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2020.01.01
九州旅201910 68 鹿児島
天文館通電停から市電に乗って「鹿児島中央駅」へ。
九州新幹線が開通して激変しているのではないかと思っていたが、見た目は20年前とそれほど変わっていない印象だ。いや、変わったのだろうな。でもなんだか、旅客の佇まいは落ち着いているように感じる。
このような形で2時間余りの鹿児島市街散歩を終える。

天文館通電停から市電で「鹿児島中央駅」へ

鹿児島中央駅前
車を出して、鹿児島の歴史、文化遺産が一堂に集められているという「鹿児島県歴史資料センター黎明館」へ。
西郷さんの銅像からすぐのところなのだが、ここには専用の駐車場があるので車で行くのが妥当と判断した。しかし行ってみると守衛がいて、9時の開館まであと30分ほどありますが……と。ああそうか、まだ開いていないのか。
それではまた後でと言う当方に、「それでは近くの城山展望台に行かれてはどうですか」と。
実はここに来る前に、照国神社の東脇から展望所らしき方向に向かってみたのだが、行き止まりをバックで戻らなければならなくなり往生している。だが、道はそことは違うのですよと。
教えに従って、今度はちゃんと「城山展望台」に到着。高さ107mから見る桜島の雄姿と鹿児島市街の眺めはすごいのだった。親切に応対してくれた守衛さんには申し訳ないが、まだ9時にはなっていないし、日程的なこともあるので、黎明館には戻らずに終わってしまう。

「城山展望台」から桜島と鹿児島市街を眺める
腹が減ってきた。鹿児島市の街なかのマックは駐車場のないところが多いため、郊外の「マクドナルド吉野町店」を選び、9時15分に到着してようやく朝食にありつく。
2時間強のログ付けタイム。
正午近くからは、鹿児島市域の北側のポイントを攻める。
ややマニアックになるが、祇園之洲公園内にある「ザビエル上陸記念碑」。フランシスコ・ザビエルが1549年キリスト教を布教した最初の地が鹿児島なのだ。

ザビエル上陸記念碑

せっかくなので、碑の図柄の拡大版も載せておこう

鹿児島らしいいい眺めも見ることができた
「石橋記念公園」。ここには西田橋という、江戸時代末期に甲突川に架けられた石橋が移設・復元されている。
「琉球船の目印松」。石灯籠に抱きつくように枝を張った松が、琉球船が入港する時の目印とされていたという。その後枯れてしまったが、再度植えられたものが石灯籠の左手に根付いているのだった。交通量の多い狭い道路のため、停車して撮影することがかなわなかった。

「石橋記念公園」に保存されていた西田橋
「異人館(旧鹿児島紡績所技師館)」。
薩摩藩主島津忠義は、英国から紡績機械を輸入し、日本初の洋式紡績所を造る。異人館は、指導にあたった英国人技師の宿舎として建てられたもので、日本における初期の西洋建築の代表例なのだそうだ。入館料がかかるので、外からの撮影にとどまる。建物というのはそれでいい。

異人館(旧鹿児島紡績所技師館)
九州新幹線が開通して激変しているのではないかと思っていたが、見た目は20年前とそれほど変わっていない印象だ。いや、変わったのだろうな。でもなんだか、旅客の佇まいは落ち着いているように感じる。
このような形で2時間余りの鹿児島市街散歩を終える。

天文館通電停から市電で「鹿児島中央駅」へ

鹿児島中央駅前
車を出して、鹿児島の歴史、文化遺産が一堂に集められているという「鹿児島県歴史資料センター黎明館」へ。
西郷さんの銅像からすぐのところなのだが、ここには専用の駐車場があるので車で行くのが妥当と判断した。しかし行ってみると守衛がいて、9時の開館まであと30分ほどありますが……と。ああそうか、まだ開いていないのか。
それではまた後でと言う当方に、「それでは近くの城山展望台に行かれてはどうですか」と。
実はここに来る前に、照国神社の東脇から展望所らしき方向に向かってみたのだが、行き止まりをバックで戻らなければならなくなり往生している。だが、道はそことは違うのですよと。
教えに従って、今度はちゃんと「城山展望台」に到着。高さ107mから見る桜島の雄姿と鹿児島市街の眺めはすごいのだった。親切に応対してくれた守衛さんには申し訳ないが、まだ9時にはなっていないし、日程的なこともあるので、黎明館には戻らずに終わってしまう。

「城山展望台」から桜島と鹿児島市街を眺める
腹が減ってきた。鹿児島市の街なかのマックは駐車場のないところが多いため、郊外の「マクドナルド吉野町店」を選び、9時15分に到着してようやく朝食にありつく。
2時間強のログ付けタイム。
正午近くからは、鹿児島市域の北側のポイントを攻める。
ややマニアックになるが、祇園之洲公園内にある「ザビエル上陸記念碑」。フランシスコ・ザビエルが1549年キリスト教を布教した最初の地が鹿児島なのだ。

ザビエル上陸記念碑

せっかくなので、碑の図柄の拡大版も載せておこう

鹿児島らしいいい眺めも見ることができた
「石橋記念公園」。ここには西田橋という、江戸時代末期に甲突川に架けられた石橋が移設・復元されている。
「琉球船の目印松」。石灯籠に抱きつくように枝を張った松が、琉球船が入港する時の目印とされていたという。その後枯れてしまったが、再度植えられたものが石灯籠の左手に根付いているのだった。交通量の多い狭い道路のため、停車して撮影することがかなわなかった。

「石橋記念公園」に保存されていた西田橋
「異人館(旧鹿児島紡績所技師館)」。
薩摩藩主島津忠義は、英国から紡績機械を輸入し、日本初の洋式紡績所を造る。異人館は、指導にあたった英国人技師の宿舎として建てられたもので、日本における初期の西洋建築の代表例なのだそうだ。入館料がかかるので、外からの撮影にとどまる。建物というのはそれでいい。

異人館(旧鹿児島紡績所技師館)
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