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2023.05.27
宮城北部車旅202305 06
「マクドナルド佐沼店」に到着したのは7時15分頃。よしよし、開いている。
いつものようにソーセージマフィンのバリューセットを注文して、ログ付けを始めるために電源のある席を所望したところ、電源席はありませんとのこと。ガガーン……まずは第一の挫折。
ではまあ、バッテリーを電源として作業をしようとモバイルパソコンを開いたところ、なぜかWORとEXCELのアイコンがいつもの青や緑ではなく白っぱけたもので表示されている。頭の中に「?」をたくさん発生させつつ開こうとするのだが、プロクラムを指定して開けときて、どう探してもWORDのアプリが見つからず、作業をする環境が得られずにお手上げ状態となったのでアッタ。
その原因は判然としないのだが、帰宅してから調べてみると、旅に出る前日に行ったウィンドウズ・アップデートの際に、何らかの事情があってこれらのアプリが消えてしまったとしか考えられないのだった。
ちぇっ。こうなれば、マックなんかに長居をする必要性はない。さっさとここを切り上げて、ログ付けは家に戻ってからやることにしよう。そして、ここで使うはずだったログ付けタイムがまたもや大きく浮いてしまったので、ここから先の進捗もさらに早くなる。
じゃああれか。今夜は温泉には入らず、道の駅にも泊まらず、帰っちゃおうか。ま、もう少し様子を見て、ひととおり見終わって帰れる時間ならば、帰ろう。
ということで、ここも8時15分には切り上がってしまったのだった。

(いいことなかった「マクドナルド佐沼店」)
佐沼はこの地域の主要な街地なのだが、早朝では特にやることがないので、ほんのついでに「宮城県立佐沼高等学校」を見に行ってみた。
何のことはなく、大昔の予備校時代にこの高校からもやって来ていた男女が数人いて、若干の面識を持ったことがあるというだけの糸口しかない。ははぁ、彼らが学んでいたのはここだったのか。
思い出したけど、たしかあの年、佐沼高校は夏の甲子園の県予選でベスト4ぐらいまで勝ち進んだのではなかったか。調べてみると、それはまったくの記憶違いで、その3年後の1980、81年に2年連続して地区大会のベスト8まで進んでいた。そして、2014年にはなんと、準優勝しているのだった。
登校時間は過ぎているので生徒の姿は見られない。校舎改築中で、生徒たちは仮設の3階建てプレハブ校舎で授業中だった。

(プレハブ校舎の「宮城県立佐沼高等学校」)
さて、次に向かうのは、今日のメインとなりそうな登米市登米町だ。そちらに向かって走っていると、右手に変わった形の大きな建物が見えた。あれは何?! 寄ってみよう。
それは、「日米祝祭劇場」とはじめは読めて“??”だったけれども、正しくは「登米祝祭劇場」いうものなのだった。これもあとで調べてみると、894席を有する大ホールのある多目的ホールで、合併前の登米郡に属する8町(迫町、登米町、東和町、中田町、豊里町、米山町、石越町、南方町)が財団法人登米文化振興財団を設立して1994年に開館したものなのだった。ザルツブルク音楽祭のようなものを開催できるようにしたいという趣旨で、クラシック向けのホールとして設計されたとのこと。
この日は行事がないようで、静かなものだった。

(登米祝祭劇場)
9時前に、登米市登米町寺池の桜小路地区に到着。ここからは町歩きだ。
登米市登米町は、町のすぐ東側を北上川が流れ、東に北上山地、西には米作地帯が広がる静かな町。仙台伊達藩の一門として、約300年にわたり2万1千石の城下町だったところだ。
歴代当主は、北上川の川筋を変えるなど多くの事業を興して民生の安定に努め、明治維新後は北上川舟運による米穀の集散地として繁栄。廃藩置県により登米県・水沢県の県庁所在地になったが、その後宮城県に統合されている。
町には、ハイカラな洋風建築物、廃藩置県当時に置かれた水沢県庁記念館、重厚な蔵造りの商家など、明治を偲ばせる建物が現存し、少し横道に入ると藩政時代の武家屋敷や史跡が随所に残っているため、旧登米町地区は「みやぎの明治村」と呼ばれているのだそうだ。2021年前期の連続テレビ小説「おかえりモネ」でも、「森の町」登米として紹介されているらしい。
自然にたどり着いた「とよま観光物産センター遠山之里」の背後にある駐車場に車を停めて歩き始める。
開いたばかりの「遠山之里」でまちあるきマップをゲットして、これを頼りに回ることにする。なお「遠山之里」は、登米地域の物産販売施設で、食堂も併設。名物の油麩丼などもここで味わえるらしい。

(とよま観光物産センター遠山之里)
「遠山之里」のすぐ西側に位置する「登米町教育資料館」。
旧登米高等尋常小学校の校舎で、擬洋風木造建築の、「みやぎの明治村」登米を代表する建築物。棟札からは1888年の上棟であることがうかがえるという。内部は有料で、大正時代の授業を体感できる再現教室や明治からの教科書を展示しているとのこと。保存状態も悪くなく、立派だ。

(登米町教育資料館1)

(登米町教育資料館2)

(登米町教育資料館3)
「遠山之里」の前まで戻って、道路を挟んでその向かいにある「水沢県庁記念館(旧水沢県庁庁舎)」。
廃藩置県により登米県庁舎として、次いで水沢県庁舎として使われた、和洋折衷の建造物。玄関と本棟は当時からのもので、とりわけ玄関の切妻は量感あふれる重厚な構えだ。

