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   朝日文庫  560円+税
   1990年8月20日 第1刷
   1998年9月30日 第9刷発行

 1985年10~11月と12月の済州島訪問記で、初出は1986年の「週刊朝日」です。

 済州島(チェジュド)については未訪でありよく知らないので、ここで確認しておくと、韓国の最南端に位置する楕円形をした火山島で、長崎の五島列島まで180kmしかない同国最大面積の島。済州特別自治道が置かれ、大きな都市として済州市と西帰浦市がある。古代から中世にかけて「耽羅国」が存在し、百済、統一新羅、高麗に内属していたが、15世紀初めに李氏朝鮮に完全併合されている。
 朝鮮時代には流刑地の一つになっていて、主に政争で負けた王族や両班が流刑された。1910年には韓国併合によって大日本帝国領となり、45年まで朝鮮総督府によって統治されていた。
 日本の降伏後、島内では政策を巡って人民委員会と米軍政庁が対立を深め、48年4月3日には朝鮮の南北分断に反対する四・三事件が発生し、3万人以上の島民が南朝鮮国防警備隊や民間右翼などによって虐殺される。この事件は、南北支配戦争の渦中で済州島は島民だけで今後の行方を決めようとする運動を、北側の介入と見て南側の軍部や自警団が抹殺したものだった。現在の在日韓国・朝鮮人には、この時に命からがら日本に逃れて来た者も多いという。
 その後は61年に実権を握った朴正煕の下で、島の観光開発が進められていく。

 司馬は、友人の玄文叔、文順礼夫妻との出会いに導かれるように、彼らの故郷である済州島へと旅立ちます。旅には、朝鮮思想史研究家の姜在彦氏も同行しています。
 済州市では、聖地、三姓穴を訪問し、姜氏の儒礼式墓参にも立ち会っています。島を西回りに南下した一行は、元の支配に最後まで抵抗した三別抄軍の終焉の地や翰林公園に立ち寄ります。島南部の西帰浦市では康昌鶴氏ら地元の父老と呼ばれる人たちに出会います。
 漢拏山麓を車で横断した際には、13世紀、草原を求めて南下してきたモンゴル人と蒙古馬のことを考えています。古い港の朝天では、「士禍」の絶えなかった李朝時代に島に流されてきた官僚らを思います。
 帰国して1カ月後、司馬は再び済州島を訪れ、念願のシャーマンや海女らと会って旅を締めくくります。

 当著に関しては、済州島自体をよく知らないので、読んでいて格別ワクワクするようなところはありませんでした。
 司馬は、今の韓国という国は李氏朝鮮(1392~1910)の時代、500年以上の長きにわたって朱子学の思想一辺倒に拠ってきたといい、朱子学(大きくいえば宋学)は考証や訓詁といった実証性よりも、大儀と名分ばかりを重んじ、思想についての異同を飽くことなくたたかわせる学派だと述べています。そして、この国の有意な知識人たちが、ほとんど不毛というほかない神学論争を500年もやり続けたというのは、世界的な奇観といえるだろうとしていました。
(2022.6.5 読)

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