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2019.08.11
北海道旅の記録が、本日完成しました。
今年6月26日から7月24日までの29日間、北海道を旅してきました。
その状況については、記憶が鮮明なうちにと旅の最中から書いてきましたが、旅から帰ってからもそれに画像を付け、ブログに掲載するための諸作業をして、本日、全作業を完了しました。
旅の記録は順次アップロードを始めていますが、使用画像816枚、9ポイント2段組みのWORD文書にして187ページ、ブログ記事数にして64本の大ドキュメント。
ここまでの作業は長かったですが、頭の中でまだイメージできるうちに終えることができたのはよかったです。
これから順次、このブログにアップロードしていきますので、我慢強く読んでいただければうれしいです。

元気に走ってくれた旅の道連れのフォレスター。(稚内の北防波堤ドーム前にて)
今回の旅は、天候に恵まれたとは言えませんでしたが、北海道のバカでかさを身をもって感じることができました。
幅の広い碁盤状の道路、地震災害から復興中の町、炭鉱が廃れて町の状況が一変してしまった道央の自治体、旧日本陸軍が駐屯していた大都市、花畑がきれいな丘陵が印象的な地域、樺太からの引揚者を船で受け入れていた町、冬になれば海が流氷に覆われる地域、自然と共存して生活する半島の集落、北方領土が見える北の町、湿原と昆布漁が目立った地域、開拓の歴史が息づく町、鉄道が災害で不通になっても開発が進む町、観光客が幅を利かせる港町、かつては鰊漁で栄えた歴史を大切にしている町、北海道の入り口として変貌を続ける南の市、霧で見えなかった湖や山脈……。印象的な場面をいくつも見てきました。
そして今回の旅は、仕事を辞してフリーとなったこの4月から数えて既に4回目の旅となったので、退職したばかりの頃に感じていた「第2の人生のスタート」とか「意義のある日々を目指す」とか「護送船団から離れての自己責任」とかの気負いや緊張感からはある程度自由になることができ、60歳でふらふらと巷をさまよっている自分に後ろめたさを感じることもそれほどなくなりました。いい意味で、妙な肩の力が抜けてきたと言っていいのでしょう。
しかし一方で、こういった旅の日々にずっぽりとはまってしまってはいけないことも十分自覚しているつもりです。他人の目など気にしないかのような薄汚い恰好や立ち居振る舞いを見せる、半ば旅が日常生活となっている車旅人間や、すっかり弛緩した表情でガイドに連れて行かれるままになっている高年夫婦などを、旅のあちこちで見かけました。
つまり彼らは、旅をすることの意義をすでに失っているか、のっけから理解していないか、そのどちらかの人種なのではないか。
手厳しい言い方になってしまいました。意義など持たなくても、旅はできます。そういう生き方もあること自体はなんら否定するものではありません。しかし、そんな「日常生活」や「時間潰し」は最早、旅と言ってはいけない範疇のもののような気がしてなりません。
旅をしながら故郷や友を想い、視線の先に景色以外の心象風景を見、足を踏み入れた現地の来し方や行く末をイメージしてみる。そういうことこそが旅を、ひいては自己の感性を豊かにするのではないかと思っています。
この旅では、これまでの人生で出会ってきた北海道にゆかりのある人々について、関係する地に立って思ってみることができました。出会いから長い年月が経っている者もいますが、彼らは心の中で今も若々しくあることが確認できたし、彼らの人格形成等に北海道がどう寄与してきたのかを想像することは楽しい頭の体操となりました。しかしその一方で、旅の最中に大事な友人が逝ってしまい、夜の車中で一人、そのことに嘆き悲しんだこともありました。
また、かつて訪れたことのある場所では、当時の印象がすっかり変わってしまっていることに驚き、初めて訪問した場所では、勝手に抱いていたイメージとの違いになるほどそうかと思わされたものでした。
こうでなければ旅は充実しているとは言えないし、楽しくないではありませんか。
そういう旅をするためには、行き先のことを事前によく知ることがとても大切だと痛感しています。8月は夏本番を迎え、今は現役世代とその子たちのための日々でしょうから、その間リタイア組は家で雌伏して旅先の研究を進め、9月になったならまた次の旅に出ようかと考えています。
9月はまだ暑い日々が続いているでしょうから、期間としては長くても2週間ぐらいにとどめて、紀伊半島あたりを目指してみるのはどうかと思っているところです。
