を租借し、当地を支配している西欧列強の凄さを目の当たりにして晋作は――というところ。

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(「高杉晋作の誕生地」に建つ「高杉晋作立志像」 2019.06.01撮影)

 幕末、最も旧弊な鎖国攘夷論者たちが、徐々に前衛的な開国・倒幕論者に変わっていくのは不思議だなと思っていた。その点、本書を読むと、私権の家のひとつで直轄領しか支配していない徳川将軍家が国際法上の日本政府になっていることが根っこにある。通商条約を結んで開かれる港はいずれも天領内にあり、利益はすべて幕府が吸い上げ、開国に伴う物価高などの弊害は諸藩がひっかぶるという構図となる。つまり、徳川氏1軒の自家の安泰と利益を守るためにのみ天下があるのが現実で、こんな幕府は倒さなければならない!という考えに至るのだった。ナルホドなぁ。
 晋作は上海から江戸へ戻ると、ほぼすぐに藩邸を逐電し、脱藩。時代が大きく動いていく。第3巻以降が楽しみだ。

 入浴、飲酒時間を挟んで読書を続け、その間細々したこともやって、24時前後には眠りに落ちる。
 読書成果は、「世に棲む日日(2)」を120ページ読んで読了。「海に消えた神々」(今野敏著、双葉文庫、2020)を読み始め30ページ。