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2023.03.18
20230617 金
6時20分起床。何日ぶりかの小雨で、朝日はなく空が重たい。だが次第に好転し、昼頃からは日が射す場面もあった。
定着してきた朝の民俗学、「谷川健一全集〈8〉沖縄4-海の群星 神に追われて 他」は、今日から「琉球弧 女たちの祭」に入る。1980年の初出で、沖縄の写真家比嘉康雄(1938-2000)の写真と谷川の文章による、琉球弧の祭祀儀礼についての貴重なドキュメンタリーであるとのこと。
沖縄関連の4分冊目となるこの本の中では、この章が最も論説的かつ専門的で充実度が高く、内容が濃いために夕刻までかかったが、この日もなんとか八重山、宮古、沖縄本島の部分の40ページを読む。

(image 読書ライフ)
毎日好きな本を自由に読めているのだが、仕事を持っていた時代には、こういう時間は日頃からなかなか持つことができなかった。用向きと用向きの間のわずかな時間に数ページ読んだり、寝る時間を無理やり後ろ倒しにして読んだりしていたもので、通年の1日平均でせいぜい50ページがいいところ。きっといつの日かは読書を中心にした時間をたっぷり持ちたいと思ったものだった。
それが、リタイアした今であれば、誰にも迷惑をかけずに好きなだけ本に時間を充てることができるわけで、何とも幸せなことではないか。自分としては、ホントはこういう生活を学生時代から年老いて死ぬまでずっとぶっ続けてやりたかったのかもしれず、外的要因がなければ実際にそうしていたかもしれない。
本を買うのに困らない程度の経済力がまだ残っていることも大きい。また、高価な本ではなく古書買いの110円の本でも不満なく楽しく読むことができるような、お安くできている自分をステキに思う。
残り少なくなってきた人生、なぜまだ本を読まなければならないのかと思うこともある。しかし、本というものは、時空を超越して自分の知らなかった多くの人と出会うことができるし、その中で知らない場所を自在に疑似体験できるし、内容に触れて今まで考えもしなかった感慨や思いが湧いてきたりもする。そして、知らなかったいろいろなことを新たな知識として持つことができる。なんとまあ、いいことずくめではないか。
ただ、最近は理解力、吸収力自体が落ちてきているのに加えて、懸命に読んでも記憶に残る量なり質なりが減っているように感じられる。これは由々しき問題だ。これらを多少なりとも維持していくためには、学生時代の勉学と同じで、本を読むだけではなく、その予習と復習が重要となる。読むときの一度のみならず3度接して、自分にとって少しでも印象深くなるようにするわけだ。読む前には、その本が著者にとってどう位置付けになっていて何作目に当たるのか、また読後には、読んでいて印象に残った表現個所や自分なりの感想を書き残す。こういうことでもしないと、若い頃のような後味なり満足度といったものが得られなくなってしまっているというわけなのだ。
うれしいことに、予習や復習に充てる時間も自分の随意で決めることができる。社会的立場などという愚昧なものからはもちろんのこと、誰からも、何からも、束縛されない生活。今はそれを衷心から喜び、愉しんでいる。

(「駅前食堂」の日替わり定食)
昼食は、香澄町の「駅前食堂」を1年6か月ぶりに再訪して、日替わり定食850円を食べる。金曜日はほぼ毎週カレーで、この日は茄子とひき肉のカレーだった。
大きな皿にカレーがたっぷり。薄っぺらでもなくスパイシーでもない、万人向けのカレー。ごはんも多いが、卓上に漬物2種、ふりかけ3種、カレースパイス、白ごま、調味料など多様なものがテーブル狭しと置かれているので、それらをふんだんに活用してカスタマイズしながら食べることができ、楽しんでいるうちにいつの間にか全部平らげてしまう。ほかにポテサラ付きの生野菜、もやしの味噌汁、ほうじ茶。
この2月に100円値上げとなったが、その価格でもコスパ的には十分見合っているように思えるグッジョブだった。
午後以降には、少しの昼寝とたっぷりの入浴と、本沢農協の青菜漬などをつまみにしての飲酒。録画視聴は「中山秀征の楽しく1万歩!小京都日和」の大分・日田編。かつては町民文化が大いに栄えたらしく、天領とは平民が伸びやかでいられた場所だったことがよくわかる。去年5月に訪問しているので地理がわかり、そのときに歩いた通りや立寄り施設などが多く登場していた。

(日田の御幸通り 2022.5.24)
午後以降の読書は、「沿線風景」を60ページ。
夜からは「逢魔が時に会いましょう」(荻原浩著、集英社文庫、2018)を読み始める。
大学4年生の高橋真矢は、映画研究会在籍の実力を買われ、アルバイトで民俗学者・布目准教授の助手となった。布目の現地調査に同行して遠野へ。“座敷わらし”を撮影するため、子どもが8人いる家庭を訪問。スイカを食べる子どもを数えると、ひとり多い!? 座敷わらし、河童、天狗と日本人の心に棲むあやしいものの正体を求めての珍道中。笑いと涙のなかに郷愁を誘うもののけ物語。(カバー背表紙から)
というもので、「小説すばる」に掲載された「座敷わらしの右手」、「河童沼の水底から」(ともに2000)を加筆修正したものに、書下ろしの「天狗の来た道」を加えたオリジナル文庫であるとのこと。自分にとっては荻原浩の5作目で、直近に読んだ「愛しの座敷わらし」と同じくこれにも座敷わらしが登場する。これを寝るまでに40ページ。
夜になってからの眠気が強く、耐えられずに22時前に寝床へ。寝入ったのは22時半頃だったろうか。
定着してきた朝の民俗学、「谷川健一全集〈8〉沖縄4-海の群星 神に追われて 他」は、今日から「琉球弧 女たちの祭」に入る。1980年の初出で、沖縄の写真家比嘉康雄(1938-2000)の写真と谷川の文章による、琉球弧の祭祀儀礼についての貴重なドキュメンタリーであるとのこと。
沖縄関連の4分冊目となるこの本の中では、この章が最も論説的かつ専門的で充実度が高く、内容が濃いために夕刻までかかったが、この日もなんとか八重山、宮古、沖縄本島の部分の40ページを読む。

