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2021.06.03
20210602 水
5時に一度目が覚めたが、次に気がついたのは6時半。もう少し寝ていようとうたた寝し、7時前にようやく起床。雲の厚い朝だ。8時台には小雨も降る。
都心から離れた山の中にある超近代的な私立大学のセミナー棟に2週間ほど合宿して、何かを学んでいる夢を見る。集中して学ぶにはいい環境かもしれないが、都内の下宿から毎日通う気には到底なれない距離と場所で、自分なら間違いなく通学しなくなる。だが、このセミナー棟で暮らせるのならば、半年ぐらいは遊学気分でここにいてもいいかなと考えているのだった。好きな離島に長期滞在するようなものだろうという発想で。

(okinawa-image(座間味島))
水曜恒例、母の入居施設に届け物。11時前に着くと、玄関のソファですでに待っている。
言うことは相変わらずで、心筋梗塞で胸が痛いの、頭の血管が切れそうな頭痛がするだのと、自己診断に基づくイタイイタイ攻撃を仕掛けてくる。だが、どこの医者に連れて行っても、血圧、心電図、レントゲンなどの検査結果は常に良好なので、これ以上医者に行っても意味がないですよとしか、こちらは思えない。余計なことを言い足すとしたら、あちこちの身体の痛みはすべて、自分の心から生じているものだ、ということだろうか。
何も悪いことをするのではないからちょっと玄関の外に行ってみたいと、建物から出ようとする。悪いことをしたために入っている施設ではないのです。悪事を働かなければ規則を無視して何をしてもいいわけではないのです。さあ帰ろうというこのような行動は、心身障害者福祉施設に行けば入所者によく見られることでもあったりする。
家に持っていかれた電話を早く戻してほしいと言われる。しかしそれは、息子にではなく施設に言うべきことだ。電話を撤去したときに母が同意したのは、しばらくの間は施設の事務室で電話を預かってもらうということだったのを忘れたか。そんなことはもうすっかり覚えていず、母の頭の中では、業を煮やした息子が強引に持って帰ったきり二度と返すつもりはないということになっているようだ。
まったく心外なことだ。筋違いな方面へは訴えず、自分で施設を説得せよ。「電話もそろそろ卒業しようかな」と言ったのは自分だったろうに。
会って話すたびに、結果としてこちらがいやな思いをすることになるのは変わっていない。電話が無くなったために、この2週間ほどはそんな言いぶりを聞かされることが減ったので、こちらはこわばった肩の力が多少なりとも緩和されてきたが、家族に代わって毎日文句ばかりを聞かされる職員たちはもっといやな思いをしているのだろう。
この日の昼食は炒飯と決めている。しばし検討して、桜田東の「栄幸亭」をセレクト。
チャーハンとジャンボギョウザ、650+350円。
チャーハンは、フライパンの上で長めの時間をかけて調理され、パラパラになって登場。卵の黄色、ネギの緑、福神漬の橙色がきれい。角切りのチャーシューの存在感も大きく、出色の出来栄えだ。塩味が強めだが、それは味がはっきりしているとも言え、個人的にはある程度歓迎すべきことだ。量もきっちりある。
少し遅れて配膳されたジャンボギョウザは、その名のとおり大きいのが5個で、立派。餃子は点心でいいのだという他店にみられる安易な考えはさらさらない模様だ。具だくさんで、一つひとつがずっしりと重く、大きいし熱いしで一口では食べられないため途中から箸で2つに切り分けて食べる。栄幸亭で食べるならこの餃子は外せないだろう。
というわけで、1,000円の価値は十分。ごちそうさまでした。

(「栄幸亭」のチャーハンは出色だった)
この日の株式取引は、持ち株ベースで言えば比較的大きな動きとなった。自動車と空運、さらには金融、電力などでの持ち株数の多い銘柄もしっかりで、全体としての評価額が2%以上アップした。この間、電通、ANA、日航の一部を売って小利益を確定する。
この数か月間に取り組んでいるショートレンジでの売買はけっこう奏功していて、大きくはないけれども日々の小遣い銭程度なら十分に賄える利益を出している。大儲けはない代わりに長期間保有することでの損害リスクも低減され、マインド的にも負荷が少ないのがいい。幸いにして日中に市場動向を確認する時間を取れる立場にあるので、このような危険回避の小利益主義をしばらくは堅持していこうと思っている。
夕刻の入浴ではみっちり汗をかいて、というか、いつもと同じ時間だけ湯に浸かると外気温が高いためか汗が止まらず、思惑以上の減量をすることができ、その分冷たいチューハイをおいしく飲むことができた。
この日の最高気温は28.5℃まで上がり、暑い夜となったので、今夜から部屋着を半袖Tシャツと短パンに替えてみる。そうしても寒く感じない。もう6月なのだものな。
午前のうちから、全5巻の最後となる「第三帝国の興亡5 -ナチ・ドイツの滅亡-」(W・L・シャイラー著、井上勇訳、東京創元社、1961)を読み始める。
第5巻は、はじめのページから記述が暗い。ナチスが創り出そうとしていた「新秩序」なるものがいかに残酷で、身勝手で、容赦のないものであったかが、連綿と記されている。支配した地域の資源を搾取してドイツの利益のために使い、支配した住民をドイツ民族の奴隷とし、第一にユダヤ人、そして東欧の多くのスラブ族を根絶やしにするというのだった。これをこの日は60ページ。
ほかには、「沖縄 若夏の記録」を50ページ読んで読了。1997年初版のものを2016年に文庫化したもの。なんとなく既視感があったので調べてみると、この初版を2015年の段階ですでに一度読んでいたことがわかる。