その状況については、記憶が鮮明なうちにと旅の最中から書いてきましたが、旅から帰ってからもそれに画像を付け、ブログに掲載するための諸作業をして、本日、全作業を完了しました。
旅の記録は順次アップロードを始めていますが、使用画像816枚、9ポイント2段組みのWORD文書にして187ページ、ブログ記事数にして64本の大ドキュメント。
ここまでの作業は長かったですが、頭の中でまだイメージできるうちに終えることができたのはよかったです。
これから順次、このブログにアップロードしていきますので、我慢強く読んでいただければうれしいです。

元気に走ってくれた旅の道連れのフォレスター。(稚内の北防波堤ドーム前にて)
今回の旅は、天候に恵まれたとは言えませんでしたが、北海道のバカでかさを身をもって感じることができました。
幅の広い碁盤状の道路、地震災害から復興中の町、炭鉱が廃れて町の状況が一変してしまった道央の自治体、旧日本陸軍が駐屯していた大都市、花畑がきれいな丘陵が印象的な地域、樺太からの引揚者を船で受け入れていた町、冬になれば海が流氷に覆われる地域、自然と共存して生活する半島の集落、北方領土が見える北の町、湿原と昆布漁が目立った地域、開拓の歴史が息づく町、鉄道が災害で不通になっても開発が進む町、観光客が幅を利かせる港町、かつては鰊漁で栄えた歴史を大切にしている町、北海道の入り口として変貌を続ける南の市、霧で見えなかった湖や山脈……。印象的な場面をいくつも見てきました。
そして今回の旅は、仕事を辞してフリーとなったこの4月から数えて既に4回目の旅となったので、退職したばかりの頃に感じていた「第2の人生のスタート」とか「意義のある日々を目指す」とか「護送船団から離れての自己責任」とかの気負いや緊張感からはある程度自由になることができ、60歳でふらふらと巷をさまよっている自分に後ろめたさを感じることもそれほどなくなりました。いい意味で、妙な肩の力が抜けてきたと言っていいのでしょう。
しかし一方で、こういった旅の日々にずっぽりとはまってしまってはいけないことも十分自覚しているつもりです。他人の目など気にしないかのような薄汚い恰好や立ち居振る舞いを見せる、半ば旅が日常生活となっている車旅人間や、すっかり弛緩した表情でガイドに連れて行かれるままになっている高年夫婦などを、旅のあちこちで見かけました。
つまり彼らは、旅をすることの意義をすでに失っているか、のっけから理解していないか、そのどちらかの人種なのではないか。
手厳しい言い方になってしまいました。意義など持たなくても、旅はできます。そういう生き方もあること自体はなんら否定するものではありません。しかし、そんな「日常生活」や「時間潰し」は最早、旅と言ってはいけない範疇のもののような気がしてなりません。
旅をしながら故郷や友を想い、視線の先に景色以外の心象風景を見、足を踏み入れた現地の来し方や行く末をイメージしてみる。そういうことこそが旅を、ひいては自己の感性を豊かにするのではないかと思っています。
この旅では、これまでの人生で出会ってきた北海道にゆかりのある人々について、関係する地に立って思ってみることができました。出会いから長い年月が経っている者もいますが、彼らは心の中で今も若々しくあることが確認できたし、彼らの人格形成等に北海道がどう寄与してきたのかを想像することは楽しい頭の体操となりました。しかしその一方で、旅の最中に大事な友人が逝ってしまい、夜の車中で一人、そのことに嘆き悲しんだこともありました。
また、かつて訪れたことのある場所では、当時の印象がすっかり変わってしまっていることに驚き、初めて訪問した場所では、勝手に抱いていたイメージとの違いになるほどそうかと思わされたものでした。
こうでなければ旅は充実しているとは言えないし、楽しくないではありませんか。
そういう旅をするためには、行き先のことを事前によく知ることがとても大切だと痛感しています。8月は夏本番を迎え、今は現役世代とその子たちのための日々でしょうから、その間リタイア組は家で雌伏して旅先の研究を進め、9月になったならまた次の旅に出ようかと考えています。
9月はまだ暑い日々が続いているでしょうから、期間としては長くても2週間ぐらいにとどめて、紀伊半島あたりを目指してみるのはどうかと思っているところです。
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