(image 読書ライフ)
毎日好きな本を自由に読めているのだが、仕事を持っていた時代には、こういう時間は日頃からなかなか持つことができなかった。用向きと用向きの間のわずかな時間に数ページ読んだり、寝る時間を無理やり後ろ倒しにして読んだりしていたもので、通年の1日平均でせいぜい50ページがいいところ。きっといつの日かは読書を中心にした時間をたっぷり持ちたいと思ったものだった。
それが、リタイアした今であれば、誰にも迷惑をかけずに好きなだけ本に時間を充てることができるわけで、何とも幸せなことではないか。自分としては、ホントはこういう生活を学生時代から年老いて死ぬまでずっとぶっ続けてやりたかったのかもしれず、外的要因がなければ実際にそうしていたかもしれない。
本を買うのに困らない程度の経済力がまだ残っていることも大きい。また、高価な本ではなく古書買いの110円の本でも不満なく楽しく読むことができるような、お安くできている自分をステキに思う。
残り少なくなってきた人生、なぜまだ本を読まなければならないのかと思うこともある。しかし、本というものは、時空を超越して自分の知らなかった多くの人と出会うことができるし、その中で知らない場所を自在に疑似体験できるし、内容に触れて今まで考えもしなかった感慨や思いが湧いてきたりもする。そして、知らなかったいろいろなことを新たな知識として持つことができる。なんとまあ、いいことずくめではないか。
ただ、最近は理解力、吸収力自体が落ちてきているのに加えて、懸命に読んでも記憶に残る量なり質なりが減っているように感じられる。これは由々しき問題だ。これらを多少なりとも維持していくためには、学生時代の勉学と同じで、本を読むだけではなく、その予習と復習が重要となる。読むときの一度のみならず3度接して、自分にとって少しでも印象深くなるようにするわけだ。読む前には、その本が著者にとってどう位置付けになっていて何作目に当たるのか、また読後には、読んでいて印象に残った表現個所や自分なりの感想を書き残す。こういうことでもしないと、若い頃のような後味なり満足度といったものが得られなくなってしまっているというわけなのだ。
うれしいことに、予習や復習に充てる時間も自分の随意で決めることができる。社会的立場などという愚昧なものからはもちろんのこと、誰からも、何からも、束縛されない生活。今はそれを衷心から喜び、愉しんでいる。

(「駅前食堂」の日替わり定食)
昼食は、香澄町の「駅前食堂」を1年6か月ぶりに再訪して、日替わり定食850円を食べる。金曜日はほぼ毎週カレーで、この日は茄子とひき肉のカレーだった。
大きな皿にカレーがたっぷり。薄っぺらでもなくスパイシーでもない、万人向けのカレー。ごはんも多いが、卓上に漬物2種、ふりかけ3種、カレースパイス、白ごま、調味料など多様なものがテーブル狭しと置かれているので、それらをふんだんに活用してカスタマイズしながら食べることができ、楽しんでいるうちにいつの間にか全部平らげてしまう。ほかにポテサラ付きの生野菜、もやしの味噌汁、ほうじ茶。
この2月に100円値上げとなったが、その価格でもコスパ的には十分見合っているように思えるグッジョブだった。
午後以降には、少しの昼寝とたっぷりの入浴と、本沢農協の青菜漬などをつまみにしての飲酒。録画視聴は「中山秀征の楽しく1万歩!小京都日和」の大分・日田編。かつては町民文化が大いに栄えたらしく、天領とは平民が伸びやかでいられた場所だったことがよくわかる。去年5月に訪問しているので地理がわかり、そのときに歩いた通りや立寄り施設などが多く登場していた。

(日田の御幸通り 2022.5.24)
午後以降の読書は、「沿線風景」を60ページ。
夜からは「逢魔が時に会いましょう」(荻原浩著、集英社文庫、2018)を読み始める。
大学4年生の高橋真矢は、映画研究会在籍の実力を買われ、アルバイトで民俗学者・布目准教授の助手となった。布目の現地調査に同行して遠野へ。“座敷わらし”を撮影するため、子どもが8人いる家庭を訪問。スイカを食べる子どもを数えると、ひとり多い!? 座敷わらし、河童、天狗と日本人の心に棲むあやしいものの正体を求めての珍道中。笑いと涙のなかに郷愁を誘うもののけ物語。(カバー背表紙から)
というもので、「小説すばる」に掲載された「座敷わらしの右手」、「河童沼の水底から」(ともに2000)を加筆修正したものに、書下ろしの「天狗の来た道」を加えたオリジナル文庫であるとのこと。自分にとっては荻原浩の5作目で、直近に読んだ「愛しの座敷わらし」と同じくこれにも座敷わらしが登場する。これを寝るまでに40ページ。
夜になってからの眠気が強く、耐えられずに22時前に寝床へ。寝入ったのは22時半頃だったろうか。
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