(「沖縄 若夏の記録」の著者大石芳野と、その初版本(中央)と文庫版)
24時前に消灯。
都心から離れた山の中にある超近代的な私立大学のセミナー棟に2週間ほど合宿して、何かを学んでいる夢を見る。集中して学ぶにはいい環境かもしれないが、都内の下宿から毎日通う気には到底なれない距離と場所で、自分なら間違いなく通学しなくなる。だが、このセミナー棟で暮らせるのならば、半年ぐらいは遊学気分でここにいてもいいかなと考えているのだった。好きな離島に長期滞在するようなものだろうという発想で。

(okinawa-image(座間味島))
水曜恒例、母の入居施設に届け物。11時前に着くと、玄関のソファですでに待っている。
言うことは相変わらずで、心筋梗塞で胸が痛いの、頭の血管が切れそうな頭痛がするだのと、自己診断に基づくイタイイタイ攻撃を仕掛けてくる。だが、どこの医者に連れて行っても、血圧、心電図、レントゲンなどの検査結果は常に良好なので、これ以上医者に行っても意味がないですよとしか、こちらは思えない。余計なことを言い足すとしたら、あちこちの身体の痛みはすべて、自分の心から生じているものだ、ということだろうか。
何も悪いことをするのではないからちょっと玄関の外に行ってみたいと、建物から出ようとする。悪いことをしたために入っている施設ではないのです。悪事を働かなければ規則を無視して何をしてもいいわけではないのです。さあ帰ろうというこのような行動は、心身障害者福祉施設に行けば入所者によく見られることでもあったりする。
家に持っていかれた電話を早く戻してほしいと言われる。しかしそれは、息子にではなく施設に言うべきことだ。電話を撤去したときに母が同意したのは、しばらくの間は施設の事務室で電話を預かってもらうということだったのを忘れたか。そんなことはもうすっかり覚えていず、母の頭の中では、業を煮やした息子が強引に持って帰ったきり二度と返すつもりはないということになっているようだ。
まったく心外なことだ。筋違いな方面へは訴えず、自分で施設を説得せよ。「電話もそろそろ卒業しようかな」と言ったのは自分だったろうに。
会って話すたびに、結果としてこちらがいやな思いをすることになるのは変わっていない。電話が無くなったために、この2週間ほどはそんな言いぶりを聞かされることが減ったので、こちらはこわばった肩の力が多少なりとも緩和されてきたが、家族に代わって毎日文句ばかりを聞かされる職員たちはもっといやな思いをしているのだろう。
この日の昼食は炒飯と決めている。しばし検討して、桜田東の「栄幸亭」をセレクト。
チャーハンとジャンボギョウザ、650+350円。
チャーハンは、フライパンの上で長めの時間をかけて調理され、パラパラになって登場。卵の黄色、ネギの緑、福神漬の橙色がきれい。角切りのチャーシューの存在感も大きく、出色の出来栄えだ。塩味が強めだが、それは味がはっきりしているとも言え、個人的にはある程度歓迎すべきことだ。量もきっちりある。
少し遅れて配膳されたジャンボギョウザは、その名のとおり大きいのが5個で、立派。餃子は点心でいいのだという他店にみられる安易な考えはさらさらない模様だ。具だくさんで、一つひとつがずっしりと重く、大きいし熱いしで一口では食べられないため途中から箸で2つに切り分けて食べる。栄幸亭で食べるならこの餃子は外せないだろう。
というわけで、1,000円の価値は十分。ごちそうさまでした。

(「栄幸亭」のチャーハンは出色だった)
この日の株式取引は、持ち株ベースで言えば比較的大きな動きとなった。自動車と空運、さらには金融、電力などでの持ち株数の多い銘柄もしっかりで、全体としての評価額が2%以上アップした。この間、電通、ANA、日航の一部を売って小利益を確定する。
この数か月間に取り組んでいるショートレンジでの売買はけっこう奏功していて、大きくはないけれども日々の小遣い銭程度なら十分に賄える利益を出している。大儲けはない代わりに長期間保有することでの損害リスクも低減され、マインド的にも負荷が少ないのがいい。幸いにして日中に市場動向を確認する時間を取れる立場にあるので、このような危険回避の小利益主義をしばらくは堅持していこうと思っている。
夕刻の入浴ではみっちり汗をかいて、というか、いつもと同じ時間だけ湯に浸かると外気温が高いためか汗が止まらず、思惑以上の減量をすることができ、その分冷たいチューハイをおいしく飲むことができた。
この日の最高気温は28.5℃まで上がり、暑い夜となったので、今夜から部屋着を半袖Tシャツと短パンに替えてみる。そうしても寒く感じない。もう6月なのだものな。
午前のうちから、全5巻の最後となる「第三帝国の興亡5 -ナチ・ドイツの滅亡-」(W・L・シャイラー著、井上勇訳、東京創元社、1961)を読み始める。
第5巻は、はじめのページから記述が暗い。ナチスが創り出そうとしていた「新秩序」なるものがいかに残酷で、身勝手で、容赦のないものであったかが、連綿と記されている。支配した地域の資源を搾取してドイツの利益のために使い、支配した住民をドイツ民族の奴隷とし、第一にユダヤ人、そして東欧の多くのスラブ族を根絶やしにするというのだった。これをこの日は60ページ。
ほかには、「沖縄 若夏の記録」を50ページ読んで読了。1997年初版のものを2016年に文庫化したもの。なんとなく既視感があったので調べてみると、この初版を2015年の段階ですでに一度読んでいたことがわかる。



(「沖縄 若夏の記録」の著者大石芳野と、その初版本(中央)と文庫版)
24時前に消灯。
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