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2021.06.02 20210601 火
 あまり本調子とは言えず、7時前までベッドでごろごろしてから起き出す。胃の調子がよろしくないのと、右肘の腱鞘炎症状。胃には消化に苦慮している様子が感じ取られるし、肘のほうはタオルを強く絞り過ぎたためだと原因はわかっている。
 今日から6月。朝から晴れていい気候なのだが、緊急事態宣言が延長されて、外出は控えろ、県境をまたぐなという世の中の風潮は続く。これには逆らえず、静かにしているしかないのがたいへんつまらない。

 朝作業を終えて、開いたばかりの東京市場を確認しつつ、1銘柄を売ってわずかの利益を確保する。

 その後はドイツ本の読みへ。自分にしてはよく続いている。
 この日読んだところは、1941年の後半あたりからで、日本がアメリカに参戦したことで、ドイツは英・ソ・米という世界最大の工業国3つを敵に回して戦うこととなり、戦況の大いなる転機となる1942年を迎えた頃合いのところ。
 春のうちはドイツ軍の調子がよく、衛星国のハンガリー、ルーマニア、イタリアから兵力をかき集めて油田地帯のコーカサスとスターリングラード(現・ボルゴグラード)に向けて進撃する。北アフリカの砂漠でも、ロンメルが攻勢を再開し、エジプトの征服も見えてきていた。
 しかし、北アフリカには東欧方面を重視したヒトラーが兵力増強を拒み、11月にエル・アラメインでモントゴメリ将軍が率いる連合軍から大敗北を喫して、これが終わりの始まりとなる。
 そして、第二の決定機な戦いが南部ロシアの雪の雪原で始まる。1943年2月、スターリングラードでソ連軍に包囲されたドイツ軍は、降伏することなく最後の一兵まで戦えという最高司令官の冷徹な命令に従い、30万人近くの征服軍の多くが死に、命拾いをした10万人ほどが収容所送りとなって壊滅する。収容所から生きて再び祖国の地を踏めたのは、このうちたったの5千名だったという。

stalingrad 194302
(攻防終結後のスターリングラード 1943.2)

 昼食は、1年3か月ぶりに、「韓丼山形あかねヶ丘店」にて。
 オープンほどなくして入店した前回はかなり混雑していて、店員のオペレーションもひどいものだったけれども、今回はあの喧騒は去り、開店直後の11時過ぎはガラガラで、食べ終わるまで客は自分一人だった。大丈夫なのか?
 これを食べようと決めて入店した、ビビンバ+キムチ、650+90円。石焼きのメニューもあるが、何度か食べているうちにビビンバは石焼きではなくノーマルな形で味わうほうがおいしいということに、最近気づき始めたもので。
 いろいろな具材が標準装備されているが、キムチ追加は味が深まり、自分にとっては正解だった。カルビの追加は値がかさむだけなので、それは必要なし。付随のコチュジャンをこれでもかとかけ回して食べるのが自分流。ぐりぐりと混ぜれば全体に赤みが増していき、これはうまいこと間違いなしと思えてきて涎が出てくる。濃いめの味といい辛さは、下の瞼にほのかに汗を滲ませる。ボリューム的にはもう1~2口欲しいなといったところ。このぐらいにとどめておくほうが、消化器官にはいいだろう。
 去年の夏には6月半ばから期間限定で2種類の冷麺を提供していたけれども、今年もあるのかな。あったならそれも食べてみたいと思う。

kandon ymgt 202106
(「韓丼山形あかねヶ丘店」のビビンバ+キムチ)

 その後は、飲料などの買い物をして、母がよく散歩をしていた近くの河川公園に行ってみる。
 家に戻ったときにはそこをまた歩きたいというのが母の願望なのだが、満足に歩くことができない高齢者にとってその経路がどの程度歩くのに適した場所なのかを確認するためだ。階段こそないものの、緩やかながら長い坂があって、杖で歩くにはいいかもしれないが、歩行器で歩くのは厳しいと思う。車に轢かれる心配はないけれども、人がほとんど通らないので、一人で歩いていて何か不測の事態があったりするとまずい。それよりも、その公園まで歩いていけるかということのほうが問題かもしれない。

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(家の近くの河川公園から蔵王山系の竜山を望む。いい天気だ)

 午後、夜と、空き時間はひたすら読書をして、「第三帝国の興亡4」を90ページ余り読んで読了。読了は22時半。
 眼が疲れたしもう寝ようと、23時半消灯。

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