(水沢県庁記念館(旧水沢県庁庁舎))
「水沢県庁記念館」前から南に伸びる通りは「武家屋敷通り(前小路)」になっている。画像は清野家の外白壁だ。

(武家屋敷通り)
いつものようにソーセージマフィンのバリューセットを注文して、ログ付けを始めるために電源のある席を所望したところ、電源席はありませんとのこと。ガガーン……まずは第一の挫折。
ではまあ、バッテリーを電源として作業をしようとモバイルパソコンを開いたところ、なぜかWORとEXCELのアイコンがいつもの青や緑ではなく白っぱけたもので表示されている。頭の中に「?」をたくさん発生させつつ開こうとするのだが、プロクラムを指定して開けときて、どう探してもWORDのアプリが見つからず、作業をする環境が得られずにお手上げ状態となったのでアッタ。
その原因は判然としないのだが、帰宅してから調べてみると、旅に出る前日に行ったウィンドウズ・アップデートの際に、何らかの事情があってこれらのアプリが消えてしまったとしか考えられないのだった。
ちぇっ。こうなれば、マックなんかに長居をする必要性はない。さっさとここを切り上げて、ログ付けは家に戻ってからやることにしよう。そして、ここで使うはずだったログ付けタイムがまたもや大きく浮いてしまったので、ここから先の進捗もさらに早くなる。
じゃああれか。今夜は温泉には入らず、道の駅にも泊まらず、帰っちゃおうか。ま、もう少し様子を見て、ひととおり見終わって帰れる時間ならば、帰ろう。
ということで、ここも8時15分には切り上がってしまったのだった。

(いいことなかった「マクドナルド佐沼店」)
佐沼はこの地域の主要な街地なのだが、早朝では特にやることがないので、ほんのついでに「宮城県立佐沼高等学校」を見に行ってみた。
何のことはなく、大昔の予備校時代にこの高校からもやって来ていた男女が数人いて、若干の面識を持ったことがあるというだけの糸口しかない。ははぁ、彼らが学んでいたのはここだったのか。
思い出したけど、たしかあの年、佐沼高校は夏の甲子園の県予選でベスト4ぐらいまで勝ち進んだのではなかったか。調べてみると、それはまったくの記憶違いで、その3年後の1980、81年に2年連続して地区大会のベスト8まで進んでいた。そして、2014年にはなんと、準優勝しているのだった。
登校時間は過ぎているので生徒の姿は見られない。校舎改築中で、生徒たちは仮設の3階建てプレハブ校舎で授業中だった。

(プレハブ校舎の「宮城県立佐沼高等学校」)
さて、次に向かうのは、今日のメインとなりそうな登米市登米町だ。そちらに向かって走っていると、右手に変わった形の大きな建物が見えた。あれは何?! 寄ってみよう。
それは、「日米祝祭劇場」とはじめは読めて“??”だったけれども、正しくは「登米祝祭劇場」いうものなのだった。これもあとで調べてみると、894席を有する大ホールのある多目的ホールで、合併前の登米郡に属する8町(迫町、登米町、東和町、中田町、豊里町、米山町、石越町、南方町)が財団法人登米文化振興財団を設立して1994年に開館したものなのだった。ザルツブルク音楽祭のようなものを開催できるようにしたいという趣旨で、クラシック向けのホールとして設計されたとのこと。
この日は行事がないようで、静かなものだった。

(登米祝祭劇場)
9時前に、登米市登米町寺池の桜小路地区に到着。ここからは町歩きだ。
登米市登米町は、町のすぐ東側を北上川が流れ、東に北上山地、西には米作地帯が広がる静かな町。仙台伊達藩の一門として、約300年にわたり2万1千石の城下町だったところだ。
歴代当主は、北上川の川筋を変えるなど多くの事業を興して民生の安定に努め、明治維新後は北上川舟運による米穀の集散地として繁栄。廃藩置県により登米県・水沢県の県庁所在地になったが、その後宮城県に統合されている。
町には、ハイカラな洋風建築物、廃藩置県当時に置かれた水沢県庁記念館、重厚な蔵造りの商家など、明治を偲ばせる建物が現存し、少し横道に入ると藩政時代の武家屋敷や史跡が随所に残っているため、旧登米町地区は「みやぎの明治村」と呼ばれているのだそうだ。2021年前期の連続テレビ小説「おかえりモネ」でも、「森の町」登米として紹介されているらしい。
自然にたどり着いた「とよま観光物産センター遠山之里」の背後にある駐車場に車を停めて歩き始める。
開いたばかりの「遠山之里」でまちあるきマップをゲットして、これを頼りに回ることにする。なお「遠山之里」は、登米地域の物産販売施設で、食堂も併設。名物の油麩丼などもここで味わえるらしい。

(とよま観光物産センター遠山之里)
「遠山之里」のすぐ西側に位置する「登米町教育資料館」。
旧登米高等尋常小学校の校舎で、擬洋風木造建築の、「みやぎの明治村」登米を代表する建築物。棟札からは1888年の上棟であることがうかがえるという。内部は有料で、大正時代の授業を体感できる再現教室や明治からの教科書を展示しているとのこと。保存状態も悪くなく、立派だ。

(登米町教育資料館1)

(登米町教育資料館2)

(登米町教育資料館3)
「遠山之里」の前まで戻って、道路を挟んでその向かいにある「水沢県庁記念館(旧水沢県庁庁舎)」。
廃藩置県により登米県庁舎として、次いで水沢県庁舎として使われた、和洋折衷の建造物。玄関と本棟は当時からのもので、とりわけ玄関の切妻は量感あふれる重厚な構えだ。

(水沢県庁記念館(旧水沢県庁庁舎))
「水沢県庁記念館」前から南に伸びる通りは「武家屋敷通り(前小路)」になっている。画像は清野家の外白壁だ。

(武家屋敷通り)
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