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2020.10.27
山陽旅202009 01 はじめに
2020年9月29日から10月26日までの28日間、主として中国地方の山陽道を巡ってきました。6月の四国旅に次いで2020年の2本目で、2019年3月に仕事を辞してからトータル7本目の車旅となります。
旅の前後には、富山県、岐阜県の合掌造りの集落や滋賀、京都、兵庫など近畿地方の府県のみどころにも立ち寄っています。
今回山陽道を攻めることで、退職前の時点までに描いていた日本の各地をドライブして見てまわる計画はひととおり達成することになります。
四国と山陽道は今年の夏前までに巡り終えて、夏は東京オリンピックを見る計画でしたが、2月以降のコロナ騒動で、四国は初夏に巡れたものの、山陽道への旅は秋に実施することになりました。東京オリンピックの開催は来年に飛んでしまっています。
これまで兵庫、岡山、広島、山口あたりにはどちらかというと縁遠く、神戸、姫路、倉敷、尾道、広島、岩国などの有名な観光地でさえじっくりと見たことがありません。
しかし一方で、福山市は実母の出生地であり、呉は海軍軍人になろうとしていた実父が青春時代に暮らした地で、まったく関係のない土地でもないのです。
このたびはまだ見たことのないスポットや、瀬戸内海の島と海の風景のあるところ、父母のゆかりの地などを丹念に巡ってこようと思っています。

(2020.10.16 安芸灘諸島上蒲刈島「県民の浜」にて)
四国への旅から戻ってから今回の旅まではけっこう間が空いたので、事前の情報収集をしっかりやれて、7回の中ではもっとも詳細に検討することができました。特に、近畿から山陽道にかけての多くは都市部を移動することになるため、行く先々で車をどこに停めれば安価で効率的になるかについて、よく考えました。結果としては、各ポイントをスムーズに見てまわることに大きく寄与しました。
半面、悩みとしては、都市部になると道の駅が少なく、毎日道の駅で車中泊をするのは難しいことがわかってきました。24時間温泉・サウナやネットカフェは新型コロナ対策の面からあまり積極的に利用する気にはなれず、そうなると何回かはホテルを利用することになりそうです。しかしそのホテルも、快適である反面エクスペンシブで、これもあまり前向きにはなれません。
夜はどこで寝るか。このことが過去6回の車旅以上に重要な問題となりそうです。まあ、行った先でその都度最善の判断をすることでしのぐしかないのですが。
しかしこの悩みは、皮肉なことに意外な形で解決することになります。

(2020.10.15 竹原町並み保存地区内にあった「おかかえ地蔵」)
旅の記録は、できるだけ忘れないうちにまとめようと、野帳にあとで自分でもよく読めなくなるような粗雑なメモをとり、当日の夜もしくは翌日の朝のうちに、持ち込んだモバイルパソコンで書き続けました。この作業は日々、けっこう重たい作業となりました。
写真も、ミラーレス一眼とコンパクトカメラの2台を用いて、できるだけ多く撮ることを心掛けました。
人間の頭脳は、記憶を少しずつ失うことによって自らの機能の正常性を維持しているわけなので、旅をしている最中はとても印象深かったことでも、いずれは忘れていくものだと達観しています。しかし、その時に見た風景や、その場で考え、思ったことなどは、こまめに記録をすることによって、あとでそれを読めば多少ながら、その時の雰囲気や考えていたことを思い出すことができます。
さらに言えば、書くこと自体がオンタイムで見聞きした事象を改めて確認するいわば追体験になるわけだし、書いたことが現実とは別の新しい記憶としてインプットされることにもなります。
つまり、旅の途中で書くという行為は、自分が旅の中身を忘れてしまうことを前提として、いつ忘れてもいいようにしておくことを目的として行っているものなのです。いつ、何をしたか、何を見てどう思ったかを確認したいときは、書いたものをブログに載せてさえおけば、ブログ内検索をすることによって、キーワードひとつでその時のことを書いた記述を調べ出すことができるのです。

