| Home |
2022.11.30
第一阿房列車 内田百閒

新潮文庫 550円+税
2003年5月1日 第1刷
2018年12月25日 第16刷発行
「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」。借金までして一等車に乗った百閒先生、世間的な用事のない行程を「阿房列車」と名付け、弟子の「ヒマラヤ山系」を共づれとして旅に出た。珍道中のなかにも、戦後日本復興の動きと地方の良俗が描き出され、先生と「ヒマラヤ山系」の軽妙洒脱な会話が彩りを添える。読書界の話題をさらった名著を、新字新かな遣いで刊行。(カバー背表紙から)
「阿房列車」は、作家・内田百閒(うちだひゃっけん)が、1950年から55年にかけて月刊「小説新潮」に執筆した紀行文シリーズで、単行本は第一から第三までの3冊に分かれています。文庫もそうで、これはその1冊目。
70年ほども前の著作が今でも文庫版で発売され、入手したものは2018年発刊の第16刷版とだというから、日本の鉄道旅モノの嚆矢として永く愛されているもののようです。新仮名づかい、新字体に改められているので、ストレスなく読めます。
内田百閒(1889~1971)のプロフィールは次のとおり。
本名・内田栄造、別号・百鬼園。岡山市に酒造家の一人息子として生まれ、旧制六高(岡山大学の前身)を経て、東京大学独文科に入学。漱石門下の一員となり芥川龍之介、鈴木三重吉、小宮豊隆、森田草平らと親交を結ぶ。東大卒業後は陸軍士官学校、海軍機関学校、法政大学のドイツ語教授を歴任。1934年、法大を辞職して文筆家の生活に入る。
初期の小説には「冥途」「旅順入城式」などがあり、「百鬼園随筆」で独自の文学的世界を確立。俳諧的な風刺とユーモアの中に、人生の深遠をのぞかせる独特の作風を持つ。
著者のものの考え方は、古い人間にありがちな依怙地でわがままをそのまま絵に描いたような感じです。国府津駅では数分遅れて到着した東海道線から御殿場線の列車に乗り換えるのですが、支線が定刻通りに発車しようとしているのは理不尽だと決して走らずに乗り換えたため、結局乗り遅れてホームで2時間も待つことになっています。そして、それが不愉快だとばかりに駅長事務室に行き、遅れた列車を無視して接続列車を出すのは無茶な話だ、動き出した列車に客を乗せるのはいけないことだと、理屈を連ねて食い下がっています。こういう面倒臭い人は、自分ならば避けて通り、付き合いたくありません。(笑)
「奥羽本線阿房列車 後章」では、山形にも立ち寄って「豊臣時代の豪傑の様な名前の大きな宿」に泊まり、係となった年寄りの女中との噛み合わない会話について記しています。また、混んでいる風呂場では熱すぎて湯船に入れず、烏の行水の態となりご不満そうな様子も。
この宿について、作家の森まゆみは巻末で、おそらく「後藤又兵衛」だろうと書いています。今はもうない旅館ですが、森は由緒ある建物を保存する市民運動にも関わっているためか、そういうことをよく知っているようです。
全体としていまひとつ盛り上がりに欠けるのは、内容自体がヒマラヤ山系氏とともに列車に乗って帰ってくるだけの旅なので、中身が薄いということが一つ。そして、著者内田百閒の脱線癖がところどころに顔を出すため本筋がわかりづらく、時として興味の及ばない話が長く語られることが一つ。さらに極めつけは、読んでいてずっと頑固爺さんの恨みがましい長話に付き合わされているような心境に陥ることがあるためです。
したがって、全体として決して楽しいものではなく、第二、第三と続くシリーズを買うことはしばらく控えようと思ったところです。
(2022.10.20 読)
- 関連記事
-
-
民族の世界史7 インド世界の歴史像 辛島昇編 2022/12/01
-
第一阿房列車 内田百閒 2022/11/30
-
掃除屋 プロレス始末伝 黒木あるじ 2022/11/29
-
| Home |