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2022.08.16 20220815 月
 腰痛がひどく、夜に何度か目覚める。これはもしかしたら整形外科的な腰痛ではなく、およそ1か月前に悶え苦しんだ尿管結石か、もしくはそれに類似した何らかの内臓器官障害が関係しているのではないかと疑う。尿管結石のようなじっとしていられないほどのものではないのでもう少し様子を見るが、この痛みが続くようなら早めに医者に診てもらったほうがいいかもしれない。
 ということがあり、5時半起床。パソコンワークをしているうちは問題ないが、本を読む姿勢または横になったときには痛む。

 今日も前線が悪さをし、北東北を中心に大雨となる予報。山形は午後から降水確率90%となっている。この地域では今日が送り盆。そして、77年目の終戦記念日だ。
 沖縄戦のことに思いを馳せながら、1944年10月10日の「10・10空襲」の画像を見る。これは、那覇の中心部を北から撮ったものだろうか。左上にはまだ埋め立てられていない奥武山と漫湖、その手前に明治橋、黒煙が上がっているところは那覇港のある通堂町付近だろう。数次にわたるこの日の空襲で、那覇は完膚なきまでに破壊された。

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(10・10空襲によって破壊される那覇の街)

 朝から本を読んで過ごす。比較的涼しいため、眠くならずに読める。昼前からは雨もぱらつく。
 昼食は、先に炊いていたご飯が大量に残っているのを使って、家で炒飯。味などには不満はないが、外で食べるときのような愉しさはない。

 夕刻までに、「幻の漂泊民・サンカ」を140ページ余り読んで読了。
 サンカの発生した時期について著者は、先覚の柳田国男や喜田定吉らが中世以前から存在していたのではないかとの説を唱えるのに対して、そうではなく近世末の飢饉などの危機の時代に大量発生した無宿者の一部がサンカとして定着したのではないかとの説を述べている。
 そして次に、1920年末以降にブームとなった三角寛の「三窩小説」を読み解く作業を行い、この論文で博士号を得たという三角の主著「サンカ社会の研究」について、この本で展開されている言説の多くに思い込みや恣意性、捏造話などが含まれており、これらは「野放図な構想力の所産」であって、到底認められる内容ではないと論破している。
 最近まで残っていたサンカの関係者が直接語るシーンが出てくるのは、最終章になってから。その昔、半漂泊の暮らしをしていたおばあさんが語る半生の記述を読んで、ようやくサンカの実態が多少ながらイメージすることができたのだった。
 なお、著者の沖浦和光(おきうらかずてる、1927~2015)は、被差別民、被差別部落、マルクス主義的民族論などの研究に力を注いだ社会学者、民俗学者で、桃山学院大学長を務めたのち同大学名誉教授。自己の「あとがき」によれば、遊行者、遊芸民、香具師・世間師、「家船」と呼ばれた海の民、木地屋・たたら師・炭焼きなどの「山の民」などの漂泊民について論究してきて、山の漂泊民「サンカ」については、文献等がほとんどなくなかなか一筋縄ではいかなかったために、これらの最後になったということだった。

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(沖浦和光と「幻の漂泊民・サンカ」)

 この日の最高は29.4℃どまり。つれあいはとうとう今日一日、エアコンを点けないで過ごしたようだ。30℃を超えれば身体がそれを察知し、その時点でただちに点けるのだと豪語している。
 久しぶりに扇風機なしで眠れる。22時を期して枕元のスタンドを消して眠りへ。

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