(2020.10.18 「大島大橋」(周防大島町))
そのような、主として個人的な備忘のための文章をこれから何十回かにわたって公開していきますので、長くなりますがよろしければお付き合いいただければ幸いです。
旅の前後には、富山県、岐阜県の合掌造りの集落や滋賀、京都、兵庫など近畿地方の府県のみどころにも立ち寄っています。
今回山陽道を攻めることで、退職前の時点までに描いていた日本の各地をドライブして見てまわる計画はひととおり達成することになります。
四国と山陽道は今年の夏前までに巡り終えて、夏は東京オリンピックを見る計画でしたが、2月以降のコロナ騒動で、四国は初夏に巡れたものの、山陽道への旅は秋に実施することになりました。東京オリンピックの開催は来年に飛んでしまっています。
これまで兵庫、岡山、広島、山口あたりにはどちらかというと縁遠く、神戸、姫路、倉敷、尾道、広島、岩国などの有名な観光地でさえじっくりと見たことがありません。
しかし一方で、福山市は実母の出生地であり、呉は海軍軍人になろうとしていた実父が青春時代に暮らした地で、まったく関係のない土地でもないのです。
このたびはまだ見たことのないスポットや、瀬戸内海の島と海の風景のあるところ、父母のゆかりの地などを丹念に巡ってこようと思っています。

(2020.10.16 安芸灘諸島上蒲刈島「県民の浜」にて)
四国への旅から戻ってから今回の旅まではけっこう間が空いたので、事前の情報収集をしっかりやれて、7回の中ではもっとも詳細に検討することができました。特に、近畿から山陽道にかけての多くは都市部を移動することになるため、行く先々で車をどこに停めれば安価で効率的になるかについて、よく考えました。結果としては、各ポイントをスムーズに見てまわることに大きく寄与しました。
半面、悩みとしては、都市部になると道の駅が少なく、毎日道の駅で車中泊をするのは難しいことがわかってきました。24時間温泉・サウナやネットカフェは新型コロナ対策の面からあまり積極的に利用する気にはなれず、そうなると何回かはホテルを利用することになりそうです。しかしそのホテルも、快適である反面エクスペンシブで、これもあまり前向きにはなれません。
夜はどこで寝るか。このことが過去6回の車旅以上に重要な問題となりそうです。まあ、行った先でその都度最善の判断をすることでしのぐしかないのですが。
しかしこの悩みは、皮肉なことに意外な形で解決することになります。

(2020.10.15 竹原町並み保存地区内にあった「おかかえ地蔵」)
旅の記録は、できるだけ忘れないうちにまとめようと、野帳にあとで自分でもよく読めなくなるような粗雑なメモをとり、当日の夜もしくは翌日の朝のうちに、持ち込んだモバイルパソコンで書き続けました。この作業は日々、けっこう重たい作業となりました。
写真も、ミラーレス一眼とコンパクトカメラの2台を用いて、できるだけ多く撮ることを心掛けました。
人間の頭脳は、記憶を少しずつ失うことによって自らの機能の正常性を維持しているわけなので、旅をしている最中はとても印象深かったことでも、いずれは忘れていくものだと達観しています。しかし、その時に見た風景や、その場で考え、思ったことなどは、こまめに記録をすることによって、あとでそれを読めば多少ながら、その時の雰囲気や考えていたことを思い出すことができます。
さらに言えば、書くこと自体がオンタイムで見聞きした事象を改めて確認するいわば追体験になるわけだし、書いたことが現実とは別の新しい記憶としてインプットされることにもなります。
つまり、旅の途中で書くという行為は、自分が旅の中身を忘れてしまうことを前提として、いつ忘れてもいいようにしておくことを目的として行っているものなのです。いつ、何をしたか、何を見てどう思ったかを確認したいときは、書いたものをブログに載せてさえおけば、ブログ内検索をすることによって、キーワードひとつでその時のことを書いた記述を調べ出すことができるのです。

(2020.10.18 「大島大橋」(周防大島町))
そのような、主として個人的な備忘のための文章をこれから何十回かにわたって公開していきますので、長くなりますがよろしければお付き合いいただければ幸いです。
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